第9話 ルームメイト カティア
「儂……妾のルームメイトじゃと?」
「そうだよ。見ての通り、カティアはビーストだし、一人部屋だからね。君のルームメイトにピッタリなんだ。」
「師匠、初耳なんだけど?」
「今言ったからね。それに、カティアもルームメイトを欲しがっていたから、驚かせようと思ってね。」
「まあ、嬉しいけど……こっちも部屋の整頓とかしないといけないし、もっと早く教えてくれよ。」
「ごめんごめん。この子の編入は急に決まったから、教える暇がなかったんだ。だからこそ、こうやって顔合わせの場を設けたんだ。」
「師匠の変態行動のせいで場の雰囲気が台無しだけどな。」
「いや~、あのモフモフの魅力は驚異的だよ。ぜひとももう一度堪能したいなぁ」
「ひっ!?」
アスラから向けられるネットリとした視線に危機感を覚えたミトスは尻尾を守るように体の後ろに隠す。
この二日間でミトスは尻尾を触られるのがすっかりトラウマとなってしまった。
他のビーストが尻尾を触られるのを拒否する理由をその身で味あわされたのだから、無理もないだろう。
「師匠!! それ以上、踏み込めば……」
ミトスを守るように立ちふさがるカティア。
その右手にはユラユラと揺れる炎が燃え上がっている。
いや、それは炎のように見えるだけで、正体は可視化できる程に圧縮された魔力。
通常目視する事ができない魔力だが、高密度に圧縮すると色が付き、目に見える状態になる。カティアが放っているのはその高密度に圧縮された魔力だ。
「全身の骨が砕けるのを覚悟した方が良いよ?」
そう言って、ニコッと微笑む彼女だが、全身から寒気を感じさせる殺気が放たれている。
後一歩踏み込んだ瞬間、濃密な魔力を放っている右拳を叩き込むつもりなのだろう。
そこには師匠への敬意など欠片もなく、唯々目の前の変態から同胞を守ろうとする確固たる意志しか無い。
「分かった分かった。もう手を出さないよ。君の拳、容赦なく私の防壁を抜いてくるから、本当に骨が砕けてしまうよ。」
「どうだか」
「信用がないなぁ。じゃあ、後の事はカティアに任せて、私は退散するとしよう。」
そう言って、アスラは魔法を行使すると、その場から姿を消した。
完全に彼の気配が無くなった所でカティアは魔力を引っ込めて、ミトスに改めて向き合う。
「うちの師匠が悪かったな。普段はあんな変態じみた事はしないんだが、どうも禁断症状が出てしまっているらしい。」
「禁断症状?」
「そっ。師匠、普段は大きな狼を連れているんだけど、その狼を妻の警護に当たらせているせいで最近モフモフを堪能する事が出来ていないんだ。表面上は特に変わりはないんだが、モフモフを前にするとタガが外れてしまうらしい。」
「はた迷惑じゃのう……」
「まったくだよ。————っと、自己紹介が遅れたな。アタシはカティア・シストルム。見ての通り、ビーストだ。」
「ミトス・ガルディオスじゃ。助けてくれた事、礼を言うぞ。」
お互いに名前を名乗り、がっちりと握手を交わす2人。
こうして親交を交わした所で2人は下の方がやけに騒がしい事にようやく気付いた。
此処まですっかり忘れていたが、2人が居るのはよそ様の屋根の上である。さらに言えば、ミトスはついさっきまで暴走猪の如く、街中を一直線に爆走していた。
当然、道行く人たちの注意を引き付けるには十分で、今周囲に大勢の人たちが集まって、視線を2人に向けているのだ。
「あちゃ~、ちょっと目立ちすぎたね。————という訳で、“ディープミスト”!!」
カティアは採った行動は目晦まし。
足元に魔法陣が展開されると同時に、真っ白な煙が噴き出して2人を覆い隠す。
もちろん、包まれた二人も視界が白一色に染まってしまうが、ミトスとカティアはビースト。広がった濃霧の中をカティアに先導される形で走り抜け、人々の視界から逃げ去る事に成功する。
「ふぃ~此処まで来れば大丈夫でしょ。」
「すまんな。少し暴走してしまったせいで、人目を集めてしまったようじゃ。」
「気にしなくて良いよ。ちなみに、暴走って何処か行きたい所でもあったの?」
「うむ。王立エスカドル学院にある“ノーリッジ図書館”に行きたくてな。」
「ノーリッジ図書館? あそこ、編入したばかりの学生は使えないよ?」
「なぬ!?」
カティアの発言は寝耳に水の一言だった。
「図書館は相応の成績を修めてる生徒しか使えないんだよ。編入生は評価するための成績が無いから、利用できないって訳。あと、授業に参加しない問題児とかも使わせて貰えないよ?」
