第11話 狼を追う小鳥③

「…ふ!…ふっ!……ふーっ!」


 額に一筋の汗を流しながら、連続的で短い呼吸の繰り返しにより肺に空気を送り込むと少女は森の中を静かに、だが俊敏に駆けていた。


 背負うのは自分一人分の荷物が詰まった背嚢であり、その大きさは彼女の半分くらいの大きさである。また、自身の身長よりも長い筒状の銃を胸に抱きしめるように握りしめており、その構造上持ちにくい鉄の塊がまた少女の移動の妨げにもなっていた。


 そんな大の大人も真っ青な重装備の状態で、少女は足場の悪い茂った森の中を懸命に走りながらも右、正面、左と交互に眼を動かし標的を探す。


 一定の距離まで近づくと標的に感づかれてしまう。かといって、感づかれないように遠くに居ればその位置を見失ってしまう。


 その絶妙な位置を探りながら、重い荷物と生い茂った草や露出した木の根に邪魔されながら少女は必死に走っていた。


 重い、辛い、熱い、苦しい、痛い。列挙すれば尽きることのない程の様々な感情が少女の頭の中でぐるぐると渦巻き、今すぐにでも体を投げ出して寝転びたかったが、そんな弱さを戒めるように少女はどんどんと自分の太股を叩きながら、それでも疾走を続けた。


 すると、ふと木の隙間から標的らしき影を見つけ、少女は迷わずに背負っていた背嚢を素早く静かに降ろすとそれを近場の草陰に投げ捨てた。


 勝負は一瞬。木と木の間から標的が見えたその瞬間を狙うしかない。


 足元に見える泥や虫などは気にせず、少女はその場に膝を付くと慣れない手付きで手にした銃の発射準備に入る。


 少女が手にする銃は、主に狩猟用で使われる装填式大型長銃と呼ばれるもので、その扱いはかなり難しい。腰から下げられる小型の拳銃とは違い、長銃は装填から発射までに時間が掛かってしまう。また、その重量からも持ち運びに不便で、大の大人でも携帯する者はごく僅かでほとんどは家の壁に飾られているだろう。


 そんな代物がこんな若年の少女に上手く扱えるわけもなく、少女は教えられた通りの順序に従いながら、遅くとも確実に準備を進めた。準備に時間が掛かることは承知の上であり、それを見越して速く移動していたのだ。焦る必要はない。少女はそう自分に言い聞かせながら、やっとのことで装填式大型長銃の準備を終え、構える。


「ふぅーーーーー………」


 装填式大型長銃の天辺にちょこんと付けられた照準器越しに標的を見つめ、大きく息を吐く。引き金を引く右手は動かさず、銃身を支える左手のみを少し動かして微調整を加える。狙うは彼方、通すは木々の間、標的は人狼。


 そして、照準器に人狼の姿が見えた瞬間、装填式大型長銃が火を噴いた。


――――――――――――――――――――――――――――――


「ふわぁ~~~…」


 時間は少し遡り、ティアは森の中をのんびりと歩いていた。


 重い荷物などは全て馬に載せ、自分は対人狼用の武器だけを腰に付けて悠々と馬を引いていた。


 あの日、ガルオッシュ家の当主、エルメールから厚意なのか嫌がらせなのかは分からないが、一人の少女を引き受けることになったティア。初めは子どもというだけで嫌悪感を抱いていたが、ところがその少女はその小さな体に収まりきらない程の根性と憎悪を持っていることを知り、そしてその覚悟をも知るとティアは面白さ半分で少女に機会を与えたくなった。


 人狼を殺すのに、別に狩人になる必要はない。とはいえ、狩人であった方が人狼に対抗しやすいことは確かである。


 “狩人”とは正式に国から認められた存在であり、彼らは『狩人協会』と呼ばれる組織の一員となる。『狩人協会』は更に複数のギルドに分かれており、それぞれが各々の方針で人狼を狩り、この国から人狼を撲滅するために日夜戦いを続けている。勿論、特定のギルドに所属せずにただの狩人として『狩人協会』に登録することも可能で、ギルド員であろうとなかろうと国中に点在するギルド本部では狩人なら人狼の情報と各種装備や物資を補給することが許されている。


 そんな狩人になるためには当たり前であるが『狩人協会』が開催する試験を突破する必要がある。


 人狼並びにその他化物に関する“智”。


 人狼を討伐できる“力”。


 そして、人狼に対抗するための“協”。


 以上の3点に重点を置いた試験が毎年行われており、その試験を合格することによって初めて『狩人協会』に公認された狩人を名乗ることができる。


 その試験会場は『エギレスト』の中心都市『ハインツバルグ』の何処かで執り行われるのが決まりとなっており、つまりはティアたちの目指す場所はその『ハインツバルグ』であった。


 だがしかし、現在ティアが道往くこの森林は『ハインツバルグ』からはまだまだ遠く離れた場所であり、このままでは到着と同時に狩人試験が始まるかどうかといった状況である。にもかかわらず、ティアはまるで焦った様子はなく、逸早く『ハインツバルグ』に着くであろう街道から外れ、しかも見晴らしも悪く歩きづらいこんな道とも言えない道をわざわざ進んでいた。


