第8話「泣いてるよ。こんなの、泣かないとダメだよ」




 メリッサとて常にユーネクタの傍にいるわけではない。

 部屋で放置されたり、ジュネの愛犬バドの横でお座りを指示されたまま放置されたり、浴場やお手洗いの前で放置されたりすることも多い。

 離れていても首輪の遺物はメリッサの魂を掌握している。抵抗は無駄だ。


 しかし、ユーネクタが首輪と鎖を誰かに委ねることはこれまで無かった。

 どういう風の吹き回しだろう。

 先ほどの恐ろしい一幕が何か影響しているのか、メリッサには判断できない。

 いずれにせよ、憎らしい『ご主人様』は淡々とこんなことを言い出した。


「リリー、しばらくその子を預けます。私はいつも通り特別指導なので、夜まで寮には戻れません。何かあれば学長室に連絡を」


 リリーフォリアの目がぱあっと輝く。ほころぶような笑顔はその名を飾る花のように可憐で、メリッサは思わず目を奪われた。


「よかった。約束、覚えていてくれて」


「リリーとの約束を忘れたりしません。私の生き甲斐ですから」


「はい! おばあさまによろしくとお伝えください!」


 去っていくユーネクタを見送るリリーは放っておけばいつまでも手を振り続けそうだ。

 他の隊員たちもそれぞれ訓練や私用などがあるらしくその場で解散となる。

 残ったのは二人だけ。リリーフォリアはメリッサに向き直ると、首輪と繋がった鎖からぱっと手を放してにっこりと微笑む。


「ずっとお姉さまにお願いしていたんです。メリッサさまと一緒の時間を下さいって」


「それは、どうして?」


「メリッサさまと仲良くなりたかったんです」


 『花園』を案内します、とリリーフォリアは言った。

 貴族の言葉に逆らうことなどできない。

 本当に? メリッサは自問した。相手が貴族だから従うのだろうか。

 リリーフォリアの笑顔には不思議な力があるように感じられた。


 それはきっと、あの冷たい支配者にとっても同じなのだ。

 この少女は無垢で純粋で、穢れを知らないからこそ美しい。

 縋ることは怖い。けれど、孤立した環境で独りになることはもっと怖い。

 少しだけ迷うふりをしてから、メリッサは差し伸べられた手をとった。

 リリーフォリアの手は暖かい。優しさのぬくもりだと思った。

 

「ここが『根』の手前。右手に行くと書庫があって、左手に行くと造形室があります。あ、造形室っていうのは遺物のデザインを立体に起こす作業をする部屋で、私は一年生なのでまだ入ったことがありません」


