第19話 必要だと言うのなら

 9月中旬、ペナントレースはいよいよ佳境へと向かいつつあった。

 残り試合もわずかとなっている。

 だが、今年のパシフィック・リーグは正に混沌といった様相を呈しており、未だ首位から3位までいずれのチームも優勝の芽を残していた。


 ファルコンズは今日からの3連戦を天王山と見据えた。

 相手は金沢オリオンズ。

 現在首位を走るチームであり、ゲーム差は2.5。

 3タテすれば首位浮上だが、逆に連敗すればオリオンズに優勝マジックが点灯する。

 下手をすれば3位まで下落してしまう可能性も出てきており、ファルコンズとしては何としてもここでオリオンズを下したいところだった。


 金沢オリオンズ。

 リーグ屈指の投手陣を誇り、先発中継ぎクローザーと各ポジションに絶対的柱と呼ばれる選手がいた。

 その反面、打線が弱点だと毎年のようにファン達が嘆いていたが、中々ハマる選手が現れてこず、チーム打率はここ数年低調なものだった。


 今年も同様かと思われたが、新たに就任した野添 高雄監督が『打てないなら機動力でカバー』の号令のもと、打率は相変わらず低調ながらも足で稼ぐスモール野球で堅実に点数を稼いだ。

 投手陣はそもそもリーグでも最上位クラスであった為、少ない点を手元に持ったままの逃げ切り型で着実に勝利を重ね、オールスター明けにファルコンズから首位を奪うとそのままジワジワとゲーム差を広げつつあった。

 各チームが躍起になってファルコンズ潰しに走った結果、オリオンズへのプレッシャーが比較的緩いものだった事も幸いしたと言える。


 三冠王御船を要する猛打のファルコンズ VS 投手三本柱を要する投手王国オリオンズの三連戦が始まる。



◆◆


 初戦、オリオンズ本拠地へ乗り込んだファルコンズの先発は、エース柳葉を回避してローテ2番手の小森を選択した。

 1軍再昇格を果たしていた柳葉だが、未だ疲れがやや残っており、先を見据えた采配だった。


 大事な初戦を任された小森は1・2回の立ち上がりを難なく抑えるが、4回にオリオンズ打線に捕まってしまう。

 2巡目となったオリオンズ打線の先頭打者にヒットを許すと、即座に正確なバントから1アウト2塁。さらに動揺した小森は後続打者を死球で歩かせてしまった。


 1アウト1・2塁のピンチ。

 今日のオリオンズの調子を見ている限り、絶対に失点を許すわけにはいかない。

 

 オリオンズの先発は絶対的エースの戸田 重道。

 実はファルコンズ正捕手の矢倉 友道とは高校時代に同級生でバッテリーを組んでおり、『ハマの二道』と呼ばれた事もあった。

 当時からすでに才能を開花させていた戸田は高卒でそのままプロ入り。

 矢倉は社会人へと進み、プロの世界で相対していた。

 

 そんな絶対的エース戸田は、ファルコンズ柳葉が休養中に勝利数を2桁勝利に乗せ、ハーラートップに立っていた。

 さらに調子も上向いており、ファルコンズはここまでの打撃で戸田のボールを捉えられていない。

 この場面で失点を与えてしまえば、そのままオリオンズの勝利の方程式にガッチリとハマってしまい逃げ切られてしまうのが目に見えた。


 

 ここで副島監督が動く。小森を降板させたのだ。

 まさかこれほど早い段階で先発を降板させると思っていなかった観客がどよめく。

 さらに交代を告げる場内アナウンスが流れると、さらに大きく球場がどよめいた。


『ピッチャー小森に変わりまして、背番号17 立花』


 オリオンズベンチにとっても寝耳に水だった。

 ここまでのペナントレースで立花が登板したゲームは全て6・7回以降の終盤のみ。

 さらにリードしている場面でのみ登板していた為だ。


 どよめく観客をよそに、項垂れた様子の小森が降板すると、泰然とした足取りで立花がマウンドへと姿を現した。

 副島は現れた立花にボールを渡し、周囲にいた内野陣も二三言葉を告げると、ゆっくりとベンチに戻る。


 今季のパシフィック・リーグを占う大事な大事な初戦。第二ラウンドがここにスタートした。

 

