第10話 狼を追う小鳥②

「人狼を殺したい」


 ティアに拾われる形で、彼に付いてここまで来た身元不明で布切れみたいなみすぼらしい服装をした少女は、小鳥の様な綺麗な声でそう言った。


「へぇー…」


 そんな殺意むき出しの言葉に対し、ティアは興味津々といった様子で再び少女の前に立つ。


「聞こえなかったな、もう一回言ってみろ」


「…っ!私は、人狼を殺したい!奴らを皆殺しにしてやるッ!!」


 あからさまなティアの挑発に対し、少女は立ち上がると今度は声を張って叫んだ。立ってもティアを見上げたまま、彼の胸の位置ほどしかない身長をぐっと伸ばして、彼に喰いつかんばかりに少女は咆えた。


 家族や知人、愛する人を殺され、人狼に怒りを覚える人は少なくない。むしろ、全ての人間がそうに違いない。ただし、そうはいっても人狼に対し仕返しを宣言できる人間はごく僅かである。なぜならば、自ら人狼に仕返しをするということは人狼に立ち向かうということであり、その人と獣の力の差を目の当たりにしてもなお、武器を取れる人間というのは真に心が強くないといけないからだ。


 そんな心の強い人間に共通するのは“瞳”であり、ある者はそこに熱意を燃やし、またある者はそこに混濁した闇が生じる。その様な人々を数えきれない程に見てきたティアだからこそ、その覚悟が虚心か本心かは一目瞭然であったが、目の前に居る少女の瞳には深い闇が見えた。


 自分と同じ、決して掃うことのできない暗闇が少女の瞳の奥でも渦巻いているのがはっきりと見えた。


 ともすれば、髪や身形などを整えれば貴族の娘にも引けを取らない程に端整な顔をした少女には、その過去に何があったのかはまだ不明であるが、ティアという人狼を前にしても竦まないほどの気迫を感じ取ることができた。


「人狼を皆殺しか、ははっ面白い。だけどな、それはお前には無理だ」


「……っ!」


 先程までと同じ無言の返答であったが、先程までとは違って少女の顔には怒りの色が見えた。


「筋肉の無い小さい身体。知識不足でスカスカの脳みそ。そして年端もいかない女。人狼の餌になるのがオチだな」


「だ、だったら…」


「だったら?」


「あなたの弟子〈アプレンティス〉になる!」


「……はぁ?」


 少女が何を言い返すのか少々期待していたティアだったが、その予想外の答えにこれまで飄々としていた彼も思わず素の言葉が口から飛び出してしまった。


「お、おいおいおい…。俺の聞き間違いか?お前が俺の弟子〈アプレンティス〉?」


「あなたの弟子〈アプレンティス〉になって狩人になる。それで一人で人狼を殺しに行く。だからあなたには迷惑を…」


「ちょっと待て、ちょっと待てって!!」


 これからどう生きるのかどう人狼と向き合っていくのか、その決意を見せた少女であったが、一方でティアは眉をひそめながらも少女の話を中断させ困った表情でアルマをちらりと見る。しかし、これにはアルマも驚いた様子で「どうするの?」と声に出さずに口だけを動かした。


「いやいや!俺がお前を弟子〈アプレンティス〉にして何の得があるんだ?」


「お、お金を払います!……出世払いで」


「金なんか要らねぇよ!自分の力で食っていける」


「じゃあ……」


 顎に手を当てて少女は思い悩む。思い悩みたいのはこっちだと言わんばかりに呆れるティアに対し、少女は先程まで滔々とティアが語っていた話を思い返し彼の目的を思い出す。


「じゃあ、“鴉の仮面の男”を探すのを手伝います!」


 名案とばかりに嬉々として顔を上げた少女であったが、そこにあったのはティアの怒りとは言えないが背筋も凍る程の恐怖を感じさせる顔があった。


「お前に手伝ってもらう必要はない。あいつは俺がこの手で殺す」


「……」


 少女と同じく、否それ以上の深淵を含んだ瞳に思わず少女は泣きだしそうになるが、ここで一歩下がらずにむしろ一歩踏み出してティアを再度見上げる。


「あなたに言われれば何でもします。身の回りの世話に掃除洗濯も全てします。もし私に狩人の素質がないのであればすぐに見捨ててもらって構いません。私が泣き言を言ったら売りに出してくれても構いません。…だから、だから!お願いします!私に機会をください!」


