第7話 "本物"に到る為に

 今日もファルコンズは勝利した。

 4月を終えて22勝4敗の勝率.846で堂々の単独首位である。


 大方の予想であったブッチギリの最下位とは真逆の様相に、野球有識者達の白熱した議論がテレビ番組で幾度も繰り広げられる。

 それらを目にする事は無かったが、まぁそうなっているだろうな、と御船 大輔は試合終わりの風呂で身体を温めながら思った。


 昨季までのファルコンズ十八番と言われていた逆転負けはここまで1度も無い。

 ここまでの負けゲームは先発陣が打ち込まれるか、もしくは1点を争うゲームを競り負けたかのどちらかのみだ。

 豪快な打ち合いからの逆転負けがファルコンズのイメージカラーになりつつあったのに、どちらかと言えば今季は僅差での勝利が圧倒的に多い。

 1-0、2-1、3-2。


 痺れるような投手戦が圧倒的に多く、数少ないチャンスをいかに手繰り寄せるかがファルコンズ内での統一された認識だった。

 特に今季は各チーム共にエース級をぶつけてくる事が多い。

 フラッグスなどは開幕ビジター3連戦で徹底的にやられたのが相当堪えたのか、ファルコンズが乗り込んだホームゲーム3連戦では、ローテーションを変更させてエースをぶつけてくるほどにファルコンズを敵視している。

 結局戦績は初戦のエース対決を0-1で落としたものの、残り2戦は2-1、3-1で勝利した。


 ファルコンズ躍進の一角を担っているのは、新人2人である事は御船にもよくわかっていた。

 もはや一角などと言っていいのかさえも分からない程の大車輪ぶりで、立花は連戦連投でも常に勝利をもぎ取ってきた。

 

 立花の4月を終えた時点での成績は驚異的な物である。

 立花 聡太

 登板数22 登板回数48回 自責点1 防御率0.19 被安打4 奪三振88。


 

「ゲームの世界かよ」


 御船が鼻で笑ってしまうほどに立花の成績は非現実的な数字だった。

 驚異の奪三振率もそうだが、やはり何と言っても自責点1と防御率0.19がエグすぎる。

 この自責点1もフラッグス戦9回2アウト、目を真っ赤に充血させながら打席に立ったフラッグス4番の砥峰が自分の打席でこの試合を終わらせて堪るかと、消える魔球に何とか食らいついて当てた打球が、フラフラと舞い上がりながらライトスタンドギリギリに入った。

 打った本人もまさか当たるとは思っておらず、しかもそれがスタンドイン。

 立花が初めて失点した!

 そんなざわめく観客の声援すら耳に入って来ず、しばし砥峰はバットを握ったまま呆然とした。

 打たれた立花は憮然とした表情だったが、被っていた帽子を右手で小さく持ち上げ、砥峰に小さく会釈する。

 まるでその姿は、よくぞ球に当てられましたね脱帽モノです。

 そう言いたげなものだった。


 塁上にランナーがいなかった為にソロホームランの1点のみ。

 3-1から3-2まで食らいつくも、立花はまるで動揺することなくネクストバッターを三振に奪い取り、試合はそのまま終了した。


 連続無失点登板は消滅したが、立花はそんな事など意に介していないようだった。


「このインタビュー、ギャラ発生します?」


 失点した試合を終え、球場を後にしようとする立花を何とか捕まえたマスコミに向けて放った第一声がこれである。

 呆気に取られた様子のマスコミを見て、ギャラは出ないようだと判断した立花はそのまま車内へと消えていった。

 ちなみにマイカーではなくホテルまでの送迎バスへ、である。


 それをバスの車内から見ていた御船は、その際の光景を思い出して思わず笑ってしまった。

 成績もゲームなら、あの性格もゲームだろと。


 両手で掬った湯を勢いよく顔に当てる。

 ばしゃり、と音がして湯が周囲に飛び散った。

 そこには、先程までの思い出し笑いをしていた御船ではなく、しかめっ面をした御船がいた。


 御船 大輔 29歳。

 押しも押されもせぬファルコンズ不動の4番として君臨している。

 全日本の4番として何度か国際試合に出場した事もあり、日本球界の至宝と呼ばれることもあった。

 特に昨年は三冠王を達成しており、その類まれなバッティング技術から同時期の選手達を集めて"御船世代"と呼ばれるほどに中心に立つ選手であった。

 

 そんな御船であったが、今季の己に課した課題は、2年連続の三冠王であった。

 ただし、単なる三冠王ではなく、本物の三冠王である。


 昨季で三冠王を達成した御船だが、その称号は少なくない物議を醸した。

 記録上は三冠王だが、投高打低の2022年シーズンはとにかく打者成績が軒並みどのチームも悪かったからだ。


 打率.319、31本塁打、102打点。

 これが2022年シーズンの御船の打者成績である。

 その数字の平凡さから、史上最低の三冠王とまで言われていた。

 

