第9話 楽士と情報屋 上
頂点に達していた太陽が傾き始めた頃、港町近郊の森の中。背負っている籠にたくさんの薬草を入れた少女が、町に向かって歩いていた。
森の出口が見えた途端、その方角から地鳴りのような音が聞こえてくる。地鳴りは段々と大きくなっていく。その音に興味を持った少女は、小走りで駆けていく。しかし、出口の一歩手前で足が止まった。
「なに……、あれ……」
少女は呆気にとられながら、近くにあった木に手を置き眺める。それもそのはず、いつも緑の草原に囲まれた街の周囲が、黒や茶色をした魔獣の群れで埋め尽くされているからだ。
どうやって町の方に帰ろうかと眺めていた少女の元に勢いよく何かが迫ってきている音が聞こえた。その音に驚き、音と反対側にある木の後ろに隠れる。そして、直ぐに音の主が現れ、森の出口で動きを止めた。現れたのは鉄に覆われた戦闘用の馬車。魔獣でないことを確認できた少女は、隠れるのをやめ停まった馬車から出て来た人に歩み寄った。
馬車の外には、亜麻色のフード付きコートを着ている男女と、焦げ茶色の羽織を着た女性の三人の姿があった。少女は、焦げ茶色の羽織を着た女性に声をかけた。
「あ、あの、すみません。あなた達は一体?」
少女のたどたどしい声に、驚いた素振りをみせる。その少女の様子に害がないと判断した女性は、近くにいる男女も含めた自己紹介をする。
「あたいの名は、アウル。ベルクタットで情報屋をしているんだ。そして、この男の人がハル。女の人がルテア。二人は、ポートタットに出てきた海獣を倒した英雄だよ」
「やめてくれ、恥ずかしい」
「そうですよ。アウルさん」
アウルと名乗った女性による紹介にハルとルテアは顔を赤らめる。その様子を見て、アウルは、にやにやしながら少女に言った。
「安心して、私たちは君に危害を加えることはしないよ」
その一言に、少女は警戒を解いたようだった。ホッと息を吐き落ち着いていると、今度はハルが声をかける。
「君はここで何をしていたんだ?」
少女は、この山でいろんな種類の薬草を摘んで、町にある店に持って帰ろうとしていたことを話した。それに加えて、町を囲んでいる魔獣の群れによって帰れないことも。
話を聞いたハルは、少女に尋ねる。
「俺達は、あの町に行かないといけないんだが、君はどうする?」
「町に戻ります。ここで黙ってみているのは嫌です」
決心のついた顔で答えた少女の意思をくみ取り、ハルは提案する。
「わかった。じゃあ、この馬車に乗って行かないか? 多少危なくなるかもしれないが。いいよな、二人とも」
「大丈夫ですよ、ハル様」
「ああ、問題ないよ」
少女は頭を下げてお礼を言う。
「ありがとうございます。こんな私なんかを助けてもらって」
「気にする必要は無いよ。問題はどうやってあの町に入るか、だからね」
その言葉の通り、町の入り口付近に魔獣が群がっている。そのため町に入るのが困難なのは明白だ。
「ルテア、他の入り口とかないかな?」
アウルが地面に簡単な町の地図を描く。その地図を見ながら、ルテアは説明する。
「あまり大きくないですが、何箇所かありまよ。一番近くでしたらここですね」
ルテアが指さしたのは、町の正門から数十メートル離れたところ。示した地点と現在の地点の様子を見比べる。ルテアが示した門の付近には、正門より少ない数の魔獣が確認できる程度だった。
「そこなら多少は問題なさそうだな」
「そーだな。この馬車なら頑丈だから何かあれば耐えられるはずさ」
二人はルテアが指定した入り口で納得し、少女も同意した。
そして、ハルとルテア、少女の三人は馬車に乗り込み、アウルは前に座る。全員乗り込んだのを確認すると、アウルは中にいるハルとルテアに対して言った。
「いつでも戦闘に入れるようにしといてくれよ、何が起きるか分からないからな」
そう言って、気合いと共に馬車を走らせる。鉄の塊が勢いよく丘を下っていった。
* * *
避難を知らせる鐘の音が町中に響く。人々は町の最奥に位置する港街に向かって避難していた。住人や観光客などは最初パニックになっていたが、避難誘導を指揮している館の使用人たちの指示に従い、速やかに行われていた。
一方、入り口付近では即席のバリケードが設けられ、門が固く閉ざされている。内側には装備の整えた衛兵隊が整列している。その数八十人。彼等のほとんどが、不安の表情が浮かんでいる。最前列には、隊を束ねる衛兵長ダンクの姿があった。彼は、台の上に立ち、整列している全員に向かって叫ぶ。