「せ、生徒なら誰でも使える訳ではないのか?」
「う~ん……以前はそうだったみたいだけど、図書館を隠れ蓑にして授業をサボる生徒が多発したから、制限を設けたみたいだよ?」
「な、なんという事じゃ・……」
矢継ぎ早にカティアから知らされる現実に崩れ落ちるミトス。
そして、図書館という勉学で励むべき場所をサボタージュの隠れ蓑にしたかつての生徒たちを恨んだ。
当初、ミトスは図書館を利用できる状態になれば、図書館に引き篭もって授業は全てすっぽかす腹積もりだった。
精神年齢で言えば目の前のカティアの4倍、5倍くらいになる彼女にとって、王国最高学府の授業とは言っても中等部の授業などあまり受ける意味はない。そんな授業に参加している時間すらも研究に宛がいたいというのがミトスの思いであった。
しかし、そのような考えは見事に封殺されてしまった。
図書館を使いたければ、同級生と席を並べて一緒に学院生活を送るしかない。
ミトスは女の子の体になってから何度目になるか分からない絶望を味わう。
「ち、ちなみに、編入生はどれくらいから使えるようになるのじゃ……?」
「編入生がそう多い訳じゃないから、一概には言えないけど……1年は掛かると思うぞ? 判断基準は通年の成績だからな。」
「1年……1年かぁ……長いのぅ」
「あっ、裏技になるかもしれないけど、教師から推薦を得るっていう方法もあるな。」
「ふむ……(それなら、アスラに言って貰えば良さそうじゃな)」
「参考になった?」
「うむ!! とても参考になったぞ。」
「それは良かった。ちなみに、ミトスはこの“学院島”に来た事はあるのか?」
「いや、生憎と初めてじゃ。さっき、学長にはメルクリウス横丁には連れて行って貰ったが、それだけじゃ。」
“学院島”というのはミトスたちが居る場所である。
実を言うと、王立エスカドル学院はエスペランザ王国にある広大な湖の一部を埋め立てて出来た離島の上に建てられている。離島が作られた理由が学院建設のため、国民から“学院島”という名前で親しまれている。
もちろん、先ほど訪れたメルクリウス横丁も島の上にあり、学院に無関係の人も島に出入りする。そして、島は下手をすると大都市程の面積があるので初めて島に入った人は確実に迷ってしまう。
「じゃあ、学院島を案内してやるよ。ほら!!」
「こ、これ!! そんなに強く引っ張るでない!!」
カティアはミトスの手を取り、走り出す。
モデル・キャットのビーストであるカティアとモデル・フォックスのミトスの身体能力はそう変わらないのだが、まだ体に慣れていないためか半ばカティアに引っ張られるような形で町の中を駆けまわるのだった。
・・・
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カティアによる学院島の1日観光コースが終了したのは陽が傾き始めた頃だった。
出歩く人の数も昼間に比べれば少なくなり、道行く人も多くは帰路についた人たちだろう。
「はぁ~……疲れたのじゃぁ」
「アタシもちょっと疲れた。事前に教えてくれれば、プランを練ってコースを組めたんだけどな。」
2人はメルクリウス横丁からほど近い公園のベンチに腰掛けて休憩を取っていた。
建物や人で溢れかえった商業区画とは打って変わって、公園が設けられたエリアは豊潤な自然が広がっている。長閑な緑の囲まれて落ち着いたひと時を過ごせると人気の場所である。
「自分の脚で歩いてみると実感するが、この島広いのぅ。」
「まあ、ビーストの脚でも端から端まで身体強化込みで数時間は掛かるからな。」
「……走ったのか?」
「いや~、大変だったよ。数時間ぶっ通しで走り続けるのは。」
当時の事を思い返して、カティアは懐かしそうに笑う。
学院島の走破時間は彼女本人が行ったらしい。
「話は変わるが、カティアよ。お主は何故、あす———学長に師事しておるのじゃ?」
「ん? それはもちろん、空間魔法を教えてもらうためさ。」
「空間魔法を? またどうしてじゃ? 確かに便利な魔法ではあるが……」
「実は、アタシの実家は行商人を営んでいてさ。」
カティアは代々行商を生業とする一家の生まれである。
王国やその隣国の都市から都市を巡って、商品の売り買いをして生計を立てている。裕福とはいかないが、時折贅沢な食事が食べられる程度には潤っている家系らしい。
そんな家系に生まれたカティアが実家を離れて、一人学院に通っているのは空間魔法の一つ、【ディメイション・ボックス】という魔法を習得するため。
