第10話「遅くなってごめんね。すぐに迎えに行くから」




 その日、『花園』を魔獣の群れが襲った。

 ただの大暴走スタンピードではない。統率された軍勢による侵攻だ。

 本来ならば都市部の周辺には魔獣の侵入を妨げる外壁や防護柵、『音』や『臭い』による見えない障壁が存在しているため、このような事態はまず発生しない。


 更に塔は大穴に浮かんでいるため、侵攻のルートは限られる。

 加えて『環の学び舎』には常に遺物使いが待機しているため、魔獣たちが襲ってきても余裕をもって迎撃できる。学生と言えど二年生や三年生は実戦経験も積んでいるのだ。

 しかし過酷な訓練を重ねているはずの本科生たちは総崩れとなっていた。自慢の遺物が放つ神秘がことごとく魔獣に通用しなかったのだ。


「遺物頼みの役立たずは『花園』まで退避っ! 槍か弓の心得がある奴は私に続け! 残ってる魔獣使いども、銀舌士と屍操術士を守りながら敵の群れをこじ開けるぞ、私が突破口を開くっ、死ぬ気で援護しろ!」


 可愛らしい熊のぬいぐるみを抱きかかえた小柄な女性生徒が荒っぽく叫びながら迫りくる黒犬の鼻っ面を踏みつけた。小さな足が一気に膨張し、巨大な爪を備えた怪物のものに変化する。魔獣は一瞬で踏みつぶされたが、少女が足に纏っていた怪物の『皮』は役目を終えたとばかりに脆く剥がれていった。


「最っ悪、維持できない。長期戦はヤバいか?」


 殺到する魔獣の群れを次々に薙ぎ払いながら『狩猟隊』の隊長であるアデルは小さく舌打ちした。魔獣に変容して放たれる暴力は圧倒的だったが、魔獣の四肢は使うたびに剥がれて使い物にならなくなってしまう。アデルは毒づきながらぬいぐるみの片手を荒っぽく引きちぎる。地に落ちた綿がもこもこと膨らむと、その中から様々な魔獣が現れた。


「散れ。敵との接触を避けて陽動に徹しろ。契約を解除されたら毒を解放、自爆していい。五班と六班、私の魔獣に釣られた敵を狙え。まともに戦うな。穴に突き落せ」


 アデルの号令に従って走り出す大小の魔獣と本科生。

 状況は最悪だった。遺物を無効化する魔獣、話には聞いていたがこれほど厄介とは。魔獣を纏い、使役するというアデルの第一等級遺物『皮剥ぎの王』であれば影響は間接的で済むが、それでも普段の性能は発揮できない。


 新型魔獣の群れだけでも厄介だというのに、脅威はこれだけではなかった。

 畜産科に潜伏していた獣化者セリアンたちによる汚染の拡大。

 スペアミント家に従っていた矮人ドワーフたちの一斉蜂起。

 襲撃の爆心地となった畜産科と、そこから『花園』に続く大橋は最大の激戦区となっていた。教師陣の過半数は事態収拾のために畜産科校舎に集まっている。


 だがアデルは死闘に背を向けて別の地点を目指していた。本科主席の好戦性をよく知る妖精狩人部隊の仲間は隊長に従いながらも首をひねる。


「畜産科には指揮を執っていると思しき獣化者もいる。お前の好みはあっちだろ?」


「遺物を無効化する魔獣を連れてわざわざ魔獣の巣を襲う? 敵の戦力で一番ぶち破りやすいのは遺物使いが多い場所。畜産科が陽動だとすれば、本命はこっち」


 獣の速度で疾走するアデルは前方を指さした。浮遊塔から伸びた巨大な葉が橋のように外周部に架かっている。備品管理委員会の事務所と遺物倉庫が存在する『葉の架橋棟』だ。

 畜産科に比べれば魔獣の数は少ない。しかし質の面では明らかにこちらが上だった。

 大型や中型の魔獣が多いことを認め、アデルは舌なめずりをする。


「見っけ」


 巨大な蜘蛛を叩き潰した勢いで加速する。

 目的地では既に熾烈な戦いが繰り広げられていた。役立たずになった遺物を抱えたまま血塗れで倒れている者、軍用犬と共に半狂乱で剣を振り回す者、矢を射かけて魔獣の侵攻を阻もうとする者。その中心となっているのは上空で檄を飛ばす魔獣使いだった。


