第6話「私があなたに求めるのは、従属だけです」
椅子に縛り付けられたメリッサは強い屈辱を感じていた。
不信と不安が敵意に育つまでにさしたる時間はかからなかった。
メリッサは首輪と鎖を憎み、己を束縛する支配者を睨みつける。
何も話さないと決めて精神を閉じ、思考と記憶を閉鎖する。
遺物での心理探査や占術では手の届かない魂に秘密をしまい込む。
教えてなんかやるものか。『深域』の蜂蜜六方呪。大魔女たちの幻想。
スペアミント家の人間にだけは悟られてはならない。
妖精郷の危うい均衡は、『古き神秘を操る魔女』の存在によって保たれている。
だから油断してはならない。この女に気を許すこと事態が間違っている。
「私たち貴族もあなたたち亜人も、すべての人類は未来のために魔人族と戦う使命があります。この戦いの構図は千年以上も前から続いてきました。しかし、本当にこれからもそうなのでしょうか。私は、それは予断だと思うのです」
同様に、尋問室の椅子に座ったメリッサを見下ろすユーネクタもその内心を微塵もうかがわせないまま警戒だけを露骨に示していた。
「私は
「本性を現したってわけ。最っ低。一瞬でも命の恩人だと思った自分を殴りたい気分」
そう吐き捨てたメリッサは、顎を上げて首元を示すようにしながらこう続けた。
「結局、貴族の世界には上下関係しかないんだ。力を振りかざすことが気持ち良くて、力に支配されることが楽なだけ。あなたたちの姉妹ごっこもそう。さっきから背中にひっついて、随分と仲良しそう。どうせ家柄や人脈目当ての中身のない関係でしょうけど」
決めつけるような悪罵にもユーネクタは動じなかった。
淡々と言葉を返し、凍れる視線でメリッサを見下す。
「妖精族の社会には権力関係や家同士のしがらみが無いのですか? 私たち貴族は誰もがそうした汚れた貴族社会の現実を理解した上で善き絆を築こうと努力しています。出自や家柄という現実を無視した繋がりは、政治的な変化に抗えず容易く崩れてしまうでしょう。だからこそ私たちは友人に家格と品格を求め、個人的好意と政治的均衡が崩れぬように細心の注意を払うのです」
「減らず口。冷血女。理屈っぽい人って嫌い。みんな陰口叩いてる」
「中身のない問答はこれくらいでいいですか? そろそろ遺物による心理探査を行いたいのですが、黙っていてもらえると助かります」
「死んじゃえ」
「では、開始します」
「ブス」
メリッサはとにかく思いついた悪口を並べただけだが、その言葉を発したことだけは後悔した。案の定、ユーネクタは憐れむようにこちらを見て薄く笑ったからだ。
自分でも信じていない言葉。ユーネクタの作り物めいた造形を前にしてそんな罵倒を口にできる者は、それこそ目の見えない者か美的感覚の異なる獣人くらいしかいないだろう。
総じて美形ぞろいと称される妖精の目から見て、確かな事実がある。
ユーネクタは、メリッサが知るどの妖精よりも『妖精的な容姿』だった。
屈辱的なことに。
魔人に脅かされる人類の文明圏、その最前線である西大陸。
大陸南部に広がる妖精の森から聖印列車で半日ほど進むと、大きな湖と接続されるように聳え立っている長大な壁が見えてくる。
東部海岸から散発的な侵攻を繰り返す魔人の軍勢と、油断ならぬ北方の国境線を睨みつけるように大地を縦と横に両断する第一等級遺物『竜脈の大障壁』の威容である。
そこは絶対の防壁によって守られている豊かな地として知られていた。
豊富な水源と広大な農地を周辺に持ち、富と文明を生み出す遺跡群を中心に抱く。
そんな古都さながらの景観の中に、巨大な花が咲いていた。
本物の植物ではない。造花の形をした古城である。
古い時代に神秘の力を用いて築かれたとされるその古城は、円形に陥没した大穴の中心で浮遊していた。穴の周囲から渡された橋はその巨大な重量を支えるためではなく、あくまでも移動のためだけに存在している。
空に花咲く浮遊都市。その名は神秘の古都フォルクロア。
共同開拓国の各地を守護する六総督の『移動城砦』とは異なり千年以上も前からこの地に存在し続けているという大遺跡である。
巨大な要塞であり、同時に学園都市でもある探求と修練の都。人口の大半が戦士候補生を鍛え、育て上げるための『学院』とその関係者で占められている。
大穴の周囲に林立する遺跡を増築して形成された『環の学び舎』では生徒たちが一人前の遺物使いとなるべく日夜汗を流していた。
では、中心に浮かぶ花の城は何のためにあるのか?
