第9話

ペットの人間化改造…はじめは当然、動物虐待だと反論があった。今もその反論は続いている。全世界に公認された行為ではない。だから、人間ペットは公にはされない存在だった。

主に発端である海外から、その他日本を含めた様々な国の、趣味の悪い富裕層が、愛犬愛猫を人間化させている…そういう噂だけは知っていた。偶にネットの怪しげな広告やサイトなどにも書かれていた。

だから、僕はまったく人間ペットを知らなかったわけでもなく、そういう存在がこの世に実在することもわかっていた。

ただ、それがこんな身近に居ること…そもそもそんな改造手術が行われていること…人間ペットの存在よりも、それを行う人ら、それを望む家庭などが、僕は許せなかった。

人間が許せなかった。

人間ペット手術を行うのは、海外の化学医療を扱う、『ペットをより身近に』と謳う研究所、通称ビサイドペット…名前なんかどうでもいい。

彼らが言うには…ペットを人間化させたなら、どこへでも愛しいペットを連れて歩ける。どこでも一緒に暮らせる。一緒に同じものが食べられる。お互いに言葉が通じて、楽しいお話ができるようになる。ペットをより身近に、より親しくなれる…などと言って、人間化手術を売っていた。

その手術を望むのは大抵富裕層…大抵趣味の悪い奴ら…少なくとも僕はそう思っていた。手術には莫大な金が必要になるし、手術を望む理由はほとんどの場合、ビサイドペットが広告で出している謳い文句とはまったく違う。

言葉が通じるようになるから、しつけが楽になる。子供ができないから、我が子の代わりにするために改造する。最悪の場合、変わらない従順な性格を利用して、暴力衝動などを満たすために人間化させる。

人間化されても、愛されるとは限らない。

むしろそれは歪んだ愛情…アイにすらならない、ただの願望や欲望だった。

ここ最近見かける…たとえば店内トラブルなどは、しつけがされていない人間ペットの失態とか…徘徊する子供や青年などは、虐待された人間ペットだったとか…様々な悪いことが起こっている。

彼らは何も変わらない。変わる必要なんてない。よく言うだろう…彼らは元の姿の頃から、ちゃんと人間の言葉を理解しているんだって。人間化されなくたって、彼らは人間を理解している。

変わらなければいけないのは人間の方なのに、肝心の人間は、同じ人の姿になったペットへ歩み寄ろうともせず、身勝手なことばかりを考え、押し付け…何も変わらない。

卑怯者だ。

狡い。

だから僕は、そんな奴らが、そんな存在が、嫌いで、不気味で、悍ましくて、認めたくなかったのに。

あの人が…───


×


ガタン、と頭を打った。

ローソファといえど若干の高さはある…僕は体がずり落ちて、軽く頭を打った。地味に痛い。

…三枝さんは居ないのに、僕はソファで寝た。寝ぼけながら一度、自分の部屋を覗きに行く…布団も敷かれていなければ、誰も居ない事実に、虚しさを覚えた。

三枝さんは、元の家に帰った。

あの身勝手な飼い主の女のことを再び信用して、頷いて、帰って行った。

僕は止めなかった…止める資格なんて僕にはなかったから。あれは三枝さんの意思だ。三枝さんが望んだことだ。だから、あれで良かったんだ。

…昨晩から何度も自分に言い聞かせた。

なのに…それこそ身勝手な、後悔や虚しさが取り除けない。

僕は僕が思っている以上に、三枝さんに執着していた。そして三枝さんは、僕が思っていたよりも、そんなに僕へ執着などしていなかったらしい。

全て僕の独りよがりだったのかもしれない。

僕の妄想だったのかもしれない。

三枝さんの気持ちを捏造して、勝手に浸って、善人であろうとしていた…だから、偽善だった。

…でも、もう終わったことだ。

さいしょの予定通り三枝さんを家に帰した。僕は元通りのひとり暮らし。何の厄介事もなくなり、焦りや不安を抱くこともなく…元の静かな生活を取り戻した。それだけのことだ。