 聞き覚えのある声にアデルたち本科生の表情が明るくなる。

 飛翔する有翼獣グリフォンに騎乗して突撃槍を振るいつつ、笛を鳴らして地上に散らばった黒妖犬ブラックドッグの群れを指揮している。世界有数の魔獣使いとして知られる教師がこの場所を守っていたのだ。


 上空で舞うように戦う魔獣使いは同じように空飛ぶ敵と幾度となく激突を繰り返していた。そのシルエットを認めたアデルの目が細められる。

 箒に跨り、細剣を手にした長い耳の女。白に近い銀の髪を靡かせた妖精族エルフだ。

 悪寒。遥かな空で魔女が薄く笑っていた。


「一班、二班、周囲の精霊と片っ端から簡易契約を開始。とにかく急いで場を染めろ、レルムの構築だけは絶対に阻止。残りの班は私の援護。すぐに準備しろ、間に合わない」


 アデルの言葉に戸惑う本科生たちは、直後に空の戦況を理解して息を呑む。

 大型魔獣が墜落してくる。轟音、衝撃と共に血まみれの身体が投げ出された。騎乗していた本科の教師、歴戦の魔獣使いとして知られる髭面の男は既に事切れていた。

 衝撃で無残な姿となった恩師に跪いて瞼を閉ざす。そっと囁いた。


「叔父さま、お見事でした。仇は必ず」


 急降下してきた箒乗りを見ることもせずに変容した巨腕で迎撃。

 細い木の棒が粉砕され、乗っていた妖精族が跳躍しながら退避していく。細剣が薄皮一枚を切り裂いていた。ぐずぐずと腐り落ちていく魔獣の手を脱ぎ捨てて立ち上がる。

 『花園』に続く葉の上で、妖精狩人と妖精が対峙した。アデルは敵の正体を問わなかった。ここは戦場であり、妖精が毒針を抜いている。それだけ理解していれば十分だ。


「狩り立てろ、『不完全』」


 アデルは制服の内側からネックレスを出して低く命令する。花の形をした装身具は、中央が紫で周囲は黄土色というどこか毒々しい印象のある組み合わせだった。

 怪しげな光を放ったネックレスのトップが少女の細い首筋に突き刺さる。瞳孔が開き、呼吸が荒くなり、愛らしい顔は興奮で赤く染まっていった。兜代わりの熊皮フードが頭を覆い、胴体部分がマントとなって翻る。細剣を構えた妖精は興味深そうに問いかけた。


魔女草ヘンベインの遺物? ポーレ家の人食い樹でも狩ったの?」


「大正解っ!」


 加速。先ほどまでとは比較にならないほどの動きだった。最大速度で駆け寄って変容した腕を叩き込む。肉薄の瞬間、目が合った。捕捉されている。ユーネクタ以外に? アデルの表情に歓喜の色が浮かぶ。甲高い音が響き、剛毛に包まれた魔獣の腕が弾かれた。

 妖精の周囲に浮かぶ幾つもの光。封術士が作り出すような未分化の神秘ではない。明確な指向性を持った弾丸、あるいは矢だ。目視で十五発、咄嗟に出現させた亀の甲羅に引きこもってやり過ごす。スカンクと毒カエルの併用で追撃を妨害しながら甲羅を割って離脱。


 妖精の矢マジックミサイルは惰性型魔女の得意技だ。同時に十以上の光矢を放つことができる使い手はそういない。後方に回り込んでいた毒蜂の使い魔を尻尾で叩き落とし、ハンドサインで仲間たちに包囲と時間差攻撃を命じる。魔獣や弓矢での攻撃が次々と捌かれていく。遺物によって薬物強化状態にあるアデルと同等以上の身体能力。