 圧倒的不利な状況で登板した立花だが、当たらなければなんてことないとでも言うかのように後続を二者連続三振に打ち取りピンチを逃れる。

 大きな流れがファルコンズへと向かいつつあるかと思われたが、そこは投手王国オリオンズの中でも絶対的エースと呼ばれる戸田が流れをファルコンズへ与えない。

 両者ともに圧巻のピッチングで8回まで互いにヒットを一本も許さないまま終えた。


 気迫のピッチングで打者を三振に打ち取る戸田。

 変幻自在のピッチングで打者を寄せ付けないまま三振に切って取る立花。


 すでに立花は今季最長回を登板していたが、未だ交代の様子は無かった。


 9回表、ファルコンズがこのゲームで始めてチャンスを作る。

 先頭打者の御船が初球を上手く叩いて2塁打を放つ。

 疲れが若干見え始めた戸田のインローストレートをコンパクトな打撃で左中間へと打ち込んだ。


 オリオンズ監督の野添は迷った。

 戸田を降板させるかどうか。

 中継ぎはすでにブルペンで待機させており、いつでも行ける状態にはある。

 さらにここで絶対的エースの戸田が仮に打ち崩され、負けるとなればチームの士気もガタ落ちするだろう。

 球界屈指の先発ピッチャーが、新人中継ぎルーキーに力負けするのだ。その影響度は計り知れない。

 初戦を最悪のパターンで落とせば、明日明後日のゲームもどうなるかわからない。

 接戦で競り負けたのならまだしも、未だ一本もルーキーからヒットを打てていないままで負けるのだ。

 明日以降もそのままズルズルと連敗し、気づけば首位陥落もあり得る。


 ――交代か。


 野添がヘッドコーチへ交代を告げようと決め、腰を僅かに浮かせたながらマウンドに視線を向けたところで、再度ベンチへと腰を下ろしてしまった。

 9月も終わりに近づき、気温も下がって幾分か涼しくなってきたはずなのにマウンド上の戸田は真夏の炎天下にいるかのように大量の汗をかいていた。

 さらに敵愾心むき出しの表情でファルコンズナインを睨んでいる。

 その視線の先に立花がいることは明白だった。野添は戸田のその視線で覚悟を決めた。


「ヘッドコーチ、伝令に行ってくれるか」




 戸田は自分のスタミナがすでに限界近くなっている事を自覚していた。

 すでにここまでの試合登板で6完投している戸田は、普段のゲームであれば完投後でもまだ数回程度であれば難なく投げられると自分でも思っているが、今日のゲームはとにかく回を追う毎に精神がゴリゴリと削られるような気がしていた。

 点を取られなければ負けない。

 その精神でここまでやってきた戸田だが、確かに負けはしないが勝つためには味方の援護が必須となる。

 勝たなければ上の順位には上がれないからだ。

 だからこそ、今季のオリオンズの成績は戸田からすれば非常にやりやすいシーズンだった。

 昨季までは、抑え続けていても味方の援護が期待出来ず、0-1の敗戦が多かった。

 他チームに行けば勝ち星をあと6,7個は増やせたんじゃないかと皮肉を言われるほどの貧打で、とにかくう打てないのがオリオンズの代名詞だった。

 今季もさほどチーム打率が向上したわけではないが、足の野球で着実に点を稼いでくれる。

 打線を信用して投げるピッチングがこれほど楽なものだったのかと、今更になって感動を覚えるほどに戸田のメンタルはシーズンを通して安定していた。


 では、今の状況はどうなのか。もはや絶望的と思えた。

 絶対に両チームともに落とせない初戦、早い回で小森を打線が捉えた時に、戸田はここで一点でも取ってくれれば後はエースの名において必ず零封でファルコンズを抑えるつもりだった。

 あわよくば完封。もしも危険な状況になったとしても中継ぎクローザーに任せればまず間違いなく勝利を勝ち取れるだろう。

 初戦を取ればチームも再度、勝ちの波に乗れるはずだ。そしてそのまま連勝でマジックを点灯させればオリオンズの優勝も現実的なところまで手繰り寄せられる……。


 だが、小森から点を奪う前に現れたのは、今季の球界を象徴すると言っても過言ではないルーキーだった。

 3回までの血湧き肉躍るヒリヒリとした小森との闘志をぶつけ合うピッチングとは異なった。

 まるで飄々とした表情で大ピンチを最小の球数でくぐり抜けてしまった。


 ここで戸田は焦ってしまった。

 スコアは変わらず0-0のままなのに、心情的に自分たちが追われる立場から追う立場になったように感じたからだ。

 リードされたわけではない。打ち崩されたわけでもない。

 だが、"追いつかねばならない" その強迫観念が戸田を襲った。


 投げる度にスタミナが目減りしていくのがわかる。

 だが、戸田は気迫で投げ続けた。

 エースとして、先発として、何より勝利の為だと信じて。


 そんな戸田の一瞬の隙を見逃さなかったのが三冠王御船だった。


 (このまま凡退続きで三冠王が引き下がれるわけないだろうが)