そこは特別な生徒だけが足を踏み入れることを許された聖域だ。
人類圏が誇る六大学院の中で、この一校のみに存在する学科がある。
それこそが『封術専科』。形なき神秘の力を物質化する大いなる叡智。
通常、魔人族に対抗するための遺物は古代の遺跡より発掘されるものだ。
それを『新たに作り出すことができる』という秘中の秘を決して外部に漏らさぬための絶対なる防衛拠点、その中枢。
人々はその場所を『花園』と呼んだ。
封術士の適性を持つのが女性のみであることから、その学び舎に集う少女たちを花になぞらえたということもあるが、実際には景観をそのまま言い表しただけの呼び名である。
浮遊する花弁の下に突き出した『茎』の塔に、幾つもの『枝』の回廊。枝の先に広がる『葉』の上には幾つもの研究棟や訓練施設、更には農園や厩舎といった様々な施設が並ぶ。巨大な植物のような構造の建造物に共通しているのは、ありとあらゆる場所で色とりどりの花が咲き誇っていることだ。
そこは常春の世界だった。
外界の時間から取り残されたかのように、花々は季節を忘れて咲き続ける。
美しく咲き乱れる朗らかな色彩。
『花園』の上層、無数に存在する庭園のひとつで、学びに勤しむ少女たちはひと時の休息時間を得て昼食の場所を探していた。
入学したばかりの新入生たちは友人関係を築き上げるための準備として、親睦を深めるべく共に優雅なランチを楽しもうとしていた。そんな初々しくも緊張感に溢れた少女たちの視線がある一点に釘付けになる。
「まあ、あちらをご覧になって」
「私、夢でも見ているのかしら? 『
一年生たちの間にざわめきが広がる。
花園に立つ女生徒は、学院に名を知らぬ者がいないほどの有名人だった。
否、たとえその名を知らなかったとしても彼女を見れば心をざわめかせるに違いない。
左右非対称の短い髪、瞳と揃いの青色は宝石のように美しく、封術士としての才覚は歴代最高とも謳われ学長直々の指導を受けているという。
その才気と容色の完成された調和は可憐な花々の中にあってさえ際立っていた。
「ユーネクタ様だわ。本当にいつ見ても素敵な方」
「遺物を扱う腕前も本科の殿方より優れているんでしょう? それでいて封術士としても一流だなんて、まるで
「お父様は六大総督の筆頭で、副王会議の議長を務めていらっしゃると聞きました」
「まあ、それでは本当の意味で私たちの『お姫様』なんですのね」
口々に噂話に花を咲かせる女生徒たちは、一人の少女が噂の人物のいる方へと進み出ようとしているのに気づいた。興奮して先走った誰かが勇み足をしてしまったのだろうか。声をかけようとして、少女たちは誤解に気づく。
「ごめんなさい。私、お昼はお姉さまと約束があるの。先日の出撃に関しての話し合いで。また今度、誘ってくださいますか?」
「まあ、そうでしたの。こちらこそ呼び止めてしまってごめんなさい。またの機会にお誘いさせていただきますね」
ウェーブした灰茶の髪を細いリボンで飾った小柄な少女は急ぎ足で進んでいく。彼女は一年生の輪の中にいたわけではなかった。元からあの場所で上級生と待ち合わせていたのだ。
同じ一年生であっても、集団と少女との間にははっきりとした隔たりがあった。
ぱたぱたとした走り方ひとつとっても愛くるしい。そんな彼女を見つめる新入生たちのまなざしには同い年に向けるものとしてはいささか不似合いな畏怖が混じっていた。
「リリーフォリアさん、まだ一年生なのに学院最高の部隊に入隊できるだなんて、とっても活動的な方。きっと素晴らしいご活躍なんでしょうね。その、実技の授業の時みたいに」
「その上、あのユーネクタ様と幼い頃から家族ぐるみのお付き合いがあるんですって。噂では『姉妹』の契りを交わされる予定がおありなんだとか」
