第7話 菜穂のお母さんにも会いたいな

 ある夜、家で、二階にある自分の部屋に戻ったら、部屋は暗くて、窓の外から街灯の明かりが入っていた。その明かりが千花名の机のあたりをぼんやりと浮かび上がらせている。

 ふだんはそのまますぐに明かりをつけてしまうのだけど、その夜は明かりをつけずに部屋を見回した。

 ふと、本棚の横に無造作にかけたままになっているフルートのケースが目に入った。

 ふだんから目にしていたはずなのに、この夜はそれが目立った。外から入る街灯の明かりのいちばん明るいところがその場所にあたっていたのだろう。

 千花名ちかなは、一年ちょっとさわりもせずほうっておいたそのフルートのケースを手にとった。

 翌日、野入のいり先生と菜穂なほとにそのフルートを聴いてもらった。そこからその正令せいれい女子学園音楽部の室内楽部門の活動が始まった。

 次の年には菜穂と千花名とのデュオでいきなり中学校の地区選考会まで行った。そして菜穂と千花名は高等部に進んだ。つまり高校生になった。

 正令では、どうしても中学校と高校で分けなければいけないとき以外は、部活動も中高一貫でいっしょに行われる。だから高等部に進んだあとも部活はそのままだ。

 そして、高校一年のときも同じ大会の高校部門で地区選考会に出た。それで明珠めいしゅ女学館じょがっかんというところの室内楽部と競って全国大会出場を阻まれた。さっき多祢子たねこ先生が言っていたとおりだ。

 中学生の後輩も入って来た。

 新しくできた部門で、オーケストラに入るかも知れない新入生を取ってしまうわけだから、オーケストラの子から恨まれるかな、と思ったけれど、そんなことはなかった。それどころか、オーケストラにフルートが二人しかいなかった時期があって、フルートが三本必要な曲をやるときには千花名が手伝いに呼ばれた。コーラスの手伝いにも呼ばれた。そういうときにはお客様扱いしてくれた。しかも上級生の高校生の先輩がだ。それはそれで面映ゆかった。

 最初は二人だけでつましくやっていた部活だった。でも中等部の中学生の後輩が入って来て人数が増え、二人組のデュオや三人組のトリオが五組もできるようになったので、発表会というのをやることにした。

 来なくていいと言っていたのに、千花名のお父さんとお母さんが来て、しかもいちばん前に座っていた。恥ずかしかった。

 救いは、発表会の後に、顧問の野入のいり先生とメンバーの父母のみんなとでお食事に行ったらしいのだけど、千花名の両親はそのお食事会に行かなかったことだ。千花名の町内の会合に呼ばれていて早く帰らなければならなかったからだ。

 帰ってから、お母さんが野入先生のことを

「いい先生ねぇ」

と繰り返していたのをいまも覚えている。しかし、どこで野入先生がいい先生だと印象づけられたのか、まったくわからない。

 菜穂のところはお父さんが来ていた。ちょっとあいさつしただけなのでよく覚えていないけれど、頬の細い、すらっとした感じの人だったと思う。

 菜穂のお父さんには地区選考会でも会った。このときも千花名は会って頭を下げただけだ。菜穂のお父さんは、そのあと、野入先生のところに行って、何か話していた。互いに頭を下げていたから、たぶん、菜穂が指導してもらっていることのお礼を言っていたのだろう。菜穂はその二人の姿を上気した頬でじっと見ていた。

 千花名の両親は来ていなかった。なぜ来なかったかというと、娘の演奏しているような音楽にまったく興味を持てないかららしい。もっとはっきり言うと、しばらくきいているだけで、二人並んで寝てしまうのだ。練習してるのはこの曲だよ、と、タブレットからテレビに映像を送って見せると、五分と経たないうちに二人とも寝てしまった。千花名はほんとうに開いた口がふさがらなかった。

 そんな両親が、よく千花名を多祢子先生の教室に通わせたものだと思う。いちど、

「なんでわたしにそんな興味持てない音楽を習わせたりしたわけ?」

ときいてみると、お父さんがビールを飲みながらご機嫌に

「だって、おまえにはお父さんたちにできないことを一つぐらいできるようになってほしいじゃないか」

と答えた。わからないことはなかったけれど、でもなぜそれが音楽なのかはやっぱりわからなかった。

 いまもわからない。

 それだけに、菜穂が家族ぐるみで応援してもらっているのは羨ましい。そのとき、千花名も、全国大会はのがしたものの、自分たちの全力を出し切って演奏して次点につけたことに興奮していた。

 「こんど菜穂のお母さんにも会いたいな」

と言うと、菜穂は、いきなり千花名のほうを振り向き、じっと千花名の顔を見てから、肩をすくめて、にこっと笑った。

 それ以来、互いの家族の話はしていない。

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