第9話 俺にも意地ってものがある

 5月下旬、当初の予定を大幅に超えて抹消から1ヶ月が経過した頃に立花は1軍へ再登録された。

 これにはマスコミを初めとした各チームもたまげた。


 疲労と監督は言っていたが、もしや怪我か……?

 そう訝しんだ者もおり、久しぶりに本拠地に姿を現した立花へ突撃取材する者もいた。

 立花に関してはファルコンズがドラフト会議から今日に至るまで徹底的に取材を拒否している。

 ほんの一瞬の隙を狙っての突撃取材だった。

 

「立花選手! 登録抹消からかなり日が空いての再登録でしたが、怪我か何かだったのでしょうか!?」

「え、僕って今まで怪我してたんすか?」

「え?」

「え?」


 ぽかんとした表情の記者に呆れる立花。


「もう行っていいすか」

「え、ではなぜ今まで1軍に上がってこなかったんですか!?」

「そんなん監督に聞いてくださいよ。上がる上がらないなんて俺が決められる事じゃないでしょ」


 そう言うと立花は背を向けて球場へと歩き出す。

 このままでは次にいつ声を聞けるかわからない!

 こんなネタ程度で社に戻れば、デスクから何を言われるか……!

 記者は必死になって頭を回転させ、そして口を開いた。


 この記者は立花の母校に行った事もある。

 当時のチームメイトや監督にアポを取った事も。

 だが何1つ情報は出てこず、わかったことは夏の甲子園で優勝した大阪藤陽と練習試合をしたという事だけ。

 その内容すらも両校から全く出てこず、『お前は毎日ファルコンズについてて何をしてるんだ』とデスクから嫌味ばかりを言われる日々だった。

 ムカムカしてくる気持ちに何とか蓋をしつつ、失礼な物言いの立花に何と返そうかと思案していると、立花が小さくため息をついた。


「じゃ、行きますね」

「ちょ、ちょっと……」


「俺の動向が気になるなら、ピッチングを見て楽しみたいなら球場に来ればいい。俺はあんた方にネタを提供する為に野球をしているわけじゃない。人を楽しませて金を稼ぐ為にここにいるんですよ。……それに大体、アンタら他の選手に俺の事ばっかり聞いてるでしょ。その選手に失礼だとか思わないワケ?」


 一気にそこまで言い切ると、記者の反応を待つ前に立花は背を向けて球場へ消えていった。

 立花の言葉に記者はしばし呆然とした。


 


 ◆◆


「どうも、お疲れさんです」


 その横を、スッと通り抜けていった男がいる。

 中川 貴之介 29歳である。


 社会人から入団した中川は、即戦力として期待されてファルコンズに指名された。

 その期待に応えるかのように、入団初年度から60試合以上に中継ぎとして登板。

 以降、毎年60試合以上に登板し、回またぎでも安定したピッチングを披露していたが、昨年は大きく成績を落としていた。


 ファルコンズからドラフト4位で指名された時、中川家内では意見が二分化されていた。

 挑戦をしてみたい貴之介と、現在の所属企業で安定した生活を送りたい妻の意見である。

 この時、妻は妊娠6ヶ月。

 所属企業では社会人野球引退後にそのまま営業職での雇用が決定していた為に、妻からすれば博打するわけにはいかなかったのだ。


 結局、侃侃諤諤の話し合いの結果、妻が折れた。

 絶対にプロ野球で成功してみせる、と強く約束する夫の言葉もそうだが、それ以上に妻は夫が野球で躍動している姿を見るのが好きだったのだ。


 その約束を貴之介はしっかりと守り、初年度から安定したピッチングで毎年年俸は増額が続いた。

 これには夫婦ともども、生まれてきた子供にも顔向け出来ると思っていた矢先、一気に成績を落としてしまう。


 ここ数年の奮闘を理解してくれた球団は、さして落とさない年俸で契約更改をしてくれたが、今年も成績を落とせば大減俸は免れない。

 中川に限らず中継ぎ陣は軒並み低調だったが、それで評価が上下するわけでもない。


 ーー1回でも多く投げ、それをしっかりと抑えねばならない。

 

