Marker's Flower

王生らてぃ

本文

 最近また増えた。

 コンクリート塀、高架のトンネル、廃屋の壁……至るところに描かれている、ヒマワリのような花。目を離した隙にまた増えている。

 そのヒマワリは、黒のと黄色のスプレーでひとつひとつ描かれていて、大きさも長さもバラバラだ。だけど、形はどれもそれぞれそっくりで、同じ人間が描いているのは明らかだった。

 今は午後十一時半。街灯もついていないので、月と星の光しか頼りがない中でも、この花はとても目立つ。マーキングそのものが煌めいているかのようだった。



「いったい誰が、何のために?」






     ◯






 この辺りは元々、線路沿いの住宅街だったが、『大震災』で多くの建物が倒壊し、地下のインフラが破壊され尽くしたので、もう人が住んでいない。生き残った人は仮設住宅に移されて、再開発も後回しにされ続けている状態だ。

 ここは都市環境美化機動隊トビッキーも滅多に寄り付かないような場所で、誰かが通りかかるということもない。とても辺鄙で、荒れ果てた場所だ。



 わたしたちは、いつもここを溜まり場にして学校をサボったりしていた。最初は何十人かメンバーがいて、ダラダラしたり、タバコ吸ったり、たまにお酒を飲んだり、麻雀や賭けポーカーをしたり……まあ、そういうことをしていた。

 だけどメンバーはだんだん減っていった。こういうことに飽きて真っ当に生活を始めるやつ、逆に行き過ぎて施設にぶち込まれるやつ、いつの間にか姿を消したやつ……

 いろいろいる。

 いろいろいるけど、残ったメンバーは、わたしひとりだ。そう言ってもいいだろう。



「はぁ」



 古くなって、すっかり不味いタバコを吸いながら、わたしは線路をぶらぶら歩いていた。昔は使われていた線路だけど、大震災で地盤が緩んで、列車が走れなくなったので、そのまま放置されている。バラストの隙間からは雑草が伸び放題で、灯りの消えた信号灯が案山子のように不気味に突っ立っている。

 ここは東京なのに、まるで別世界だ。ここだけ、世界が終わって、人間が滅びてしまった世界みたいだ。だからわたしは、ここが好きだった。ここは静かで、広くて、自由だ。

 だけど、ひとりだとなんだか寂しいものだ。やることがない。タバコもこれが最後の数本だ。昔はよく先輩が秘密のルートで手に入れてきてはわたしたちに売ってくれたものだが、もうその人はいない。バイクで暴走してる時に、事故って死んだのだ。



「あっ、」



 ここにもある。

 あのヒマワリだ。線路沿いのコンクリートブロックに、あれが所狭しと描かれている。いったい誰が、なんのためにこれを描いているんだろう。わざわざ、このひと気のないところに。







 学校に行くのもかったるい。

 親は滅多に帰ってこないし、わたしのことなんて別に興味ないみたい。いや、中学に上がってから、悪い連中と集まるようになってわたしのスコアが下がったから、興味を失ったのかもしれない。兄はいいスコアを出していていい大学に行って、いい就職をしたから、それで満足したのかもしれない。

 そろそろ高校を卒業する時期だが、スコアを全く重ねていない、職業訓練も受けていないわたしの将来は、高が知れている。いまさら真面目に生きるのも、馬鹿らしいってものだ。



 やがて、高架トンネルへと差し掛かった。

 トンネルの先には使われなくなった鉄道の駅があって、そこから高架の上の道路に行ったり、地下通路へと入ったりできる。わたしたちの秘密基地のような場所だった。

 真夜中と言ってもいい時間、トンネルの中は当然電気も通っていないので、真っ暗で何も見えない。でも、線路伝いに歩いていけば、ほんの数分で反対側の出口に出られる。



「あ……!」



 その時だった。

 目の前にいたのだ。線路の上に立ち、ホームの向かいの古いゲームの広告に向かってスプレー缶を振り回している人影が。



 とても背が小さい。たぶん女だ。このクソ暑い初夏の夜に、闇に紛れるようなウィンドブレーカーを着て、フードをすっぽりと被っている。その裾や袖は、なにか塗料のようなカラフルな汚れが付いていて、背中には大きなリュックサック。そして、手には軍手と……黄色のラッカースプレー。

 マーカーだ。

 街のあちこちにいることは当然知っているけれど、実際に目の当たりにするのは初めてだった。

 そして、何より驚いたのは……

 彼女が広告の看板に書き殴っているのが、あのヒマワリだということだ。わたしたちの遊び場に、いつのまにか、種が運ばれてきたように一斉に開花し始めたヒマワリ。その種を蒔いている人間がいま、目の前にいる。



 その手際は見事だった。

 スプレー缶でここまで繊細な線を描けるのか、と思い、ついつい見入ってしまう。黄色の花びらのそばには、オレンジや青の粒子を散らし、黒く描かれている茎や葉も、まっすぐ、力強く、それでいて太過ぎない、絶妙な加減で描かれていた。

 すべて、フリーハンドで、右手一つでなされていた。



「すごい……」



 これがマーカー。

 この街に無数に蔓延る、名も無きアーティストの姿なのだ。あっという間にそこには、一輪のヒマワリが咲いていた。街灯もない、ほとんど真っ暗な駅舎の中に咲いたヒマワリ。それは、なぜかとても輝いていた。



「よし、今日はこの辺でいいかな……」



 そのマーカーはひとりごとを呟きながら、あたりに広げた道具を片付け始める。とても高い声だった。やっぱり女の子だ、それも、すごく小さい……中学生か、もしかしたら小学生かもしれない。



