第11話「罪はね、私たちの心の中にあるんです」
「エンブラ。まだ眠くないからお話して」
「もう、さんざんはしゃいだのに。本当に疲れ知らずですね、メリッサ様は」
それは遠い思い出。
メリッサの背丈が小柄な
全てが愛おしく心地良かった、幸福な時代の記憶だ。
「えっとねえ、あれがいい。白雪ちゃん!」
「スノーホワイト様ですか。メリッサ様はあの昔話が本当に好きですね」
「だって
現実の歴史がそうであるように、神話や伝承は常に戦いと共にある。昔語りの多くは神々や英雄、竜や魔獣が争った末に現在の人の世界ができた、というような物事の成り立ちや説明になりがちだ。小さなメリッサはそういった話があまり好きではない。
彼女の姉、アカシアが誰よりも強く正しい魔女として成長しているように。
「妖精郷の伝説は嫌い。死ぬの恐いし、六人の不死守りはがっかりだし、蜜蜂の女王はずるっこだし、万象の魔女なんて悪者なんだもん。こんなにダメダメなのに、みんなは私に『立派な
矮人から優れた職人が生まれるのは、遠い昔に神から道具や技術を与えられたからだとされている。今でも彼らの居住区には途方もなく巨大な金槌や、異邦の神から盗み出した牙や鱗を組み上げて創造したとされる『見立て竜』が聳え立っているそうだ。神秘が失われた矮人の大地でそれらが動くことはないが、かつてこの最小の種族が世界で最も優れた文明を誇っていた名残を感じることはできる。
「それは『隣の鉱脈から金が採れる気がする』というやつですね。メリッサ様に詳しく教えていないだけで、矮人の伝説にだってつまらなかったりがっかりするものが沢山あります」
「なにそれ知りたい、教えて」
「うーん、夢を壊してしまうのはちょっと申し訳ないというか、まだメリッサ様には難しいかもしれないので」
「子供扱いしないで! もう空だって飛べるんだから」
「ええ、そうですね。おおはしゃぎでしたね」
疲れを滲ませた溜息を吐き出すエンブラは、観念して小さなお姫様の要求を呑むことにした。いずれにせよ、二人の関係を考えればいつかは話すことになる話だ。エンブラが話さずともその雇い主、すなわちメリッサの父が話すだろう。
「では、メリッサ様が大好きな『凍てつく血の雪竜』の最期についてお話しましょう。私たち矮人の歴史、その始まりについての物語です」
「矮人の始まりなら知ってる。山の神様でしょ? 見上げるようなおっきな巨人、星空まで届くディスケイム! 土をこねてエンブラたちを作ったんだよね?」
「その通りです。しかしそれは本当に大昔、邪神が打ち倒されるよりも前の出来事。私たちが誇りとする鋼鉄の文明、大陸で一番の技術力によって七王国が栄えるようになったのは、『凍てつく血の雪竜』が山の災いの化身である火竜を鎮めてくれたからなのです」
メリッサの表情がぱっと明るくなった。好きなお話の登場人物がやはり素晴らしい活躍をしたらしいので嬉しくなったのだ。エンブラは微笑んで続きを語った。
「私たちの父の父、ずうっと遡った最初の父たちはあるとき夜空から降り注いだ『星』を手に入れました。それは願いを叶える『顕界の火』。今の矮人たちが見事に鋼鉄を鍛え、優れた道具を作れるようになったのは、偉大なる七人の大父たちが星に願ったからなのです」
「わかった、その人たちが七つの王国の最初の王様になったんだ」
「正解です、メリッサ様。
「罪? 悪いことをしたの?」
「ええ。星が与えてくれる天上の知恵、『顕界の火』が照らす技術は私たちを傲慢にしてしまいました。七氏族は知恵と力を巡っていつしか互いに争うようになり、征服や略奪に明け暮れました。とうとう彼らの闘争は神々の領域にまで影響を及ぼし、矮人の中で最も力を持っていた
メリッサは震えあがった。エンブラは安心させるように少女を撫でた。
「火竜は矮人たちの七王国を支配し、その知恵と力を存分に振るいました。荒ぶる火は人の心を踏みにじり、森と川を穢し、王国に不幸を広げてしまいます。そんな悪い竜を懲らしめるために立ち上がったのが、善き矮人たちと仲良しだった雪の竜です」
「白雪ちゃんだ!」
「そうです。実を言えば、
「親子なのに、戦ったの?」
