第4話 じつはお仕事頼みたいんだけど
「それで、どうして
次の話に行く。ほっとしたような、惜しいような気もちだ。
「はい」
でも「連れこんだ」って? あんまり穏当な言いかたでないことは千花名にもわかる。
でも、まあ話をしているうちにわかるだろう、と思った。連れ込んで悪いことをするには、
「じつはお仕事頼みたいんだけど」
「仕事」って何か、ききなおす間も与えてくれないで、多祢子先生は続ける。
「このあと三時間ぐらいの時間、ある?」
「あ……ああ……」
「もちろんお家には電話して断っとく。前と変わってないよね」
住んでいる家が、というか、電話番号が、ということだろう。家の住所も家の電話も親の携帯も変わっていない。
「ああ、はい」
このまま答えていたら、ぜんぶ多祢子先生のペースで進みそうだ。千花名が口をはさむ。
「でも、わたし、仕事なんかできませんよ」
「できない仕事なんか頼まないわよ」
先生は強気だ。
「ああ、それと」
多祢子先生はそこで急に笑顔になった。
「チカって、聖歌隊の制服着てみたいって言ってたでしょ?」
さっきは千花名ちゃんと言っていたのに、また昔の「チカ」という呼び名に戻った。
「はいっ?」
千花名は顔を上げた。先生はもう一つ押してくる。
「言ってたじゃない?」
「ああ、はい……」
言ったのは覚えている。でもそれは小学生のころだ。しかも、五年生だったか、四年生だったか。
でも、聖歌隊の制服を着てやる仕事と言えば?
つまり教会で聖歌を歌うということ?
慌てて言う。
「あ、わたし、歌はだめですよ!」
音をはずすことはないし、声も出せる。きれいに声を出す自信はある。
でも、教会で歌う歌なんて、歌詞も知らないし、一度も合わせたことはない。
小学校のころに教会の音楽学校に通っていたといっても、家がクリスチャンというわけではないのだ。
先生は平気で言う。
「フルートは持ってるわけよね?」
わけよね、も何も、テーブルの上に置いている。
「ああ、それはもちろん」
多祢子先生はカップをお皿に置くと、両手をテーブルに載せて軽く身を乗り出した。
「じつはさ、今日、これから下で結婚式でね、式が終わってから広間で披露宴もやるんだけど」
結婚と聞いて、胸がちくっとした。でも、いまは多祢子先生の「仕事」の話だ。その相手をするほうが先だ。
「はい」
「その披露宴でピアノ弾いてくれることになってた子がどうも来れなさそうで、いまも来てなくて、ね。まあ、すっぱり言えば、その代役」
「はい……」
「チカって、「愛のあいさつ」吹けたよね?」
「はい」
ごまかせない。教えてもらったのだから。
イギリスの作曲家エルガーの「愛のあいさつ」はそんなに難しい曲ではない。習ったのも、フルートが吹けるようになって、最初のほうだったと思う。
エルガーは、イギリスの「第二の国歌」とまで言われる行進曲『威風堂々』を作曲したほか、いまもよく演奏される有名な曲をいくつも残している。この「愛のあいさつ」は、そのエルガーが、まだ無名だった時代に書いた曲だときいた。
「忘れました」と言えばよかった。
いや。「愛のあいさつ」は、わかりやすくて、親しみやすくて、よく知られている曲だ。それを忘れるような奏者が室内楽の地区選考会まで行くはずがない。すぐにばれる。
別のことをきいてみる。
「それ、聖歌隊の服で?」
「いや、その制服のままがよければ、それでもいいけど」
結婚式の披露宴というと、大人の会だ。
そこに、いかにも「まだ学校に通ってます!」という自己主張をするような服装で現れたら?
「千花名って子どもだね!」
また
それは別にしても、やっぱり格好は悪い。
「でも」
千花名は上目づかいに先生を見て、
「わたしなんかの演奏でいいんですか?」
多祢子先生がきき返す。
「何か問題、ある?」
だから千花名は説明しないといけない。
「いや、たしかに地区選考会まで行きましたよ。でも、結婚式って、大人の人のだいじな儀式でしょ? 部活で音楽やってるだけの高校生の演奏でいいんですか? その、その人の娘とかいうのなら別ですけど」
言って、あっ、と思って気がつく。
「ああ、これから結婚式だと、娘がいるはずないか」
多祢子先生は、ふふっと短く笑った。
「いいと思うよ。わたしの弟子なんだから」
笑ってから、少し首を傾げて、千花名を見て言う。
「それとね、はっきり言うとね。ちょっとわけありの結婚式でね、関係者以外に声をかけたくない」
ああ、そういう話なんだ。
いや、それより、千花名は「関係者」として認められているということ……?
「はあ」
「ご家族の反対でおおっぴらな式が挙げられなくて、うちに式を挙げるの頼んできたの。だから、出るのは、事情を知ってる友だち何人かだけ。それはそうでしょ? そうでなければ、午後の仕事終わってからの時間に結婚式もしないし、うちの会議室でなんか披露宴やらないでしょ」
ずっと「広間」と呼んできたが、あれは会議室だったのか。
お教室のパーティーでも使っていたけれど。
「もちろんそれでチカに迷惑がかかるようなことはないと思うけど」
多祢子先生もここでことばを切った。
「でも、いや?」
「あ、いいえ」
正直に言えば、そんな事情はどちらでもよかった。
それより、あの「会議室」の広間で、小さいころにやったパーティーのことを思い出していた。
聖歌隊のお姉さんの白い服にあこがれて、着させて、とせがんだのは、いつかのそういうパーティーでのことだったと思う。
いま聖歌隊の服にあこがれるかというと、そうでもない。
でも、純白で、本物の絹ではないだろうけれど光沢のあるあのワンピースの服を着て、自分がどんな姿になるかは、興味がある。
だいたい、ミルクティーをもらって落ちついてしまって、いまからまたあのしとしととしつこく降る雨のなかに出て行くのは気が進まなかった。はちみつ入りミルクティーをもらうのは前にお教室に通っているときからそうだったけれど、あのころは月謝も払っていた。今日はただ飲みだ。ここで「仕事」をしないのなら。
「じゃあ、やります」
千花名は、できるだけたんたんと、心が動いていないような言いかたで、答えた。
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