「聞け‼ 今我々は、未曽有の境地に立たされている。この門の外には、大勢の魔獣どもが押し寄せ、このままでは、町に流れ込み、地獄となるだろう。そうなる前に食い止めなければならない。皆覚悟し、奮起せよ‼」
ダンクの言葉に、衛兵達は各々武器を天高く掲げ、咆哮する。ダンクの激励に、衛兵たちの表情は一変したのだった。衛兵達の覚悟を受け入れたダンクは、各隊の隊長に指示を出し始めた。
しばらくして、門の前に大砲を縦一列列に並べ、その後ろを重装の歩兵が並ぶ。ダンクが各隊長に指示を飛ばすこと数分。先のシーサーペント戦以降、自分たちの危機感を理解していた彼らはあっという間に準備っを整えた。あらかた、準備を終えた報告を聞いていたダンクの元に、メイド服に、紅い髪の女性、アンリが走って来た。
彼女は、走ってきたにもかかわらず、息を切らすことなく落ち着いた雰囲気でダンクに要件を伝える。
「ダンク衛兵長、住民の避難完了いたしました。いつでも始めてください」
「ありがとうございます。他に何かありますか?」
避難が終わったことにひとまず安堵した彼は、他に何か指示がないことを確認する。
「いえ、何も」
追加の指示が無いことを確認した彼は、アンリに尋ねた。
「これから領主の元へ?」
ダンクの質問に、さも当然とばかりに頷く。
「衛兵長もご無事で」
心配の言葉を残し、一礼する。ダンクも「あなたも」と一礼し言葉を返す。ダンクが顔をあげると、アンリは来た方角に向かって駆けて行った。その姿を見送ったダンクは門の方に向かって叫ぶ。
「全員聞け‼」
隊列を組んだ衛兵はダンクの声に、耳を傾ける。
「これより、攻勢に出る。みな、心して掛かれ。開門‼」
ダンクの指示が飛び、ゆっくりと門が開く。ダンクは腰に下げた剣を抜き、まっすぐ前に向け、号令を出す。
「砲撃部隊前進‼」
その号令と共に一列に並んでいた大砲が一斉に前に動き出す。門が完全に開き終え、その門の外へと順に大砲を運び出す。町の外にある草原には魔獣達がひしめき合っていた。ゴブリンやオーガなどの亜人種、狼やネズミの様な多種多様の魔獣。彼らは、じわじわと町に近づいて来ていた。
門の外に、横一列に大砲を並べる。その後ろには、弓を持った弓兵。布陣を整えた衛兵達は、迫りくる魔獣に今か今かと待っていた。
準備を整えた報告を受け、ダンクは今までで一番大きい声で吠えた。
「砲撃、開始‼」
ダンクの号令の後、並んだ大砲から一斉に火が噴く。町に轟音が響き渡る。こうして開戦の火ぶたが落とされた。
* * *
鳴り響く爆発音。魔獣達の呻き声。町の入り口付近は戦場なり、その様子は、領主の館からも眺めることが出来る。
執務室では、ドアをふさぐ形で立つシャルト。その対面にプーフェがにらみ合っていた。
「始まったようですね、領主さん」
薄緑の髪と眼の青年、プーフェは領主シャルトに向かって明るい声で話しかける。
「そのようだな」
シャルトは冷静な声で答える。プーフェの声と対照的に冷たい声で。
「いやー、随分落ち着いてますね。もっと焦るのかとおも——」
突如、プーフェの身体が、横の壁に叩きつけられた。プーフェの目の前には、水で出来た狼の姿があった。その狼はプーフェを睨みつけ、唸っているように感じられる。
「俺は、この町の領主だ。焦りはミスを招く。一つのミスも許されない。だから、落ち着くだけだ。だが、こうしてこの元凶が目の前でのんきにしているのは腹立たしいものがあるんだよ」
シャルトは、先程と同じく冷たさの帯びた声で、壁に叩きつけられ座り込んでいるプーフェに冷ややかな視線を送っていた。当のプーフェは、よほどの痛みに立てずにいた。座りながら、シャルトに言葉を返す。
「……なんだ。あなた能力使いですか。全然、落ち着いていないじゃないですか。お陰で、背中が痛いですよ」
「そんな痛み、戦っている衛兵達に比べたらマシな方だろう。水狼、奴の笛を回収しろ」
シャルトは、プーフェの訴えを適当に流す。そして水の狼、水狼に叩きつけた直後ぶちまけられた彼の持ち物から笛の回収を命令した。
「お、おい‼ やめろ‼」
プーフェは、近づいてきた水狼の足に手を伸ばす。だが、その手は何もつかめず水を切るだけだった。水狼は何も動じることなく、プーフェの鞄から笛を物色し、咥える。笛を回収しシャルトの掌に置いた。そして、水狼の頭をなでながら言った。
「いい子だ。次は彼を囲む檻になろうか」
そう言うと、水狼はプーフェの方にゆっくりと歩いていき、水狼の身体が爆ぜる。飛び散った水は、プーフェの周りを覆うように拡がる。そして、水の体を檻の形に変えた。
「こんな檻、すぐ出てやる」
