Song For The World

雑務

第1話

 雨の降る駅で今日も僕は待ち続ける。髪の長い君は今日も来なかった。遠くから最終列車の警笛が鳴り響いた。列車のヘッドライトがプラットホームを照らす。

 あれから君のことを夢見て何年が経ったのだろう。いつまでも君は現れないまま。早く僕も君のところへ行きたい。君との記憶は僕の頭の中で既に擦れかけ始めている。


 僕は最終列車に乗り込んだ。スマホアプリのradikoを開いて適当な番組にチューニングする。知らないバラード。悲しい曲だ。別離の悲しみでも歌っているのだろう。イヤホンの進歩はとても凄まじいもので、耳の中、頭の中どころか意識の中枢に音が共鳴している。この感覚は現代人しか味わうことのできないものだろう。


「・・・・・・それでは次はリクエスト曲を。今週はたくさんのリクエスト頂きましたが・・・・・・東京都、シャイニーさんのこのリクエスト曲。SMAPで『夜空ノムコウ』」


 意識の中枢にメロディが流れ込む。柔らかなバラードは雨音に溶け込むように、ゆっくりと身体に染み渡る。音楽に包まれたまま目を瞑ると、だんだんと僕は自分の世界に入っていった。


『あれから僕たちは何かを信じて来れたかなぁ・・・・・・ 窓をそっと開けてみる 冬の風の匂いがした』

 

 気がつくと僕はラジオに合わせて『夜空ノムコウ』を口ずさんでいた。あれから・・・・・・何もかも信じ続けてきた。必死に信じてきた。一緒にミュージシャンになると君と決めた未来を信じ続けてきた。コブクロみたいに二人で歌おうって・・・・・・。『歌で宇宙を救う』が君の口癖だった。そんな突拍子のないことを言うこともあったが、君はとにかく歌が好きだった。


『あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ・・・・・・ 全てが思うほど上手くは行かないみたいだ』

 

 あの頃の未来はまだ来ない。ミュージシャンになる未来。君と二人じゃなきゃ未来は迎えられないんだ。君の歌がなければ未来はいつまでもやってこない。


『悲しみっていつかは消えてしまうものなのかなぁ・・・・・・ ため息は少しだけ白く残ってすぐ消えた』


 悲しみも喜びも思い出もいつかは霧のように消え失せていく。桜もいつかは散るし、虹も薄れ消えていく。美しいものは消え失せていくのが宇宙の法則なのだ。


 雨音が激しくなってきた。イヤホンから流れる音楽の旋律は次第にただの無意味な音符の連なりになってしまい、やがておたまじゃくしのように好き勝手泳ぎ出す。電車の不規則な揺れと無秩序な雨音とおたまじゃくしが、僕を眠りの世界へと誘う。電車がトンネルに入ると世界は暗闇に包まれた。



 −−長いトンネルを抜けると、星空が広がっていた。



 さっきまで降っていた雨はすっかりと止んだようだ。いや、止んだのではない。電車が雨雲より高い夜空を走っているのだ。夜空に散らばった星々は、思い思いにペガサスやはくちょうを象り、新たな秩序を形成していた。月光に導かれた銀河鉄道は、月の裏を夢見て夜空を飛び回る。


 やがて電車は止まった。月明かりに照らされた雲の上にその駅はあった。僕はその駅で電車を降りた。


 そこに君はいた。


 電車はいつの間にか音も立てずに何処かへと飛び去ったようだ。夜空の冷たい空気は音と光の動きさえ鈍らせたようで、静寂の中に二人はたたずんでいた。


   「なんで・・・・・・ここに・・・・・・?」

「久しぶりだね、なんでって・・・・・・僕にも分からないや。でもきっと、歌の力だよ」

   「歌の力って・・・・・・?」

「せっかくこうしてまた会えたのに質問責めなの? 歌にのせた気持ちは、いつまでも消えることがない。そんなところかな」


 この世界が現実世界ではないことは分かった。この世界の意味までは把握できていなかった。しかしそこには安らぎがあった。


   「僕たちはなんで再会できたのかな・・・・・・?」

「きっと、神様が僕たちに二人で歌う機会を与えてくれたんだろうね。夜空のステージで星空の音符でメロディーを奏でるんだ」

   「それは何かの比喩? それとも何かの詩?」

「こんな幻想的な物語の中にいるんだもの。少しくらいのポエムはいいじゃない」


 歌は無数の音が規則正しく組み合わさって出来上がったものだから、宇宙の中で歌は飛び抜けて安定したもの。だから、歌にのせた思いも消えることはない、というのが君の話の要約だ。いつか消えてしまう美しいものを歌にのせることで、守り抜いていく。それが君の夢だ。


「歌は世界の美しいものを讃えて守るためのもの。だから、歌うことはその世界への愛を表すことにもなるんだ」

   「じゃあ、君と会わせてくれたこの世界のために、歌わなきゃね」

「うん、この世界もすぐに消えちゃうしね。少しの間だけでも、歌いながら守ろう」

   「うん、僕はこの世界を愛する。だから歌うよ」

「そうだね、君のこの夢が少しでも長く続くように」

   「夢なの・・・・・・? 目が覚めたら終わりなの?」

「何事もいつかは消え失せるんだよ。安定していないものほどね」

   「僕たちは安定していないなの?」

「だってあのとき僕たちはお別れしたはずなんだもん」

   「もっと一緒にいたい」


 夢の中で夢だと自覚できたときには既に夢の出口に差し掛かっているのだという。瞬く星たちは星座を象ることをやめ、一つまた一つと消えていく。身体に雨粒が不規則に打ちつける。雲の下に広がる夜景の光の粒が空に吸い込まれていく。


「この世界ももう薄れ消えかかっているんだよ。この世界が崩れるまであっという間だよ」

   「もうお別れってこと・・・・・・?」

「そうかもしれない。その前に、僕たちの夢、叶えよう」


 そう言うと君は月光が照らす雲のステージに立った。僕もつられてそこに立つ。


「目一杯歌おう。人間ははるか昔から歌を歌ってきた。死という存在を知った人間が、死に抵抗するための手段として歌い始めたんだ。僕たちの美しい命と世界を守り、少しでも残していくためにね」


   「会えてよかった」


 二人の身体は闇の中に呑まれようとしていた。この世界が消えかかっていることは明白だった。二人の時間もあとわずかなのだろう。しかし、この時間だけはどうしても守りたい。

 

 息を大きく吸い込む。二人の歌声はハーモニーを奏で、空気を規則正しく震わせた。空気の振動は心の奥までも震わせた。胸の奥がみるみる熱くなっていく。この熱だけは夢じゃない。そう確信した。


 しかし、世界はほとんど消えかかっている。二人の歌さえも消えようとしていた。お互いの顔を見つめ合う。しかし、もうそこに君の身体はなかった。心地の良い揺れが僕の身体を支配していた。


「あの頃の未来・・・・・・だね」


 君の声と、微笑みだけがそこに残っていた。


 駅メロが聞こえると、終着駅だった。僕は夢から覚めたようだ。

 電車は扉を開いて、眠ったように佇んでいた。僕はゆっくりと立ち上がる。窓に映る自分は、頬が濡れていた。改札を出ると、雨が止んでいることに気づいた。オリオン座が夜空を彩っている。星空を見上げながら、僕は歌っていた。


 夜空ノムコウには明日がもう待っている。

 

 





 

 

 

 

 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Song For The World 雑務 @PEG

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