だからもう、あの人のことは忘れるべきだ。

…ぶつけて鈍く痛む頭を押さえながら、毛布を片付けて、朝食の準備をする。あまり食べる気力も湧かないので、食パンを一枚焼くだけにした。

コーヒーを作ろうとしたが、どうも今日は豆の香りだけで、体が受け付けないと訴えたから…冷蔵庫から牛乳を取り出す。

…冷蔵庫には、無駄に色んな食材が並んでいた。

三枝さんの分も買ったから。

今日が消費期限のティラミスプリン。

…腐らせる前に食べないと。

…冷蔵庫が開け過ぎを知らせて甲高い電子音で知らせてくる。僕は戸を閉めた。


×


鞄の中から書類を取り出す。

今日は別の場所に呼び出されている。ここから電車とバスで一時間半ほどかかる場所の、大きな病院だ。

…詳しい話は聞かされていないが、次からの勤務はそこになるのだろうか。毎日一時間半かけて職場に向かうのはちょっときついな。車は持っていないし。

交通費は出してもらえるかな。

…なんて生ぬるいことを考えていると、スマホが鳴った。

いつもの同僚だ。

「はい」

「僕ちゃん、おはよ」

「はい。おはようございます」

「書類見たよね? 今日はいつもの場所じゃないんだってさ。間違っちゃだめだよ」

「今、確認したところです…ちょっと遠いですね」

「ね、遠いよね」

「…もしかして俺ちゃんさんも?」

「そー。俺ちゃんもお呼び出しされたのよ。精神鑑定で、正常者だって来ちゃってさ…お互い様にご愁傷様。とほほ…」

「……いいじゃないですか」

ぼくがため息をつくと…同僚は低く笑う。

「…なんか元気ないね。大丈夫?」

「あーはい…別に何とも」

「次の仕事、やっぱ…僕ちゃんでも怖いんでしょ。急性ストレス障害頻発する場所って言うもんね」

「…それは、別に何とも思っていませんよ。ただ…」

…その先は、どうにも言葉には表せない。

三枝さんが家に帰った…だから落ち込んでいる、なんて言ったら、どう思われる。

僕が黙り込むと、やっぱり同僚は笑う。

「…俺ちゃんじゃ、相談相手にならないのかなあ?」

「…さあ。どうですかね」

「…言ってみ? そんなんじゃお仕事行けないでしょ」

「………」

探られている。

同僚らしい誘導だ。優しい声と、執拗な問いかけで、警戒や疑心を解いていく。

それらはきっと、こいつが普段相手にしている彼ら…保護犬保護猫たちに対する対応と同じなのだろう。犬猫には通用しなくても、それは人間には通じる。

…僕は人間だ。犬猫じゃない。

けど。

だから抗った。

僕は笑った。

「そうだ…あの、俺ちゃんさん」

「ん、なに?」

「知らない人…帰りました」

笑って答えた。


×


古びた大きな病院…患者や医師が歩き回る玄関ホールで、僕は同僚とほか二人と合流し、そして数人の医師と並ぶ上司と合流する。

僕らはまず、上階の会議室のような場所で、真っ白の衣服に着替え…精神鑑定の結果の書類を上司に見せる。僕らは全員『正常』だった。

上司が言った。

「…これから君たちにやってもらうことは、ただの見学だ。今日のところは、君たちの手で実践をすることはなく…君たちに、現実を受け入れる覚悟があるかどうかの試験だと思ってくれ」

意味がわからない。

「知っての通り…これから行う仕事に就いた者の半数以上は、たとえ事前の診断が正常でも、急性ストレス障害を発症…最悪の場合自殺、或いは心神喪失に陥った事例もある」

意味がわからない。

「最後まで耐えろとは言わない…無理だと思ったのなら、すぐに退室すること。今の話が受け入れられないのなら、もう帰ってくれて構わない」

意味がわからない。

「質問は」

「…俺ら、何するんですか?」

…同僚が尋ねたが、上司は答えなかった。

不気味だ。

これだけの注意事項を述べておきながら、僕らがこれから何を見るのか、何をするのかという話を一切しない…この時点での退場を促すのなら、はっきり言ってくれればいいじゃないか。