この魔法はこの世とは異なる異空間に大量のモノを格納し、それを好きなタイミングで取り出す事が出来る。カティアはこの魔法を会得して、行商に生かすためにアスラへと弟子入りしたらしい。
「幸いにも、アタシは魔力には恵まれててな。ちょっとした空間魔法なら使えるんだ。」
そう言って、カティアは虚空に浮かべた魔法陣に右腕を突っ込んだ。
魔法陣に突っ込まれた腕は肘から先が無くなり、無くなった部分はいつの間にか同じように虚空に浮かんでいた魔法陣から突き出ている。
「凄いだろ? 遠くは無理だけど、近いところなら自由に出し入れできるんだ。」
「ほう……面白い魔法じゃな。」
「だろ? まぁ、出し入れできる距離が短いから、まだ使い物にならないけどな。」
「その年で初期の魔法とは言え、自由に使えるのなら十分じゃろ。妾としては潤沢な魔力があるお主が羨ましいのじゃ。」
空間魔法という消費する魔力が多い魔法。
それを十全に扱えると判断される程の膨大な魔力はミトスが望んで止まないモノだ。
魔力さえあれば往年の全力を振るう事が出来る。しかし、魔力の総量は生まれながら才能に依存する所が大きく、劇的に魔力総量を伸ばす事はできないのだ。
「本当に……羨ましいのう。お主のような潤沢な魔力があれば、妾は……」
「ミトス?」
物憂げな雰囲気で何処かを見つめるミトス。
しかし、そんな鬱蒼とした雰囲気を吹き飛ばすように公園の一角から大きな歓声が上がった。惹きつけられて、そちらの方に視線を移してみれば、大勢の人が集まっている。
「な、なんじゃ!?」
「あ~……多分、大道芸をやってるんだよ。時折、この公園で催し物をしているらしい。」
「ほう。どれ、ちょっと覗いてみるか。」
「でも、あの人だかりだと見えないな……あそこの樹の上がちょうど良さそうだ。」
カティアが指さしたのは公園の縁に聳え立つひと際大きな樹。
幹の太さに比例して、枝の長さも太いため、小柄な2人が乗っても折れるような事はなさそうだ。
迷うことなく大地を蹴り、木の枝に飛び移る2人。
観客の視線の先を見つめると、若い青年が無数の短刀を自由自在に操っていた。
しかし、大道芸人がやるようなジャグリングというレベルではなく、10を超える短刀が自分の意思を持っているかのように縦横無尽に動き回るのだ。
「わぉ!! 多分、魔法なんだろうけど……見た事ない魔法だな。ミトスは?」
「いや、妾の見た事はないが……カティア、あの短刀が動く度に何か感じないか?」
「何か? いや、特に何も感じないけど……」
(カティアは何も感じておらんのか……儂の気のせいか?)
カティアは何も感じていないようだが、ミトスは短刀が動く度に波のようなモノを感じていた。
もちろん目に見えている訳ではなく、打ち寄せる波に触れる感覚があるだけ。
しかし、隣に居るカティアは一切感じていないらしい。気のせいかと思いきや、その“波”は短刀が動く度に押し寄せてくる。錯覚ではないのは明白だ。
(こんなにもはっきりと感じるのにカティアはまったく感じない。この身体の体質なのか?)
そんな考え事をしている間に大道芸人の演目が終わり、拍手喝さいが巻き起こる。
チップとして観客がお金を投げ入れる中、初めて演者の青年とミトスの視線がぶつかり合う。
———へぇ、君は霊術の素養があるんだね。———
「っ!?!?」
「? ミトス、どうかした?」
青年と目が合った瞬間、雑音の一切ないクリアな声が頭の中に響き渡る。
まるで頭に直接話しかけられたような感覚に目を白黒させるミトス。隣に居るカティアの反応を見る限り、カティアには聞こえなかったらしい。
(な、なんじゃ!? い、今の声はあの青年の魔法だと言うのか!?)
「ミトス、本当にどうかした? 散策で疲れちゃったのか?」
「い、いや!! 何でもないのじゃ!!」
「そう?」
「ああ!! (あの青年は……もう、行ってしまったか。)」
視線を戻した時には、大道芸人の青年はすでに公園から立ち去っていた。
縦横無尽に舞う短刀に謎の声。聞きたい事はいろいろあったが、今は諦めるしかなかった。
(仕方ない。今日は諦めるか……歩き回って疲れたしのう。じゃが、次に会った時は根掘り葉掘り聞かせてもらうのじゃ!!)
人がどんどん減っていく公園で、ミトスはそう決めたのだった。
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