革命の、とある一幕

@Kishi0589

始まりにして終わり

「お待ちしておりました。道中ではさまざまなことがありお疲れでしょう。お茶など用意しておりますが、いかがいたしますか?」


 革命家の青年が令嬢の屋敷につくと、あろうことか令嬢本人が屋敷の前で出迎えた。青年の背後では仲間が眉をひそめている。

 屋敷は贅沢の限りを尽くした貴族の娘のものとは思えない質素さだった。庶民の家に比べればかなり豪華ではあるが、貴族の娘の屋敷と呼ぶには地味だ。

 令嬢は洗練された所作で青年と仲間たちを招きいれた。ここに来る前までは憎き貴族の娘に思い知らせてやると意気込んでいた仲間も、令嬢の神妙な態度の前には罵声一つ浴びせない。


「これはどういう意図でしょうか?」


 貴族を足蹴にした青年も、この令嬢には敬語を使わざるを得なかった。親の七光りと言うにはあまりある威厳と礼節が令嬢にはある。根っこは庶民に過ぎない青年が彼女に敬語を使ってしまうのも自然なことだった。


「特に意図などはありません。強いて言うならこの地を憂いて立ち上がった義士をもてなそうと思いまして。それにお互いに伝えなければいけないこともあるでしょう?」


 令嬢の存在は革命軍のなかでも知りわたっていた。歳は一五、典型的な箱入り娘であり何の力もないと特に気にしてはいなかった。しかしそれは失敗だったかな、と青年は少し後悔する。


「さあ、どうぞこちらへ」


 客間は広さこそあったが、余計な装飾品はまったくなかった。あるべきものをあるべき場所へ配置したその空間はどんな者でも居心地のよさを覚えるであろう。青年と仲間たちはすでに令嬢の両親の屋敷へ入っている。そのときに胸に抱いた嫌悪感はこの屋敷からは一切感じなかった。

 令嬢が自らお茶を淹れているのを見て、青年は問いかける。


「使用人はどうされたのですか?」


「全員、今朝のうちに暇を出しました。あの者らに罪はありません。我が父母の愚行の巻き添えにするのは私の本意ではありませんから。――さあどうぞ。それとも毒見などされますか?」


 青年は横に座る仲間の顔を見た。仲間は首を横にふる。毒はないだろうという判断だった。

 シンプルなデザインのティーカップを手に取り、一口を存分に味わう。


「ああ、これはよいものですね」


 先ほどまで血みどろの争いをしていたことも忘れて、青年は穏やかな口調で言った。


「南方の名産品です。私の最大の贅沢と言ってよいでしょう。これだけはどうしても我慢できなくて」


「もし両親があなたと同じ感性の持ち主であったなら、こうはならなかったのに。残念です」


「ふふ、そうでしょうね」


 令嬢は対面のソファにゆっくりと腰をおろし、同じようにお茶を口にした。そのあとに小さく吐き出された息は一五の娘のものと思えぬほど魅惑的であった。

 互いに無言で茶を味わったあと、青年はゆっくりと口をひらく。


「このような上等の茶をふるまっていただいたあとで恐縮ですが、我々はあなたを捕えなければなりません。あなたの家が民にしてきたことを思えば、いかような理由があっても避けられない」


「そうでしょうね。妥当ですわ」


「それがわかっているならなぜ逃げなかったのですか? 使用人とともに逃げればよかった。あなたはあのクズとは違う。使用人にも慕われていたことはこのわずかなやり取りでも容易に想像できます。修道院にかくまってもらうようにすれば、少なくとも命は助かったはずです」


「革命軍から逃れられても罪からは逃れられませんわ。それに修道院など、退屈で身体の前に心が死んでしまいそうですもの」


「では処刑を受け入れると?」


「ええ、いずれ死ぬなら私が私だと自覚しているうちに死にたいですわ」


 革命家は言葉を返さなかった。もとより貴族を殺し、新たな治世をはじめるための革命である。元凶の娘である彼女は倒すべき敵であって、助ける義理もない。相手が運命を受け入れるというのなら、それ以上何を言う必要もなかった。


「ああ、あなた方に見せておかねばならないものがありました」


 令嬢はそう言っておもむろに席を立つと、ドアを開けて二人を手招きした。二人はやや警戒しながら彼女のうしろについていく。本来ならば使用人たちがいるべき場所。三人しかいない屋敷のなかはいやに静かだった。

 令嬢はある一室の前で立ち止まる。ゆっくりと扉を開けると、そこには無数のドレスがかけられているのが見えた。それだけではない。部屋に入ってあたりを見ると、高価なガラスケースのがいくつもあり、そこには丁寧に宝飾品が展示されるように並んでいた。


「これは……」


 青年が言葉に詰まる。


「これは我が父と母が私にプレゼントとして贈ってくださったものです。本来は民の血税をこのようなものに使いすぎるのはよくないと思っていましたが……。ついぞ二人を説得することはできませんでした」


 令嬢の言葉に嘘があるようには感じられなかった。所狭しと並んだドレスにも宝飾品にも使用の形跡は見られない。もしかしたら使われたものもあるかもしれないが、少なくともそのほとんどが無用の長物となっていたことは明らかだった。


「これから民も何かと苦労しましょう。ここにあるものを商人に売れば、いくらかの金にはなります。その金で民に心遣いしていただければというのが私のささやかな願いです」


 令嬢はそう言って頭を下げた。

 青年は令嬢のここまでの態度を見て浮かんだ疑問をぶつける。


「いつからこの状況を予測していたのですか?」


「五年前ですわ。その日、放浪の吟遊詩人を両親が館に招きましたの。吟遊詩人は唄で両親を喜ばせていました。しかし私に対して小さな声でこう言いましたの。『この家は遠からず滅びるかもしれません』と」