「スペアミント家とフォルクロア家のご息女同士ですから、家格の釣り合いも十分ですね」
「あの二人ならきっと絵になる理想の『姉妹』になるんでしょうね。絵に描いたような、そう、たとえば英雄譚の一幕のような」
「まさに『花園』の至宝。素敵ですわね~。これ以上ないほど素敵なお姉さまに指導していただけたなら、きっともう少し穏やかになって下さいますよね?」
どこかぎこちなく笑い合う少女たち。その手足には真新しい包帯や湿布が目立つ。
彼女たちに限らず、今年から入学した新入生たちはほとんどがこんな様子だ。
例外はたったひとり。
「いらっしゃい、リリー。さ、一緒にお昼にしましょう」
微笑む上級生の前で、真新しい制服に身を包んだぴかぴかの一年生が頬を膨らませた。
「もう、お姉さまったら。騒ぎになるから私が上に行きますってあんなに言ったのに」
「駄目ですよ。何も知らない新入生が上層に足を踏み入れた途端、血に飢えた上級生たちの餌食になってしまうなんて展開は避けなくてはいけません」
ユーネクタとリリーフォリア。
耳目を集める少女二人の組み合わせは姉妹のように自然であったが、同時に美術品を並べた展示会の如き存在感で庭園を華やがせていた。
しかしそこにいる『華』は二輪のみではない。
「確かに、こんなに愛らしいお姫様が目の前を無防備に歩いていたら、攫ってしまいたくなるかもしれないね」
「ほらね。やめて下さい、テジア。私のリリーに変なことを言うのは」
じとっとした目でユーネクタに押しのけられたのは、長い紫紺の髪をポニーテールにした長身の女生徒だった。男性顔負けのすらりとした四肢と長身、芝居がかった言動。
彼女が口を開くたび、ユーネクタに向けられているのとは似て非なる注目が集まり、黄色い歓声が響く。テジアと呼ばれた三年生は、同学年のユーネクタが率いる学生で構成された『部隊』の副隊長を務める女生徒だった。
この日、庭園に集ったのはユーネクタ率いる『花園』の頂点に君臨する学生部隊、その構成メンバーたちである。
三年生の二人に挟まれた新参者の一年生は困ったような表情で視線を泳がせる。ちょうどよく目が合ったのは残った二年生の二人組だ。
「先輩方。新人さんを可愛がるのはそのへんにして、昼食はいかがですか? というかそろそろジュネに構ってあげないと『せっかく張り切って用意したのに』ってむくれそうっす。このコいじけるとうるさいんすよ。夜とかずっと話しかけてくるし」
ふっくらとした顔立ちの少女が面白がるように言った。丸顔を直線的で四角いラインの眼鏡で整え、左右非対称のショートヘアを青く染めている。すぐそばのユーネクタの髪色、髪型と全く同じで、靴下のラインやヒールアップの革靴も完全なコピーだった。
それ以上に目を引くのは制服の上の青い羽織だ。背中には『ユーネクタさま親衛隊隊長』と書かれていてなかなかの迫力がある。
「ちょっとセリン、変なこと言わないでくださいまし! テジアお姉さまも、わたくしの前でリリーさんにちょっかいかけるなんて、いったいどういう了見ですの」
目を尖らせて抗議した少女はジュネ。背中まで伸びた濃い赤茶色の髪の上に巨大な黒いリボンが鎮座しており、アーモンド形の目は強い意志を宿している。その足元に見事な黒い毛並みをした大型犬を引き連れており、何故か愛犬に大きな籠を背負わせていた。
三年生のユーネクタとテジア、二年生のセリンとジュネ、そして新しく部隊に加入した一年生のリリーフォリア。彼女たちは花園で最も優秀な五人と呼ばれていた。
花園を取り巻く『環の学び舎』には下級貴族が多い。魔獣使いや妖精狩人といった『汚れ仕事』とされる兵種の育成に力を入れており、そうした役回りを身分の高い者がするべきではないという暗黙の了解があるからだ。