 妖精狩人としてのまなざしで相手を観察する。

 アデルは知っている。森の魔女たちが操る術の大半は『技術』と『知恵』に過ぎない。

 飛翔術、霊魂との対話、蜂の使役、毒針、薬物強化、地形利用、弓術。

 屍操術や契約術の使い手ならば貴族にもいるし、知っていれば毒には対処が可能だ。森に逃げた妖精を追うという愚を犯さなければ優位に戦いを進められる。


 敵の得物は妖精族の主武装として名高い細剣、『毒針』。

 蜂の使役技術は見たところ大したことはない。相手の系統は支配能力に長けた歓喜型ではない、不意打ちや牽制程度の一刺しを警戒しておけばそれでいい。箒を壊した以上、これ以上の飛翔もできないはず。身一つで自在に飛び回る忌避型以外は単純な前進と上昇しかできないからだ。残る問題は射程と制圧力を併せ持つ光の矢。


 隙のない立ち回り、剣術、矢の散らし方、すらりとした手足に気の強そうな顔立ち、どれをとってもアデル好みだ。

 全力で狩る。これほどの獲物、そうそう巡り合えるものではない。

 腹から生やした補助腕で抱いていた熊のぬいぐるみが蠢く。

 

 溢れだした綿は次々と魔獣に変容し、アデル自身の姿も無数の魔獣を合成させた異形の巨躯へと膨れ上がっていく。蜘蛛の如き八つの足とうねる六本の腕、全身で牙を剥く幾つもの口が咆哮を響かせる。魔獣の軍勢を従えた妖精狩人が一気呵成に襲い掛かった。

 銀舌士たちの賛歌が響き、妖精の優れた聴覚を妨げつつアデルたちの心身に活力を漲らせる。契約魔獣たちの息を合わせた突撃が標的に殺到した。


「そこかな。射貫け、『針槐はりえんじゅ』」


 必殺の包囲網には見向きもしない。妖精は迷わずにアデルだけを捉えていた。

 熊のぬいぐるみを抱えた巨獣が迫っているにもかかわらず、銀舌士の歌が響く中で正確に位置を把握されている。恩師の使い魔であったグリフォンの遺体に隠れて狙撃の準備を整えていたアデルの背筋が凍る。身が竦むような感覚をねじ伏せ、強引に射撃体勢に入った。

 

 無数の魔獣が妖精の体に噛みついて動きを止め、張りぼての巨獣が腕を振り下ろす。

 その全てを無視して、妖精はアデルに向かって一直線に突き進んだ。光矢として放出していた意志力を全て肉体に集中させ、自らの体そのものを一条の矢と化したのだ。飛翔術と妖精の矢を掛け合わせた魔女の奥義によって足止めの魔獣がまとめて吹き散らされていく。

 構うものか。アデルは必殺を期して遺物の本質を解き放った。


「ぶっ殺せ、『二重に致命的』っ!」


 雷光の如き突撃を真上に跳んで回避。設置した罠が発動、蜘蛛の糸が妖精を絡めとる。空高く躍り上がったアデルは魔獣の皮、腱、骨を用いて作り出した巨大な弓を引き絞り、番えた毒矢を真下へと解き放った。

 殺せれば良し、足場を崩して敵の侵攻を食い止められればなお良し。

 『葉の架橋棟』は奈落へと真っ逆さまだが、ザコばかりの『花園』に攻め入られるよりはましだ。温室育ちのお嬢様たちを守れないのであれば、本科生がここにいる意味がない。

 

「並列宣名? 初めて見た、ローディッシュの二刀流」


 馬鹿な。アデルは愕然と目を見開いた。宣名状態の第一等級遺物、必殺の一撃を正面から防いだというのか。信じがたくともそれが現実だった。

 白髪の妖精は蜘蛛糸の罠を何らかの手段で振りほどき、頭上から迫る猛毒の矢を細剣の一振りで破壊してのけた。圧倒的な速度と質量、炸裂するはずだった溶解と麻痺と出血をもたらす酸毒は全て搔き消されている。