「あそこにいるの、セリンって人じゃない?」


「あっ、本当ですね」


 リリーフォリアが手を振ると、他の生徒たちと一緒にいたセリンが小さく目礼を返す。

 集団は作りかけの彫像やら木材やら動物の骨やらを担いで移動中のようだ。

 封術士たちは遺物を作り出すというが、その詳細についてはメリッサはよく知らない。こういう内情を自分が見てしまっても問題は無いのだろうかと今更ながら疑問が芽生える。


「お姉さまは必要に応じて記憶を封じるって言ってました。でも、このくらいの見学なら別に問題ないと思います。本当の秘密には、私みたいな一年生じゃ触れられませんから」


 たとえば、とリリーフォリアは通路の奥を指さして言った。

 浮遊する花の如き塔、『花園』の最下層へと続く階段がそこにあるという。

 彼女の話では、その先へ進むことは学生はもちろん、卒業した封術院の大人たちにも許されていないのだとか。


「どうして? 危険なの?」


「えっと、これはおばあさまに秘密ですよって言われてるんですけど」


 どうせ記憶を消されるならいいという判断なのか、リリーフォリアなりの信頼の表現なのか、それとも単に何も考えていないだけか。

 少女が語り始めたのは、古い歴史の話だった。


 『花園』の最下層にある『開かずの門』の先には神話時代の遺物が眠る。

 しかしその先に進む方法は誰も知らない。

 厳密には、ある時期を境に『鍵』が失われてしまったのだ。

 真実を知る者は既に死に絶え、歴史書のみが二百年前の事件を語り継いでいる。


「けっこうな大事件で、大醜聞なんです。フォルクロア家とスペアミント家にとっては武勇伝でもあるので、中途半端に喧伝されていたりもするんですけど」


 概要だけなら妖精のメリッサも伝え聞いたことくらいはあった。

 かつて、この『花園』で国を割るような内乱が起きたのだという。

 亜人の復権を目論む世界最大規模の組織『星幽教団』。その支部はあろうことか封術士の本拠地、その中心に根を張り勢力を広げていた。


 『園丁』と呼ばれる教団の幹部はイヴァルアートと呼ばれる貴族家の当主で、遡れば古くからこの地に根ざしていた『王家』の血を引いていた。

 貴族たちに封術をもたらした『遺物の父』はイヴァルアートに封術の全てを受け継がせ、その管理を任せた。イヴァルアートは辺境防衛の要であったスペアミントとフォルクロアにも封術を伝え、封術の御三家としてこの地の中心であり続けていた。

 イヴァルアートが密かに妖精と通じていたことが判明するまでは。


 『封術の女王』が星幽教団の幹部であるという事実は世界を震撼させた。

 教団と妖精族、それらと手を結んだ王家が何を目論んでいたのかは明らかにされていない。貴族社会を揺るがすような巨大な陰謀であったということだけが伝えられている。

 いずれにせよ、国は割れた。


 即座に各国から派遣された総督たちがイヴァルアートの討伐に動いたが、ことごとく惨敗。激戦の果て、盟友であるスペアミントと共にかつての主君の首級を上げたのはフォルクロアだった。以来、『花園』の管理をフォルクロアが、共同開拓国の調整役にして舵取りである筆頭総督をスペアミントが担うようになった。


 イヴァルアート王家の人間はことごとく死に絶え、彼らが秘匿していた封術の神秘はそのほとんどが失われてしまった。王がスペアミントとフォルクロアにも開示していなかった秘密のひとつこそ、『花園』の最奥に存在する『開かずの門』なのである。


「それ、聞いちゃって良かったの?」


「知ってほしくて。私たちが妖精を憎まなければならない理由」


 二人きり。人気のない廊下を歩く。

 誰も訪れない『開かずの門』、閉ざされた大きな扉には巨大な樹が描かれている。

 天空を覆うような翼を広げた大樹に、果実と蜂の巣がぶら下がっていた。

 メリッサはひとつの確信を胸に抱いたが、思考を脇に置くことにした。リリーフォリアの言葉に耳を傾けたいと感じたからだ。


「おばあさまやおとうさまから何度も聞かされました。沢山の争いがあって、大勢の貴族が殺されたこと。どれだけ妖精が油断ならない敵で、許してはならない邪悪なのか。スペアミント家も同じです。私たちはメリッサさまを憎むように育てられました」


「私が嫌い?」


「そうあるべきなんでしょうね。でも、実感がありません。だってその憎しみは私の感情じゃない。私ね、自分のことばかりなんです。大事な感情、ひとつにしたいの」


 リリーフォリアにとって大切な感情が何か、聞くまでもなかった。

 誰でもわかる。ユーネクタとリリーフォリア、姉妹同然の二人の姿を見ていれば。


「恥ずかしいけど、実は小さい頃は妖精の方々に嫉妬してたんです。お姉さまには私だけ見てて欲しいのにって。妖精族と戦うための勉強なんかより、私ともっと遊んでって。お姉さまが他の誰かに強い感情を向けるのが嫌で、わがままを言って困らせたりもしました」


