第8話 編入準備
転移魔法の光が収まれば、ミトスの視界に広がるのは石造りの街並み。
鮮やかに彩色された屋根が目立ち、見通しの良い通りは大勢のヒトで賑わっている。
建物には何を販売しているのか分かりやすいように看板が掛けられており、かなりの数のお店が立ち並んでいる事がよく分かる。
「此処は……何処じゃ?」
「おや、来たことはなかったですか? 此処は王立学院の敷地内にある商業エリア、メルクリウス横丁ですよ。学院に必要なモノは此処で揃います。」
「ほう、確かに王立学院は広い敷地を持っていると聞いた事があったが、こんな場所があるのは初耳じゃな。」
物珍しそうにキョロキョロと周囲を見渡すミトス。
ちなみに、王立エスカドル学院の敷地面積は小さな都市程。
敷地内には学院の他にもメルクリウス横丁のような商業エリアや学院生や教職員向けの居住エリア、さらには工業エリアも用意されているので態々学院の敷地外に出る事なく、日々の生活を送る事ができるのだ。
「さて、それじゃ、必要なモノを買い揃えようか。」
「じゃが、アスラよ。儂の所持金では到底足りんと思うのじゃが……」
かつて勇者パーティーに所属していた時に稼いだ資産はほとんど置いてきてしまった。
そのため、彼女の残金はあと数日の食事代と宿代で底をついてしまうぐらいしか無い。学院生活に必要なモノを買い揃える分をねん出する事など不可能だ。
「ああ、その点なら大丈夫ですよ。フィディスから預かっています。」
「むっ、そうじゃったか。資金に余裕ができたら、返さなくてならんのう。」
「その必要はありませんよ。お金は貴女がため込んでいたモノですから。」
「……ああ、まさか王都を出る直前にフィディスに渡したお金か!!」
アスラは頷いた。
勇者パーティーの一員として王都を出立する直前、ミトスは貯蓄していた資金を旅に必要なモノを買い揃えるために使い、余ったお金を寄付金として神殿——正確には、幼馴染であるフィディスに渡した。
今回の買い出しとして支給されたお金はその時に渡したお金。それほどお金に困っていないフィディスは受け取ったお金をほとんど使わないまま残していたのだ。
「そういう訳で、お金の方は心配しなくても良いよ。」
「うむ、そのようじゃな。元が儂のお金なら気にせず使えるのう。」
「はい。————という訳で、そろそろ行きましょうか。結構、買うモノがいろいろありますから。」
「ちなみに、どれくらいあるのじゃ?」
ミトスがそう尋ねると、「これ全部ですよ」とアスラは一枚のメモを差し出した。
そこには綺麗な字で編入に伴って、必要な物品が記されていた。教科書はもちろんの事、学院の制服や靴などの生活用品も購入リストの中に含まれていた。
アスラの言う通り、買わなければならないモノは多い。
だが、購入リストのラインナップの一部にミトスは難色を示した。
それはメモの下の方に書かれた「女性用下着」という文字。
中身はいい歳のオジサンである彼女の精神がこれに手を出す事を拒絶しない筈がない。
「なぁ、これは本当に買わないといけないのか……?」
「もちろん。女性が男性用の下着を履いていたらおかしいでしょ?」
「じゃが、儂はそもそも男じゃ。それに、制服はともかく下着は誰にも見せんし、問題は無いじゃろ。」
———と何とか女性用下着の魔の手から逃れようと言い訳を述べるミトス。
往生際が悪い元賢者に対して、アスラは最後通告とも言える新事実を告げた。
「残念だけど、学院は全寮制で相部屋だよ。」
「……はっ?」
ミトスは一瞬自分の耳を疑った。
恐る恐る確認してみるが、聞き間違いなどではなく、学院では同じ学院の少女と同室で生活する事を強いられるとの事だ。
フィディスから身の上話を聞いている以上、何かしらの配慮をしてくれると彼女は考えていた。しかし、蓋を開けてみれば、そのような配慮は一切ない。
「お主!! それでも学長か!? 年頃の女の子と男子を相部屋にするなど!!」
「いやいや、今の性別を考えましょうよ。それに、親子ほどの年が離れる相手に手出ししないでしょ。」
「それはその通りじゃが……一人部屋にするとかあったじゃろに!!」