 中川は2023年シーズン前の自主キャンプから徹底的に自分をシゴいた。

 主に求められるのは継戦能力。

 であればスタミナだと、来る日も来る日も走り込んだ。

 投げ込む前にまずは下半身の強化とスタミナだと、とにかく走り込む。

 その甲斐あって、自身を持ってそのままの勢いで春季キャンプ入り、シーズン開幕を迎えた。


 だからこそ、開幕からの1ヶ月間を中川は悔しい思いで見ていた。

 数試合には登板したとはいえ、それらは全て負けが混んでいる試合のみ。

 ついに一ヶ月の間にリードした場面で中川に声が掛かることはなかった。


 猫も杓子も立花 聡太。

 これがその時のファルコンズ、ひいてはプロ野球界を現していた。

 社会人上がりで中継ぎ投手。

 自信のある武器はいくつかあるが、華があるわけではない。

 それなりに安定した成績で抑えるが、超一流レベルの成績とまではいかない。


 昨年までのファルコンズにおいて、大事な場面で登板させるとすれば?

 そんな時に中川はいつでも2番に上がる投手だった。

 当然、上には斑尾がいた。

 中川個人は斑尾のピッチングを深く尊敬している。

 老練とまで言われるそのピッチング技術や、調子が悪いながらも抑える局面などは、見ていて惚れ惚れするほどだった。

 だからこそその斑尾を超えない限りは、自分は2番手のままであり、決してその座も安泰ではないと考えていた。


 尊敬しているうちは俺のレベルもたかが知れている。

 ライバル視して初めて1番を狙えるだけの実力があるんだ。

 後ろには友永さんや、調子が上がってきた成田もいる。

 絶対に今よりも落ちるわけにはいかない。

 なんとかして今年こそ斑尾さんに食らいつき、取って代わるのだ。

 中川はそう考えていた。


 すでに衰退曲線に入っている斑尾とまだ二十代の自分を横に並べるのはどうかとも思ったが、そこは弱肉強食のプロ野球世界。

 本人は後数年やれると言っているが、引導を渡すのも若者の役目だ。

 そうして開幕を1軍で迎えたのだ。



 だが、蓋を開けてみればどういう事か。

 立花立花、これまた立花。

 説明が付かない軌道で縦横無尽に動くボール。

 正確無比なコントロール。

 どれだけ塁上にランナーがいようが、どれだけの強打者がボックスに入ろうが屁とも思っていない鋼の心臓。

 自分がひいこら言いながら何とか抑えるバッターですら、あくびでもするかのように三振に抑えてしまう。

 

 あり得ないと思った。

 こんな投球、見た事がない。


 柳葉の豪快な投球は憧れた。

 斑尾の老練な投球は尊敬した。


 ファルコンズに限らず、様々な中川が目標とした大投手は数多くいる。

 だが、今目の前で見せられているこれ・・は一体なんなのだ?


 ベンチから見ても、録画したプレイを見ても全く意味がわからなかった。

 しかも、ストレートを投げようが、どれだけ大きく曲がる変化球を投げようが、全くといっていいほどに投球フォームは変わらない。

 それに、コマ送りで立花のボールの握りを何度も何度もアップさせて見たが、常に握り方は変わらなかった。


 もはや、立花だけが別の何かをしているのではないか、とさえも思った。

 俺たちがやっているのはプロ野球。

 コイツ一人だけ別次元でプロ野球ではない何かをしているのではないか?


 ……。


 中川は、その日から立花の登板を見るのをやめた。

 見ても、自分には意味がないと思った。

 立花のピッチングを見れば見るほど、自信を失い、プライドすらも失われてしまうと恐怖したからだ。


 プロ野球選手に必要な資質の1つにプライドがあると中川は考えている。

 特に投手と打者の間柄は、謂わばプライドの押し付け合いであり、どれだけ優れたピッチング能力を持っていても、絶対に抑えるという気力とプライドがあって初めて打者を抑えられるのだ。

 フィジカルはあって当たり前、その上で長いシーズンを戦い抜くためのメンタルをどう安定させるか。

 球場にいる間の中川にとっては、家で活躍を待つ家族すらも戦う為の1つの要素でしかなかった。

 家族のために戦うと口では言っても、その言葉の奥底にはどこまで行っても自分自身の為なのだ。

 

