第3話「私のこと、嫌いになった?」




 途切れがちなメリッサの意識はおぼろげな記憶の底を泳ぎ始めた。

 それは小さなころのささやかな悪夢。

 けれど大切な、愛する人の記憶。


「魔女であることを誇りに思いなさい、メリッサ。これは恐れを招く忌み名。下劣な貴族たちが私たちを魔人族と同じ脅威と見なしたという証。だからこそ私たちは自ら魔女と名乗り、敵対者を震え上がらせるの。聖なる森を守るために」


 誰よりも優しく暖かで、だからこそ誰よりも苛烈に怒りを燃やしている人だった。

 森の女にこんな形容をするのは相応しくないとわかっている。それでも彼女を見た誰もが炎を想起する。不条理と邪悪を許さない義憤の人。それがメリッサの姉だった。


「はい、アカシアお姉さま。私、お姉さまのような立派な魔女になります」


 自慢の姉はロスプ家始まって以来の天才だった。遺物を手にした下級貴族さえ返り討ちにする神秘の力は『魔女の軍勢』の中にあって随一と謳われていたほどだ。

 妖精郷の敵は魔人だけではない。領地を持たず官職にも就いていない開拓爵ヘラルドや、行商と護衛業を生業とする騎士爵ナイト連中の実態は、亜人にとっては盗品売買と通行料で身を立てる山賊と大差がない。協定無視の開拓しんりゃくを行う農林騎士団に、誘拐や略奪だけでは飽き足らず森に火をつけるという無法を働く商会騎士団。妖精郷が誇る『魔女の軍勢』は魔獣や『それ以下』の畜生どもを撃退するのが主な役割だ。


 貴族たちが妖精郷侵略のための前線基地として建国した『共同開拓国』はまともな統制の取れた国とは言い難い。貴族たちの権力の中枢である主要六大国の間でどのような政治的な力学が働いたのかは定かではないが、当初から妖精との戦いを繰り広げていた『スペアミントの旗』の横に紋章の異なる五つの旗が並ぶようになってから数百年の歳月が流れている。


 聡明な六総督の頭の中は東から攻めてくる魔人の侵攻を妨げながらいかにして競争相手を出し抜くかで一杯だ。開拓、宣教、交易路の確保。成り上がりを夢見る開拓爵は古びた布告権を濫用し総督印を偽造してまで独断で侵攻してくるし、貴族撃滅を夢見る妖精ゲリラたちに武器を流して紛争で一儲けを狙う商会騎士も存在する。

 

