第16話 前にすすむために(前)

「お父さんとお母さんに大事な話があります」


 週末のある日、夕食が終わって聡太の父親がリビングでコーヒーを飲みながら資料に目を通していると、聡太がやってきて真剣な表情で言った。

 母親は妹を風呂にいれてそのまま寝かしつける為に姿はない。


「大事な話……? それはどういう意味だい?」


 資料から目を離した聡太に向ける。

 聡太の表情は何かを覚悟しているような、切羽詰まった表情をしていた。


 

 とある大学で教鞭を取る父親は、幼い頃から聡太の聡明さに気がついていたが、本人がそれをひけらかしたりしないのを見て口にはしていなかった。

 強いて言うなら、子供らしくしている・・・・・・・・・自分の息子に違和感を抱きつつも、わざと見ないようにしていた。


 小学校に上がってからもそれは変わらずで、妹が愚図ったりすれば率先して相手をしてあげたり、お菓子を欲しがれば自分の分まであげてしまうほどの聡太を見て、これだけ優しい子供のままで社会に出た時に本当にやっていけるのか? と不安を抱くほどだった。

 反面、身体は弱く、季節の変わり目には必ずといっていいほどに風邪を引いたり体調を崩したりもした。

 少し走るだけでも息が上がり、長時間の運動は出来ない。

 それでも本人が楽しそうにするので、周囲が何とか気をつけておかないと倒れるまでしちゃいますよ、と担任から言われた時には両親ともども肝が冷えたものだった。

 

 勉強は人一倍出来た。

 テストでもいつもクラスで一番、小テストも常に満点を取っており、学習態度も非常に真面目で友達も多いと担任からの評判も良かった。

 父親は自分を地味な人間だと自覚しており、一緒になった妻も自分でそう言っている。


 そんな2人からなぜこれほど社交的な子供が生まれてきたのかが不思議で仕方がなかった。

 妹は子供らしく愚図る時もあるが、基本的には大人しい性格の子供で、通っている幼稚園でも大人しい手のかからない子供だと保育士が言っている。


 何とも不思議な事もあるんだなぁ、でも我が子だからやっぱり可愛いもんだな、と父親は暢気に考えていた。


 そんな聡太が、いつも見ないほどの真剣な表情で行ってくるから父親は驚いた。

 普段は柔和な笑顔を常に携えていて、感情を表に出す事がない。

 えんえんと泣くこともなければ、声を荒らげてわがままを言う事もない。

 唯一のワガママらしいわがままは、グローブとボールを買って欲しいと自分から言ってきた時くらいで、それもとても申し訳なさそうにおずおずとだった。


 その時ばかりは子供らしい満面の笑みでプレゼントを喜び、飽きないのかと思うほどにずっと一人で壁当てしていた。


「お父さんとお母さんにどうしても話さなきゃならない事があるんだ。僕の事について」

「聡太の事について? それは父さんも母さんも知らない事なのかい?」


 父親は聡太が言っている意味が今ひとつ理解出来ないが、どうやら本人は至極真面目な顔で言っている。

 これは茶化したり出来る内容じゃ無さそうだと判断し、父親は「わかった」と返事した。


「2人ともどうしたの……?」

「あぁ母さん、ちょっとこっちに座ってくれ」

 

 妹を寝かしつけ終えた母親は、リビングに入ってきてすぐに2人の様子がおかしい事に気づいた。

 父親の手元にはいくつかの資料があるが、視線はそこには向いておらず、テレビへと向けられている。

 画面の先では何やらバラエティ番組が流れているが、意識がそちらに向いていないことはすぐにわかった。

 母親が現れた事に安堵したような表情で隣の席を促してくる。


 その対面には聡太が座っているが、何やら思い詰めた表情のままテーブルをじっと見ている。

 見ると、両手は強く握りしめていて思い悩んでいるのがすぐにわかった。


 母親は何がなんだかわからないが、聡太の事に関して何か非常事態があったのだと判断し、父親の隣へと腰を下ろした。


「なに? 聡太になにかあったの? どうしたの?」


 母親は初めての状況に困惑していた。

 母親にとっても初めての子供で、生まれてくるまでは育児について不安だらけだったが、とにかく聡太は手のかからない子供だったからだ。

 体調を崩している時に言わないのは少々困るものだったが、それ以外は本当に手がかからない。

 歩きだしてからは特に顕著で、言わなくても自分の事は率先してやり、妹が生まれれば妹の分まで進んでやってくれる。

 母親からすればもはや一緒に育児してくれていると言っても過言ではないほどに聡太に助けられてきたという自覚がある。

 育児で悩んでいる時でも、聡太の柔らかい笑顔を見れば何とかやっていけると思ったほどだ。

 

 だからこそ、目の前に座る聡太の思い詰めた表情は母親の胸をひどく痛めた。

 こんなに笑顔が似合う子供が、何をされたというのか。

 虐めだろうか、辛い思いをしたのだろうか。

 聡太の辛そうな顔を見ていると、こちらまで涙が出てきそうになってくるではないか。


「いやちょっと母さん落ち着いて。聡太が俺たちに話したい事があるって言ってるから」


 父親の言葉に、思わずムッとする母親。

 こんな状況で落ち着いていられるわけないじゃない!

