episode:8 ミレディ大臣
メイは体感だとかなり長い時間、巨大土竜の背に揺られていた。空が淡い橙色に染まり始めた頃、遮蔽物の少ない荒野の地平線上に巨大な城の尖塔が覗いた。
飛行帽を被った男たちが到着地点に定めていたのはまさにその城だった。遊園地──それぞれのボックスが籠型のブーケのように見える観覧車や、ぐねぐねと曲がりくねったレールの上に鎮座するジェットコースター、埃をかぶった空っぽのコーヒーカップ……メイは存在自体がアトラクションじみている巨大土竜の背の上から、遊園地を見渡した。
そして、今。メイは城の階下に広がる格納庫にいる。大型ショッピングモールの地下駐車場さながらにだだっ広いそこは、元はどうやらアトラクションの一部だったらしい。周囲にはボキボキに折れたレールの残骸や、カートゥーンチックな自動車、巨大な鍵を持った熊のオブジェなどが転がっている。
縦長の照明が幾つも点いているところを見ると、電気は通っているようだ。もしかしたら遊園地もまだ機能しているのかもしれない。
メイは巨大土竜の背の上で、飛行帽の男の誘いに首を振り続けている。
「だって、けっこう高いって……」
「あんな空から撃ち落とされてきたんですから、今更こんな高さで躊躇わないでください」
「あれだって不本意ですよ。落ちなくていいものなら落ちたくない……うお、うおお……」
巨大土竜が前脚で顔を洗いだす。高度と揺れと傾斜に、メイは思わず引け腰になる。
「うう、このでっかい土竜みたいな生き物はなに? 急に暴れたりしない?」
「それはLOVEです。なにも食べなくても生きていけるので異種個体とは争いませんし、個体数も激減のリスクは無いので同種個体とも争いません。攻撃性は皆無です」
「LOVE、って、なに、この子は何目何科なの? やっぱり哺乳鋼目土竜科?」
「LOVEはLOVEです。ガイアの慈愛によって機能するこの世界でガイアプラントに依拠する生物はみなLOVEです。ガイアチルドレンとも呼びますが、少なくとも慈愛をすべて享受しきれていない我々フラワーチルドレンがより畏敬の念を籠めて呼ぶとLOVEになるのです。そろそろ降りてきていただけませんか」
「いや、ちょっと高いよ」
「多少欠損しても直ちに再生します」
「それは分かるよ。分かるけど……頭では分かってても、ちょっと……」
「いいから下りなさいよ、羊ちゃん」
「うわ……っ!?」
メイは背中に謎の衝撃を喰らって、そのまま前のめりに落下する。顔から地面に激突したはずが不思議と痛みはない。ただただ混乱しながら周囲を見回すと、さっきまで誰もいなかった場所に女がいた。
飛行帽の男は女の姿を見つけると、慌てた感じで敬礼をする。
「ミレディ大臣、ゴーストチルドレンを確保しました」
「うん、見たらわかるよ。なんつって。おつあり」
「だ、だいじん……?」
女は玩具の銃を胸の前で弄んでいる。突如としてこんな意味不明な世界に迷い込んでしまったメイからして、その女はいまでで一番親しみを覚えられる背格好をしていた。
すらっと伸びた足。雑誌の表紙で見かけるモデルのようだ。かなり際どい白のショートパンツから、滑らかそうな太ももが露わになっている。ビビットパープルのジャケットは着崩されていて、左肩はほとんど出かかっている。胸ポケットになにかを入れているのか、右胸が非対称的にふっくらと盛り上がっている。〝Catch Me〟と表記されたワッペンもそこはかとなくポップなデザインで、メイのいた時代と親和性がありそうだ──メイはここで自分の視力が過剰に上がっていることに気づく。ここに来る前はもっと近眼で、あれくらい遠くにいる人間の顔は決まってぼやけて見えたはずなのに──メイは女の顔をちらりと見やる。
寝起きの綺麗なお姉さんって感じだ。晩秋の落ち葉のような色合いをしたミディアムショートヘアは所々がぴょっこぴょっことはねている。長い睫毛と、いかにも眠たげなお目目。そして、走り書きした3を九十度回転させたようなお口と、よく似合ってはいるけれどもメイの審美眼からしたら奇抜な猫耳カチューシャ。
(でもああいう人って原宿とかにいたなぁ)
「はろー、羊ちゃん。いまのくだりちょっち聞いてたけど、キミ、初期のキャラ固まってない頃の王にそっくりだね。まあ、じきに色々と慣れるよ。慣れるしかないってことが分かるよ」
「ミレディ大臣、王はどこへ?」
「ん、それが分かんなくて。ロシュも見当たらないし。一緒に行ってない?」
「いえ」
「ん。てっきり一緒にいるとばかり思ってたんだけどな。どうしよ」
しばし、沈黙。メイは自分の立ち回りを決めかねたまま、LOVE土竜の前脚を興味本位でいじり始める。
「……ひとまず、王への謁見が最優先事項かと」
「ん、だよね。いや、分かってはいたんだけどさ」
女は玩具の銃口にすぽすぽと指を出し入れしながら、苦そうに顔をしかめる。
「監督責任こっちにくるじゃんね」
「
「ビビりすぎだよ。さっきだって無理やり引き摺り下ろせばよかったのに」
女が天井に向かって銃口を向ける。引き金を引いた瞬間に射出されたのは檸檬色のカラーボールだ。土の匂いと湿気と獣臭が充満する格納庫に軽やかなバウンド音が反響する。
「まあ、しょうがない。ほら、来て」
「え、わたしですか?」
「うん」
ミレディはくるりと踵を返して、すたすたと階段を上がっていく。メイは躊躇いがちに後を追っていく。
「あの、あなたたちは心臓食べない、んですか?」
「ガイアプラントを植え込んでるあたしたちは絶食しててもノー問題なんだ。HEARTなんてゲテモノ、不味いだろうに食べてるのはあの人くらい」
「向日葵の人のこと? あの人って」
「ああ、うん」
「あの人殺されちゃいますか?」
「存在自体がチートみたいなもんだからね。キミを追って来るか、もう来れないか。どっちかじゃない」
ミレディはくるくると、トリガーに通した人差し指を軸にして玩具の銃を回転させる。自由な人だ。口調や立ち振る舞いも捉えどころがない。ほんとうに猫みたいな人だ。メイは内心思う。
やがて、メイたちは地上にあたる階に出た。外気が夕闇の冷気を含んでいる。大臣だのなんだの、色々と気にかかることを尋ねようとして、メイは口を噤んでしまう。こういうタイプの女の人と話したことがあまりないせいか、どうやら緊張しているらしい。メイは静けさに満ちた遊園地の雰囲気にも後押しされて、危うく心細さに泣きそうになる。
ミレディは外に面した廊下からじっと遊園地の全景を見下ろしながら、物も言わずに歩を進める。メイは左手首を掴みながら、居心地悪そうについていく。
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