第9話 狼を追う小鳥①

 暗い夜が来た。


 人狼を狩ることを生業とする狩人にとって、安眠できる夜などは訪れることはない。夜の帳が降りることで昼に比べて人狼は“狼”としての本来の力を発揮できるようになり、夜中に人狼と相対することは自殺以外の何でもない。


 しかし、人である以上、狩人といえども休息無しには人狼とは戦えない。


 そこで、狩人が夜を過ごす方法は二つある。


 一つは、決して横にはならずに精神を研ぎ澄ませた状態でただ目を瞑ることだ。それは睡眠と覚醒の間、ごろんと横になって四肢を投げ出したい欲求を抑え、人狼の襲撃に備えながら体を少しでも休める方法である。


 もう一つは、誰かと一緒に眠ることだ。一人よりも二人、二人よりも三人と数が増えた方が危機察知能力は上がるので、誰かと共に眠ることは人狼対策にも繋がる。中でも、狩人の間では“処女ではない”女性と寝ると人狼に襲われないというジンクスがある。


 古くから、人狼は処女の女性を好んで襲うと言われており、裏を返せば処女ではない女性は襲われないということから、狩人は処女を捨てた女性と同衾することが多い。しかし、その噂は狩人の間のみに広がる話であり、一方ではただ床上手な遊女と寝たいだけの口実ではないかとも言われているが、その真相は定かではない。


 そして、ここにもそのジンクスに倣ってか半裸の女性と寝る半裸の男が一人。狭いベッドの上で身を寄せ合いながら、男は長々と話した話を丁度終わらせたところであった。


「……という話だったわけ」


「ふーん…」


 そこは、銀と火の国『エギレスト』の端に位置する田舎町。その町の一角に設けられた寂れた宿屋のような建物にて、狩人のティアは女性と一緒にベッドに横たわりながら滔々とこれまでの話を聞かせていた。


 そんなティアの横でくつろぐ女性はというと、さして彼が処分した人狼に興味あり気な様子はなかったが、しかしその話の合間合間に時折相槌を打つ優しさは見せていた。


「というわけで、俺は疲れているし、早い所アルマの胸の中で寝たいわけさね…」


 そう囁きながら、ティアはベッドの上で短髪赤毛が特徴のアルマとの距離を詰めていく。


「はいはい…」


 そんなティアに対し、アルマも彼を抱くようにして優しく迎える。


「…あ、ちょっと、ティア」


「ん?…あー、あとから幾らでも話は聞くって……」


「ちょ…や…だから、もう…話を聞けって言ってるでしょうが!この駄犬!!」


「ぐほッ!?」


 ベッドの上で器用にくるりと回転したアルマはその勢いのまま脚をティアへと突き出して、溝内を蹴り飛ばして彼をベッドから強引に叩き落した。


「何だよ!?いってぇなッ!!?」


「いやいや!結局あの娘は誰なのよ?というか何でこの部屋に居るのよ?」


 ベッドの上にあったスーツを巻いて自身の体を隠しながら、アルマは誰も居ないはずの部屋の隅を指差した。薄ぼんやりとした部屋の隅、ティアとアルマしか居ないと思われたが、よく見るとそこには膝を抱いた少女が闇に溶け込むようにしてちょこんと座っていた。


「……」


 しかも、アルマに指を差された少女は自己紹介するわけでもなく愛想よく笑うわけでもなく、ただじっと二人を、というよりも“人狼を狩る人狼”という矛盾した存在のティアを見つめていた。


「あぁ、そいつな…。そいつはさっき話した事件の報酬」


「はぁ!?報酬!?あんたはいつから人身売買も始めたわけ!人狼とはいえそこまでする悪人になったとは思わなかったわ!」


「おいおい、ひでぇな…。別に貰いたくて貰ったわけじゃねぇよ…」


「……」


 ベッドから蹴り落とされた衝撃で頭を痛めたのか、後頭部を摩りながら立ち上がったティアと部屋の隅で鎮座する少女の目が合う。暗い洞窟の入り口の様に淀んだ瞳をしたその少女に、ティアもしばし彼女の視線を見つめ返したがすぐにアルマへと視線を戻す。


 アルマの下へ来る前日。ティアは、ガルオッシュ家と呼ばれるこの国の政治を担う程の権力のある貴族の屋敷で起こったとある人狼事件を解決してきた。だが、その際に自身も人狼であることが露見してしまったティアは正式な報酬を貰うこともできず、貴族たちに追い出されるようにして屋敷を後にした。しかしその時、ガルオッシュ家の当主であり、この事件を内密にティアに依頼した張本人でもあるエルメールは、少しばかりの品々とこの少女をティアに託したのであった。


「それってどういうこと?この娘を売って金にしろってこと?」


「ははっ、さぁな。案外俺が人狼だから『ご自由にお食べください』って、そいつを寄こしたのかもな…はははっ」


「それ、笑えないんですけど…」


 軽い冗談を言いながらティアは少女の下へと歩み寄ると、見落とした態勢で少女の前に立つ。大の大人でも後退りしてしまう程の気迫のあるティアを前にし、年相応に少女も震えるかと思いきや、その眼光は更に鋭さを増した。その瞳の奥に眠る何かに興味が湧いたのか、はたまたただの気まぐれか、これまで子どもなんかには微塵も興味のなかったティアであったが、試しにと口を開いてみた。


「おい、名前は?」


「……」


「何処から来た?親が貧乏であの屋敷に売られたか?」


「……」


「お前は何がしたいんだ?このままだと良くて娼館、悪けりゃ変態の玩具だぞ、お前」


「……」


「…ったく、だんまりだよ。これだからガキは嫌いなんだ…」


 少女とは思えないその瞳の力に興味が湧いたティアであったが、うんともすんとも言わない少女に飽きたのか呆れた様子で距離を置く。と、その時、今まで一言も喋らなかった少女が重い口を開き、小さな言葉をティアの背中に投げかけた。


「……を…たい…」


「あ?」


 その蟲が飛んだような掠れた声に、ティアは首だけを動かして視線を少女に向けた。


「私は、人狼を…殺したい…」


 今度こそしっかりと聞こえた少女の声は小鳥の様にか細く、でも美しかった。しかし、そこから出た言葉は殺意の籠った重く悲しい言葉であった。


 そんな言葉を聞けば、大抵の人間はその少女を気味悪がるところであるが、そもそも人間ではないティアはその言葉と少女の眼に映った紛れもない殺意に何故か薄っすらと笑みを浮かべていた。 


 子どもには興味がない。だが、ただのそこら辺で遊ぶ子どもでないのなら話は別である。


 漸くその口を開いたかと思えば、「人狼を殺したい」と言った少女。そんな彼女にティアは、アルマと寝る以上程度には興味が湧いたようであった。

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