「…成程な。その距離か、まぁ悪くない」とか。

「撃つのが遅い。息を整えるのが下手だな」とか。


 時折、見えない誰かとでも話をしているのか、ティアは人気の無い森を進みながらぶつぶつと何か独り言を零していた。と、その時。


ターン…


 ティアの随分後方で何かが弾けるような音が鳴り響き、草木は揺れ、小さな動物たちは走り出し、静かで長閑だった森に緊張が走った。


――――――――――――――――――――――――――――――


「…やった?」


 装填式大型長銃に備え付けられた照準器から目を離すと、少女は小さく呟いた。


 長い間息を止めていた少女は思いだしたかのように呼吸を再開させると、肺に新鮮な空気を流し込み、その息も整わぬ内に彼女は放り出した背嚢を回収すると装填式大型長銃を抱えながら期待を胸に標的へと接近した。


 だが、そんな少女の期待とは裏腹に、彼女の標的である人狼…ティアは傷一つない身体で小馬鹿にするような表情をしながら少女を迎えた。


「下手くそ」


「……う」


 あの夜、ティアが少女を狩人試験会場まで連れて行くと約束したあの時、ティアは少女に幾つかの条件を提示していた。


 一つは、「全て返事は『はい』と言う」こと。


 二つは、「泣き言を言ったり泣いたりしたら無条件で置いて行く」こと。


 三つは、「自分の荷物は全て自分の力で持ち運びする」こと。


 そして、最後が「狩人試験が始まるまで、時間・場所を問わずティアに一撃でも攻撃を当てる」こと。


 以上が、ティアが提示した条件であった。


 最初に挙げた三つは少女でも我慢すれば何とでもなる条件であったが、四つ目の条件こそが彼女を悩ませていた。というのも、狩人としても人狼としても優れているティアに攻撃を与えるどころか指一本触れることすら不可能と思われる程に、それは無理難題だったからである。


 無論、少女はまだまともな訓練すら受けていない一般人の領域にしか満たない、か弱い女子である。そんな少女が大の大人を相手するのであれば、寝込みを襲うのが妥当と思われた。少し罪悪感に駆られながらも夜に少女はティアの寝込みを襲おうとしたが、恐ろしいことに夜の方がティアの感覚は鋭敏であり、とてもではないが今の少女がどうこう出来る状態ではなかった。夜は自分も休憩しないといけないことを考えると、少女は勝負を昼の間に絞ったわけであるが、やはりこれでも上手くいかない。


 先ず、至近距離での強襲を考えたが、これは昼夜問わず少女に勝ち目がないことが数刻の内で判明し断念した。次に、ティアより先行して罠を仕掛け、身動きが出来なくなったところで不意打ちを仕掛けようとも考えたが、罠など作ったことのない様な素人の罠にティアが掛かるわけもなく、時間の無駄だと覚り少女は諦めた。


 故に、狩人協会本部のある『ハインツバルグ』への旅が始まった当日に、ティアから手渡された装填式大型長銃による狙撃を試すことにした。


 朝と夜、何故か銃の手入れを必ずするティアの動きを真似し、一週間ほどを掛けて少女も漸く装填式大型長銃を一人で扱えるようになった。流石のティアでも銃を使えば傷一つくらい与えられると安心したのも束の間、どこから狙撃しようとも何故かティアには一発も当たらなかった。


(距離を十分に置いたのにまた当たらなかった…。やっぱりもう少し離れた方がいいのかな?でも、これ以上離れるとそもそも師匠に当てることは不可能だし、かといって至近距離で当たる人じゃない。というか、距離じゃなくてそもそも音を立てているのが問題なのかな?私の走る音がうるさい…とか?でも、森の中を走ったらどうしてもうるさいしな…うーん)


 あれからしばらく時間が経ち、陽が沈みかけた段階でティアは川辺で野営の準備を始めていた。それに合わせて少女も近くで自分の今日の寝床の準備を終えると、異性故の恥じらいかティアからは見えないことを確認した上で生まれたままの姿になり、川の水で身体中に付いた汗や泥を流しながら、今日の自分の動きを悶々と思い返していた。


 旅も早いものでもう一週間以上が過ぎ、一週間前にティアから『ハインツバルグ』までは二週間で行くと伝えられていたので条件達成までの期限はもう残り一週間もない。早いところ最後の条件を達成するためにも、ティアに攻撃を当てる術を少女は考えなければならなかったが、火照った頭を川の水で冷やしても今の少女には名案は一つとして浮かばなかった。


 と、その時、近くの草木が揺れ、薄暗闇の中からティアがぬっと現れた。


「おーい、小娘。空腹で死なれても困るからこれでも食っとけ…」


「……な!?」


「ん?」


 突然の出来事に全裸で迎えた少女は顔を真っ赤にして恥じらいだが、その姿を頭からつま先まで一瞥するとティアは謝るどころか軽く鼻で笑った。


「安心しろ。俺にそんな趣味は無い。保存食ここに置いておくぞー」


「…なぁ!?」


 特に悪びれる様子もなく、近場にあった岩の上に何やら動物の肉を乾燥させた様な物を幾つか置いて行くとティアは再び暗闇の中へと消えていった。恥じらいよりも怒りが勝った少女は、その後ろ姿目掛けて手当たり次第そばに落ちていた小石を投げつけたが、聞こえてきたのは「外れ~」という小馬鹿にしたティアの声だけだった。


「~~~~~~~~~~~っ!!!!」


 声にならない声を上げて地団駄を踏む少女。


 しかし、時は一刻と過ぎていく。今はあんな調子だがティアは条件を達成しなければ本気で自分のことを見捨てるだろう。そう考えると少女はさっさと着替えを終え、ティアの残して行った干し肉に強引に齧り付くともう一度一人で考え込むことにした。

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