 家族の為、給料の為、チームの為、ファンの為……それらは最終的には中川 貴之介個人の為に帰結する。


 だからこそ中川は立花を見なくなった。

 とてもではないがメンタルを維持できるとは到底思えなかった。


 だがしかし、それで中川は逃げたわけでなかった。


 ほんのごく僅かな幸運だった者しかなれないプロ野球選手として。

 父として、男として。


 意地を見せねばならないと思った。

 誰の為にでもない、自分自身の為にである。



「今、このチームにおいて、はっきりと俺を見て仕事をしていると言える人間が何人いる?」


 立花が登録抹消された翌日、試合前に1軍の全選手が集められた。

 その場で副島が言う。

 副島の言葉に思わず周囲を見るが、どの選手も顔は暗い。

 端で座っている真鍋ですら申し訳なさそうな顔をしていた。


「お前たちはなんの為にここにいるんだ?」

「お前たちはなんの為にここで戦っているんだ?」

「お前たちに与えられた役割とはなんなのだ?」


 副島は滔々と言い続けた。

 そこには野球理論など何1つなく、檄を飛ばすでも、説教をするでもなかった。

 まるで副島が自分自身に問いかけているかのような、そんな静かなトーンでミーティングは続いた。


「今、俺たちはあり得ないほどに勝ちが続き、まさかの単独首位にいる」

「だが、はっきりと言って今の俺達が居てもいい場所じゃない」

「それは、俺もお前達も世間も、今のファルコンズを知る全ての者がそう思っているだろう」

「だからこそ、俺たちは証明しなくちゃならんのだ」

「北九州ファルコンズは、首位に居てもいいチームなんだと。そこ・・に居て当然のチームなのだと」


 副島はそこまで一気に言うと、ふぅ、と小さく息を吐いて被っていた帽子を取った。

 ガリガリと頭を掻き、もう一度目深に帽子を被る。

 帽子の鍔に手をかざしたまま、誰にも視線を向けないまま再度口を開く。


「幸運な事に、これ以上ないカードが1枚ファルコンズは手にしている」


 神から与えられたかと思う程の、な。と冗談を言っているつもりのはずなのに、副島のトーンはまるで真剣そのものだった。


「そのカードを俺は当分封印する。……マスコミが何と言おうがどれだけ叩かれようが俺は聞かん。投手陣が崩壊し、どれだけ負けが込んでも俺は最低でも20日間はこのカードを手にしないつもりだ」

「お前達はプロだ。打って走って守って。それを生業とする稀有な存在だ」

「だからこそ一人ひとりが証明しろ。投手として、打者として、一人ひとりが与えられた役割を全うしろ」

「先発の柱は柳葉だ。4番も御船から動かさん。その他の選手たちもそうだ。先発は先発として役割を全うし、中継ぎは中継ぎの役割を全うしろ」

「プロである以上、お前たちの能力と他チームの能力にさして違いはない。要は勝てるか勝てないかだ」

「大局で見るな、1つ1つの場面で勝って初めて勝利が見えると思え」

「1プレイ1プレイを大事にしろ。いつだって今が9回2アウトだと想定していろ」

「常に全力でやれとは言わん。長いシーズンを戦い抜く以上、力を抜く場面もあるだろう」

「だが、力を抜くことと場面で負けることを同義だと思うな。力を抜いてでも勝て。それがお前達プロの仕事だ」

「長い人生の中で、これほどやり甲斐のある一ヶ月は無いだろう」

「この一ヶ月の間で俺はお前達をもう一度見極める」

「俺は、お前たちを見ている。だから安心して自分に課せられた仕事をしろ。それが俺の仕事だ」


「今日の先発は予定通り柳葉だ。柳葉、準備はいいな?」

「うす、問題ないです」

 

 副島の言葉に、柳葉が大きく力強く頷く。


「よし、では本日よりファルコンズは総力戦に入る。各自常に準備を万端とし、備え、証明しろ。……解散!」


 

 煽っているのかもしれない。

 舐められているのかもしれない。

 たった一人のルーキーによって勝利を齎されているのだ。


 監督は最後の最後まで立花の名前を言わなかった。

 だが、その場にいた全員が誰を指していたのかなど改めて言うまでもない。


 証明しろ。

 仕事をしろ。


 手に持ったボールを強く握る。

 中川は強く誓った。

 これは意地だ。

 プライドなんて綺麗なものじゃない。

 泥臭くて、醜くて、脆いものかもしれない。

 だが、男中川の意地を見せねばならない。


「真鍋ェ! お前俺の球ちょっと捕ってくれや!」

「えっ! 中川さん俺でいいんですか?」

「あぁ、どうせお前当分暇だろ。ちょっと付き合え」

「は、はい! 分かりました」


 その為になら、何だって使う。

 ルーキーだろうが、先輩だろうが、何だろうが。


 俺の意地を見とけよ立花。

 中川はそう呟きながら、ブルペンへと足を向けた。

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