 妖精が跳躍する。無防備な空中でまともに攻撃を受ければ死ぬ。斬撃を大弓で受け、左右から挟み込むような光矢の射撃を片手で防ぐ。背中に衝撃。相手の攻撃がもたらした勢いを利用して拳を振るうが軽く躱される。顔面横を抜けようとした手を開いて長い耳を掴んだ。

 妖精狩人の格闘術は妖精の急所を徹底的に攻めることに重点を置いている。耳を引いて姿勢を崩そうとしたアデルは、自分の指先が腐り落ちていることに気付いた。


「すぐに耳を狙いたがる」


 愉快そうな笑み。ぐるりとアデルの視界が反転し、光の矢と蹴りによって真下へと叩き落とされた。転がって細剣を回避すると、恥も外聞もなく敵に背を向けて全力で逃走。

 何かがおかしい。アデルが知る妖精魔女の戦い方ではない。

 ここは妖精郷のレルムでもないのに、神秘の出力が高すぎる。

 

「私としたことが、迂闊だった。潜伏魔人の可能性を除外するなんて」


 魔人が戦闘中にも関わらず正体を晒さないということはまずない。魔人や魔獣の息がかかった妖精ゲリラとの戦闘が日常であったアデルにとって、敵の妖精が実は汚染眷属かもしれないという発想は出てこなかった。ゲリラの性質上、通常の妖精に紛れさせておく利点が大きいこともあるが、そもそも妖精は極めて汚染しにくいからだ。


 その特殊な生まれ方と聖なる森によって守られている妖精たちは、たったひとつの例外を除けば汚染への高い耐性を有している。通常の夢魔や獣化者による汚染では魔人化することはほぼないと断言していい。その可能性は大昔に絶えている。なら目の前の妖精は何だ。嫌な予感がする。仲間に片手の治癒を任せ、魔獣で壁を作りつつ指示を下す。


「二班、元型アーキタイプの解析! 定義して型に嵌める。銀舌士は即興でいいから詩を考えろ! この際もう罵倒でもいい!」


「出ました! 元型・死せる乙女コレー! え、何? 初めて見た」


 思わず絶句する。

 アデルはそれを書物や言い伝えの中の存在だと考えていた。

 汚染の源流は大昔に堰き止められた。この種の魔人が現存しているはずがない。

 しかし、常識は目の前の現実を否定する材料にはなり得ない。

 それは汚染された妖精。暗黒に魅入られた森の背約者たち。

 白い髪の女が細剣を顔の前で立てた。手の甲に浮かぶのは割れた六角形の紋様。

 

妖魔ダークエルフ魔印シジル


 背後には弱者ザコどもがいる。回避はできない。

 アデルは咄嗟に腕を巨大化させて薙ぎ払った。

 妖魔が解き放ったおびただしい数の光の矢。

 白から黒へと色を変えた意志力がこれまでとは比較にならない威力でアデルを打ちのめし、その全身をずたずたに破壊していく。


 そこからは一方的だった。

 細剣の一刺しが少女の細い身体を痙攣させる。猛毒に蝕まれ、血を吐きながらよろめく。

 ふらり、と揺れたアデルはそのまま足を踏み外し、『葉』から大穴へと真っ逆さまに落ちていった。恐るべき妖魔は優雅に細剣の血を払う。

 最強の妖精狩人が敗れた。その事実だけで本科生たちの心を折るのには十分だった。


 逃げていく学生たちに見向きもせず、妖魔は悠々と『葉』の橋を渡って『花園』を目指していく。弾むような足取りと、機嫌の良さそうな鼻歌。いつの間にかその指先には一枚の葉っぱが挟まれていた。五本の指を思わせる、大きなイチジクの葉だ。


「遅くなってごめんね。すぐに迎えに行くから」


 呟いてから、葉っぱにふうと息を吹きかける。

 手を伸ばすように、女の意思が風に舞うように飛んで行った。

 前へ前へと、迷うことなく。


「待ってて、メリッサ」









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