…それとも何だ。半端に内容を話したまま退室したなら、情報漏洩されるとでも思っているのか。それほどのことなのか。

…何を考えているんだよ、こいつらは。

…生唾を飲み込む。

ひとりが「無理です」と言って退場した。


×


医師専用のエレベーターを使って地下へ降りる…さっき上階へ向かうのに使ったエレベーターにはなかった『B3』のボタンが真っ赤に光っている。

降下するにつれて少し耳がおかしくなる。

気温が下がった気がする。

そして扉が開く。

…地下に行くっていうもんだから、もっと薄暗い、駐車場みたいにコンクリートの壁で囲まれているものでは、などと想像していたが…扉の向こうは、真っ白に明るかった。

エレベーターから降りて少し歩くと、細い廊下に鉄格子の扉が立ち塞がる…医師のひとりが鍵を開け、僕らはその向こうへ歩く。後ろで、医師はすぐに鍵を閉めた。

不気味なほど静か…ではなく、どこからか奇声が響いてくる。意味不明な叫び声にも聞こえるが、聞き取れないが、確かな人語が含まれていた。

…精神病患者だろうか。しかし精神科病棟は上階にあった。

だとしたらここは何だ。

…急に怯え出したひとりが引き返して行った。残ったのは僕と同僚だけだ。

上司がため息をつく。

呆れたような。哀れむような。嘆くような。

…それは短い距離だが、だいぶ長い時間をかけて来たような感覚だ。

呪われたように重くなる足を動かして、一つのドアの前で、上司たちは止まった。

そして、壁のカードリーダーに医師がカードを通す…扉が開く。

僕と同僚は前を向いたまま。


呆然とした。

真っ白な廊下の、真っ白な扉の向こうは。

まるで子供部屋のように、色がついたカーペットが引かれ、ベッドがあり、おもちゃが散らかっていて。

その真ん中に、小さな男の子が…口にぬいぐるみを咥え、両手で引っ張り、床に転がってひとりでじゃれていた。

栗色の癖毛の男の子…その子は真っ黒なまん丸の瞳をこちらに向け、ぱっとぬいぐるみを口から離し、パタパタと起き上がって駆け寄ってくる。

「ごはん?」

…舌足らずな口調で男の子は首を傾げる。

「ご飯はさっき食べたよね」

鞄を持った医師が答えた。

男の子はうーん、と首を傾げ、指を咥える。

「あそぶ?」

「あとで」

医師は鞄を開き、中から何かを取り出す。

男の子は気にしない。

「あそぶ! 、なげて! ひっぱりっこして! あそぼ! あそぼ!」

「あーとーで」

鞄に触られないように医師は男の子を躱し、取り出したものへ、液体を注ぎ込む…男の子はひとりできゃっきゃとはしゃぎ、部屋の中を駆け回る。

そして…僕らを見上げた。

「だぁれ?」

「ココくん、おいで」

医師に呼ばれる…男の子、『ココくん』は丸い目をきらりと輝かせ、忙しなくパタパタと医師の方へ走っていく…導かれた先はベッドだ。

「ココくん…おすわり!」

「もーすわってる!」

きゃきゃっとココくんが笑う。

僕らは、はじめてこの部屋を見た時からずっと呆然としたままだ。

何が何だかわからないが…たぶん、まただ。またわからないふりをしているだけなのかもしれない。

わかっているんだ。

ココくんが何者なのか。

ココくんがこれから何をされるのか。

医師が持っているそれが何なのか。

僕らが見せられるものが何なのか。

わかっているんだ。

けど、そんなの…。

「ココくん、寝んねしよっか」

「やだー。あそぶ!」

「いい子で寝んねしたら、あとでおやつをあげるよ」

「やーだー」

「じゃあ…先におやつをあげるから」

そう言って、医師はココくんの口に小さな茶色の塊を入れた…ココくんはもぐもぐ咀嚼し、こくりと飲み込む。

「これでお約束。いいかい?」

