第17話 前にすすむために(中)
翌日朝、泣きつかれたまま眠った聡太が目覚めると、左右に両親の寝顔があった。
さらにその奥には妹も眠っている。
よく見ると部屋は両親の寝室だった。
普段は布団を2枚並べ、そこで両親が眠っているはずだったが、見るとどこからか取り出してきたのだろうもう1枚の布団を並べ、3枚で家族川の字のようにして寝転んでいるのがわかった。
いつの間にか着替えさせてくれたのだろう、服装もパジャマになっている。
聡太が起きた事に気づいたのか、隣で眠っていた父親も目を覚ましたようだった。
「聡太の方が先に起きたんだな、おはよう」
「お父さん、おはよう。みんなで一緒に寝たんだね?」
「あぁ、何となく家族水入らずで一緒に寝たくなってな。着替えは母さんがしてくれたからちゃんとお礼言うんだぞ」
「うん、わかった。……お父さん、昨日はごめんね?」
「謝らなくていいさ。お前は俺たちの息子なんだ。父さんも母さんもそんなもの求めちゃいないよ」
「……ありがとう」
「うぅーん……パパとにいちゃおはよぉ。……あれ? なんでパパとママのお部屋にいるの?」
2人の声で目が覚めたのか、妹も目を覚ました。
「おはよう、昨日はみんなで一緒に寝たんだよ」
「えぇーっ! そうなの!?」
「うぅ……ん」
妹の大きな声に母親もモゾモゾとしていたが、すぐにハッと目覚めると隣に座っていた聡太を抱き寄せながら「聡太、おはよう」と言った。
「ちょ、ちょっとお母さん恥ずかしいって」
「朝から聡太が隣にいてくれてお母さん嬉しくて。明日からもみんなでこうやって寝ようかしら?」
「そうしよそうしよ! 面白いからみんなで寝ようよ!」
「恥ずかしいダメ! 今晩からはまた兄ちゃんと一緒に子供部屋で寝るんだよ」
「えぇー! なんでぇー!」
「ま、たまにはこうやって過ごすのも楽しいじゃないか」
「たまにならいいけど……」
家族全員が起きたので、そのままリビングへと向かい朝食を摂る。
食事中も会話は尽きず、聡太は普段これほど剽軽に話をしないはずの両親を見て、きっと自分の為に敢えてこうしてくれているのだろうと心の中で感謝していた。
食事後、昨日の夜に風呂に入らず寝てしまった聡太と父親が一緒に風呂に入っていると、湯船に浸かっている父親が言った。
「聡太」
「うん、なにー?」
「会いに行ってみないか?」
「え? 誰に?」
「前の両親のところにだよ」
「えっ」
思わず洗っていた手を止めて父親の方を振り向く。
父親はしっかりとした視線で聡太を見ていた。
その視線で、すぐに冗談の類で言っているわけではないと聡太も理解する。
「本当は、ずっと行きたかったんじゃないのか? 会いたかったんじゃないのか?」
「……」
「父さんと母さんに気兼ねする必要なんてこれっぽっちも無い。聡太が会いたいと言うのなら、そうすればいいんじゃないか」
「でも……信じてもらえないかもしれない」
「そうかもしれない……。でも、そうじゃないかもしれない」
「……」
「会わないまま後悔するかもしれないなら、会ってみるべきだと父さんは思う。勿論、決めるのは聡太自身だが」
「うん……」
「昨日も言ったが、何があっても父さんと母さんは聡太の味方だよ。その上で、聡太がどうしたいのかが大事なんだ」
心強く、染み渡るような優しさの籠もる言葉だった。
その言葉だけで何だって出来そうな気がした。
何があろうと、どんな状況だろうと味方でいてくれる頼もしさと心強さ。
「うん、僕やっぱり、会いに行ってみたい」
◆◆
「……」
「にいちゃ、どうしたの?」
今、立花家は家族全員でとある家の前に来ていた。
表札には『橘』の文字。
その家は、『橘 聡太』が生まれ育った家だった。
前日の朝、風呂から上がった父親は聡太から連絡先を聞くとすぐに電話を掛けた。