 そう言いたそうになって父親の顔を改めて見ると、どうも困惑している表情が見て取れた。

 その表情で幾分か怒りが落ち着いた母親は、ふぅと息を吐いて聡太へと視線を向ける。


 それまで視線を下げてじっとテーブルを見ていた聡太の顔が真正面を向いた。



◆◆


 まず、最初にお母さんごめんね。どうしてもお父さんとお母さんに話したい大事な事があったからさっきお父さんにお願いしたんだ。

 お父さんは何も悪くないから怒らないであげて、ね?


 うん、ありがとう。僕もお父さんとお母さんが大好きだよ。

 2人の子供として生まれてきて本当に幸せだし、これからも家族で一緒にいっぱい楽しい事をしたいと思ってる。

 

 それで、その為には、家族4人で暮らす為にはどうしても2人に言っておきたい事があるんだ。

 本当なら今までにも言えたはずだし、もっと早く言わなくちゃいけなかったんだろうけれど、なんでだろう。

 僕が弱かったというのもあるし、こんなおかしな事を言って信じてもらえるかわからないっていうのもあったし……。


 それに僕はこの家のみんながとても大好きで、幸せだから無くしたくないって思ったのかな。よくわかんないよ。



 でも10歳になって、何だろうな、僕はとてもいけない事をしているんじゃないかと思うようになった。

 どうして僕だけがこんなに幸せでいていいんだろう? って。

 きっと今も、この瞬間だって悲しんでいる人がいて、それに背を向けて笑いながら生きて行くのが本当に正しいのかな、って迷うにようになった。


 僕は必ずこの世界でやりたい事、成し遂げたい事があって、絶対にそれを成し遂げるつもりなんだけど、その前にまずきちんとするべき事があるんじゃないかと思うようになった。


 あっ、ううん。悪いこととかそんなんじゃ全然ないよ。

 学校の友達もみんなとても仲良くしてくれるし、僕も学校は大好き。だからお母さん安心してね。



 ……それでね、僕はとても今、幸せだって言ったと思うんだけど、もしかしたら誰かの幸せを奪っているかもしれないって考えるようになった。

 

 もっとわかりやすい方がいいよね、ごめんね。


 正しく言えば、本物の立花 聡太の幸せを、僕が奪っているんじゃないか。

 僕はそう思うようになったんだよ。


 お父さん、ちょっとそこにあるゴミ箱を持ってくれる。

 うん、そうそう、そのままリビングの一番端まで持っていてくれる?


 ……うん、ちょっとそのまま持っててね。

 それでこれを、ほいっ。


 うん、ありがとう。

 ちゃんとボールが中に入ったよね。


 うん、じゃもう一つ投げるからそのまま持っててね。

 ほいっ。


 うん、うん?

 今のはなんだって?


 これが僕の力ってやつかな。

 ボールだったら、必ず目当ての場所に投げられるってやつ。

 ボールの軌道とか、空気摩擦とかそんなもの何一つ関係なく、絶対に百発百中で投げられる能力ってやつ。


 だってほら、もう1回投げるね。

 ……ほいっ。


 ほら、今のなんて下から上に上がってからゴミ箱に入ったでしょ。

 どう考えても絶対にあり得ないんだよね、今のなんて。

 そうだね、お母さん、魔法みたいなものなのかもしれない。



 うん、お父さんありがとう。

 それでね、この能力に気がついたのは3歳ぐらいの時なんだけど、実は僕はずっと生まれた頃から自我の意識があったんだ。

 ほら、僕が生まれて2ヶ月の時に結婚記念日があって、その日のお父さんの帰りが遅くなっちゃってお母さんがお父さん早く帰ってきてくれないかなー、って僕に言ってたでしょ?

 そうそう、それ以外にもお父さんが僕のおむつを買いに行ってくれたけど、サイズを間違えて買ってきちゃってお母さんに怒られた事とか、僕全部覚えてるよ。


 うん、そう。

 本当にずっとずっと意識があったんだよ。

 今世の立花 聡太として、ね。


 物凄く突拍子もない事なんだけれど、本当に信じられない事なんだけれど、実は僕には前世の記憶があるんだ。

 2人が名付けてくれた『立花 聡太』の前の人生、『橘 聡太』としての人生が……。


 

 なんで同姓同名だったんだろうね、それは僕にもわかっていないよ。

 分かっている事は、僕は『橘 聡太』として17年間を生きていて、そのほとんどが病院のベッドの上で過ごしていたんだ。

 来る日も来る日も薬ばかり、夜になると身体が痛くて寝れなくて、痛み止めを出してほしいって言うんだけど、しょっちゅう服んでいたから出してくれない日は本当に辛くてね。一晩中暗い病室の天井ばっかり見ていたなぁ……。