「貴族なんて大嫌い。あんな野蛮人が世界の支配者みたいに振る舞っているだなんておかしい。みんないなくなればいいのに」


「そうね。躾ければ従順になるという点では、魔獣のほうがまだ賢明で洗練されているかもしれない。けどね、メリッサ。だからと言って恥ずべき行いはいけない」


 責めるような口調ではない。優しく諭す言葉だったからこそ堪えた。

 強き魔女は戦えぬ者を守り、雄々しき戦士は傷ついた者を助ける。

 常に弱者の味方であれ。そうあることで忌み名を掲げる『魔女の軍勢』は気高い精神を宿して戦えるのだとアカシアは常々語っていた。


「私たちの妹をあんなふうにいじめては駄目。謝っていらっしゃい」


「妹じゃない! 私悪くないもん! だってあいつ、『咎人』と同じ血に塗れた呪いの子なんだから。私とお姉さまの祝福を掠め取る卑怯者なんかいなくなればいい!」


「罪を犯したのは彼女じゃない。あの子はメリッサと仲良くしたいだけ。あなたのほうがほんの半月ばかりお姉さんだけど、歳の近い子と遊びたいのは自然なことでしょう」


 幼いメリッサはかっとなった。どうしてお姉さまはあんなやつの味方をするの。

 いつも優しくしてくれるのに。可愛い妹だと大切にしてくれるのに。


「あんな、『余り姫』なんかに優しくしないで」


 嫌い、嫌い、嫌い。あんなやつ大嫌い。

 私のお姉さまをとらないで。私の祝福をとらないで。私の『嫌い』を否定しないで。

 妹に優しくしてあげなさい、なんて言われたくない。

 だってメリッサは妖精王家の末っ子だから。妹なんているはずない。


 末っ子は偉大なる聖樹、森神リーヴァリオンに祝福された命。

 『祝福の末妹姫』として愛されるのはメリッサ。そのはずだった。

 魔女術も大して使えない。劣った魂。穢れた血。忌まわしい出生。

 あんなやつ、余りものなのに。愛される末っ子は自分のはずなのに。


「みんなあいつが悪いって言ってるもん。私だけじゃないもん。なんでお姉さまは私だけ怒るの。ひどいよ」


「みんなってだれ?」


「ポーレのアストラガルスお兄さまとか。ベノのボリジお兄さまとか。ハウレンのアップルお姉さまでさえ言ってる!」


 他にもデューおじさまにシロップ様に、と指折り数えて自分の正しさを証明しようとするメリッサを、アカシアは悲しそうな表情で見つめていた。

 けれどメリッサの頭の中は憤りで一杯でそんなことには気付かない。

 気持ち悪い。あれを妖精と認めたくない。


 少し難しいけど、みんなが言っていることは正しいはずだ。

 だってあいつは私たちと違う。

 『獣のごとき民』と同じように、愛欲の罪から生まれてくる血まみれの赤子。愛欲は罪だ。夢魔どもに付け入る隙を与えてしまう。それに女の股から生まれてくるなんて、人間としてあり得ないじゃない? はじめて『森の外』での生殖方法を知った時、メリッサはとても気分が悪くなったのを覚えている。それって家畜と一緒ってことでしょう?


 たくさんの悪口を聞いた。「ハウレン家もハウレン家よ! 調停者の娘だかなんだか知らないけど、栄えある六方家の後妻に貴族女なんかを迎え入れて!」もっとも怒っていたのはアカシアやメリッサより前のサイクルでロスプに実ったおば様たちだ。「しかも聖樹の加護を与えられなかったくせに、今更になって『可哀想だから、このサイクルで子供が少なかったロスプの枝から祝福を分ける』って何?」「そうよ、なんで私たちの生誕の枝からあんな子に聖樹の力を分けてやらなきゃならないの?!」メリッサも同じ気持ちだ。


「あれは私とアカシアお姉さまだけの光だったのに」


「将来的な水晶王国への輿入れのために箔をつける必要があったの」


「それもわかんない。なんでそんな遠くの国にわざわざ嫁がせるの? あそこって純血思想の強い国だって習ったよ?」


「先に接合体から話が来ていたから。水晶王国との婚約はそれに対する牽制でしょうね。それに水晶王国は彼女の母親の祖国。確か、貴族たちの学院を運営している有力な選定爵のところに預けられるって話」


 どんな説明を聞いても納得には至らない。

 ただ苛立つばかりだ。

 嫌いな奴に枝を取られた。その事実だけはどうあがいても変わらない。

 駄々をこねてどうにかなるわけではない。相手もまた王族という扱いだからだ。


 妖精の王家は六つある。

 『樹洞』のリア家、『冥河』のベノ家、『洞窟』のポーレ家、『森羅』のロスプ家、『虹彩』のコウド家、『月光』のハウレン家。

 血脈の流れはそれぞれ違えど、聖樹に選ばれ魂を果実に宿して生まれてきた兄弟姉妹。

 王族たちはみな聖樹リーヴァリオンの加護を受けた家族として誕生する。


 『誓いの両翼』となった者たちが森に祈り、聞き届けられた生誕の願いは『魂の果実リーヴ』として聖樹の枝に実る。地に落ちて産声を上げたその瞬間より、妖精たちは森の子としての運命を背負って生きていくことを自覚するのだ。

 罪深い愛欲の穢れに染まらぬ赤子。森の中で最大の聖樹に選ばれた王族は『同じ幹の血族』として神秘の技量を競い合い、森の管理者である王を目指して切磋琢磨する。


 同じロスプの枝に実ったアカシアとメリッサの姉妹は、苛烈な競争の中にあって良好な関係を築いていた。同じ枝、同じ家に生まれた者とて情けは無用というのが妖精の習いではあるものの、面倒見の良いアカシアと甘えたがりのメリッサという組み合わせが『仲の良い姉妹』という関係性に落ち着いたのは必然だった。


