第18話 前にすすむために(後)
「それは……どういう意味でしょうか」
父の言葉に棘が含まれているのが聡太にはわかった。
表情も、来たときのような温和さが抜けていて、厳しい目つきとなっている。
反面、隣に座っている母の表情が未だに何ら変わっていないのも聡太には違和感しかなかった。
「僕から説明します」
「聡太……」
これ以上、父のこんな表情は見ていたくないと、聡太が言葉を発した。
隣に座る父親も母親も心配そうな表情だったが、ここから先は聡太が自分自身で言葉にしないといけないと思った。
「僕の名前は立花 聡太です。そして……別の名前も持っていました。この家に生まれ育った橘 聡太、です」
「うん……? ちょ、ちょっと待ってくれ。君はこの家の、十年前に死んだ聡太だと……?」
「はい、……いやそうだよ父さん。十年前に▲▲病院の502号室で死んだ橘 聡太だよ」
「君は何を言って……いやだがなぜ聡太が最後までいた病室の事を知っている?」
「だってもうずっとあの病室だったでしょ? でも僕は病院が嫌いで、たまの外出許可でこの家に帰ってこれた時が一番好きだった」
「な、何を言って……」
「門から家まで道を母さんがいつも綺麗に花で飾ってくれていて、庭にも母さん自慢のガーデニング庭園があって、縁側から見る庭の景色が僕は凄く好きだったよね」
「……」
「だからこの家から病院に戻る時はいっつも不機嫌になっちゃてたよね。それを父さんも母さんも凄く悲しそうで、それでも当時の僕は子供で、2人にいつも申し訳ない、ごめんなさいって思いながらも病院に帰るのが嫌で嫌で仕方がなかった」
父さんは仕事が大変なのに、週末になったら必ずこっちに帰ってきて病院に来てくれたよね。
母さんは毎日僕の病室まで見舞いに来てくれて、母さんが病気が治った時の為だって言って教えてくれた勉強は今とても役立っているんだ。
柿が大好きだった僕の為に、わざわざ父さんが物凄く美味しい柿を取り寄せてくれて、病室で3人で食べた柿は美味しかったなぁ……。
いつか治ったら一緒にしようって父さんが買ってくれたグローブとボール。
結局出来ないまま、死んじゃってごめんなさい。
本当はもっといい子でいたかったんだけど、本当に病気が辛くて痛くて……。
弟か妹がいたら、良かったのにって、言って母さんを泣かせてしまった事は、ずっと、ずっと後悔してた……。
僕は、父さんと母さんの笑顔が大好きだったのに、なんでこんなに悲しませているんだろう、って。
誰も悪くないのに。
みんなで笑っていたいのに。
誰も悲しませたくなんかないのに、ってずっと思ってた。
僕が生まれ変わった理由は僕にもわかっていない。
でも、お父さんもお母さんも本当に僕に良くしてくれたんだ。
ほら、こんなに可愛い妹もいるんだよ?
今がとても幸せで、僕はその幸せにずっとこの十年間胡座をかいていた。
だけど、きっと父さんと母さんが今も悲しんでいると思うと、どうしてももう無理だった。
もう痛くなくて済むんだって。
2人が泣いているのに、でもこれでもう僕は痛みに耐えながら夜を過ごさなくてもいいんだって思っちゃった。
でも、きっと父さんと母さんは、あの日で止まっちゃってるんだよね。
だから、今日はどうしても2人に会いたくて、言いたくて。
先立つ不孝をしてしまい、申し訳ありませんでした。
僕は二人の子供として育ったはずなのに、2人よりも先に逝ってしまいました。
ごめんなさい、申し訳……ありませんでした。
◆◆
聡太は泣きながら、鼻をすすりながら、声を震わせながらも続けた。
聞き取りにくいはずなのに、両親は言葉を止めず、じっと聞いていた。
もう、父も母も聡太を息子の生まれ変わりだと確信していた。
話し方も泣き方も、十年前に見た姿そのままだったからだ。
「聡ちゃん……聡ちゃん、なの?」
「はい……」
「今は元気なの? 身体は何ともないの……?」
「うん、少し風邪を引いたりすることはあるけれど、すごく元気だよ」
「あぁ、聡ちゃん……少しだけ、少しだけ抱きしめさせて……」
「うん、母さん。……ただいま」
「おかえり……聡ちゃん、おかえりなさい……。聡太なのね、聡ちゃん……!」
「本当に、本当にごめんね……」
「何を言うてんのっ。生きて……生きてくれているだけで嬉しいんだから」
久しぶりに聞いた母の関西弁は、ひどく優しいものだった。
何かを確かめるように聡太の頬を撫で、手を優しく包み込み、それからぎゅっと抱きしめた。
まるで離れていた時間を埋めるかのように、何度も何度も抱きしめた。
抱きしめる母は十年前に比べてとても弱々しかったが、母の匂いはあの頃のままだった。
そっと後ろから父も2人を優しく抱きしめる。