 それで最後はもうダメだってなって、父さんと母さんが泣いていたんだけど、それを見ながら僕は、あぁやっと解放されるんだ……って思ったのを今でもよく覚えてる。

 2人とも僕の看病ばかりで疲れ切っていて、きっと本当なら3人で色々なところに行ったり、美味しいものを食べたり出来たはずなのに、そんな事一言も言わなくて、僕がいる病室に来る時はいっつも笑顔で……。


 本当に僕は親不孝な子供だったんだろうなぁ……。

 1度だけ母さんに、『妹か弟でもいれば良かったのに』って言った時は本当に怒られた。

 そんな事は二度と言うな、私も父さんも聡太がいてくれるだけで、生きてくれているだけでいいんだから、聡太がいない世界なんて意味がない。

 そう言われた時は、僕ももう大きくなってたのに声を上げて泣いちゃったよね。今思いだすとちょっと恥ずかしいけど。


 

 僕にはそんな『橘 聡太』として生きた17年間の記憶がしっかりとある。

 じゃあ、今ここにいる『立花 聡太』は一体誰なんだ? そう考えてもおかしくないよね。

 だから僕は色々調べた。本当に色々調べたんだ。

 もしかしたらパラレルワールド? ってやつなのかもしれないし、たまにいる前世の記憶を持った子供なのかもしれないとも考えた。


 僕の誕生日……あるでしょ?

 それね、『橘 聡太』の命日なんだよね。


 だから、僕は悩んで悩んで迷って、電話してみたんだ。

 前の家の『橘 聡太』が住んでいた家の電話に。


 お父さんもお母さんも家にいない時、家から電話してみたら、すぐに電話は繋がった。

 コール音が妙にうるさくて、何度ももう切ってしまおうかと思ったら、コール音が止んだんだ。


『もしもし橘ですが』


 その声だけだったけど、少し疲れた声だったけどすぐに母さんの声だとわかったよ。

 あぁ……あの時は本当になんて言えばいいのかな、嬉しいのか、悲しいのか、申し訳ないのか分からなくて、でも僕は何も言えなくて電話を切っちゃったんだ。



 それからの日々は本当に辛かった。

 きっとお父さんとお母さんから生まれてくるはずだった『立花 聡太』を奪って幸せにいきていて、『橘 聡太』として一緒に生きてきた父さんと母さんには何も言えなくて……。

 本当に、本当に辛かった。



 一生、隠して生きようとも思った。

 言わなければ誰にもわからないとも思った。


 でも、たくさんの人を騙して二回目の人生を生きていて本当に僕はいいんだろうか?

 せっかく神様が僕を転生させてくれて、こんな能力までくれたというのに、そんな生き方をして許されるんだろうか?



 考えれば考えるほどに僕は分からなくなっちゃった。

 ううん、ごめんね、ありがとうお母さん。


 前は、こんなに、泣き虫じゃなかったのに、なんだか成長に、つられてるみたいで考えれば考えるほどに涙が出てきちゃって……。


 

 ……これで僕の話はおしまい。


 今、お父さんとお母さんの目の前にいる『立花 聡太』はもしかしたら本物じゃないのかもしれません。

 2人にはもっと活発で面白くて、いい子が生まれたのかもしれません。

 その子の人生を、もしかしたら僕が横から奪ったのかもしれません。

 どうしても今の人生が、4人で暮らす生活が楽しくて黙っていました。



 ごめんなさい。

 僕は今まで2人にずっとこんな大事な事を隠していました。


 ごめんなさい。

 2人の『立花 聡太』じゃなくて。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。



◆◆


 話が終わる頃には、3人とも涙でボロボロだった。

 必死になって頭を下げて、何度もこぼれ出る涙で言葉を切れながらも、話す聡太に父親も母親も涙を流しながらじっと聞いていた。

 聡太が話す内容は荒唐無稽だった。

 まるで突拍子もない内容で、何一つ現実味はない。


 物理法則で説明の付かない能力があったとはいえ、だ。


 父親と母親は泣きながら必死に何度も謝る聡太を、力強く何度も抱きしめた。


 お前がどこの誰であろうが関係ない。

 間違いなくお前は私たちの子供で、『立花 聡太』だ。

 私たちはお前が生まれてきてくれて、たくさんの幸せをもらった。

 それは今までもこれからも一緒で、変わることなど無い。


 私たちは家族なのだから。

 私たちは世界に一人しかいない『立花 聡太』の父と母なのだから。


 一人で思い悩むな。

 一人で思い詰めるな。


 きっとこうやってみんなで悩み苦しむ時間すらも、家族の時間のはずだから。

 一生を一緒にいれるわけじゃない。

 だからこそ、一緒にいる間くらいはみんなで考えよう。

 みんなで一緒に生きていこう。

 たぶんそれも、家族の形のはずだから。



 父親と母親の言葉に安心したのか、もう体力の限界だったのか。

 聡太は泣きながら2人の胸の中で眠ってしまった。


 スヤスヤと眠る聡太の顔は、とても大事なものに守られていると安心しきった子供らしい表情だった。



※いつもありがとうございます。

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