第3話 狼を狩る獣③

「…こちらでございます」


 ガルオッシュ家の屋敷の無駄に豪勢で無駄に長い廊下を歩いたり、無駄に曲線を描く階段を昇ったりすること数十秒、屋敷の最上階一番隅に当たる場所にあった扉を持っていた鍵で開けると、その前でセバスは立ち止まり振り返った。


「因みに、死体の後処理は?」


 鍵の開いた扉のドアノブに手を掛けた状態でティアがそう尋ねると、セバスは少し顔を曇らせた。


「その…あまりにも悲惨な有様でしたので、私と他数名の使用人で丁重に処理を施した後、先代の旦那様方も眠られる墓地へと埋葬いたしました」


「そうか…。死体の状態から人狼の特徴が分かる時もある。今度からは死体は残しておいた方がいい。もっとも、次があったら困るわけだが、ははっ」


 そんな余裕とも取れる笑えない冗談に顔を困らせるセバスを置いておき、ティアは手にしたドアノブをひねって部屋の中へと踏み込んだ。


 扉を開けた瞬間、何かの臭いを誤魔化すために炊かれた香とそれでも隠しきれない獣じみた臭いが混じった不快な臭いが廊下へと漂った。だが、それよりも酷い臭いを嗅ぎ慣れているティアは眉一つ動かすことなく、ジラモランが殺された現場である彼の部屋に入ると、その中央でぐるりと辺りを見渡した。


 やはり、というべきか当然というべきか、ジラモランの部屋もこの屋敷に相応しいほど大きな部屋であった。しかし、そんな部屋が狭いと感じる程に辺りには石膏像や彫刻、家具などが散在しており、中でも目を引いたのは画布の多さである。


 主に風景ばかりが描かれた画布が所狭しと並んでおり、飾られているというよりも場所がないから仕方なくそこに立て置いたといった様子で無造作に並べられている。また、部屋の隅にはアトリエのような場所も見受けられ、人が移動できる場所は扉の開閉ように設けられた狭い空間とそこから寝室へと続く道、そこからまたアトリエと続く道、そして画材の散らばるアトリエ周辺のみであった。


 こんなに部屋が荒れているのはジラモランを襲った人狼の所為…ではなく、日頃の彼の怠惰な性格ゆえであることは明白であり、ティアは面倒くさそうに床に散在する品々を蹴っ飛ばしながら更に奥へと進んだ。


 部屋中に飛び散った絵具と部屋の臭いの所為で、何処でジラモランが殺されたのか素人の目では分かりにくい現状であったが、ティアは迷うことなく寝室へと進むとその先にあった豪勢なベッドの前で立ち止まる。


「えぇ、そちらでジラモラン様が亡くなっておられました。発見したのはジラモラン様の専属の使用人ですが、私もそのお姿を拝見いたしました。何…と言いますか、あれは人の死に様では…ありませんでした」


 ティアの後ろを付いて来たセバスはそう言うと、当時の光景を思い出したのか口元に手をやって目を伏せた。


「俺はここで痕跡がないか調査しようと思う。その間にセバスはジラモランさんの死体を見つけたというその使用人を連れて来てくれ。詳しく話を聞きたい」


「…畏まりました」


 あまりこの場所には居たくないのか、セバスは駆けるようにして部屋を後にし、一人残されたティアはというとじっくりと辺りを見渡し始めた。


(ベッドの上の血の跡からしてジラモランが居たのはここだが、殺されたのはここなのか他の場所なのか…。ジラモランは人狼を見たのか、見る間もなく寝込みを襲われたのか。…いや、シーツに染み込んだ血痕からしてジラモランは人狼を見たに違いない。起きていたところを人狼に襲われて、この部屋に逃げ込んで致命傷を負い、成す術もなくベッドへと倒れ込んだか)


 最初にティアが気に掛けたのは壁に付けられた無数の爪痕である。


 小さな血痕は探せば見つかるだろうが、目に付く、目立ってジラモランの死因に繋がりそうな血痕は寝室にしかない。だが、爪痕はというと他の部屋の壁や家財にも大小合わせて生々しく残されている。


(爪や牙を使って人を殺す人狼はまだ人狼に慣れていない。つまりはこの殺しが始めてだから、やはりこの屋敷の中の誰かが人狼で間違いない。となれば、誰がいつ、どうしてジラモランを殺したのか…だな)


 次にティアが気になったのは寝室に設けられた1つの大きな窓であった。寝室や他の部屋も合わせてジラモランの部屋には大小の窓が幾つかあったが、その中で唯一内側から強引に破壊された窓がこれであり、そこから吹き込む風はこの部屋で起きた悲劇も知らずに呑気に舞っていた。


 無残にも破壊されたままで放置された大きな窓から外を眺めながら、ティアはまた頭を働かせる。


(ジラモランが人狼ともみ合ううちに、ジラモランが必死の抵抗で手にした椅子か何かを投げてそれが窓を破壊した…という可能性も無くはないが、これは人狼が逃げる時に打ち破ったと考える方が妥当か。高さは…かなりあるな。着地時に人狼が負傷した可能性もあるが…、まぁ時間的にもう完治しているだろうな)


 他の手掛かりがないものかと窓を離れてもう一度ジラモランの寝室を見渡したティアだったが、ふと寝室にある画布に彼は違和感を覚えた。


(女性の絵?ここにあるのは全部女性の絵か?しかも、どれも同じ人に見えるが…)


 ジラモランの寝室にある画布に描かれているものは、全て女性の人物画であった。服装や角度、大きさ、表情などはバラバラであるが、そのどれもが同じ女性を描いたものであることは絵心の無いティアにも一目瞭然であった。


(だが、何だこの違和感?同じ女という以外にも…他の部屋の絵とは違う何かを感じるが…ん?)


 訝し気な表情で女性の描かれた画布を眺めていたティアであったが、不意にそこへ二人の男たちが現れ彼らへと視線を向けた。1人は先程この部屋を出て行ったセバスであり、その陰に隠れるようにしてもう1人、セバスと似た服装をした青年がそこに立っていた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る