その目には大粒の涙がいくつも流れていた。
手のひらに走るいくつもの皺が、十年という歳月を示しているように思えた。
「にいちゃ、泣かないで……」
母親に抱きしめられながらじっとしていた妹が、その手を振りほどいて聡太のそばまで寄ってくると聡太の涙を拭った。
いつも優しい自慢の兄が泣いている事が辛かったのだろう、涙を浮かべながら優しく拭う。
ありがとう、と言いながら聡太が頭を撫でると、妹は安心したようだった。
「年甲斐もなく、わんわんと泣いてしまいお恥ずかしい……」
「私と妻も昨晩同じようにわんわんと泣きましたからお相子ですよ」
「連日大人を泣かせるなど、中々肝の据わった息子さんですな」
「大丈夫ですよ。これからは
「それは……、ありがとうございます」
「いえ、私たちも子を持つ親として、お二人の気持ちはよくわかります。聡太の成長を一緒に見守って頂ければ私たちにとっても心強い限りです」
「……もう半ば人生を諦めておりましたが、こんなに長生きしたいと思った事は久しくありません」
「私たちと一緒に、是非孫を見るまで生きてください、橘のお父さんとお母さん。きっと聡太にはお二人が必要だと思いますから」
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……」
父が大きな身体を震わせながら何度も何度も礼を口にする。
聡太はその姿を見てまた溢れてくる涙を流しながら、やっと初めてここに来て良かったと心の底から思えた。
立花家は出来る限り長い時間が取れるようにしようと、夕方頃まで橘家に滞在した。
昼食をともに摂り、それが終わると生前のままになっていた聡太の部屋で色々と立花家の面々に思い出を語った。
その度に思い出して橘の両親が涙し、それを見た聡太も涙し、つられて立花の両親も涙を流すといった一幕もあったが、久方ぶりに橘家に笑顔が溢れた。
十年間淀んでいた空気が一気に入れ替わっていくような賑わいで、家も笑っているようだった。
「それじゃ、今日は帰るね」
「あぁ、聡太。また来てくれるまで父さんも母さんも元気になって待ってるよ」
「うん。それに父さんと母さんにも僕が今住んでる街を見せたいから、必ず来てね」
「そうじゃますます元気にならなアカンな! 明日からちょっと身体を鍛えなおさにゃならんな」
「次に会った時にはキャッチボールしようね。それと母さん、僕、母さんの育てる花が好きだったから、またいっぱい育ててほしい」
「そうやね、聡太が来ても寂しくないように家をいっぱい彩れるように母さん頑張るわ」
「うん、僕も実はちょっと一緒にやってみたかったから、今度来た時は楽しみにしてる」
「任せといて!」
すっかりやせ細っている腕だが、力強く頷く母の姿を見て聡太は安堵した。
生きがいは人を強くするし、元気にもする。
きっと2人は無茶しすぎるくらいに明日から精力的に動き回るだろうが、今朝までの元気の無かった2人よりはよほどマシだと思った。
「妹ちゃんも一緒にまたおいで。女の子は育てたことがないから不慣れやけど、私たちにとっても娘みたいなものやから」
「うん、わかったー!」
父がそう言って妹の頭を優しく撫でる。
妹も優しげな2人を気に入ったのか、笑顔で喜んでいた。
「立花さん、車はどちらに?」
「近くのコインパーキングに駐めてあります」
「あぁ、それは失礼しました。次からはどうぞ門内の駐車場に駐めてください。立花さんにとっても家みたいなモンですから」
「ありがとうございます……。聡太も言いましたが、是非うちの家にも気兼ねなく遊びに来てやってください。2人も喜ぶと思いますので」
「お気遣い頂き、何から何まで本当に助かります。まずは長生きできるように、家内と一緒に体力をしっかりと付けますよ」
「えぇ、本当に長生きしてください。まだまだお二人の親は続くんですから」
帰りの道中、聡太は疲れているはずなのに妙に目が冴えてしまって一睡も出来なかった。
妹と母親は後部座席で一緒に眠っており、父親は無言でハンドルを握っている。
眠くなったら寝ていいぞと言われても、覚醒したかのように目は開き、眠気はまるでやってこなかった。
父親と何でもない会話を続けながら帰路を走る。
「ねぇ、お父さん」
「ん? なんだ?」
「今日はありがとう」
ふと、聡太がそう言うと、
「聡太の父親だからな。親は子を守るものだ。当たり前だよ」
そう言った。
本当にこの家に生まれて良かった。そう思う聡太だった。
※やっと主人公が主人公した回でした。
※いつもありがとうございます。
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