 そこまで言って少女はもう一度ぐっと拳を握りしめ、一瞬だけ眼を閉じる。浮かんでくるのは愛する家族たちの姿と、その彼らが死んでいく姿。無力な自分は何もできずにただ声を押し殺して、恐怖が去るのを待つしかなかった。本当は怒りに任せて人狼へと立ち向かいたかった。その結果人狼に殺されたとしても、家族の居ないこんな世界で孤独に生きるよりかはましとさえ思った。


 しかし、いざ覚悟を決めてもう一度人狼を見た瞬間に、少女は身動き一つすら取ることができなかった。


 死にたくない。


 その思いが少女に絡みつき、彼女は愛する家族たちのために死を決意することができなかった。そんな忘れられない過去を背負い、このまま孤独にただ人狼を恐れ、人狼から逃げるだけの人生を歩みたくない。しかし、それを打開できる方法を今の自分は持たない。


 だからこそ、目の前に現れた“人狼を殺す人狼”という男を見過ごすわけにはいかなかった。それは、彼がただ狩人だからというわけではない。彼が人狼でありながらも狩人として生きるその普通の人とは違う生き様から、彼ならこんな自分でも見捨てないでくれると思ったからこそ、少女は自分の決意を打ち明けたのだ。


「…じゃあ、撃ってみろ」


「…え?」


 すると、少女の思いを聞き入れたティアは徐に椅子に掛けてあったホルスターから単発式大型拳銃を取り出すと、その銃身をくるりと回してグリップの方を少女に向けた。


「“撃つ”…て、何をですか?」


 ティアから単発式大型拳銃を両手で受け取ると、あまりの重さにその銃口を床に向けた状態で少女はティアに聞き返す。


「俺だ。俺を撃ってみせろ。撃てたら合格、弟子〈アプレンティス〉にする。できなければここでお別れだ」


「……」


「ちょ、ちょっと…!?」


「アルマは黙ってろ」


 何やら不穏な雰囲気になり始めた気配を感じ取ったのか、アルマが心配そうに駆け寄ろうとするがそれをティアは制止した。


「人狼を皆殺しにするって言ったよな?俺ももれなくその内の一匹だ。なら、その覚悟が本物かどうか見極めてやる」


「……」


「さぁ、どうした?さっきの話は聞いてたんだろう?俺も人狼だ。お前が皆殺しにしたい人狼の一匹だ。その覚悟の証に先ずは俺を殺してみろよ。さぁ…」


 人狼を殺せる銀の弾丸を装填した単発式大型拳銃を渡しただけでなく、ティアはその銃を掴んでわざわざ自分の額に銃口を向けさせた。後は少女が引き金を引くかどうかだけである。引き金を引けば単発式大型拳銃は火を噴き、飛び出た銀の弾丸はティアの頭を吹き飛ばすであろう。


 そうすれば、少女の目の前にいる人狼は死ぬ。


「……っ」


 少女は決意を眼にその引き金へと指を掛けたが、しかし、それは想像以上に固く重かった。


 物理的な重さもあるのだろうが、その引き金を引くということを考えると少女は今一度躊躇してしまったのだろう。狩人の弟子〈アプレンティス〉にするというティアの約束が噓か真かは不明だが、しかし少女が人狼と戦う道を選択したことに変わりはない。


 今ならまだ間に合う。人狼に襲われたのであればまず助からないであろう命が奇跡的にも延命されたわけである。狩人になってしまえば、もう自分は安心して眠れる夜を過ごすことはできなくなる。それに、自分の家族の犠牲に得た命でもあるのだ。その犠牲を無駄にするというのか?


 そう、自分の中の何かが囁くような気がした。


 今、銃口を降ろして謝れば、子どもの戯れとして許してもらえるかもしれない。止めよう、止めよう、諦めよう。人狼のことなど忘れて、平和に暮らしていこう。


 囁きに促されるままに少女の指から手からどんどんと力が抜けていく。そして、その両手が単発式大型拳銃を手放そうとしたその瞬間、少女はティアと瞳が合った。


「本物にそれでいいのか?」


 ティアの瞳を見た瞬間に、まるでそう言われた様な気がした。


「その命は何のためにある?」


 ティアは幼い自分を馬鹿にして、出来もしないことを言う子どもを茶化すために自身の拳銃を渡したわけではない。一人の狩人として、一人の人狼として少女の覚悟を真剣に見定めてくれようとしているのだ。


(たとえ…これから眠れない夜を過ごすことになったとしても、死んでいった皆を忘れられずに後悔する夜を過ごすよりは何倍もマシだ!この命はお父さんやお母さん、それにお姉ちゃんから託された命なんだ!この命尽きるその一瞬まで、私は人狼と戦うんだ!!引き金を…引いてみせるんだぁッ!!!)