背中の痛みが和らいだのか、ゆっくり立ち上がり檻の柱に手を伸ばす。手が水に触れた途端、触れた手から血が噴き出した。
「痛っ……。どうなっているんだ」
「それは、水の檻、水牢。勢いよく水が循環し形を作っているものだ。触れたら大概のものは切れる」
シャルトが簡単に説明する。それを聞いたプーフェは舌打ちしその場に座り込んだ。
「もう少ししたら、俺の部下が戻ってくるそれまでそこで大人しくしていろ」
シャルトは、そう言って部屋の奥にある窓を開け、外を眺める。戦場となっている入り口の方からは、怒号や爆発音が混じりあった雑多な音が聞こえて来る。その方角の西の空には暗雲が立ち込めていた。
* * *
遠くから聞こえる人々の怒声や魔獣達の咆哮。立ち昇る黒煙。それらがすでに戦闘が始まっていることを伝える。
ルテアが示した入り口まで、少量の魔獣を馬車で轢き殺し、特に危害を加えられることなくたどり着いた。馬車が停まるとすぐに、ハル達は馬車から降りる。ハルとアンリは、入って来たところに立っていた衛兵に事情を聴くため、馬車から離れた。最後に降りてきた薬草いっぱい籠に敷き詰めた少女はルテアに向かって頭を下げた。
「ありがとうございます。助かりました」
「気にしないでね」
礼を言われ、ルテアは言葉を返す。
「もしよかったら、これどうぞ」
そう言って、少女は内ポケットから包まれていた瓶を一本取り出す。それをルテアに渡した。
「これは?」
渡された瓶の中には、紅い液体が入っていた。
「それは、この薬草を私たちの店で調合した飲み薬です。お姉さん達はあの魔獣と戦いに行くのでしょう? なら、疲労回復効果のあるものをと思ったの……」
「なるほど。ありがとう」
ルテアは、笑顔で返答し、紅い液体の入った瓶を腰に付けたポーチの中に丁寧にしまう。
その時、衛兵から話を聞きに行っていた二人が戻って来た。
「お待たせ~。色々聞いてきたよ」
アウルが馬車付近で待っていた二人に声をかける。そして、後から来たハルが、少女に聞いたことを伝えた。
「まず君の避難先なんだが、町の奥にある港街みたいだ。そこまで衛兵が案内してくれる」
しばらくして、鎧に身を固めた男性が駆け足でやってくる。
その衛兵に、ハルは少女を引き渡す。
「この子を避難先までよろしく頼む」
「はい、お任せを」
衛兵が敬礼し、少女に声をかける。少女はその声にこたえ、衛兵と手をつなぎ歩いて行く。三歩歩いたぐらいで、少女は振り向き、ルテア達に向かって声をかけた。
「本当に助かりました。お姉さん達もどうかご無事で」
衛兵と手をつなぎ、空いた方の手をルテア達の方に手を振っていた。それに三人はそれぞれ答える。
「ああ、またな」
「また会いましょうね」
「きーつけてな」
三人がそれぞれ返すと、少女は衛士と共に港街に向かった。
少女と別れ、馬車側で三人は話し合っていた。アウルは、先程聞いて来た情報をルテアに伝える。
「さて、今の状況を簡単に説明するとね、黒煙やら騒がしい方で衛兵達が魔獣と交戦しているみたい。目標であったプーフェは、領主館で捕らわれているようなんだ」
アウルから簡単な説明を受けルテアは驚いていた。
「シャルト様のところにプーフェがいるのですね。無事でしょうか……」
心配するような声で、ルテアが言うと、ハルは自信ありげな様子で答える。
「あいつなら大丈夫だろう。一応能力持ってるし、アンリもいるだろうから問題ないよ。プーフェの方は、わからないが」
その言葉に、ルテアは納得する。
「それもそうですね。プーフェは知りませんが。では、入り口の方を優先しますか?」
ルテアの提案にハルは頷く。
「そうだな。まずは衛兵隊の救援をしてから、館の方に向かうとしようか。アウルはどうする?」
「ここまで来たんだ、少し魔獣の相手をしてから行くよ。奴は捕らわれているなら簡単には逃げれないだろうしね」
まず目先の魔獣を相手することに決めたハル達は、入って来た入り口に立っている衛兵に声をかける。
「前線を指揮している場所は何処かわかるか?」
「はい! 戦場から後方にあるテントがそれです。地図で道を説明します」
衛兵は、腰に付けたポーチから折りたたまれた町の地図を取り出す。その地図を拡げ、指で示しながら説明する。その説明を聞いたあと、衛兵は尋ねた。
「よろしければ、そちらの馬車。他の者に言って、避難させておきましょうか?」
「ああ、頼む」
衛兵にお礼を言い、馬車を預ける。そして、衛兵に教えてもらった道を進む。黒煙が先程より増した戦場へ駆けて行った。
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