こういうのは勢いも大事だからと言いながら、アワアワとしている聡太を少し席から離し、自室から携帯で掛けたようだった。
リビングでドキドキとしながら母親と妹と待っていると、父親はすぐに自室から出てきた。
「聡太、橘さんと連絡取れたよ」
「そ、それで……」
「やはり、橘さん夫妻には聡太という子供がいたとの事だった。詳しくは聞いていないし話していないが、どうしても息子さんの事で話したい事があると言ったら、少し警戒されたけど伺う事を承諾してくれたよ」
父親の言葉で、やはりこの世界はパラレルワールドではなく、聡太が元々いた世界なのだと理解した。
いや、もしかすると『橘 聡太』が別で存在していて、訪問した際に別の『橘 聡太』もいるかもしれないと一瞬考えたが、なぜかそれは無い気がした。
「そ、そうなんだね……」
「という事で、明日家族全員で橘さんのご自宅に伺う事にした」
「明日!?」
「こういう事は早い方がいいだろうし、聡太もここまで聞いたら気になって仕方がないだろう?」
「そ、それはそうだけど……」
「という事で母さん、今からデパートに行って子供2人の一張羅を買いに行こうか」
「そうね、大事な聡太のお宅に行くんだから、ちゃんとしないといけないわね!」
「い、いやそんなに気合入れなくても……」
聡太の言葉を笑顔で流しながら両親が早速外出の準備をし始めた。
詳細はわからないが、とりあえず家族全員でお出かけだと知って喜ぶ妹と、狼狽したまま固まっている聡太の対比を見て、両親は小さく笑った。
慌ただしくデパートで聡太と妹の服を買い揃え、せっかくだからとそのまま他の買い物もし、夕食も外で済ませてしまうと自宅に帰ったらすぐに入浴。
明日は朝が早いからという理由ですぐさま就寝させられた聡太は、ろくに心構えをする前に当日を迎えてしまった。
早朝、聡太が住む家から橘家までは県をまたいで移動する為、まだうつらうつらと船を漕いでいる妹を車に乗せて立花家を出た。
途中、サービスエリアに寄りながら朝食を軽く済ませ、さらに車を走らせる。
橘家に着くまでの間、聡太はずっと考えていた。
もしも、聡太が死んだあの日から今世が始まったとすると、ちょうど10年ぶりとなる。
電話口で聞いた母親の声が今でもすぐに思い出される。
何を話せばいいのか、と考えても答えは出ない。
ただ只管に言葉にしようのない緊張感だけが聡太を纏い、うるさいくらいに心臓の音が高鳴っていた。
途中までは両親も気を遣って聡太に話しかけていたが、どうにも反応の鈍い聡太を見て、そっとしてくれているらしかった。
最寄りのコインパーキングへ車を駐車し、橘家まで歩く。
とはいえ、場所はもうすぐそこであり、聡太は懐かしい街の空気感に懐かしさを感じるよりも、ひたすらに帰りたくなってきた。
もうそこの角を曲がったら橘家が見える。
というところで父親が急に足を止めて聡太に顔を向けた。
「聡太、帰りたかったら無理して行かなくてもいいんだぞ」
「えっ」
聡太は一瞬、父親が何を言っているのかわからなかった。
「嫌な辛い思いをしてまで会う事は無いと思う。それに、もしもまだ早い。もう少し時間が必要だというなら、別に今日じゃなくてもいいしな」
昨日の今日で約束した父さんが言うべき事じゃないけどな、とおどけながら言う。
「今から聡太がしようとしている事は、きっと聡太の人生の中でとても大事な事だろう? だから、時間が必要だというのなら父さんはそれでもいいと思っている」
「うん……」
「明日でもいい。来週でも、来月でも来年でも、もっともっと先でもいい。一番大事なのは、聡太がどうしたいかって事だから」
「……はい」
「その上で、聡太はどうしたい? 父さんも母さんも聡太の意見を尊重するよ」
どうしたい?