メリッサが不安そうな表情になる。エンブラはその恐怖を否定せずに続けた。
「そうです。赤髭族の王がまだ善なる心を持っていた時、彼は娘に言いました。『もし自分が悪いことをしたら、お前が立ち上がってそれを止めて欲しい』とね。大切な家族であっても、相手が間違っていると思ったなら、時には戦うことも必要なのです。優しいスノーホワイト様は、暴君と化した父親を愛していたからこそ戦ったのですよ」
「よくわかんない。お父様と戦うなんてやだ」
「そうですね。大丈夫、ロスプ家にはアカシア様がいます。あの方さえ健在であれば、この家もきっと良い方向へと変わっていくはず。何も心配することはありません」
エンブラは微笑みながらむくれるメリッサの頬をつついた。
意地悪な指に仕返しするお姫様と召使の攻防がしばし繰り広げられる。
「ともあれ、スノーホワイト様は悪さをする火竜を懲らしめて、暴走する文明の火を鎮めて下さいました。ですが私たちが積み重ねてしまった罪はあまりにも大きかった。そのままでは七王国の滅びは避けられませんでした」
「それで、どうなったの?」
「そこでスノーホワイト様は私たちを救うため、大きな氷に全ての『顕界の火』を閉じ込めることを決めました。矮人の救世主は行き過ぎた文明が生み出した罪を背負って長い眠りについたのです。偉大なる『罪の女王』の尊い犠牲に胸を打たれた七氏族の始祖たちは、七つの王国と氏族名に大罪の意味を重ねて戒めとしました。二度と技術に溺れることなく善く生きていこう。『七つの罪を犯すべからず』という警句と共に」
「白雪ちゃんは、死んじゃったの?」
「いいえ。地の底で火を閉じ込めた氷と共に眠っているだけです。ずうっと私たちを見守ってくれているんですよ。夢の中でだけ、私たちは女王陛下にお会いできるのです」
残酷になり過ぎないように優しく伝えるエンブラだったが、それでもメリッサは少し寂しそうな表情だった。それから唇を尖らせて不満を述べる。
「罪ってなあに? 何で悪者をやっつけたのに眠らなきゃならないの?」
「うーん、そうですね。たとえば、私の一族は医術を修めていますよね? もう少しメリッサ様が大きくなったら屍操術なんかもお教えしますが、人の魂や身体の仕組みについて学んだりするためにはどうしたらいいと思います?」
「えっと、ご先祖様とお話して教えてもらう?」
「魂はそうですね。しかし、傷ついた人を癒したり助けたりするためには、身体の中身を知っていなければなりません。そのために身体を切り開いて調べたりする必要があるのです。もちろん亡くなった人だけ、生きているときにちゃんとお願いしてからね」
メリッサの顔はもうすでに青ざめていたが、大人ぶりたい年ごろの少女は虚勢を張って平気そうに振る舞ってみせた。ここで気遣ったり子ども扱いすればへそを曲げるだけなので、エンブラはそのまま続ける。
「これを相手の許可もなく、勝手に行ったらどうでしょう。ポーレ家の方々が扱うような強いお薬を生きている人に無理に飲ませたらどう思います?」
「ひどい」
「ええ。つまりそれが罪ということです。矮人たちは二度と罪を犯さぬように決まりを作り、七王国の民はそれを守って平和に生きるようになりました。地の底から『顕界の火』の一部を盗み出した『罪人』ゾルハインが七王国のひとつを滅ぼし、『黎明帝国』を築くまでは。誰もが過去の栄光を諦め、知恵を捨て去れるわけではなかったのです」
わずかな時間だけ目を伏せたエンブラは、重苦しい息を吐いて首を振った。
それからメリッサの目をまっすぐに見つめながら言った。
「一方、変わっていく祖国に馴染めぬ罪深い矮人たちは栄光の七王国を去りました。それが私の祖先。妖精郷まで逃げてきた『古き知恵者』の末裔なのです」
「初耳だけど?」
メリッサはびっくりして眼を瞬かせた。だが、考えてもみれば至極当たり前だ。帝国によって七王国全てが崩壊させられた近年ならともかく、まだ矮人たちが強大な勢力を誇っていた頃に妖精郷に移り住んできたエンブラの一族には相応の事情があったに決まっている。早い話が主流のグラスコフィンから追放されたのだ。
「じゃあ、アカシアお姉さまの従者の青い人たちもそうなの?」
