第1話 ファーストキスとファーストバトル

目と目が合う。その距離は互いのまつげが交差しそうになるくらい。


 勢い余って顔面にチューではなく、顔面の速度ゼロの状態からゆっくりと加速してそのまま……




 今までマシュマロとか、ゼリーと柔らかいものを食べたりしたことはある。




 だけどこの感覚はそういう「柔らかさ」ではない。表現が全くできない。




 気を抜けば、自己の意識までもが持っていかれそうになる。




 雰囲気に飲まれて目を閉じそう。ラブコメとかのキスシーンを再現できるのか。




 ああ、俺のファーストキスってこんな一瞬で……でも、この時間の流れ方ならめちゃくちゃいい思い出としてしっかり覚えてそうだ……。




 バチーン!




 彼女の右手が俺の左頬に直撃する。




 あー、イッテー……




 別段叩く力が強いわけでも無く、特に腫れているわけでもない。ただ、彼女いない歴=年齢の、言うまでもなく童貞の俺にはもっとあの神々しい感触を味わいたかったという後悔の念により、行き場のない思いをつい心のなかで吐露してしまった。




 この後の展開は童貞でもわかる。気の強い女の子なら「変態!」「はあ⁉頭おかしいの⁉」、委員長キャラなら「いかがわしい」「風紀違反です」とか言われるな。




 俺はなんて罵られるのやら。ドM属性のない俺には女の子の罵倒は寝込むレベルだ。




「あ、あの……急過ぎて、その…びっくりしちゃって…」




 白ローブの女の子は頬を赤くしながら、少し涙ぐんで俺に話しかけてきた。左手で襟元をクシャッと握り、右手でから流れる涙を拭いている。


  そして、先程俺の意識を飛ばそうとした口から、




「ごめん…ね」






 ああ、神様。俺はなんてクズな人間なのでしょうか。どうかお許しくださいませ。


 目を閉じよっかなーとか、意識が飛ぶ~とか?




 ほんと、ほんとバカなことばっか考えて


「マジすんませんでしたあああ」


「ひえ⁉」




 俺は生まれてはじめてきれいな正座の姿勢で土下座をした。彼女の聖女と呼べる神々しく慈愛に満ちた健気な謝罪に、童貞らしい慌てふためいたバカ丸出しなことを考えてしまったのだ。これくらい大げさな謝罪でもしなければ本当に罰が当たる。




「い、いえ!あれは不可抗力だから仕方ないというか…事故みたいなものなので」




 未だりんごのような赤みを帯びた頬のままの彼女に俺はどんどん罪悪感が増していく。


 この女神様に絶命せよと命令があれば喜んで命を賭してしまいそう。




「ただ、そのぉ」




 そう言って彼女の指差す方向には先程俺がジャンプドライブで飛んでくる原因になった狼らしき生物3匹が唸っていた。攻撃してこなかったのは、突如見知らぬ生物が出現してきたことに怯んでいたからであろう。




「そうだ、こいつらをなんとかしないと。聖女さん!すみませんが武器か何かないっすか?」


「はい!バトルダガーなら……私は今魔力が尽きてしまって何もできなくて」




 ダガーとか魔力とかゲーム好きが興奮する単語が出ているが、今はそれどころではない。目の前に命の危険が迫っている。俺は少女からもらったダガーを右手に身構える。




 しかし、俺は身構えた瞬間、大切なことに気づいた。




「……俺、この世界のこと何も知らねえ…戦闘って何、どうすれば…」


「君、もしかして戦闘経験がないの?」


「恥ずかしながら…一度もまだ戦ったことがないっす!」




 この世界で俺くらいの年齢なら戦っているのかな。これ元の世界で言う「高校生になってもまだ九九が言えない」的な感じなのか?


 流石にそんな男には幻滅してしまうか……




「…そうなんだね。ありがとう、私のために体を張ってくれて」


 え…。この子どんだけ女神属性高え女の子なんだよ…。




「大丈夫]




 こんないい子に。




「私がサポートするから」




 無様な姿ばかり晒すわけにはいかねえ!