父親の言葉を反芻させながら、目を閉じて少し考える。
すると、やはり聡太には会いたいという気持ちが強く心の中にあるのだと自覚した。
会いたい。
会ってどうする?
謝りたい、でもそれ以上にありがとうと伝えたい。
ずっと苦しくて痛みばかりの日々だったけれど、2人の子供でいられて幸せだったと。
目を開け聡太が視線を向けると、両親が大きく首を縦に振る。
「お父さんもお母さんもありがとう。僕、やっぱり会いたい」
「そうか……よし、それじゃ会いに行こう!」
その言葉とともに差し出された父親の手。聡太は照れくさく感じながらもその手を取った。
もう前世も含めれば三十年近く生きているのに、もうすっかり背も大きくなってきているのに、それでも手に取った父親の手のひらの温もりは聡太に勇気を与えてくれるように感じた。
角を曲がり、見えてくる橘家。
少しずつ全映が見えてくるに連れ、聡太は猛烈に涙が出そうになってきた。
(あぁ……やっぱり僕はこの家で生まれ育ったんだなぁ)
この世界はパラレルワールドなんかじゃない。
父さんがいて、母さんがいて、小さい頃までは僕もいた。
たまに出る外出許可で家に返ってきた時は、別に何かが変わっているわけじゃないのに、その変わらなさが妙に嬉しかった。
門の前まで来る。
シンプルな『橘』の表札。
10年前よりも少しだけ色がくすんだように思えた。
門の奥に見える道沿いにはあれほどたくさんの花が育てられていたのに、今は1つもその姿がない。
よく見ると、端に空になった植木鉢が大量に置かれているのがわかった。
時刻は約束の5分前。
じゃ、押すよと言って父親が呼び鈴を鳴らした。
バクバクと鳴る心臓の音で何も聞こえないんじゃないかと思ったが、すぐに出た母の声がやけに明瞭に聞こえた。
『はい、橘ですが』
「朝早くから失礼します。昨日、急なお約束をさせて頂きました立花と申します」
『……すぐに伺います』
出た母の声は、ひどく平坦な口調だった。
聡太の病室にいる時には聞いた事がないほどの平坦さで、まるで人に興味を失った声だった。
ガチャリ、と音が鳴りドアが開いた。
見ると、そこには聡太の記憶の中で覚えていた疲れながらも気丈に笑顔を向けてくれた母はおらず、生気の抜けきった母がいた。
身体もかなりやせ細っていて、今にも折れてしまいそうなほどにその歩みは弱々しい。
さすがに両親も少し驚いた様子だったが、門まで歩いてくる母に頭を下げる。
「朝早くから押し掛けて申し訳ありません、立花です」
「……どうぞ、主人も中で待っておりますので」
頭を下げながら改めて挨拶をする両親と、その後ろにいる聡太と妹にちらりと目を向けるが、すぐにその視線を外して母は背を向けると家まで歩み始める。
聡太は自分の記憶の中にいる母との違いにひどく狼狽えながらも、父親に手を引かれて橘家へと足を踏み入れた。
門から家までの間にある小さな庭にも、やはり何も植えられていなかった。
この庭では母がガーデニングなどをしていて、とても大事に育てていたのを聡太はよく覚えている。
たまの外出許可が出た時に縁側からここの庭を見るのも大好きだった。
「お邪魔します」
口々にそう言いながら玄関をくぐり、家に上がる。
あぁ懐かしいなぁ……。
久しぶりに嗅いだ実家の匂いは、聡太の中の記憶そのままだった。
家の作りも、置いてある装飾品も何も変わっていない。
強いて言えば、家全体が薄暗く感じた。
照明が暗いわけではない。雰囲気が暗かったのだ。
人が生活をしているはずなのに、空気が淀んでいるような、変化を求めていないような、そんな雰囲気だった。
「奥の客間に主人がおります」
私はお茶を用意しますので、そう言って母はキッチンへと消えていく。
どうにも掴みどころの無い母の態度に不安を感じつつも、聡太と家族は言われた通りに客間へと足を向けた。
「おぉ、これはわざわざお越し頂いてありがとうございます」