一方でこの封術専科には厳しい適正検査を潜り抜けられる人材しか入学できないことや、重要な機密を扱う都合上、
同じ『諸族連合戦士養成校』という括りであっても、その校風にはかなりの差があった。
優雅、高潔、清廉を重んじる気風。
家格と品格に価値を見出す生徒たちにとっては『昼食をとる場所』ひとつとっても大きく気を遣う点となる。庭園の中心部は格の高い貴族に譲らねばならないというのは暗黙の了解のひとつだ。
ユーネクタは一切の迷いなく庭園の中心部に陣取り、指を弾く動作ひとつで白い円卓とパラソル、食器や茶器などを出現させた。遺物は戦場で使われるものばかりではない。このようにして自動で配膳や給仕を行う『召使の遺物』も存在し、優れた封術士はそうしたちょっとした道具も作り出すことができた。
「あ、ユーネクタさま! そういう雑事は私に任せて欲しいっす! ユーネクタさまのお手を煩わせるまでもないので、椅子とかは私が出します!」
慌てたように言ったのはセリンで、彼女は腰に提げていた金槌とアンビルを手にして勢いよくカンカンと打ち合わせた。ユーネクタが所持していた遺物と寸分違わず同じ鍛冶道具である。二つの遺物の間に光の粒子が集まり、衝撃に反応してその形を自在に変えていく。
「ユーネクタさまの快適な時間のためなら、セリンは張り切って何でも作るっす! ユーネクタさまの瞳に恋してる! L・O・V・E・ラブリー、ユーネクタ!」
頭上でカンカンとハンマーとアンビルを鳴らしながら回転ジャンプをするセリン。加熱し続ける友人の脇腹にジュネの指先が食い込んだ。
「がふっ」
「張り切り過ぎですわ。ユーネクタさまは
「いやその、突然の同居生活が始まったらどうしようって考えたら抑えきれなくて」
「抑えなさい。待て、お座り、ですわ」
叱られて落ち込むセリン。後輩の奇行に特に動揺した様子も見せず鷹揚に見守っていたユーネクタだが、ふと思い出したようにこう言った。
「そうだ。セリン、この間の戦いでお借りした遺物の型を壊してしまいました。補充をしたいので、後でお願いできますか?」
「了解っす! 幾らでもコピーして欲しいっす! なんなら私の型もどうぞ!」
「いつもありがとう。セリンの型というのはちょっとよくわからないけど」
苦笑しながら巨大すぎる好意を受け止めて、ユーネクタは最も豪華な椅子に腰かけた。
ジュネは愛犬の背に載せた大きな籠から次々と料理が詰め込まれた容器を取り出してにっこりと笑う。犬用の餌が載った容器を地面に置くのも忘れない。
「さあ皆さん、遠慮せずに召し上がってくださいな。家のシェフに作らせたコンティーニュ料理ですのよ」
食卓に並んだのは細く切ったバゲットに色鮮やかなテリーヌ、合鴨のコンフィといった典型的なコンティーニュ料理だ。東大陸の最前線、コンティーニュ共和国からの留学生であるジュネは『督戦隊』の使役将校を父に持つ
「肉ですわ! やはり人は肉を食べなければいけません! パンが無くても肉さえ食べられればいいのです!」
ジュネは部隊唯一の下級貴族の令嬢であることに加えて本科からの転科生ということもあり、花園の生徒たちの中にはその『品格』に対して苦言を呈する者もいた。しかし本人にそうした周囲の目を気にする様子は皆無である。快活な彼女が満面の笑みで昼食を摂っている様子は食卓の雰囲気を良くしていた。少女たちは柔らかな雰囲気の中で歓談を交わす。
「ジュネは食事になるといつも元気っすねー。私は明日の数秘幾何学の試験が不安です」
「あら、土木建築科のご友人を頼る予定だったのでは?」
「工兵部隊の実地訓練とかで不在だったんです。ああやだやだ、サインとかコサインとかタンジェントとかぜったい使わない。錬金術も才能ゼロですし、三角関数使って測量とかする予定ないですよ私」
「