 『森羅の魔女』アカシアと『祝福の末妹姫』メリッサ。

 特別な異名を与えられることは誉れであり実力の証明でもある。

 だというのに、愚かなハウレン家は今更になって『無かったことにしていた罪の子』を王族の末席に加え、あまつさえロスプの枝から聖樹の加護をよこせと言う。

 姉がどうして怒らずにいられるのか不思議でしょうがない。


「聞いてメリッサ。私があなたをこうして叱るのは、嫌いだからじゃない。あなたが大切だから。いい? 思い通りにならない現実は、いつだって私たちの前からなくならない」


 幼い妹をそっと抱きしめながらアカシアは静かにそう言った。

 真横にある姉の頭と綺麗な蜂蜜色の長い髪に顔を埋めたメリッサは唇を尖らせる。


「お姉さまなら何だって思い通りにできるでしょ。私、知ってるもん」


「いいえ。私の力はちっぽけなもの。貴族たちの横暴も、魔人たちの邪悪も、妖精郷の未来も。私にはどうすることもできない」


 どうしてそんなことを言うの? メリッサは泣きたくなった。

 尊敬するお姉さま、強くて賢くて美しい理想の魔女。

 そんなアカシアに弱気なことを言われたら、メリッサはどうしていいかわからなくなる。

 それでも姉は妹を安心させるようにそっと小さな頭を撫でた。


「でもね、だからといって捨て鉢になってはいけない。絶望は毒。諦めは病。邪悪とは、『正しくなくても構わない』という妥協から生まれる。私たちには理性と知恵がある。排除と攻撃から始めるのは獣の行い。あなたは違う。そうでしょうメリッサ?」


 アカシアの言うことはいつだってメリッサには難しくて、それでも姉が正しいことだけは信じられたから、従順な妹はこくりと頷いて見せた。

 本当に欲しかったのはそんな言葉じゃなくて、必要な納得はそんな理屈ではなかった。実際のところ、メリッサはただ『他の子じゃなくて自分をかまって』とへそを曲げて幼い怒りをぶつけていただけなのだ。それでも、メリッサは姉の言葉を心に刻んだ。


 その日、メリッサは『枝の儀式』のためにロスプ・レルムを訪れていたハウレンの娘に暴言と木の枝で叩いたことを謝罪した。それから『わずかな差があるとはいえ年齢は同じなのだから二人とも末っ子と言える』という主張を認めさせ、相互不干渉という名の仲直りを果たした。アカシアには微妙な表情をされたがこれがメリッサなりに考えた末の最善だった。


 それ以来、『横並びの末っ子』とは会っていない。にもかかわらずメリッサは一方的に相手側の近況をうっすらと把握していた。知らぬ間に母親同士が仲良くなっていて、遠方から送られてくる手紙の内容を何かにつけて話していくせいだ。どうやら元気にやっているらしい。結構なことだ。このまま交わらない人生を送るのが互いのためだろう。


 良い記憶とは言えない。どうしてこんなことを思い出したのだろう。

 嫌いな相手。認めがたい存在。それでも関わらずにはいられない人。

 ああそうか。やっとわかった。

 エンブラはメリッサに刃を向けた。優しい召使。頼れる護衛。信じていた友人。

 訓練でもなければ操られていたわけでもなく、彼女はメリッサに敵意をぶつけた。


 嫌い。それはメリッサだけが持つ感情ではない。

 あの子はどうだったのだろう。ハウレンの哀れで惨めな余り姫。遠くの国で貴族の道具になるのを待つばかりの運命、思い通りにならない現実に心折れてはいないだろうか。絶望的な境遇が待ち構えているというのに、年の近い『姉』にひどいことを言われてどれだけ傷ついたのだろう。今なら少しだけわかる。多分それは、こんな気持ちなのだ。


 メリッサは木の枝を振りかざした。子供じみた悪意と敵意でも、『嫌い』は痛いはずだ。

 木の枝は鋼鉄の剣と同じように苦痛をもたらす。

 そのことを、メリッサは理解していなければならなかったのに。

 何もかも、今更だ。嫌い、嫌い、大嫌い。愚かで子供じみた自分の内側で反響する言葉。どこにも届かない刃が突き刺さるのは、自分の心だ。




 断続的な振動を感じる。どこかを移動している? 微睡み、痛み、倦怠感。息を吐くと、闇が目の前にあった。

 メリッサは狭い空間に仰向けで横たわっていた。暗闇で見えないが妖精の耳が周囲の環境を教えてくれる。箱状の長方形、棺のような容器に押し込められている。手足が動かせないほどではないが、大きく伸びができるほどではない。空気と光が漏れ出す眼前の蓋を押しても動かない。顔から肩、胴を触るが怪我らしい怪我はないようだ。


「もしかして、目が覚めたんですか?」


 暗所に慣れてきた眼と大気の震えを正確に捉える耳が顔の横に小さな気配を感知した。

 掌に乗るようなサイズの人型。それでも確かに魂を感じる。

 成功した。信じられない。あの状況でうまくいくなんて。

 メリッサはその場所の暗さに感謝した。眼に涙が浮かんでいることを小さな同乗者に気づかれたくなかったからだ。


「メリッサ様。説明をお願いします。いったいこれはどういう状況なんでしょう? 私はどうして生きているんですか? そもそも私、何になってしまったんです?」


 困惑する女性の声。元々小柄だった矮人の身体が鼠ほどに小さく縮んでしまっている。

 魔獣の爪からメリッサをかばって命を落としたエンブラ。一度は反旗を翻した彼女を、メリッサは衝動的に助けようと思った。それができると信じて賭けに出たのだ。


「魂が零れそうだったから。壊れて歪になった命を丸めて整えたの。そうしたら小さくなっちゃった。ごめんねエンブラ。わかってると思うけど生殺与奪は私が握ってるからもう逆らったりしないでね」


