episode:6 授業:後半
「じゃあ、俺たちはMOTHERに愛されていないのか」
「そうだね。なぜなら、君たちは
ガラスに組み込まれた薄いシート状のディスプレイが、南国風の植物園から灰色の雨に沈む街を映す。空には
「MOTHERの恩恵によって、人類は次世代の姿に、理想的社会動物に進化できるはずだった。今度こそ、有史以来からの悲願であった人類の平和と平等が叶うはずだったんだ。しかし、西暦2025年頃から観測されだした、ガイア歴に至っても未解明の病理『希望病』の影響によって、人類は断片的にMOTHERの恩恵から取り零された。
──意志もなく、表象もなく、世界も無い。われわれの前にあるのは、もちろん無のみ。……生まれてから今日まで、何度も何度も言って聞かされた文章だ。無。それはとても素晴らしい。ぼくたちが『自我』に対して過度な信仰を抱いてしまわないように、ヒューマンデザイナーやオーディオワイズマンは新人類の素晴らしさを絶えず説いてくる。フラワーチルドレンはガイアチルドレンよりも下等な存在だ。希望を抱き、自我を抱く。その負の螺旋に未だ取り込まれているぼくらはぼくらを恥ずべきだと。
ぼくらのFATHERはそれを否定する。ぼくらが
「……人類が最後にかかる病気は希望である。サン=テグジュペリという作家が残した言葉だ。人類は希望病さえ克服すれば、旧態依然の枠組みを超え、新人類に進化できる。ただしヒューマンデザイナーたちが日々憂えているように、人智を超えたMOTHERの機能をも瓦解させる希望病の特効薬は未だ発明されていない。ただし、処方箋は辛うじて、ある。君たちのことだ。
「希望の母体とは、グラスウォールのことですね」
「そう。フラワーチルドレンの宿敵だ。対変革因子用人造人間──今は希望と、ひいては自我を獲得してしまった保護区画のガイアチルドレンを剪定する役目を担っているけれど、大元はグラスウォールを調査、抹消するために開発されたんだ。ヒューマンデザイナーたちの手腕によって、みんなの頭には
「それでも、花化してしまうフラワーチルドレンはいますよね」
「うん。みんなは絶妙なバランスのうえで成り立っている。希望を抱え過ぎてはいけない。かといって、希望を嫌煙するあまり絶望に手をこまねいてもいけない。対変革因子用人造人間がいつしかフラワーチルドレンと称されるようになった所以はね、君たちだけに咲く花が観測されたからなんだ。花化の時に咲き誇る花を常に身に宿す変異体が現れた。彼らはMOTHERの逆鱗に触れることもなく、通常値を超えた量の希望を抱える。言ってしまえば、MOTHERの恩恵を拒絶することを許されているんだ。これについてだって、MOTHERの意図は分からない。しかし、そういう風に花を咲かせた者の中には、MOTHERの声を聴く力を持った〝選ばれし子ども〟もいるらしい。あくまで眉唾だけどね」
「そのフラワーチルドレンはどうなるんですか」
「通常値を超えた量の希望を抱える、すなわち、希望を流布させる母体となりうる以上、グラスウォールと同等の是消滅対象として認定される。ただしガイアプラント適合率が並外れて高いゆえ〝
「だけど、FATHERはよく言うじゃないか。自我を持つことはそう悪いことばかりでもないって」
0223が異を唱える。そこはFATHERの矛盾だ。矛盾──これを抱え続けることもよくないと、ぼくらを造ったヒューマンデザイナーや、ぼくらを戒めるオーディオワイズマンは説く。矛盾を抱え続けるということは、希望と絶望の中立に立つ術を身につけることに繋がるからだ。
FATHERは困ったようにはにかんで、聖なる獣のようにか細く呻る。隣の席の0815が窓の外を凝視している。なにか新しい心像が映し出されたのかもしれないけれど、ぼくはなんとなく躍起になって、重たげな前髪の奥に隠されたFATHERの黒い瞳を見透かそうとする。FATHERはどこを見ているのだろう。0815はどんな心像を見ているのだろう。
「ほんとうにねえ、手前勝手な親だと思うよ。どうやら俺の人格タイプのモデルになった奴の影響らしい。グラスウォールも〝女〟の姿を模しているけれど、あれももしかするとかつて存在した人間の影響を受けていたりするのかな。まあ、分からないことだらけだね。うだうだ考えるのはやめにしよう。今日はもうようやく授業を終えられたんだからさ」
そう言って、FATHERは窓ガラスの心像放映機能をOFFにする。
ぼくはそのとき、絶対に花を咲かせることのないようにしようと心に誓った。不孝者。その言葉が包含する意味について正確には計りかねた。だけど、FATHERをがっかりさせるようなことだけはしたくなかった。それが、いまは……
──0827ことリリィは、保護区画の一角にぽつねんと立ち尽くしている。
「行っちゃった」
0815ことサン──そして、新たに迷い出たゴーストチルドレンが飛び去っていった空を仰ぐ。つと、宙を飛び交う偵察型プラントイドの一つが黄色い光を明滅させ、リリィ宛の通信が来たことを報せる。
──……また、塔へ。
「……うん、いいよ。FATHERもそうすべきだと言うだろう」
──……はい。
「きみたちも苦労するね。ぼくはよくても、ほかの面々は
──やはり、塔から出ていかざるを得ないんでしょうか。
「どうかな。ゴーストチルドレンも最近増えすぎてるし、HEARTを取り込んでガイアプラント適合率を上げようとする無法者も現れてしまったことだし、問題と言えばそれこそ
──……。
「そんな不安そうな顔しないでよ。少なくともぼくは花化しない。ぼくよりもガイアプラントに適合した人じゃない限り、ぼくを花化させたらきみたちまでも死んじゃうからね」
──恐れ入ります。
リリィは一方的に通信を切る。このままバックレようとないのは現段階での統治者の中ではぼくだけだろう。右腕に纏わりつく花の手触りを疎ましく思いながら、リリィは塔へ向かって歩きだす。
(じつのところ、ぼくは0815、きみに期待してるんだ。ほんのちょっと、いや、もしかしたら大いにね)
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