「そうしたいのは山々ですが、生憎と今年は入学者が多くて空き部屋がないんですよ。我慢してください。」
「教職員の部屋とか、お主の部屋とかもあるじゃろ!?」
「機密文書とかありますから。生徒扱いの君を泊まらせるのは問題があります。」
「うぅぅぅぅ~」
(何か可愛いな。)
思いついた反論を悉く正論で返され、可愛らしいうめき声をあげる。
しかし、それ以上に反論する材料が思いつかず、ミトスは泣き寝入りするしかなかった。
そもそも学長は学院の方針を決める立場なので、寮の部屋割りまでは干渉する事はできない。つまり、ミトスがこの場で嘆願しても大した意味はないのだ。
「さて、諦めて買い出しに行きましょうか。」
「うぅぅ、分かった、のじゃ。」
仕方なく、本当に渋々という様子でミトスは歩き出す。
その足取りは非常に重かったが。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
そして、数時間後。
ほとんどの買い物を終えたミトスは———ぐったりとしていた。
「酷い目にあったのじゃ……」とベンチで寝そべったまま呟く彼女に同行していたアスラは同情するような視線を向ける。
ミトスが此処まで否定している理由。
それはこの直前に買い出しに向かったお店に原因があった。
彼女らが向かったのはメリクリウス横丁にある庶民向けの服飾店。つまり、女体化してしまったミトス用の新しい衣服の購入に向かったのだが、そこで放った一言が問題だった。
特に服装にこだわりが無かったミトスは開き直って、「適当に見繕って欲しい」とオーダー。それが地獄の門を開ける呪文となったのだ。
目をキラーンと輝かせた店員に囚われた彼女はそのまま店の奥へ連行。店員の着せ替え人形とされて、満足するまで解放される事はなかった。
「あの店、もう二度と行くものか……」
「あはは。まあ、可愛らしくなって良かったじゃないですか。その姿なら君が元男性だなんて誰も疑いませんよ。」
「まあ、それには同意するが……」
今のミトスは着せ替え人形にされた時の衣装である。
前ボタンの部分にフリルが装飾された黒いブラウスに真っ赤なスカート。露出した両足には革製のブーツによってひざの少し下ぐらいまで覆い隠されている。
専門家がチョイスしただけあって今のミトスの容姿にマッチしており、見た目だけは正真正銘の女の子だ。
「それにしても、このような恰好はしばらく慣れそうにもない。こう、スース―して落ち着かないのじゃ。」
「そればかりは慣れてもらうしかありません。レギンスとか買えればマシだったとは思いますが、君の場合は尻尾がね。」
「まあ、この国はビーストがほとんど居ないからな。ビースト用の衣装がないのは当然じゃ。」
「衣服関係は全部オーダーメイドになってしまいましたね。お金、足りなくなるんじゃないかって心配しました。」
「フィディスには結構な額を渡したからのう。そうそう尽きる事はないじゃろう。それで、まだ買うモノはあるのか? 正直、もう休みたいんじゃが……」
「必要なモノは全部買い揃えました。これで買い物は終わりです。」
「そうかぁ……はぁ、買い物だけでこんなに精神がすり減ると思わなかったぞ。」
「あはは、災難でしたね。では、そんなに疲れ切った君にプレゼントです。」
そう言って、アスラは一枚のカードを差し出した。
王立エスカドル学院の校章がデカデカと刻まれたソレは学院の所属する事を証明する、所謂学生証である。
学年は中等部1年生。ミトスの外見を鑑みると、少し不釣り合いであるが、成長不良で十分に誤魔化せる範囲だ。残念ながら、誤魔化しようがない性別は女性で登録されているが、ミトスはもう諦めた。
だが、もう一つ。手渡された学生証には気になる点があった。
それは学生証に記された生徒名。
生徒名には、「ミトス・ガルディオス」という名前が記されているが、そもそもミトスは家名を持っていないし、ガルディオスという家名にも聞き覚えが無い。
「ああ、その家名は私とフィディスが話し合ってつけました。」
「何故に?」
