第12話 狼を追う小鳥③

「……」


 朝日と共に意識が覚醒するティア。


 人里とは違い、木々が生い茂る森の中には雑音が少ない。故に、森の中では自分を狙う者たちの醸し出す気配を耳や肌で感じ取ることができるが、幸い今夜はその気配は無かった。


 この辺り一辺、自分に害を為すような存在の気配を感じなかったが、逆にそれが不自然にも感じた。


「…あいつ、何処に行った?」


 ティアが気に掛けたのは、大都市『ハインツバルグ』まで連れて行くことを約束したあの少女である。人狼に備わった鋭敏な鼻や耳を使っても少女の気配を近場に感じられず、かといって彼女が他の人狼や野生動物に襲われ死んでいたとしてもその血の臭いは確実にティアには伝わる。


 毎朝の日課である銃と狩猟道具のメンテナンスと自身の身体のメンテナンスを早々と終わらせると、ティアは少女が野営している場所へと向かった。だが、そこには少女の姿どころか何もなかった。


「ははっ、面白れぇ!」


 その様子を見て、ティアは心配するわけでもなく独りニヤリと笑った。


「漸くあの小娘も狩人らしくなってきたか」


 ティアは何処か嬉しそうにそう呟くと近場に待機させていた馬を迎えに行き、荷物を積んだ馬の手綱を引くと少女が待ち受けていることを承知の上で、独り『ハインツバルグ』への道を歩み出した。


――――――――――――――――――――――――――――――


 狩人にとって、最も重要なことは手段を選ばないことである。


 人狼を殺すためならば、例え町ごと火の海に変えたとしても、それは人道的に許されないことかもしれないが、戦法としては決して間違いではない。


 重要なのは自分が殺されるよりも早く、人狼を屠ることである。そこに騎士道精神などというつまらない精神は微塵も必要ではなく、卑怯と罵られ後ろ指を指されたとしても生き残った方が勝者なのである。


 もし、少女が真に強い狩人になるためには、ティアと正面向かって戦い彼を倒さねばならない。しかし、それはまだ必要のないことである。必要ないことはする必要はなく、重要なのはティアに認められるために彼の提示した条件を突破することだ。


 これまでの経験と、狩人になって家族の仇である人狼を討つという決意を重ねて少女はただティアを狙撃することだけを考え、練りに練った作戦を実行するに当たった。


 これでティアを狙撃できるかどうかの確証はないが、これでダメであれば最早今の少女にティアを狙撃する術がないことは確かであり、また一から戦術を練り直す必要がある。だが、残りの期限を考えれば、今更新しい戦術に変えた所でそれがティアに通用するかは分からない。そうなれば、もう後は無い。その覚悟を決めて少女は手早く準備を進めていった。


 勝負は一瞬で決まる。


――――――――――――――――――――――――――――――


「……んー、まだ気配はないか」


 歩くこと数時間、程よい距離と時間で仕掛けてくると予想していたが少女がその姿を見せることはなく、ティアは何度か小休憩を挟みつつも着々と『ハインツバルグ』への旅路を進んでしまっていた。


(逃げたか?)


 よもやティアの提示した条件を達成できないと諦め一人逃げ出したのではないかと、ふとそんなことも脳裏を過ったが、もしそうであるならば少女ならもっと早い段階で決断していたに違いない。


 逆に、全てが作戦通りでここまでの道中でティアの集中力を出来る限り欠く作戦であったならば、それはそれで大したものだとティアは独り微笑んだ。


「…ん?」


 するとその時、ティアの耳が自然のものではない音を感知し、彼はピタッと森の中で身動きを止めた。


(あいつか?…いや、それにしては不自然過ぎる。今まで全く音を立ててなかったくせに、今になってあからさまな音を立ててきた。おそらくは俺への誘導。本命は音のする方の逆側、不意打ちでの狙撃)


 ティアは先ずは音のした方に視線を向け、すぐさま逆側の方を一瞥する。視界に少女らしき人影はない。風で揺らぐ木々、草の合間から見える泥、それらからは何かが動いた様子を感じられない。


(さて、どうするか…。このまま無視して進むのもいいが、正直集中力が乏しい。出来ることなら、ここいらであいつの策を封じたいところだが…)


 研ぎ澄まされた人狼の感覚が何者かの脅威を感じ取っているのは確かであった。少女はこの近くに居て、勝負を仕掛けようとしている。人狼の力と狩人の知恵を持つティアであるが、少女相手に超不利な条件下の鬼ごっこを一週間以上続けてきたのである。流石にそろそろ悠長に構えていられる余裕は無くなりつつあった。


(…こっちから行くか)


 覚悟を決めると、ティアは先程音のした方の逆側へと動いた。最初の音が誘導であれば本命はこちら側に居る。そう考え、敢えて少女に接近して対応しにくい狙撃を妨害する策に出た。


(ん、微かだが人の臭いが強くなった。それに草葉が不自然に倒れているのも目立つし、ここをあいつが通ったのは間違いない。俺が接近しても動かないところを見ると接近戦で決めるつも……)


 その時、慎重に草木をかき分けて歩み進めていたティアの足裏に泥以外の何かが触れた感触が走り、急ぎティアは身を引いた。しかし、そんな彼を目掛けて地面から何かが飛翔してきたのを視界の端に捉えた。


 それは木の枝であった。


 枝とは言っても、そこら辺に自生している自然の木の枝ではない。足を引っ掛けた者に向かって鞭の如くしなるように、何者かが仕掛けた手製の罠であった。


(成程ここにきて罠か。うーん、手としては悪くないが…)


 常人なら驚いてその細工された木の枝に当たってしまうかもしれないが、この程度であれば狩人なら容易に対処することができる。その上、人狼でもあるティアにとっては言わずもがなであり、彼はしなる木の枝を避けながら本命である死角からの襲撃を鼻で感じ取っていた。


(足元に注意を向けてからの空中からの強襲。まぁ、人間相手なら良しだが人狼相手には失敗だな。これも反省として、もう数日頑張ってもらうか…)


 人狼の鼻で少女の臭いを感じ取っている。人狼の耳で何かが頭上から落ちてきたのも感じ取っている。後は、そこに居るはずの少女を人狼の眼で視認するだけであったが、そこに居たのは…背嚢だった。


 飛来する背嚢を眼で捉えた瞬間、それがティアの集中力が最大に緩んだ瞬間でもあり、それを照準器越しに確認した少女は素早く引き金を引いた。


ターン……


「ちぃッ!?」


 少女の背嚢を認識した瞬間、ティアはすぐさま最初の不自然な音のする方向、自分が背を向けて歩いて来た方を振り返るが、その時にはもう装填式大型長銃の発砲音が甲高く森の中を木霊していた。


 地面の罠を避け、空から降る背嚢も避け、そんな無茶な態勢では流石に高速で飛翔する弾丸を避け切ることができる可能性は低い。だが、距離がある。ティアは眼を見開いて少しでも情報をかき集めるが、目の前に広がるのは泥と草と木だけでありそこに少女の姿も弾丸の姿もない。


 否、少女は居た。それは木の上だった。自分の低身長、低体重の利点を活かし、まさに小鳥の様に木の上からティアを狙っているのが見え、それと同時に自身の胸部を1つの弾丸が貫通して行くのを身をもって体感したティアであった。


「…ははっ!まぁ、合格だな」


 お取りに次ぐお取り。その上、人狼の特徴を考慮した罠の張り方に誘導、加えて高所からの狙撃位置。どれをとっても優秀であり、正に今ここに少女は人狼を討伐できる“力”を身に付けたと言える出来栄えであった。

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