「意外。いい子そうなのに」


「悪い子ですよ。正しいこと、私の代で終わらせたいから」


 貴族にとっての正義とは、『貴族は亜人に優越する支配者である』というユネクト聖教の教えに基づいた信念のことだ。『劣った亜人を従属させるべし』という教義は世界に秩序をもたらし優れた貴族による善導によって未来は切り開かれる。

 聖なる神の名を持つユーネクタは正しくその信仰を貫いている。善き貴族、善き聖教徒であればそのように振る舞わなくてはならない。


「お姉さまは何でもできてしまうから。期待に応えて、完璧に振る舞って、理想的なスペアミント家の後継者になってしまえる。それがどんなに窮屈で、空虚でも」


 リリーフォリアの悲しみを、種族の違うメリッサは理解できない。

 本当に? 貴族と亜人だから分かり合えないのだろうか。

 アカシアお姉さま。手の届かない所に行ってしまった大切な人。

 メリッサは認めざるを得なかった。種族は言い訳に過ぎない。きっとリリーフォリアは、メリッサと同じ愛おしさを胸に抱いている。


 守りたいと、不意に激情が湧き上がる。

 ユーネクタはメリッサの傍にいる。隣にいて、抱きしめることができる。

 羨望、悲しみ、そして後悔。

 だとしても、リリーフォリアはまだ間に合う。だから。


「私はお姉さまを争いから解放したいんです」


 知ってる。その気持ちを、メリッサは知っている。

 知らない。そんな感情、メリッサは抱いたことがない。

 貴族は敵。貴族は嫌い。悪い奴らなんてお姉さまにやっつけられてしまえ。

 みんながそう言ってる。けれど、お姉さまはそうは言わなかった。


『私たちには理性と知恵がある。排除と攻撃から始めるのは獣の行い。あなたは違う。そうでしょうメリッサ?』


 誇り高い魔女。そうありたいと願い続けた。今の自分はどうなんだろう。

 メリッサの目の前にいる少女は、魔女ではない。

 けれどその在り方を美しいと感じる。

 認めることは痛みだった。

 リリーフォリアは、メリッサがそうありたかった姿だ。 


「知っていますか? お姉さまってお絵描きがとっても上手なんです。彫刻だってできるし、詩吟だって銀舌士ぎんぜつし顔負けで。遺物のアイデアだって未発表のものが一杯あって、空飛ぶ遊覧船とか、夢を渡る雲の鳥とか、他の人と身体を交換できる腕輪とか、小さい頃は楽しそうなことばかり話してくれました」


 その空想はどこか逃避的で、だからこそメリッサにも理解できてしまった。

 リリーフォリアの気質は争いに向いていない。こんなふうに平和な『花園』で綺麗なものに囲まれて生きていくべき人間だ。


 ユーネクタは誰よりも強い。あんなにも恐ろしい『熊騎士』を圧倒し、常人ならば百度は死んでいるであろう魔人族との戦いを平然と生き残ってしまう。

 何でもできる。誰よりも優れている。彼女一人で十分だ。

 けれど、だからといってそれが向いているとは限らない。


「でもあの人の強さは世界にとって必要でしょう。あんなにも絶対的な力。誰も彼女を殺せないなら、魔人族との戦いはきっと彼女が終わらせる」 


「そんなことない。だってお姉さまの『従属の墓碑』は欠陥遺物だから。あんなものを使い続けて欲しくないの。この先も無事なんて保証、どこにもないのに」


「欠陥? どこが?」


 首を傾げるメリッサに、リリーフォリアは神妙な表情でこう答えた。


「第一等級遺物『従属の墓碑』。その力は『死という神秘の支配』なんです。死体の軍勢を操り、霊の記憶を読み取る、持ち主を最上の屍操術士ネクロマンサーにする遺物。けれど、問題が二つあったんです」