 多分、すぐには呑み込めないだろう。信頼の置ける召使とはいえ、妖精でもない者に森の神秘を全て明かすことはない。古い神秘の大半は忘却され、亜人はかつての力を失った。しかし妖精族だけは神秘の力が満ちた森から直接生まれることで魔女の秘儀を継承し続けてきた。穢れなき乙女の戦士団『魔女の軍勢』が妖精郷の滅びをすんでのところで食い止め、曲がりなりにも六大国との休戦協定が成立しているのは、貴族たちが総力戦で勝利したとしても失うものの方が多いからである。


 とはいえ、だ。

 メリッサは耳が聞こえづらくなっているのを感じた。

 いつもなら暗がりだろうと相手の表情までつぶさに『聴起』できるが、いまはぼんやりとした動作と顔の輪郭が判別できる程度だ。


 まだ幾らか魔女としての力は使える。森の中ではあるらしい。

 だが人の生命だの魂だのをどうこうするのはもう無理だ。メリッサの身に与えられた森の神の祝福と親和性のあるロスプ・レルムを離れれば、彼女の力は半減してしまう。

 森の木々などを集めて祭具を作り、儀式を行ってじっくりと『場を染める』ことができれば一時的にメリッサが全力で戦えるレルムを構築できるが、今そんな余裕はない。


 森から出たらエンブラは死んでしまうかもしれない。

 今は安定しているようだが、もともと賭けのような試みだった。

 不用意なことをすればすぐにでも破綻するだろう。

 

「エンブラ。単刀直入に言うね。一緒に逃げよう。私たちは多分、魔獣たちに攫われた。理由も目的もわからないけど、このままだと森を出て東の魔人領に連れていかれるかもしれない。そうなればエンブラを生かしている森の力が消えてしまう可能性が高いの。どうにかして脱出しないと、二人にとって不幸なことになる。力を貸して」

 

 必要なことだけを事務的に告げていく。

 逃げた後どうするのか。今更どうやって顔を合わせればいいのか。何もわからない。

 だから行動に逃げた。生存のために必須であれば、ひとまず過去は無視できる。

 それは多分、混乱と迷いの中にいるエンブラにとっても同じだったのだろう。


「メリッサ様に従います。どの道、この身体ではそうするしかなさそうです」


 二人はしばらく棺のような空間内部を探ったが、抜け出す方法は見つからなかった。呼吸できる隙間くらいはあるものの、蓋は何らかの力で押さえつけられているのかまったく動かない。メリッサの耳は周囲に複数の獣の息遣いを感じていた。どうにかして外に出ても、無策では魔獣の群れに喰われて終わりだろう。


「魔女の誇りにかけて、一体くらいなら倒してみせるけど。ロスプ・レルムの外じゃそれが限界だと思う。ごめん、今のところ逃げだす手段が思い浮かばない」


「申し訳ありません。私も同じです」


 『魔女の軍勢』は遺物を操る貴族たちにも劣らぬ精鋭だ。しかしその強さはあくまでも集団で効率的に神秘の力を集中させる運用をしてこそ発揮される。メリッサ一人でできることなどたかが知れていた。