「だから、落ち着い」


「任せてくれ!あんたはこの貧弱童貞肉盾男子の矢野進也が絶対に守る!」




 少女は俺の唐突なやる気宣言と自己紹介にキョトンとしてしまった。そりゃそうだ。いつもはこんな熱血じみたこと言わないからな。




「わ、私はエレナ…。進也…くん?本当に大丈夫?」




 少女改め、エレナは俺に心配の眼差しを送り続けている。


 その眼差しは逆に元気になっちゃうんだよな。




「ああ、大丈夫だ」




 そう告げて俺は改めて身構える。腰を低くし、軽く膝を曲げ、ほんの少しだけかかとを浮かしておく。




「この狼野郎!エレナに手を出そうならば叩き切ってやる」




 俺の叫びに焚き付けられたのか、狼の一匹が俺に襲いかかってきた。




「進也くん!下級狼は敵の後ろから襲うことがほとんどよ!だから!」


「なるほど!つまり!」


 この前の狼は囮で、本命は。


「てめえか!」


 俺は後ろにいつの間にか回っていた下級狼に向かって全速力で走り、頭に向かってバトルダガーを刺し込む。




「よし、やった!」


「さっきの囮の個体が来るよ!気をつけて!」


「了解!」




 先程まで囮だった下級狼が俺に本物の敵意を剥き出しにして飛びかかってくる。


 噛み付こうと自慢の牙で襲いかかってくるも、バトルダガーでなんとか弾き返すことができた。


 それによって更に激昂して目を血走りながら突進してくる。


 その下級狼は完全に怒りを忘れている。奴の後方にはもう1体が見えるため、後ろからの攻撃はありえない。


 普段、後ろからしか攻撃しないからだろう。素人目から見ても、この下級狼の突っ込み方は単調過ぎるため、簡単に回避できる。




 「もらった」


 後ろに回り込み、下級狼が振り返る前にバトルダガーで背中を深く斬りつける。




「よし、残るは……」




 残りの下級狼を倒そうと周囲を見渡したがどこにもいない。もしかして、奇襲が仕掛けられないから撤退したのか?




「エレナ、戦闘は終わったぞー。ありがとうな」


「進也くんお疲れさまー」




 エレナは女神のような笑顔で俺の方へと歩いてくる。


 だが、エレナが数歩踏み出した後、先程まで見えてなかった森の茂みの中に、殺気立っている下級狼がいることに気づいた。




「エレナ!後ろ!」


 俺は彼女に迫りくる脅威の存在を伝える。




「え?」




 エレナが後ろを振り返る頃には下級狼が彼女の数メートル手前で近づいていた。




 ここでエレナを失うわけには!彼女のような女神みたいな人間がこんなことで死ぬのはダメだ。




「ジャンプドライブ!」




 俺は下級狼とエレナの間に割り込む。そして下級狼はとっさの障害物を避けることは不可能で、勢いよく構えていたバトルダガーの先端に刺さって絶命した。




「よし、次こそ終わった!」


「進也くん、本当にありがとう。君のおかげだよ」




 ギュッと両手を握られる。


 エレナが握手券付きCDをアイドルとして売り出せば人気が出ること間違いなし。




「じゃあ、私の宿があるスタータまで一緒に行こっか。進也くん、この辺のこと知らなさそうだし」




 そう言うと、彼女はこちらにくるっと振り向き、




「君のことも、もっと知りたいな」


 と、男に媚びている雰囲気ゼロで、悩殺ワードを屈託のない笑顔のまま言ってきたのだ。




 やべえ、本当にモテ期来たと一瞬錯覚してしまった。脳みそがとろけそう。


 マジでこの子は天然の女神系女子だわー。


 ハァ、ふわふわ~って、あれ?なんか本当にとろけてき………。




 うわ、めちゃくちゃクラクラする…。




 おいおい、流石に童貞でもここは格好付けないと、童貞だからの言い訳は通用しないぞ……。




 地平線が微妙に傾いてきた。




 女の子の前でこんな、みっともねえ、格好を…みせる……わけに…は!




 バタッ。




「進也くん!?進也くん!」




 エレナの声に反比例して俺の耳に届く彼女の声が小さくなっていく意識の中、俺は思った。




 締まらねえなあ。

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