 そもそも第一等級という最上級の遺物を十全に使いこなせる者は少ない。

 元々、遺物は等級が高くなればなるほどに制御が難しくなる傾向にある。

 適性が高くとも技量が追いつかない者はあえて低い等級の遺物を使用し、補助用に下級の遺物も併用するというやり方が一般化しているほどだ。


「この学院にも祈祷伝達値が90を超える貴族、いわゆる遺物適性が第一等級の生徒はそれなりにいますが、実際に第一等級遺物を扱えるのは片手で数えられるくらいです。セリンさまの適性は第一等級ですが、おばあさまの『揺れる涙笛るいてき』や私の『麗蝶れいちょう蜜標みつひょう』を使おうとしても上手くいきませんでした。第一等級遺物の数が少ないこともありますが、遺物と『親和』することが重要なんだとおばあさまは言っていました」


 第三等級以上の遺物を高い練度で操れる戦士は一流とされ、第一等級遺物となればその国でも随一、世界でも有数の実力者と見なされる。

 『従属の墓碑』は第一等級遺物の中でもとりわけ高い適正を必要とする上、『死』という神秘概念と親和する者が皆無であったために歴代の使用者は半分の力も引き出すことができなかったという。


「当然ですよね。死者を操るとはいえ使用者は生者です。本当の意味で『死』というものを理解できるはずがありません。本来なら、そのはずなんです」


 リリーフォリアは苛立つように下唇を噛む。メリッサはリリーフォリアがそうした感情をはっきりと見せたことに驚いた。


「更に致命的な問題があります。妖精の魔女であるメリッサさまならお分かりですよね?」


「それって、屍操術ネクロマンシーの事を言っているの?」


 確かに、『死者を操る』という神秘はこの遺物でなくとも実現可能だ。

 それこそが『屍操術』。

 無数の神秘が衰退していく中、契約術と共に残った数少ない普遍神秘である。


「千年前に『海の賢者』が創始した『骸の想起』。『死せる神秘』『原初の秘術』『根源主への祈り』、呼び名は多いですけど、いずれも『あの世』と交信する儀式です。共同開拓国ではスペアミント家が得意としています」


「『貴族式』だよね? 水晶王国の『調停者』とかっていう大貴族が興した流派。精霊を媒介にするんだっけ。ああいう、遺体を動かして兵隊として使うやり方は苦手」


「『魔女式』は違うんですよね?」


「うん。『場』に残留した情報を読み込んで記憶の再生を行うの。『万象の魔女』が妖精郷にもたらした『魂への命令』で『幽霊の構築』をするのが『魔女式』。お葬式で亡くなった人と最後のお話をしたり、人殺しの犯人を見つけたり、自律的に動けるように複雑な『命令』を組み込んで先生役とか職人たちのお手本とかになってもらったりもできるよ」


 当然ながらメリッサにも心得がある。というより、優れた魔女になるべく修行を積み重ねてきたメリッサの一番の得意分野と言っても過言ではない。幽霊に自然な会話を行わせる技術はちょっとしたものだという自負があった。

 自慢げなメリッサとは対照的に、リリーフォリアの表情は暗い。妖精にとっての屍操術は優しく日常を助ける技術だが、貴族にとっての屍操術は戦争の道具なのだと実感する。


「かつてスペアミント家は『従属の墓碑』で死者の軍勢を率いて妖精郷との決戦に赴き大敗しました。投入した大量の死者が魔女式屍操術によって制御を奪われ、スペアミント家の軍団は内側から崩壊。切り札が致命的な脆弱性を抱えた欠陥品であることが判明した時には既に戦いの趨勢は決していました」


「制御を奪われたって、ああ、遺体に幽霊を憑依させて? そっか。理論上は確かに」


 目から鱗が落ちる思いだった。しかしまだ何かがひっかかる。

 ユーネクタが持つ遺物には弱点がある。それはいい。

 ではあの異様な気配、濃密な『死』の感覚は何なのだろう。

 ユーネクタは『死』と親和し過ぎている。歴代の『従属の墓碑』所有者たちもああだったのだろうか。果たして本当に? あんな存在がそう何度も生まれるのか?


