10
「良かったー! もう今度こそマジで死んじゃったんじゃないかって思ってぶっ倒れる所だったんだよー! マジでー!」
ふと目覚めた時には散らかり放題散らかった部屋の中。卵がゆの匂いが良い感じ。
首を動かすとぬるくなった濡れタオルが額から落っこちた。その先には見慣れた膝小僧が行儀よくきちんと並んで――。
「髭……?」
「チクショウ! 心配させやがって、この野郎めが! うわー!」
「髭!」
「うわあああ!?」
これまでの経緯とか自分の状況とか。確認するのも忘れてその太い首に飛びつき、二人でひっくり返った。また薔薇の匂いと酒の香りがぐちゃぐちゃにこんがらがっている。あの夜初めて嗅いで酷く安心したあの匂いと一緒だ。
とても、安心する。親の手より、監察官の細い目より。この温かい首に、変な匂いに。
髭の痛みに。
「どーしたんだよ、ちょっと。らしくないんだけども?」
「……あの日のごめんを言いたくて」
「ん? 何の事?」
「だから、その、舌を噛みちぎってしまいまして、申し訳が立たないと言いましょうか」
「あー! あー! そんな事! 気にすんなよ、お前が帰ってきたからもうチャラ。別に怒ってないよ」
そう言って無言で抱きしめる。
多分――いや絶対。こう言うと思ってた。
その瞬間私はこの人が次に何を言うかが分かるから好きなんだ、と確信する。
それが愛するってことなんだ。
そこに説明なんか必要ない。
頭を優しく撫でられながらこの言葉達の幾つが本物で幾つが偽者なんだろう、とか考えた。
『俺はね、アンタの悲しみを吸い取りに来たんだ。本当だぜ? ――あ、そうだ。とりまそこに座ってなよ、今晩はおいさんが得意料理を振舞ってやろう!』
『何作んの』
『カップメーン』
『料理じゃない!』
『ね。好きな人は出来た?』
『体中に痕付けといてよく言えるねその台詞』
『ひっひっひー』
『……大迷惑』
『なー。見てごらんよ、月が綺麗だぜ』
『……愛の告白みたい』
『何だって?』
『月の雑学教えてって言った』
『そんじゃあガマガエルの話だな』
『そこはせめて兎で』
『月が欠けて見えるのはガマガエルがぺろりと平らげるからで……』
『兎にして!』
若しかしたら奴らの言う様にコイツは存在しないのかもしれない。若しかしたら私が自分勝手に作り出した幻想なのかもしれない。
それでも、それでも。
この人が居なければ自分は生きられないと思ったのだ。
それは、揺るがない。
「ねえ」
「ん」
「抱いて」
……。
……、……。
「……何て?」
「抱いて。私を抱いて」
暫くきょとんとして、少し考えてから
「熱でもある?」
とかマジ顔で聞いてきやがったので勢いで自らその口を塞いでやった。
「本気」
その瞬間のあの驚いた顔を私はこれから一生涯忘れないだろう。直後、タガでも外れたようにアイツは私を押し倒してきた。
そこからはよく覚えていないけど今まで忌避してきた感覚が全てほどけていくのだけはよくよく覚えていた。
一枚ずつ剝がれていく悲しみに、一枚ずつほどけていく苦しみに。
あの日覚えた恐怖も何もかもを忘れて私達は生きている証をお互いに刻み込んだ。いつどちらが消滅しても忘れられない程、深く、深く。
深く。
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