 不意に沈黙が訪れる。

 それから二人はしばらく話をした。昔話。情報交換。状況の整理。

 寄り添いながら、寝台のそばで昔話を囁いてくれた思い出。

 その全てが今は遠い。


「私のこと、嫌いになった?」


 両手でおさげをぎゅっと掴んで口元を隠す。

 暗闇の中、メリッサにはエンブラの表情がわからない。

 怖かった。知ること、核心に触れることは痛みを伴う。


「それ、どっちかっていうと私の台詞じゃないですか?」


「だって、エンブラは妖精のことが嫌いなんでしょう。なら、私のことも」


「なんで私を助けたんですか。敵ですよね、矮人は」


「そっちこそなんで。敵なんでしょ、妖精は」


「利用価値があるからです。私が死んでも矮人にとっては政治的な交渉に使える手札に」


「そういうこと言わないでよ。せっかく助けてあげたのに」


「メリッサ様はすぐそういうこと言いますよね。忠告しておきますが、私以外にはそういう言動はしない方がいいですよ。確実に嫌われます」


「だからそういうこと言うのやめてよ。こういう空気、私苦手なの。もうやだよ。なんでこうなっちゃうかな」


 どこにも辿り着けないやり取りに疲れて、メリッサは両手で顔を覆った。

 これはマッサージだ。瞼をほぐしているだけ。眼に汚れがないかどうか擦ってみただけで、それ以外の意味なんかない。

 鼻をすする音が閉所に響いて、エンブラの重い溜息がそれに続いた。


 このまま森の外まで連れていかれたらどうなってしまうのだろう。

 メリッサに待ち受ける運命はどう考えてもまともなものではない。ここで自害する方が幸せかもしれない。けれど、死への恐怖以上にこのままエンブラと別れてしまうことがメリッサにとっては悲しかった。


「謝ったら許してあげてもいいよ」


「はあ?」


 驚愕というより怒りが多めに含まれた声だったが、構わずに続けた。


「お父様には私からお願いしてあげる。許してもらえなかったら、私の指輪に隠れてればいいよ。知ってるでしょ、古い『贈り物ギフト』だから、エンブラくらいの大きさなら中に隠せるんだよ」


「いやそうじゃなくて。そういう問題じゃないでしょう。謝るとか、許すとか。私はあなたたち妖精のそういう傲慢がっ」


「あーもうそういうのわかんない! 頭ごちゃごちゃってなるからやだ! いきなり悪いって言われてもどうすればいいの! いつもは反省の時間とかごめんなさいが大事って言ってるくせに、反乱とか殺し合いなんておかしいよ! 私はどうしたら良かったのか教えてよ! 怒ってるだけじゃわかんないもん!」


「だからそれは、現状の格差と構造そのものが」


「やだやだやだやだ聞きたくない聞きたくないエンブラのバカアホもっと優しくしろー!」


 大声で相手の言葉を遮りながら手足をジタバタと上下に動かす。

 棺が揺れて音が反響する。外に気づかれて魔獣に襲われるかもしれなかったがメリッサはもう深く考えないことにしていた。元々そういうことが苦手なのだ。

 振動が続く。騒音、悲鳴、衝撃と熱。


「メリッサ様、これ、外で何か」


「私のこと嫌いなエンブラは嫌い! バカ死んじゃえ嘘死んじゃやだ呪われて小指ぶつけろそっちもおねしょして恥かけ足もっと太くなれお腹すいたおやつ作ってはちみつのやつ!」


「外! 何か戦ってませんか?!」


「え、うそ」


 棺が震える。戦いの気配、死の絶叫、魔獣たちの咆哮。気付けば閉ざされた空間の外側では恐ろしい音が飛び交っていた。二人は身を寄せ合い、何もできない無力感に恐怖した。届かないと知りながらそれぞれの神に祈る。

 やがて、音が止んだ。


 嫌な予感がする。優れた魔女は虫の知らせをよく受け取るものだ。

 とっさにすぐそばのエンブラを掴み、有無を言わせず右手の人差し指に嵌めていた指輪に接触させた。小さな矮人は瞬く間に光に包まれて姿を隠す。宝石の中に折りたたまれた『異界』に退避したのだ。そこそこの広さをもつ物置として使っているが、整理されていないのでもしかすると後で文句を言われるかもしれない。その時はその時だ。


 考えるのは行動した後でいい。結局メリッサにはそうすることしかできないのだ。

 魔女の誇りにかけて、とメリッサは自分に言い聞かせた。

 そう、理由はそれだ。理想とするアカシアのように、魔女は正しく行動しなければならない。弱く儚いエンブラを守り抜く。それが今のメリッサがすべきことだ。


 心を奮い立たせながら膨れ上がる『予感』に立ち向かう。

 そうしなければ、泣き出してしまうかもしれないほど心細かった。

 光が差し込む。まぶしさに眼を眇める。蓋が開くと、流れ込んだ新鮮な空気と共によりはっきりと森の音が耳に届けられるようになった。


 そして、メリッサは知った。

 おびただしい死。想像を絶する悲惨。彼女にとっての悪夢を。

 覚悟など容易く折れた。眼からは堪えていたはずの雫が零れていく。

 見上げる。眼を逸らしたいのに、不思議と惹きつけられる。


「私の名はユーネクタ・ドゥクス・オブ・スペアミント。突然だけどあなた、私のものになりなさい」


 現れたのは、寒気のするような『人の形をした死』。

 その日、メリッサは運命に出会った。

 破滅という名の、避けがたい運命に。


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