 明らかに球威が落ちていると判断した御船は、回が変わった戸田の初球を綺麗に弾き返し、4番としての仕事をこのゲームで初めて見せた。

 俄然盛り上がるファルコンズベンチ。

 立花もグローブを軽く叩いて2塁のベース上でガッツポーズする御船を称えた。



 オリオンズベンチからヘッドコーチが飛び出してくる。

 その姿を視線の隅に捉えた戸田が強烈な殺意とともに睨みつけた。

 

 ――ここで俺を下ろすと言ったらタダじゃおかんぞ。


 言葉には出さずとも戸田の殺意を感じたヘッドコーチが手を顔の前で振って否定した。

 ヘッドコーチの挙動に怪訝な表情になる戸田。

 そんな戸田にヘッドコーチが伝えた。

 

「戸田、監督からの伝言や。『お前の今季のベストピッチングは開幕戦だった。あの時のお前は惚れ惚れするほどに完璧だったやろ。あの時のお前を見せてくれ』との事や」


 ヘッドコーチはそれだけ伝えると、じゃ、と軽く手を振ってベンチまで小走りで戻っていく。

 コーチの言葉に呆気に取られた戸田だが、監督からの伝言を再度ゆっくりと咀嚼するように思い出す。


 ――お前の今季のベストピッチングは開幕戦だった。あの時のお前は惚れ惚れするほどに完璧だったやろ。あの時のお前を見せてくれ……。


 今季オリオンズ開幕戦。今日と同じようにホームスタジアムでの開幕戦で戸田は躍動した。

 初回から相手チーム打線を完全に抑え込み、見事完封勝利。

 単打を一本許したものの、以降は2塁を踏ませる事無く完璧に抑えつけた。

 中盤で味方打線が辛くも1点をもぎ取ると、虎の子の1点を守りきっての勝利。

 あれは正しく今季のオリオンズを象徴するゲームだと言えた。


 投げている戸田もまるで打たれる気がしなかった。

 気迫の乗ったピッチングで次々と抑えていく自身を俯瞰視し、今季は本気で投手三冠を狙えると確信したほどだ。


 ふと、ベンチに視線を向ける。

 そこにはベンチにどっしりと構えた野添監督の顔が見えた。

 腕を組み、一切動こうとしない監督を見て、自然と笑みが溢れた。


「これは、あのオッサンを胴上げせんと男が廃るってもんやな」


 本音を言えば代えたいだろう。

 だが、監督はお前と心中すると言ってくれているのだ。

 ならばオリオンズのエースとして応えねばならないだろう。

 ここで抑えられなくて何がエースか。

 お前ならやれると、これくらい出来るだろうと信頼されているのだ。


 戸田を覆っていた強迫観念が霧散していく。

 張り詰めていた神経が弛緩し、戸田が本来持つべき能力がその姿を見せ始めた。

 妙に力んでしまっていた肩の力が抜けていくのがわかった。


「ちょっと肩を痛めてしまったかもしれんな。だが、それでも今日は俺が投げきる」


 大きく深呼吸し、ロジンをとん、とんと二回叩く。

 ふぅ、と息を吐いて指に付着したロジンを吹き飛ばすと、打者と相対した。

 もう2塁ベース上にいる御船も気にならない。

 目の前の打者を3人打ち取ってしまえばいいのだから。


 プレイ再開。


 戸田が投げる、投げる、投げる。

 面白いようにボールが指を這い、強烈な回転が乗ったストレートが投じられる。

 落ちていたはずの球威が嘘のように、ここで戸田は9回にも関わらずこのゲーム最速のストレートを投じた。

 三振、三振、三振。


 最後の打者を三振に打ち取った瞬間、湧き上がる観客たちの歓声を聞きながら、戸田はマウンド上で雄叫びを上げた。





 その後、試合はそのまま延長12回互いに譲らず0-0のまま引き分けで天王山初戦を終えたのだった。





※いつもありがとうございます。難産でした……。たぶん後日加筆します。

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