「やー、私は芸術家肌なんで。ユーネクタさま程ではないにせよ、封印後の遺物彫刻なら自信あるんすけどねー。『花園』で二番目くらい? 封術実技も二年では主席ですし?」
「はしたないですわよ。これ見よがしに自慢して」
セリンとジュネは同室なこともあって仲が良い。二人を部隊に勧誘したユーネクタはその様子を穏やかな表情で見守る。
「
「えへへ。当然の評価でも、ユーネクタさまに褒められると照れるっす」
はにかむセリンはそわそわと落ち着きなくユーネクタを見ていたが、視線が合った途端に頬を染めて俯いてしまう。セリンがユーネクタを深く敬愛していることは周知の事実であったため、その反応には特に誰も触れずに会話は進んでいく。というより、微妙な問題に過ぎて誰も触れられなかったのだ。ただひとり、ユーネクタを除いて。
「ところで、もうすぐ最初の『祝祭』の時期ですが、この中で『姉妹』の契りを結ぶことを考えている人はいますか」
空気が凍った。ユーネクタが無造作に踏み込んだ話題は全員が避けていた『地雷』だ。セリンは口から魂が抜けだしそうなほど表情が真っ白になっており、隣のジュネが倒れそうな親友を必死になって支えている。
「私とジュネは転科の直後に姉妹になったから今回は祝福を贈る側になるね。それから、何と言ったらいいのか、その」
常に余裕に満ちた麗人のテジアでさえ今は歯切れが悪い。横目でちらりとセリンを見てから、いたたまれなさそうに目を伏せる。
そういった諸々に気付いていながら、ユーネクタははっきりと言葉を続けた。
「私はリリーを妹にするつもりです。できれば部隊の皆に『花束の祝福』をお願いしたいのですが、構いませんか?」
「ユーお姉さま」
リリーが瞳を潤ませてユーネクタを見つめた。二人きりのような甘い雰囲気に立ち入り難いものを感じつつ、仲間たちはそれぞれに祝福を贈った。
「ああ、勿論だとも。君にやっと妹ができるなんて、感慨深い限りだよ」
「本当ですわね! わたくし、心からお祝いいたします! ね、セリン?」
「ひゃ、ひゃい。私も三角関数が大事なことはわかってるっす」
テジアとジュネは沈痛な面持ちで魂の抜けたセリンを見つめた。哀れな少女はすっかり放心状態で、『親衛隊』の羽織が肩からずり落ちていた。
花園には上級生が下級生と『姉妹』と呼ばれる関係になって公私ともに世話する制度が存在する。この中ではテジアとジュネがその関係に相当し、転科したてのジュネを『花園』の貴族として最上位の家格を持つテジアが保護する形となっている。
しかし一般的な生徒たちにとって、『姉妹』とは深い絆を確かめ合った二人の特別な契約であるとされていた。ユーネクタとリリーフォリアの場合、幼少期から家同士の付き合いがあり姉妹のように育った関係性であったことから、こうなることは予定調和だというのが周囲の認識だった。だとしても、特別な存在として『花園』中の生徒が憧れるユーネクタが妹を決めるというのは一大事件である。それを理解した上で、ユーネクタは放心しているセリンに優しく声をかけた。
「誤解しないで下さいね、セリン。私はあなたを深く信頼しているし、大切な仲間だと思っています。ですが私はスペアミント総督の娘であり、あなたは帝国総督の娘。私たちの間にある友情は確かなものですが、『姉妹』の結びつきとなれば別の意味合いを持ちます」
共同開拓国という歪な政体は元からこの地に根ざしていた
「ユネクト聖教の祈りと共に交わされる『姉妹』の契りは神聖なもの。法の定めによって政教分離を推し進め、聖教勢力と距離を置いている帝国指揮公の娘が軽々しくスペアミント家の娘と『姉妹』になれば、それは西大陸の均衡を刺激してしまう可能性すらあります」
西大陸北方の黎明帝国は、南方の共同開拓国とは国境を接しているわけではない。