 真の決意を眼に燃やし、少女は己の力だけで再び銃を構える。もうその動きに迷いはない。もう引き金は重くない。そして、少女の咆哮と共に、単発式大型拳銃は轟音を響かせた。


「うわあああぁぁぁっ!!!!」


ズドン


 少女は発砲音に負けない程に叫び、引き金を引いた。直後、銃を握りしめた手から凄まじい衝撃が少女の腕から肩へ、肩から全身へと駆け巡り、気が付けばその華奢な体は後ろに倒れ、勢いそのままぐるりぐるりと世界が回った。


「はぁ!…はぁ!……はぁっ!」


 息荒く、肩で呼吸する少女。生まれてこの方、猟銃を撃つ父親の横でその様子を眺めるだけで、その銃音にさえ驚いていた自分がその何倍もの重音を轟かせる拳銃を撃ったのである。心臓がバクバクと動いて未だに興奮しているが、何処か言い知れぬ快感があったことは嘘ではなかった。


 しかし、興奮冷めやらぬ少女はとある事実を思い出した。


 ティアと話す内に、今まで閉じ込めていた人狼への思いが爆発し、紛いなりにも狩人になる決心をした少女であったが、その彼女を狩人に育ててくれるはずのティアを今しがた少女は撃ち抜いてしまったわけである。


 幾ら人狼とはいえ、至近距離で頭を吹き飛ばされて無事であるのだろうか。その疑問と後悔と動揺から少女は顔を上げてティアの様子を恐る恐る確認したが、信じられないことにそこには頭半分ほど吹き飛ばされてもなお、その場に立ち尽くすティアの姿があった。


「……っ!?」


 声にならない声を上げながらゆっくりとティアに近づく少女。


 抉れた肉からは断片が焼けているのかジュウジュウと煙が上がり、その隙間からむき出しになった脳や目玉がちらりと見え、到底生きている様には見えない。だが、少女が手を触れられる距離まで近づくとむき出しになった目玉がぎょろりと動いた。


「ははっ、あはははっ!面白れぇ、面白れぇな!こいつ!!」


「うぎゃぁっ!?」


 少女は年齢相応の子どもの様な悲鳴を上げて、どんと尻もちをついて驚いた。一方で、動く死体にしか見えないティアは修復し掛けた顔でケラケラと笑う。


「おい、アルマ!見たかよ、こいつ!普通撃たないぜ、あんな状況でよ!!ははっ!こいつ馬鹿だ、はははっ!!!」


「あんたね~…!店の中で撃たせる!?普通!?またお店を壊して!!」


「そう怒んなって。今度店ごと建て替えてやるからよ」


「いつもそんなこと言って!…あー、もう!!」


 尋常ではない早さで焼けた傷が修復していくティアの胸倉を掴んで頬をぺちぺちと叩くアルマ。その光景をポカンと見ていた少女であったが、今度は少女の下へと鬼の形相のアルマがつかつかと駆け寄って来た。


「あなたもあなたよ!こんな場所であんなの撃ったらどうなるか、分からなかったの?」


「あ…そ、その……」


 そして、狼狽える少女の頭にぽこんと音を立てて軽い鉄拳が振り下ろされた。


「まったく、『ごめんなさい』は?」


「え、えっと…ご、ごめんなさい…」


「はぁ…、まぁ、よろしい。狩人になるっていうんだったら、先ずは冷静な判断を身に着けなさいな」


 今度はぽんぽんと少女の頭を撫でてから、アルマは部屋の扉へと向かった。道中、未だにニヤニヤとしていたティアに「ふん!」という掛け声と共にその左頬に拳を打ち込みながら、アルマは一人部屋を出ると大きな声で店長の名を叫び、また店中に聞こえるようにお詫びの言葉を述べていた。


 アルマが去り、二人っきりになったティアと少女。未だに硝煙の臭いが漂う部屋の中、何処か楽しそうな顔をしたティアがひょいと少女を持ち上げ目の前に立たせる。


「まぁ、これから都市に戻る序だ。お前を“狩人試験”に出させてやる。その後は好きにしろ。いいな?」


「……は、はい!」


 こうして、一匹の人狼と一人の少女の旅が始まることとなった。


 人狼は“鴉の仮面”の男を追い、少女は自らの家族を殺した人狼を追う。


 しかし、その旅の果てに約束された安寧の地はない。血で始まり血で終わる復讐の旅が遂に始まる。

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