「お姉さまは誰よりも死と親和できる。特異な才能です。かつてお姉さまは、その理由をこう語っていました。『お父様から歴代当主の無念を教えられ、毎日のように墓地で父祖たちと向き合っていたから』だと。お姉さまほど過酷な英才教育を施された貴族を私は知らない。おじさまはとても恐ろしい人です。ご存じでしょう、『爆雷牧場』の噂を」


「噂でしょ? 流石にそんな、だって」


「これも妖精郷には開示されていない秘密です。スペアミント家は『魂の果実リーヴ』が実る聖なる樹を保有しています。とても古い時代に盗み出したからか不完全な樹で、生まれてくる妖精には脳がありません。空洞に爆薬を詰めて突撃を『命令』する。罪人や反乱戦奴たちに混じって、そういう人たちが沢山いるんですよ」


「やめて。それってただの怪談じゃない。私を怖がらせたいの? 趣味が悪すぎるし、そういう悪戯はやめようよリリーフォリアさん、ね?」


「お姉さまは爆薬を詰める前の妖精を相手に毎日訓練をさせられていました。生身の妖精を殺すことに慣れさせるためです。私、あれを初めて見た時に思ったんです。ああ、おじさまは怪物なんだって。そして、怪物は自分の娘を更なる怪物にしようとしているんです」


 それがスペアミントの憎悪。底の見えない恨みと怒り。

 メリッサの心は恐怖を拒否した。

 反射的な忌避感情。この現実を直視してはならない。死の絶望を間近に感じながら正常でいることなどできない。考えない。考えない。ただ秘密を開示してくれたリリーフォリアが信頼できるということだけに縋りつく。


「スペアミント家は敗戦によってイヴァルアート王家に任されていた領地の多くを失い、諸外国の介入で更に勢力を縮小させてしまいました」


 イヴァルアート王家を上回る武力を誇っていたスペアミント指揮公家は歴史的大敗によって他国に付け入る隙を与えてしまった。人類連合の名のもとに救援に訪れた諸外国は瞬く間に巨大な城砦都市を築き、共同開拓国という多頭の怪物と成り果てたのだ。


「スペアミント家が屈辱を晴らし汚名を返上するためには、家が衰退する原因になった欠陥遺物がそうではないと証明する必要がある。おじさまはそう考えて、発想を変えたんです。欠陥遺物を使いこなせる人間を育て上げればいいんだと」


「でも、その考え方は正しいんじゃないの? 実際に使いこなしてる。封術を併用することで不死みたいになってるし、ただ死者の軍勢を操るよりずっと強いでしょう?」


「『魔女の軍勢』が一斉に干渉してきたら? 『従属の墓碑』という遺物そのものが屍操術に対して脆弱性を持ってしまっているんです。最初は勝てるかもしれない。けど、屍操術に精通した魔人族と遭遇して、万が一取り逃がして対策を練られたら? 北の帝国や接合体と戦争になったら?」


 メリッサはユーネクタが真の能力を隠していた理由を理解した。

 同時に、そんな致命的な弱点を暴露してしまうリリーフォリアの迂闊さに苛立ちを覚える。それは信頼などではない。ただの甘えだ。

 絶対的な力の差があるのだとメリッサを絶望させておけばよかった。工夫を凝らせばわずかな勝利の望みがあるのだと教えてはならなかったのに。


「ねえ、私たち、お友達になりましょう? 貴族と妖精は仲良くなるべき、ううん、私の都合でそうなってほしいの。妖精との戦争なんてしないほうがいい。協力して魔人族との戦いを終わらせて、お姉さまには平和に生きて欲しい。危ないことなんてもうたくさん」