しかし二国に挟まれた中央の古き大国、神血接合体は両国の結びつきを警戒するだろう。
帝国と接合体は共にユネクト聖教の秩序に背を背け、軍拡と覇権主義を推し進めている同盟国だ。その総督の娘が『学友』や『戦友』であることに問題はなくとも、『聖教の祝福を受けた姉妹』になれば政治的・宗教的な意味が生まれてしまう。現実に意識を引き戻されたセリンは『花園』の貴族令嬢としてのあるべき振る舞いを取り戻す。
「私も、帝国人としての立場は弁えてるつもりです。だから、その、せめて共に魔人族と戦う仲間でいられれば、私はそれで」
「ありがとう。あなたの帝国人らしい理性と勇猛さを私は素晴らしいと思っています。あなたになら、私がいなくなった後も部隊を任せられる。リリーを、そしていずれあなたが選び導く可愛いつぼみたちをよろしくね」
次期隊長を指名するユーネクタの言葉に曇りがちだったセリンの表情がたちまち晴れていく。伝統と格式ある『花園』の筆頭部隊は六総督の家に連なる者が務めるという慣例がある。これもまた必然であり予定調和ではあったが、セリンは感激した様子で返事をした。
「はい、お任せください、ユーネクタさま!」
漂っていた緊張感と気まずさはいつの間にか消え去っていた。
空気が和らいだ所で、ユーネクタがふと思い出したように話題を変える。
「ところでリリー? 食事中に落ち着きがないのは感心しませんよ?」
「でも、お姉さま。彼女だけ仲間外れというのは可哀想です。お昼くらい一緒でも」
「駄目です。私たちは『花園』の代表なのですから、亜人との間に一線を引いていなければなりません。それとも、こんな人目につく場所で妖精と同じテーブルについて噂されたいのですか? スペアミントとフォルクロアの次期後継者が平等主義に目覚めたらしいと?」
『花園』の頂点に立つユーネクタの言動は常に『その立場に相応しいか否か』という基準で発せられるものだ。誇りあるスペアミント家の令嬢として正しい振る舞いとは何か。
『花園』に籍を置く生徒たちは誰もが大小の差はあれどその品格を意識しており、ユーネクタはその点において最も厳しく見られている存在だった。
だから、たとえばこの場にいる六人の中でただ一人だけ椅子に座ることを許されずにいる亜人の少女がいたとしても、それを憐れむようなことがあってはならないのだ。
ジュネが飼っている黒妖犬と並んでいるのは
仮にも亜人の王女に与えられているのは、あろうことか隣の魔獣が食べているのと同じ犬の餌である。生まれて初めての信じがたい辱めを衆目の中で受けたショックのせいか、目に涙さえ浮かんでいた。リリーフォリアの表情が悲しそうに翳る。
「ですがこれでは晒しものです。お姉さま、私やっぱり亜人の方々への待遇は改善されるべきだと思います。世界を守るために共に戦う仲間なんですよ? 防壁兵の装備をもっと充実させて、突撃兵の損耗を前提にした戦術を廃止するようおじさまにお願いして下さい」
リリーフォリアは我慢ができなくなったのか、今しがた『姉妹』としての契りを交わすことが決まった相手の言葉を拒んで席を立った。メリッサの前に屈むとパンを差し出す。
「どうぞ。スープやサラダもありますから、召し上がって下さい。妖精の方はお肉はあまり口にされないんですよね?」
「え、ええ。ありがとうございます、リリーフォリアさま」
「私の方が年下なんですから、リリーと呼び捨てで構いませんよ、メリッサさま」
メリッサが学院に連れられてきてからというもの、リリーフォリアは終始この調子だった。ユーネクタがいくら諫めても聞かず、尋問や精神を探る遺物の使用に際しても同席してメリッサの心身に負担をかけるような『行き過ぎ』を断固阻止する構えだった。おかげでメリッサから得られた情報は今のところほとんど皆無に等しい。
「リリー。いい子だからよく考えて行動しなさい」