 御船自体は、さしてその称号を気にしてはいなかった。

 これで平均値から大きく乖離しているのならまだしも、投高打低の中にあって各値ともに単独首位という事は、それだけハイレベルな数字だと思っていたからだ。

 もちろん、それぞれの数字に満足しているというわけではない。

 御船は自分が打てばチームが勝てる。

 極論で言えば、自分さえ打てればいいとすら考えているフシがあった。

 チームも、監督も、ファンも、自分自身も求めているのは1つのファインプレイよりも1本のホームランだと。


 だから昨季のファルコンズにおいて負けが続いていても、御船はさして気にもとめていなかった。

 あれだけバカスカ打たれたら、いくら俺が打っても勝てないでしょと思っていた。

 ありがたい事に親会社が金持ちなおかげでチーム成績に影響される事無く年俸は上がったが。


 ゆえに、今年のファルコンズが勝つ為には昨季以上の成績を残し、本物の三冠王と呼ばれるほどに打ちまくれば、自ずとチーム成績も付いてくると考えていたのだ。

 6点取られて負けるのならば、7点取ればいい。

 昨季のチーム打率はパシフィック・リーグ1位であり、御船がバッターボックスに立つ時は大抵の場合ランナーがいるのだから。

 そこでしっかりと打ち、点をもぎ取ればいいのだ。

 開幕前はそう考えていた。


 それが蓋を開けてみればどうか。

 乱打戦など全くと言っていいほどになく、気迫迫るピッチング戦が延々と続く。

 ルーキーに影響されて先発・中継ぎ陣が奮闘し、相手チームまで総力戦でファルコンズを潰しにくる始末である。

 自分が打てば勝てると思っていたのに、気がつけば打てなくても勝ててしまっている。

 それが何より御船は腹立たしかった。


 打率.266、2本塁打、8打点。

 単独首位にあるチームの4番としては烙印の失格を押されても仕方がないくらいに御船は打てていなかった。

 各チームがエース級ばかりをぶつけてきているというのも大きな要因としてある。

 御船に限らずクリーンナップ含めて打者成績は軒並み低調で、打率.200を切りそうなスタメン選手すらいるほどだ。

 その中にあって、低調な数字ながらも要所要所で安打を放ち、得点を稼いでいるファルコンズ打線は、省エネ打線とからかわれている。


 チームは勝ち続けているはずなのに、野手陣はみな顔色が暗い。

 その中にあって御船はさらにチームの顔でもあったから、感じるものは大きかった。

 4敗したゲームも、昨季までのように野手陣が奮闘していれば勝てたものもあった。

 先発が崩れたといっても、最大失点でも4点である。

 昨季までであれば、平気で6、7点を取れた打線が今季は湿りきっていた。

 まさかのチーム内打率トップはルーキーの真鍋 康介で打率.388。

 4月序盤の4割超えからは多少落ち着いたものの、それでも未だに3割後半をキープしている。

 ゲーム後半から立花とセットで登場するために打席数が少ないが、逆を言えばヒットを数本打てばまた4割を超えてくるという意味でもある。


 ファルコンズが勝ち続けているのに自分たちはまるでついて行けていない。

 三冠王にふさわしい数字を残すと己に課したものとは到底真逆の現状に、歯噛みしそうなほどに御船は己に腹が立っていた。

 これではまるで、新人におんぶにだっこされているようではないか。



 打線は生き物だと御船は考えている。

 実際にそう言う有識者がいる事も知っている。


 試合の流れというものは確かに存在していて、目に見えないその流れを掴めるか掴めないかで勝利の女神が微笑む相手は異なる。

 そしてその流れをゼロから作り出せる選手だと、御船は自分でそう思っていた。

 流れを作り出す選手と、上手く流れに乗る選手がいると御船は思っている。

 自分は前者であり、誰かの流れに乗るのはあまり得意ではない事もわかっているつもりだった。

 キャプテンなどといったガラではない。

 年齢を重ねるごとにチームからはそういった役柄を求められる場合があるが、向いていないと固辞し続けている。


 打線が湿っている原因の1つは、間違いなく4番の不調であると。

 自分が打てば打線は必ず動く。良い方向に向く。

 自分が打てなければ打線は湿り、得点は積まれない。

 それが4番という立場なのであり、だからこそ高給をもらっているのだ。


 陣頭に立って率いるつもりなど毛頭無い。

 ただただバットを振り、安打を重ね、得点を重ねる姿を見せつければいい。


 今のファルコンズにあって、チームの流れを生み出しているのは紛れもなくルーキー達だ。

 だが必ず息切れする時がやってくる。

 すでにルーキーとしては尋常ではないほどのペースで投げ込んでいるのだ。

 斑尾を含めた中継ぎ陣が救援する場面もまた増えてくるだろう。

 その時、試合の流れを作り出すのは自分ではないといけない。

 そうでなければ4番など返上するべきだ。

 力が無い者は去るのがプロ野球の宿命なのだから。


 だからこそ、御船は不調の中にあっても腐らない。

 いずれやって来るその時に向けて、淡々と練習をこなし、試合に備えるのだ。

 一昨年痛めた背筋がまた悲鳴を上げ始めている。

 だがそれでも御船はフルスイングをやめない。


 己の価値をもう一度再認識しなければ、させなければならない。

 御船 大輔 29歳。

 史上最低の三冠王から、本物の三冠王へ。

 まだシーズンは始まったばかりだ。

 

 話題のドラ1ルーキーとはまだまともに会話をした事がない。

 だが、投打が噛み合って初めてチームはテッペンへと向かい始める。


 誰に言うでもなく、そこで待ってろよ、と御船は心のなかで呟いた。

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