客間の和室には父がいた。
ガッシリとした体格はそのまま変わっていないが、年齢の割に若々しいと本人も気に入っていた黒髪は全て白髪へと変わっていて、これまでの苦労が垣間見えた。
もう長い事剃っていないのであろう髭も真っ白としており、頬も若干こけていた。
敬語で話す時に、どうしても関西弁のイントネーションが抜けなくて困ると言っていた口調そのままだったのもその時に思い出された。
「いえ、不躾にも急にお伺いして申し訳ありません。私、〇〇大学の立花と申します」
「ご丁寧にありがとうございます。……こちらは少し前に退官致しまして名刺がお渡し出来ず申し訳ない。橘です」
「えっ」
父の言葉に、思わず聡太は声を出してしまった。
経産省でそれなりのポストまで順調に出世していたはずだった。
退官まではまだ数年あるはずだと聡太は記憶しており、しんどい仕事だけどやり甲斐のある仕事だぞと父から常々聞いていたからだ。
聡太の声に、2人が視線を向けられ「あ、いえすいません……」と聡太が言うと、父は怪訝な表情をしたが、すぐに立花一家に腰を下ろすように言った。
「今日は家族で急にお伺いして申し訳ありませんでした」
「いえいえ、とんでもないです。家内から息子についてどうしても話をしたいと言っていると聞きまして。家内は少し嫌がりましたが、私は息子の事であれば是非ともお聞きしたいと思い、お越し頂いた次第ですので」
「そう言っていただけますと助かります。私も普段は学問畑ばかりで中々こういった事は慣れていないものですから……」
「○○大学の立花教授といえば、その学問筋では一大家でしょう。国の発展にご尽力されているといっても過言ではないと思いますよ」
「とんでもない……。そこまでお調べ頂いていたとはお恥ずかしいばかりです」
「昔取った杵柄ですな。私も経産省に勤めていた関係で大なり小なり学術部門とは繋がることもありましたのでね。偉ぶる必要はないが、卑下される必要もないでしょう」
「これはこれは……ありがとうございます」
2人が世間話をしていると、母が人数分のお茶を持って客間まで戻ってきた。
母親が手伝おうとするが、それをお客様ですからとやんわりと断る。
やはり平坦な表情が気になるが、それぞれの席の前にお茶を置き、そのまま父の横に席を下ろす。
「して、本日お越し頂きました件についてですが……?」
出された茶で少しだけ喉を潤した父が、本題に入るよう促す。
その声に父親が頷いた。
「はい、今日伺いました理由ですが、電話でもお伝えしましたが息子さんの事についてです」
「そうらしいですな。ちなみに息子と立花さんのお宅との繋がりが私にはまるで思い出せないのですが……?」
「だと思います。今から私達がお伝えする事はまるで荒唐無稽だと思いますが、どうか最後まで聞いて頂ければと」
「……? えぇ、わかりました」
「まず、息子さんが橘さんご夫妻にいらっしゃったという認識は間違いないでしょうか?」
「えぇ、そうですね。もう聡太が死んで気づけば十年が経ってしまいました」
父がそう言いながら視線を隣の部屋へ向ける。
その先には仏壇が置いてあり、聡太の前世の写真も一緒に供えられていた。
「やはり、息子さんのお名前は橘 聡太さんで間違いないという事ですね」
「えぇ、立花さんのお宅とは字が違いますが、橘ですね。それが何か?」
回りくどい父親の物言いに、僅かばかりに眉をしかめる父。
もう頃合いだろうというところで、父親が聡太にちらりと視線を向ける。
聡太がしっかりと頷いたのを確認し、父親が言った。
「今日、うちの息子を連れてきた理由にも繋がってきます。息子の名前は立花 聡太。……橘 聡太君が亡くなられた日に生まれた子供です」
※いつもありがとうございます。
※今更ですが、星100超えました。感謝感謝です。
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