「ええ。散り散りになった追放者たちの中で、ブルージーンズ・ドワーフは私たちと共にこの森に流れ着きました。彼らの罪は、そうですね。妖精の方に身近なものでたとえると、農作物や果樹の品種改良が近いでしょうか」
「それって、悪いこと? ポーレの人たち、やってるよ?」
「ただし、対象は人なのです。あるいは動植物に対するものであっても神が望まれないであろう冒涜的な変化が罪とされました。更にこの技術は交配による親から子への形質の継承という形すらとらず、直接生まれる前の赤子に手を加えることが可能でした」
話が少し難しくなって、メリッサの眉間にしわが寄った。しかし『赤子に手を加える』という言葉のおどろおどろしい響きは伝わったため、恐がりな少女は毛布の端を掴んでぐっと持ち上げた。青ざめた顔を少しでも隠すためだ。
エンブラは気付いてないふりをしながら続けた。そして青肌族が他に類を見ない『青い体色』である理由が、彼らが自らを『品種改良』し、『神の摂理を書き換える者』という傲慢な意思を誇示するためだと語った。
「技術力を買われた二つの氏族は当時のロスプ家に迎え入れられました。激化する外敵との戦いに勝つためには、罪だなんだと気にする余裕はなかったのでしょう」
そもそも矮人の宗教における罪など妖精にとってはどうでもいいことだ。
ロスプ家は捕虜や動物、魔獣などを使って実験を重ねた。
改造魔獣と呼ばれた罪の産物は、ロスプ家の地下実験場で今も飼われているという。
メリッサは震え上がりそうになったが、すぐに合点がいったとばかりに憤慨する。
「わかった! 言うこと聞かないと地下の怪物に食べさせるって脅す気なんだ! その手は通用しないからね、パンを取り上げる晴れの竜はもういないし、悪い万象の魔女は封印されてるもん! ほんとは地下にだってそんなのいないんだ!」
「ふふ、さあどうでしょう。私たちはまだ罪深い研究を続けていて、地下には恐ろしい魔獣がたくさんいるのかも。貴族の遺物だって通用しない強い魔獣に、古い神秘を操ったり遺物を使ったりできる魔獣。人と区別がつかない美しい魔獣だっているかもしれません」
「なにそれ、変なの! だいたい、人と区別がつかないのって人狼でしょ、そのくらい知ってるよ。魔人なんて作ったら駄目、悪いことだもん。お父様がそんなことするはずない。もしロスプ家がそういうことをしていたとしても、大昔の話なんでしょ?」
「ええ、もちろんそうです。山のディスケイム様も森のリーヴァリオン様も、神々はそんなことをお許しになりません。人の道を外れて帝国人のようになりたくはありませんからね。さあ、メリッサ様もいい子にして寝なければ! お話はここまで。おやすみなさい」
その記憶は、幸福な時代の記憶としては奇妙な印象を伴っていた。
恐ろしいようでもあり、悲しいようでもあり、何か得体の知れない不安をもたらすようでもあった。そんなことはない。メリッサは暖かな世界を信じてもいいはずだ。
汝、七つの罪を犯すべからず。
人の世には決して踏み越えてはならない道徳の境界線がある。
その先にあるのは底の無い奈落。足を踏み入れれば戻ることは叶わない。
メリッサには今一つぴんと来なかった。だってそうでしょう?
亜人の神なんてもうどこにもいない。大昔に『咎人』たちが封じてしまったから、罰なんて下しようがない。唯一、聖なる森を守るリーヴァリオンの加護だけはわずかに残っているけれど、それだって大きな力とは言い難かった。
それから時間が経ち、少しだけ大きくなって、歴史や物事をより多く学んだメリッサはこう考えるようになった。
仮に、ロスプ家の人たちが過去に悪いことをしていても。
罪なんて怖くない。それは妖精郷を守るために仕方なくやったことだ。そうすることで利益があるのなら、誰だって積極的に踏み越えるだろう。
そんなことに言ったら、エンブラは泣き笑いの顔でこう答えた。
「メリッサ様。罪はね、私たちの心の中にあるんです」
その時は、まだ何もわかっていなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます