episode:7 災厄


 0815は頭を抱えて呻いている。周囲の地面は抉れ、大小無数の土塊が点々バラバラに転がっている。

 地面に倒れ伏せている骸に咲き乱れた花々が薫風に揺れる。0815の身体にもまた、向日葵のそれらしき黄金色の花弁が細かく震えている。まだ微かに意識を保持している蓮の腐敗ロッテンロータスの構成員が、花に取り巻かれつつある腕を0815の足元へ伸ばす。

「ゴーストに魅せられた悪魔、め……」

「う、ぐ……」

 花弁が風に舞う。宙に揺蕩う光の塵は微動だにしない。

「人知れず逝ね」

「同胞たちよ、花に宿る魂よ……もっと乱れよ、塞ぐほど咲けよ……」

「獣の如く肉を喰らう悪魔の身体をもたがせよ」

しがんだ花を身に宿す悪魔の自我を惑わせよ……」

「人が最も恐れた結末を、人に魅せられた悪魔に辿らせよ……逝ね……逝ね……」

 苦しそうな呻き声を漏らす0815の身体に、向日葵だけではない、多様な花が咲いていく。それは遠目からだと人の背丈ほどもある大きな花束が右に左にかしいでいるように見える。

「ユキオ……たすけてくれ」

 0815は雑踏の中ではぐれた幼子のように呟く。光の塵は上機嫌な踊り子のように揺蕩いながら、0815の深層に秘められた記憶の喚起を強制する。


「憎しみと怒りは別物だよ」

 黒い髪の青年が冷ややかな笑みを貼り付けている。手指で花の茎を潰すように挟み、くるくると花弁を眺めまわしている。

「怒りは自分以外の誰かを対象にする。だけど憎しみの対象は自分だけだ。それに、怒りは知性を生む。全知全能とされる神が、神話なんかですごく怒りん坊な姿で描かれていたりするでしょ? 怒りを筆頭に、感情は色々な機能を生む。だけど、憎しみはなにも生まない。おかしな風に聞こえるかもしれないけど、強いて言うなら、憎しみは虚無を生むんだ。怒りが恒星の爆発なら、憎しみはすべてを無に帰すブラックホールだよ」

「無って、なに」

「死ぬこと」

「花になること?」

「そうか。君たちは老いないし病にも苦しまないから、死への関心が希薄なんだ。それはとてもいいことだよ。うん……」

「たまに胸がざわつくんだ。なあ、死ってなに」

「自分が自分でなくなること」

 黒髪の青年はガイアチルドレンを指差す。新人類固定計画ニュー・マン・オーダーにおける保護対象は声も上げずにただ朽ち葉の街を彷徨っている。

「だからあれらはみんな死んでる。虚しい?」

「……」

「なぜ虚しいの。可哀想」

「……かわいそう?」

「そう。僕は手前勝手な憐憫れんびんが大嫌い。でも、君は絶対に可哀想な奴だ」

「自分を、くれるのか。俺に」

 黒髪の青年が絶望と慈愛に両端から引き裂かれたような笑みを貼りつける。

「あんまり死ぬことを恐がると死にたくなるよ。ほら、そうやって花が咲くだろ。持てば持つほど失うことが恐くなるよ。恐れるあまり失いたくなる」

「なんで、なんで平気なんだ」

「人がどうして憎しみを抱くのか知ってる。……君はどう。知りたい?」

 0815の視界が花に塞がれていく。「ユキオ」と半ば狂乱しながら呟き続ける声が段々と鮮明に聴こえる。そしてそれよりももっと鮮明に──「憎んじゃ駄目だ」──声が聴こえる。


「怒れ、サン」


 途端に、0815は目を見開く。視界を塞いでいた花が肉体にまれては元の苗床へ帰っていく。周囲は咲き乱れる花々によって彩られ、光の塵はまだ少しだけ揺蕩っている。周囲はさながら天国のような様相を呈しながらも、心臓喰らいの復活を嘆く声や呪詛の言葉、阿鼻叫喚や啜り泣きなど、地獄から這い上ってくるような音に却って異様な雰囲気を醸し出され……とうとう、途絶える。

 静寂と、花の中。棺のような空間で一人、0815だけが残った。

「会いたいな」

 呟くと、外気に晒された喉元で向日葵の花弁が少し揺れる。マフラーを巻き直し、藍鉄色の三又フォークを拾って空を仰ぐ。

「行かなきゃ」

 後方で倒れ伏しているドラゴンフライの骸に振り返ると0815はきつく目を眇めて……メイの去り退いた方向へと激しい風のように駆けていった。

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