「学院に入るために保護者の存在が必要不可欠ですから。私かフィディスの家名という案もあったのですが、同じ家名を使うと目立ってしまいますから。」
「だからと言って、架空の家名を立ち上げても良いのか?」
「その辺りは大丈夫。王国全部の家名を把握している人なんて居ないでしょ? 存在しない家名があっても誰も気に留めませんよ。」
「それはそれでどうかと思うが……まあ、仕方のない事か。」
「そうそう。バレなければ、問題ないのです♪」
「教育者のセリフとは思えんのう……。それで、この生徒証があれば、学院の図書館を利用できるのか?」
ミトスの質問にアスラは頷いた。
エスペランザ王国の歴史と叡智が詰め込まれた【ノーリッジ図書館】。
その中にある知識こそ、彼女が最も必要としているモノ。それを目の前にぶら下げられて、大人しくして居られる訳が無かった。
さっきまでぐったりしていたのが嘘のような俊敏な動きで生徒証を搔っ攫い、走り出す。
ビースト由来の瞬発力を初めてフル活用した全力ダッシュはまるで一陣の風。
メリクリウス横丁から北東の方角に見える学院までの道など彼女はまったく知らない。しかし、彼女の身体能力は道なき道を進む事を可能にする。
道が無ければ家屋の屋根に飛び移り、それを道にして走る。
暴走列車と化した彼女を止めるモノは誰も居ない。
—————という訳ではない。
「こら。」
「ひゃんっ!?」
背筋に襲い掛かったゾワゾワとした感触にミトスは可愛らしい悲鳴を上げる。
「まったく……そんなに急がなくても。図書館は逃げませんよ。」
「わ、わかったから……は、離すのじゃぁ……し、尻尾は弱いのじゃぁ!!」
いつの間にか背後に回り込んでいたアスラに尻尾を掴まれ、へなへなと全身から力が抜けるミトス。抵抗する力も湧いてこない。
「それに、図書館が使える時間は限られるから、今日はどうやっても使えないよ。」
「そ、それを先に言うのじゃぁ……そして、さっさと離すのじゃぁ……」
「いやぁ、君の尻尾が予想以上に手触りが良くて。このまま暫く触っていたいです。」
ニコニコと笑みを浮かべながら、尻尾を手放す気配はまったく無い。
嫌な予感……具体的には、例の新人神殿騎士と同じ気配を感じ取ったミトスは何とか振り払おうとするが、尻尾を優しく撫でられる度に抵抗する力も失われ、振りほどく事ができない。
「ひゃ、ひゃめろ……」
「はぁ……このままお持ち帰りしようかなぁ」
「ひぃぃぃぃ!!」
物騒な事を口ずさむ彼。
このまま欲望に呑まれてしまうのかと思いきや、一陣の風が状況を一変させた。
「この………変態師匠が!!」
「ぶべらっ!!」
突然、もふもふを堪能していたアスラが真横に吹っ飛んだ。
それほど広くない屋根から吹き飛ばされた彼は地面に叩きつけられる前に、虚空に見えない足場を作り出して着地。そのまま何事もなかったかのようにミトスの所まで戻ってきた。
「カティア……いきなり蹴り飛ばすなんて酷いじゃないか。」
「よそ様の屋根の上で変態行動に勤しんでいたヤツに言われたくねぇ。ったく、待ち合わせの時間になっても姿が見えないから来てみれば……ほら、立てるか?」
「う、うむ。すまぬ、助かったのじゃ。」
「気にするな。悪いのは、あの変態師匠さ。」
「師匠に向かってその言い方は無いと思うんだよ、私は。」
ダラダラと鼻血を流しながら、アスラは突然現れた少女に抗議する。
しかし、当の本人はソレを右から左へと受け流すだけ。話の内容から2人は師弟関係だと思われるが、その態度からは到底想像もできない。
「ビーストに向かって、あんな卑猥な事をする変態への罰ですよ。」
「やれやれ、ちょっとしたスキンシップのつもりだと言うのに。」
「過剰すぎだ。同じビーストとして見逃せない。」
そう言って、カティアと呼ばれた少女は黒い尻尾をゆらゆらと揺らす。
耳の形状から見て、彼女は猫タイプのビーストらしい。
「えっと……アスラ、この子は誰じゃ?」
「ああ、その子はカティア。私の弟子で……」
—————君と
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