柔らかいようでいて、有無を言わせぬ口調だった。
しかし対するリリーフォリアも負けずに強固な意思で反発する。
「嫌です。どうしてお姉さまは亜人のことになると途端にいじわるになるのですか。私はメリッサさまにひどいことをするお姉さまなんて嫌いです。『姉妹』の契りだって結びたくありません。今日の放課後もご一緒するのは遠慮させて頂きます」
ぷい、とそっぽを向くリリーフォリア。
ユーネクタはしばらく毅然とした態度を崩さなかったが、リリーフォリアが一向に折れないためとうとう眉尻を下げて困り果てた表情になった。
「では、次からは人目につかない場所を探してそこで食事することにしましょう。悪評が立たない範囲であれば、あなたの意思を尊重すると約束します」
「本当ですか?! お姉さま、大好き!」
ぱあっと華やかな笑顔を浮かべるリリーフォリア。妹のわがままに困りながらも慈しむような視線を送るユーネクタ。二人の姿を、メリッサはどこかまぶしそうに見つめていた。
メリッサが学院に連れてこられてから数日。
尋問や身体検査などが行われる一方で、状況に動きがあった。
蜂起したグラスコフィン・ドワーフたちは占拠していた砦を放棄して森に散り散りとなり、城を襲撃した魔獣の群れは妖精の討伐部隊が殲滅したという知らせが入ったのだ。
残党が未だ逃走中ではあるが、これにより事態は沈静化に向かいつつあった。
その代わり、今度は学院で奇妙な異変が起こっていた。
午後の授業を終えたユーネクタは部隊の仲間とメリッサを引き連れて浮遊する『花園』から『環の学び舎』に足を運んでいた。
大穴を取り巻く環状校舎。その中でもとりわけ広大な敷地面積を誇る『畜産科』に向かうためである。魔獣使いのジュネはともかく、封術士部隊にとって他学科の校舎に足を運ぶことは少ない。もっとも、それもリリーフォリアが入学するまでの話だ。
「一週間ぶりですね、お姉さま。この間は話を聞いてもらえて本当に良かった。やっぱりお姉さまがいてくれると心強いです」
「リリー。今日は活動日ではないから、それはまた今度ね。動物愛護の精神を広めることは大事かもしれないけれど、今は情報の確認が必要です」
「はぁい」
弾んだ口調で返事をするリリーフォリア。彼女の心が浮足立つのも無理はなく、畜産科の広大な厩舎には様々な魔獣が運び込まれていた。つぶらな目のリスや賢そうな犬、優雅な角を生やした鹿といった様々な動物たちの楽園。リリーフォリアは目を輝かせて喜んだ。
「可愛い~。はあ、私もう畜産科に行こうかな」
「あら、魔獣の飼育はそれなりに大変でしてよ? ましてや畜産科の調教は怪我人も出る過酷な授業。リリーさんにもしものことがあればユーネクタさまが飛んできてこの場所が更地になってしまいます。どうか自制なさいませ」
ジュネの言葉に文句を言おうとしたユーネクタは直前で何故か口をつぐみ、「確かに」と不吉な呟きを零して黙ってしまう。冗談などではなく、それは十分に想定しうる可能性だ。
和気あいあいと雑談を交わしながら目的の場所に辿り着く。
ユーネクタは顔見知りの畜産科生徒に声をかけた。
「おや、皆さんお揃いで。いらっしゃい。待ってたよ」
「さっそくですが、見せていただけますか?」
「あいよ。こっちの檻だね」
ユーネクタたちは厩舎の奥まった所に進んだ。
そこは物々しい檻が並ぶ、特に危険性が高い魔獣を捕獲しておく区画だった。
リリーフォリアに手を引かれているメリッサが息を呑む。
そこでは何らかの実験をしているらしく、檻の中の魔獣たちは外から複数の遺物による攻撃を受けていた。問題は、本来なら発揮されるはずの神秘の力が霧散していることだ。
「遺物の通じない魔獣。交戦の報告そのものは五例目だけど、この数を捕獲できたのは初めてだから実験だの調査だのは慎重にならざるを得なくてね。進捗はいまいちだよ」