「ねえ」



 だから、油断した、というわけでもないが。

 わたしはいつの間にか、彼女に話しかけていた。

 マーカーの女の子はびくっと肩を震わせ、わたしの方を勢いよく振り返った。



「その、ヒマワリ。この辺にいっぱい描いてるのはあなた?」

「え、はい。そうです」



 思ったより素直だ。てっきり逃げられるか、襲い掛かられるかのどっちかだと思っていたから。



「きれいだね」

「え?」

「たくさん、ヒマワリが咲いてて、すごくきれい」

「きれい……ですか?」

「うん」



 すると、彼女はわたしのほうにずんずんと近づいて来て、フードは取らないままでわたしに言った。



「あなた、トビッキーですか?」

「ううん、違うよ。ただ、夜中出歩いてるだけ。昔はこの辺りでよく遊んでたんだ、だから今でも時々、この辺を散歩するの」

「わたしのこと、通報しますか?」

「してほしいの?」

「いえ……」

「しないよ。いまわたしが通報しても、わたしだって捕まっちゃう」



 女の子はわたしの立場を知ると、少しホッとしたようだった。わたしは駅のホームの上にある、使われなくなったベンチを指さした。



「すこし、座って話さない?」



 彼女はやや躊躇いがちに頷いた。






     ◯






 女の子はアオイというらしい。本名ではなく、「仲間同士」で使うニックネームのようなものなのだそうだ。

 わたしがこの辺の土地勘がある人間だということが伝わってか、彼女はとてもリラックスしていて、大人しく話をしてくれた。



「どうしてこんなにたくさん、描いてるの? ここは人も滅多に通らないし、危険な地域じゃない」

「あのヒマワリは、目印なんです」

「目印?」

「わたしたちの遊び場の目印です。あれが消されていたら、そこから先はトビッキーがいるから、そっち側には行っちゃいけない。逆に、たくさん描いても消されたりしないような場所なら、わたしたちが入って行っても大丈夫。そういう目印」

「なるほどね」



 つまり、あれは誰かに見せるためのマーキングではなく、仲間へ向けたメッセージなのだ。



「でもね」



 わたしは残り少ないタバコを吸おうとしてやめて、ポケットに箱をしまい込んだ。



「こういうことは、危ないからやめたほうがいい。スコアだって下がっちゃうよ、子どもだと特に……きみ、小学か中学だよね? きみみたいな義務教育を受けてる子が問題を起こすと、お父さんやお母さんのスコアも下がっちゃう」

「いないから。お父さんもお母さんも」

「え?」

「わたしたちは生まれた時から、スコアなんてないの。でも、大人に見つかると、無理やり勉強をさせられて、無理やり働かされるって……」

「そんなのウソよ」



 たしかに、大震災によって身寄りをなくした子どもは数多くいるし、それに乗じて子どもを捨てたりする親もそれなりにいたと言う。けれど、むしろ政府はそういう子たちへの支援は惜しまずに行っているはずだ。



「誰に聞いたの、そんなこと」

「先生」

「先生?」

「そう、わたしたちの先生。先生は大人だけど、悪い大人じゃないから、わたしたちのことを世話してくれるの。ご飯も作ってくれるし、服も買ってくれる。それに、目印の中でなら遊んでもいいって言ってくれるの」

「アオイ、ねえ、あなた……」



 その時、ぶーぶー、とバイブレーションの音がした。アオイはウィンドブレーカーのポケットから小型のスマートフォンのような端末を取り出し、画面を見てすぐにそれをしまった。



「時間だ。先生のところに帰らなきゃ」



 アオイはぴょーんと軽やかにホームから飛び降りると、ガチャガチャとやかましくなるリュックを背負い直した。



「おねえさん、帰るときは向こうからの方がいいよ。こっちは先生が見てるから、見つかったら、おねえさん、先生に怒られるから。あの、わたしと会ったことは誰にも内緒にしておいてください。先生のことや、目印のことも」

「うん、いいけど……でも、どうしてそんな大事なことを、わたしに教えてくれるの?」



 アオイは照れ臭そうにフードを指で摘んだ。



「おねえさん、褒めてくれたから。わたしのヒマワリ、きれいだって」






     ◯






 わたしと、わたしの仲間達が過ごしたこの住宅街はいつの間にか、別の誰かのテリトリーになっていたのだ。この大量のヒマワリは、そのテリトリーの目印。「先生」というのがどういう人なのかは知らないが、恐らくは……なにか非合法な活動をしている大人だろう。身寄りや戸籍のない子どもたちを使って、安全な場所を作らせているのだ。捕まっても足が付かないように――――

 許せない。

 と、思うだけなら楽なものだ。わたしに出来ることは何もない。スコアが底辺に近いわたしの言うことなんて、誰も信じないだろう。逆にわたしのほうが関与を疑われて、ますます立場を悪くするのがオチだ。



 ひとり残された駅のホームで、わたしはベンチに座って最後のタバコを吸う。

 仲間と一緒だった頃は、ここでみんなで並んでタバコ吸ったり、時どきお酒やワインを飲んだりしてた。酔っぱらって騒いで、でも誰にも怒られないから楽しかった。当時は中学生くらいだったわたしも、ずっと年上のひとたちと「仲間」だった。楽しかった。

 だけど今はもういない。わたしひとりだけ。

 そして、目の前にはあの「ヒマワリ」がある。あれが咲いている場所では、わたしはのんびりできないのだ。



「ふう」



 タバコを落ち着いて吸える場所が、またひとつ減った。吸殻をその場に残さないように注意深く火を消し、わたしは立ち上がった。ここを早く立ち去らなければ。そして、二度と近付かないようにしないといけない。



 だけど――

 ヒマワリは、なんだか憎たらしいほど、きれいで力強く咲いていた。その輝く花びらに、わたしは、最後に見たアオイの笑顔を思い出した。

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