 ごめんなさい、とリリーフォリアは頭を下げた。

 けれどメリッサは逆に安心していた。

 打算的な好意。ユーネクタへの愛情があるからこそ他の誰かにも優しくできるし、彼女の安全のためであればメリッサに頭を下げて和平を望んだりもする。

 この少女は、理解不能な存在などではなかった。

 ユーネクタが大好きなだけの、甘えた子供だ。


「そんな大事な秘密、教えちゃだめじゃない」


「敵になるかもしれない相手なら、もちろんだめ。だからメリッサさまがお友達になってくれないと、私とっても困ってしまいます」


「そんな脅迫ってあり?」


 思わず笑ってしまう。

 メリッサにはこの少女が好きなのか嫌いなのかがもう判断できない。

 彼女を見ていると、色々なことを思い出してしまうし、自分と重ねてしまう。

 冷静な判断なんて、とっくに不可能だった。


「お友達なら」


 不安そうなリリーフォリアの表情が華やぐ。

 もしかすると、自分もこのくらい単純に見えているのかもしれない。

 そう考えると少し不安になる。


「そちらの秘密ばかり知っていては不公平だよね」


 何を話そうか少し迷って、これまでのことを少しずつ話した。

 大切な姉がいること。大切な姉がいなくなってしまったこと。

 大切な召使がいること。大切な召使が裏切ったこと。自分を庇って傷ついたこと。

 いつの間にか身に覚えのない疑いをかけられて囚われの身になってしまったこと。


「きっと、本気で汚染を疑われているわけじゃないのね。何かの陰謀、ロスプ領との交渉とか、妖精ゲリラを掃討するための作戦とかに私を利用するためなんだってことくらい、なんとなく想像できる。本当に嫌なことばかり。救いは、ちょっとだけあったけど」


 悲しそうな顔をするリリーフォリアに手を差し出した。

 救いはあった。彼女になら、秘密を伝えても構わないと思った。右手の指輪を見せる。宝石に灯った小さな魂の輝きは隠れていた矮人ドワーフが現れる前触れだ。


「エンブラ、出てきて。リリーフォリアさんは信用してもいいと思うの」


 リリーフォリアは唐突に現れた小さなエンブラに戸惑いを隠せない様子だった。

 言葉を失い、驚いたようにメリッサの顔を凝視して口を開閉させる。

 それから、急に悲しそうな表情になった。


「それって、でも」


「さっき話した、矮人の召使。ずっと一緒だったから、私にとってはもう一人のお姉さま、みたいな感じ。もちろんお姉さまとは比べられないけど。それでも、大事なの」


 照れくさくなったエンブラが憎まれ口を叩いたりそれにメリッサがむくれたりする場面は他人にとってはあきれるような光景だったかもしれない。それでも、メリッサは知ってほしかったのだ。新しい友達に、自分のことを。


「少し姿は変わってしまったけど、命は助けることができた。リリーフォリアさん、あなたの言う通り、争いなんて私も嫌い。ねえ、私たちが手を取り合えば、少しはこういう悲しいことを減らせるのかな」


 言葉ではなく、衝撃がメリッサを包み込んだ。

 突然、リリーフォリアが抱き着いてきたのだ。

 背中に回された手が痛いくらいの力でメリッサの身体を締め付ける。


「どうしたの、突然」


「大丈夫、私が傍にいるから。あなたを一人になんてさせない。約束する。争いや悲しみが私の大切な人たちを傷つけないようにするって」


「リリーフォリアさん? 泣いてるの?」


 間近で感じる少女の体は震えていて、声は悲しみに揺れていた。

 メリッサにはその理由がわからない。

 辛く苦しい状況だけど、エンブラとリリーフォリアがいることで救われている。

 前向きな話をしたつもりだったのに、どうしてそんなに悲しそうなんだろう。


「泣いてるよ。こんなの、泣かないとダメだよ」


 そう言うと、リリーフォリアはメリッサの肩に顔を埋めて静かに咽び泣き始めた。

 どこか自分に似た少女。重なる感情。

 共感は新しい友情を育んだが、何もかも分かり合うなんてことはもちろんできない。

 その涙の理由を、メリッサは遂に理解できないままだった。




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