「封術のみで対処するのにも限界があります。一刻も早く遺物が無効化されてしまう原因を突き止めて対策を打たなければなりません。畜産科の解析、期待していますよ」
話しながら区画の最も奥まった場所に到着する。
メリッサが驚きの声を上げた。
ユーネクタは振り返らず、檻の中からじっと自分たちを見つめる魔獣に視線を返した。
黒毛と長い手足を持った小さな猿の魔獣。
意図の読めない魔獣の行動。誰もが背後に魔人の存在を感じていた。
しかし頻繁に出現する新たな魔獣への対抗策がわからない今、無暗に討伐するよりも捕獲して研究した方が良いという判断が下され、極めて厳重な警備体制が敷かれた上で調査が続けられている。
「地下の住人。まさかこんな所で会えるなんて」
ぽつりとユーネクタが呟いた声は通常の聴力では捉えられないほどに小さかった。メリッサが怪訝そうな表情でユーネクタを見る。
「正直に言ってこいつが一番よくわからないんだ。何というか、普通の魔獣とは根っこから違うような感じがする。封術士の目から見て、何かわかるかい?」
「少しだけ、試してみたいことがあります。接触の許可を頂けますか?」
「もちろん、それで何かわかるのなら」
畜産科生徒の縋るような視線に頷きで返し、ユーネクタは慎重な足取りで檻に近づいた。
鉄格子の隙間から手を差し伸べ、小さく何かを呟いて指先に神秘の光を灯した。
猿の瞳が薄暗い檻の中で不思議な輝きを放ち、ふわりと浮かび上がるように長い腕が持ち上がった。ユーネクタの指先と魔獣の指先が触れる。
直後。ぐらり、と細い体が揺らぐ。
膝と腰から同時に力が抜け落ちたようにへたり込んだユーネクタは胸を抑えてうずくまっていた。不規則な呼吸と尋常ではない様子に周囲は騒然となった。
畜産科の生徒が応援を呼ぶと即座に武装した生徒たちが檻に向かって槍を突きつけ、血相を変えたリリーは長い髪からリボンの遺物を抜き取ってユーネクタの身体に巻き付ける。
「お姉さま、悪いのはどこですか? すぐに治療します!」
「リリー、私は大丈夫。それより、あの子を助けないと」
苦しそうに息を吐き出したユーネクタは、弱々しい口調で檻の中を示した。
捕獲された魔獣は危険と判断されれば即座に処分される運命だ。
危害を加えられたのがスペアミント家の令嬢ともなればそれはなおさらである。
「私の不用意な行動が原因です。彼に敵意はありません」
槍を収めるように求め、リリーフォリアの手を借りながら立ち上がって自身の無事を示す。一触即発の空気が弛緩していく。ユーネクタは謝罪してからわずかな接触では何もわからなかったと説明し、その場は収まった。
「お姉さま、本当に大丈夫ですか?」
「ええ。心配させてごめんなさい。それよりあの子が無事で良かった」
「そう、ですよね。お姉さまが動物に優しくしてくれて、嬉しいです」
言葉とは裏腹にリリーフォリアの表情は沈んでいる。
常日頃から主張している動物愛護の精神。愛する姉の危機を目撃したことで考えが揺らいでいるのだろうか。ユーネクタは優しくリリーフォリアの背に手を回した。
「大丈夫。私は平気です。知っているでしょう? 私は絶対に殺されない」
抱擁し、優しく額に口づけをする。
周囲の目を気にして少し恥ずかしそうにするリリーフォリアだったが、ユーネクタの存在を感じたことで安心したらしく、いつも通りの笑顔を取り戻した。
「ユーお姉さま、大好き」
「私も、リリーが大好きですよ」
ゆるぎない愛情と絆。
『姉妹』が見つめ合う姿を、メリッサはただ見ていた。
見ていることしか、できなかった。
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