 令嬢は悲しげに目を伏せた。その吟遊詩人はおそらく令嬢の両親がそんな諫言を聞き入れるような人間ではないことを悟っていたのだ。それゆえにわずかばかりの柔軟性を持つ令嬢にそのことをこっそり教え、希望を託したのかもしれない。

 あるいは一目見ただけで令嬢の不思議な魅力に惹かれていたのかもしれない、と青年は思った。吟遊詩人は熱しやすく冷めやすい性格の人間が多い。わずか一〇歳とはいえ、吸い込まれるような瞳を持つ彼女に将来性を感じることもあり得ない話ではなかった。


「それ以来、私は可能な限り領外の情報を知るように努めましたわ。するとどうでしょう。両親と同じようなことをしている貴族はことごとく革命の波に呑み込まれているではありませんか。けれど両親はその話を『生意気な民衆が悪い。もっと力を示さなければならない』というばかり。私はその言葉を聞いたとき、今日のような日がそう遠くないうちに訪れることを覚悟していましたの」


「……もし、あり得ない話だが」


 青年はぼそりとつぶやいた。


「この日を迎えるのが一〇年あとで、あなたが当主ないし当主を支える夫人の立場にあったとしましょう。そうしたならば、この悲劇を食い止められた自信がありますか?」


「ええ、ありますとも。一〇年と言わない。せめて三年あれば、夫をタコ殴りにしてでもこんな日を迎えないための政策を打ち出していたと神にすら誓えますわ」


 青年も、仲間も令嬢の言葉に何も言い返さなかった。

 これはいったいどういう種類の悲劇なのだろうか。鳶の子が鷹だったのだ。もし令嬢が領地を取り仕切っていれば、二人は喜んで彼女に頭を垂れていただろう。そうなれば今日のように大勢の人間が血を流し、職や住居に困るリスクを背負う必要などなかった。たとえ国中が革命の火に包まれても、令嬢の領地だけはその形を保ち続ける。国が崩れようとも、貴族がその役割を失おうとも、令嬢だけは民の支持のもと穏やかにその生涯を送ることができただろう。

 それが生まれた時期が遅く、両親が無能なばかりに令嬢の人生はここで終わろうとしているのだ。


「おい、どうする」


 仲間が青年に問いかけた。彼も青年も、自分から進んで人を傷つけることに抵抗を覚えるような人間だ。できることなら無血でこの悲劇を終わらせたいとすら思っていたほどのお人よしである。

 見逃そうか。仲間は青年にそう問いかけたのである。


「――、」


 青年は悩んだ。悩んでいるということは答えが出ているということだから、なお悩んだ。

 生きていてほしい。彼女に罪はないのだ。彼女は両親の悪政をどうこうできるポジションにはいなかった。権限がないのであれば責任だってあるはずがない。それどころか自身に贈られたドレスや宝石の類を丁寧に保管してくれていた。売り払えば領民への炊き出しを何日か行うくらいのことはできる。彼女は示すべき誠意は示してくれているのだ。


「――死なせてくださいまし」


 令嬢の言葉だった。


「いや、しかし」


「疲れました。おそらく私は民から恨まれているでしょう。いかに民を思っていても何もしていなければ悪徳貴族の家族でしかありません。それに血筋を残せば禍根も残りましょう。どうせ日陰を歩いていくしかないのです。それならば愛した故郷で死なせてくださいまし」


 彼女は本当に一五歳なのだろうか。このような覚悟は王妃だって持っていないだろう。


「――いいんですね」


 青年は一度だけ問い直すこととした。もしここで「やっぱり生きていたい」と口にしても決して令嬢を責めることはしないし、誰にもさせるつもりはなかった。

 しかし令嬢はうなずいた。もう自分の命はここまでなのだと、観念した目で青年を見つめる。


「わかりました。しかしあなたをあの無能どもと同じ列に並べることはしません。あなたに石をぶつけ、処刑台にのぼらせる権利は神にすらない。だからあなたは自害したこととします。我々が到着したときにはすでにあなたは死んでいたのです。だから亡骸もきちんと埋葬してさしあげましょう」


「それでは私はどのように死ねばよろしいのでしょうか。自害する勇気なんてありませんわ」


「ご安心ください。我々が万が一のときに用意しておいた毒薬があります。その薬を飲めば意識が朦朧とし、苦痛を感じることなく死ぬことができます。私たちにはもう必要ないのでそれをお使いください。そのあとに我々がご遺体を回収し、どこぞに埋葬させていただきます」


「お心遣い感謝いたします」


 令嬢は微笑んだ。その素朴ながらも美しい笑みを見て、青年はこれが一目ぼれなのかもしれないと思った。


 貴族の処刑が行われたのはそれから三日後のことだった。一族は顔をうつむけ、領民たちから罵倒や投石を受けながらもどうして自分たちがそんな扱いを受けたか理解していなかった。彼らの姿を見て、青年は自分の行いの正しさを再確認した。

 その列に令嬢の姿はなかった。彼女は処刑される家族の姿を領民に紛れて見届けたあと、青年をもてなしたあの館のなかで毒薬を飲んで自殺した。かたわらの手紙には領民への謝罪と安らかな最後を用意してくれた青年と仲間への感謝がつづられていた。

 青年は令嬢と出会うまで、貴族なんてものは絶滅させてしかるべき存在だと信じて疑わなかった。しかし令嬢に出会ってからは、令嬢のような善良な人間までも死なせることは果たして正義なのかと思うようになった。

 革命の仲間のなかにだって合わない人間もいれば、間違っていると思う人間もいる。すべての人間が正義ではない。自分すらもそうなのではないか。

 革命に身を投じ、戦い続けるなかで青年はそんな自問自答を生涯にわたって続けることとなったのである。

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