「………はぁい」

ココくんの様子が一変した。

目はうつろになり…ぼうっと開いた口からよだれが垂れる。それでも嬉しそうに口角は上がっていた。

おい、何をした。

何をするんだ。

医師の手には…見るからに怪しげな、無機質な、いびつな形の…。

注射器。

「これは」

上司が低いうつろな声で呟く。

「人間ペットだ…知っているか」

ココくんは、ぱたりとベッドに横になった。

「元々は犬だった…しかし飼い主の願いで、人間の姿に改造され、人の言葉を理解し、話すようになり…そして結局、手放された、可哀想なペットだ」

知ってる。

つい昨日までそれと一緒に居た。

「人間ペットは、本来の姿と違って…里親志願者が滅多に現れないんだよ。他人の理想で作られた姿には、誰も、哀れみも愛情も抱かない…だから、通常の保護ペットよりも」

その先は聞きたくない。

「───…はサイボーグだが、命が永遠というわけではない。彼が持っている注射の中には、脳機能を停止…」

聞きたくない。

「───…も、脳が機能しなくなれば寿命だ。だから、眠るように…」

やめろ。

「…時間だ…」

やめろ。

「おやすみなさい、ココくん」


医師は、安らかな寝息を立てるココくんの頭に、注射器を差し込み、薬液を流し込んだ。

ほんの数分も経たないうちに、ココくんの呼吸は止まった。


なんだこれ。

何してんだ。

何してんだよ。

その子は…その子が、何をした。

人間の身勝手の被害者なのに。

どうして。

どうして殺した。

殺した?

だったら、今まで僕がやってきたことは?

人間の身勝手の被害に遭った彼らを、何度、何十匹、僕は殺した?

彼らとこの子の何が違う。

何も違わない。

僕が今までやってきたことって…何だよ。

「……次に行くぞ」

息ができない。頭が痛い。唾が飲み込めない。視界が眩む。耳が聞こえない。心臓が重い。寒い。痛い。痛い。痛い。

どこかから悲鳴が聞こえる…来るな、こっちへ来るな、大嫌いだ、怖い、怒らないで、いい子にするから、触るな、近寄るな、やめろ、助けて、助けて、助けて。

僕の頭に、恐ろしい光景が蘇る…檻に入れられた彼らが、クウクウと細い声で鳴いて怯え、或いはガシャガシャと檻に体を叩きつけて暴れて、それが、僕がボタンを押して、少し待ち、僕は淡々と、無表情で居て、その後の彼らはどうなった…。

やめろ、やめろ、やめろ。見たくない。聞きたくない。思い出したくない。知りたくない。理解したくない。わからない。わからない。

こうして眠るような顔で死んだ彼と。

きっと苦しんで死んだ彼らと。

何が違う。

何も違わない。

僕は彼らを、彼を、みんなを…───


殺した。


「───ッぅげぇえっ」

「僕ちゃん⁉︎」

…吐き散らす。

真っ白な廊下に、何度も吐き戻す。

現実感のない場所で、背に触れた同僚の体温だけが確かで。

それだけが救いで。

フラッシュバックは止まらず…僕は、腹の底が痙攣して、喉が引き攣って、口から吐瀉物を吐き垂らしながら…。

笑ってしまった。

「…は、…っはは、あはっ…はは…‼︎」

「僕ちゃん、しっかりしてよ⁉︎ おい⁉︎」

大丈夫。冷静だ。僕は冷静だ。

吐瀉物まみれの自分を俯瞰して見て、なんて無様だろうって、そう思って笑っているだけだ。壊れたんじゃないって。

けど、あー、これ以上は。

これ以上、ここに居たら。

本当に壊れちまう。

あー。ああ。あああ。あああああ。

「……ごめ、なさ…」


「無理…です…」


ぜんぶあんたのせいだよ、三枝さん。

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