中編


 菊池という男の子から「自分の作った歌を歌ってくれ」と言われ、それを断った。屋上から逃げ出した後、私は寂れた公園のベンチで体育座りをしながら、ぼんやりと考え事をした。それで家に帰るまでの時間を一時間潰せる。

 そして行きつけのCDショップで気になっている曲を試聴。お金はないから、冷かすだけだけど、それでも陳列されたCDを見ているだけで二時間潰せる。


 しかし、そろそろ帰らなければならない。





 家に着き、ドアを開ければ、当たり前みたいに母と父の声がした。


「だいたい、あなたはいつも――」

「なんだって言うんだ! 食事くらい、静かに食べさせてくれ!」


 両親がまた喧嘩をしている。これも、最近では当たり前みたいになっていた。


 私は素早く手洗いを済ませると、両親がいる居間に行くこともなく、二階の自室へと直行した。自室に入っても両親の怒声がドアを突き抜けてくるので、思わず眉をひそめた。


 ヘッドホンを耳に装着し、両親の声が聞こえない程度に音量を上げる。



 目を瞑りながら思い出すのは、屋上で歌を歌っているところを目撃された時のこと。目撃者は菊池君。他クラスの生徒、ということしか知らない。

 しかし、今日、彼についての情報がアップデートされた。……知りたかったわけではないけれど。なんなら恥ずかしくて仕方がないので、できれば忘れていたかったけれども。


 彼は音楽が好き。作曲も好き。作った曲をサイトにあげているけど、鳴かず飛ばず。


 そして、なぜか私の歌声に興味を持った。



 私は彼の事を思い出しながら、ベッドに寝転び、ヘッドホンを触る。そして耳へ押し付けるように、外界の音が少しでも入らないように、わずかな力を両手に籠めた。


 私にとって、音楽とは壁だ。音色が嫌なことを掻き消して、うずくまってばかりの私を守ってくれている。それだけだ。

 決して、気まぐれに私に好奇心を抱いた、あの少年が思うような魅力的なものはないのだ。


 だって、ただの壁なのだから。


 目を瞑りながらそこまで考えて、私はそっとヘッドホンを外す。階下から聞こえる怒鳴り声は健在だ。

 私の帰宅に気付いているのか、いないのか。いつも喧嘩が終わった後に、母は私に声をかけることもなく、食事を部屋の前に置く。


 「おかえり」は久しく聞いていない。





 放課後、俺は廊下の角から顔を覗かせる。目線の先には宇田川さん。彼女と今度こそ話をつけようと、俺はいち早く自身のクラスを抜け、通行人の奇異の視線をものともせず、彼女を廊下で待っていた。

 すると五分後、彼女は一人で教室から出てきた。そしてそれと同時に俺の存在に気がつき、驚きで固まる。


「……」

「……」



 昨日の膠着状態を思わせるような無言の時間。どう彼女に声をかけようか迷っている俺に痺れを切らしたのか、俺より先に彼女の方が声をかけてきた。


「あの」

「あ、ごめん。宇田川さん、話を――」

「あの、私、リボ払いされても、昨日の話には乗れなくて――」

「え、利子付けてもお金払ってもダメなの?」


 開口一番に柔らかい声で伝えられたのは、強烈な断り文句だった。

 リボ払いは彼女が言い出したものだったように思うが、いつの間にか俺が払うことになっている。どうして。


「いや、そこをどうにか! 宇田川さんだって、歌うの好きだから、あんな所で歌ってたんだよね!?」

「いや、確かに歌うのは人並みに好きですけど、人前で歌うのは話が別っていうか……。お金がなくて、家でも歌えないから、できる限り人が来ない所を見つけて歌ってたってだけで――」


 彼女の家はお小遣いを与えるタイプのご家庭ではないのだろうか。人前で歌わないという条件をクリアする場所が、開かずの屋上だけとは、これいかに。

 俺は疑問には思ったものの、それ以上に彼女が屋上で歌う理由がわかったことが嬉しかった。

 なぜなら、おかげでアプローチの方法を思いついたからである。


「わかった!」


 俺は彼女の手を掴んだ。


「え、へ、あ、あの」

「宇田川さん!」

「え、へあ、なんでしょう!?」

「カラオケ行かない?」


 戸惑う彼女のリアクションも意に介さず、俺はデートのお誘いをした。





 鈴を振っているように軽やか。しかしその歌声に潜むのは幽玄だ。


 曲が終わり、宇田川さんがマイクをテーブルに置く。彼女は興奮した様子で椅子に座り、テーブルにあったコップを手に取った。


「これがカラオケ……。楽しいです。緊張したけど」

「…………」

「えっと、あの、どうでした?」


 おずおずと彼女は俺に感想を求めた。唇は固く結ばれ、コップを掴んだ両手に力が入っているのが、見るだけでわかった。


 気まずそうにする彼女に対し、俺は親指を見せた。


「めっちゃいい」

「あ、えっと、ありがとう、ございます。……あの、本当に?」

「嘘つかないって。泣きそうになった。夢心地。俺、幸せ」

「なんでちょっと片言なんですか。いや、でもその、ありがとうございます」


 俺の言葉に宇田川さんは頬を染める。照れたその顔をコップから離した両手で隠し、指の隙間からこちらを伺っていた。


「宇田川さんはもうちょっと自信もって! 俺だから感動で悶えてる心を抑えることができているけれども!」

「え。悶えてるんですか」

「宇田川さんの実力を知らない状態でカラオケ来てさ、『私そんな上手くないんで』って言われて、さっきの歌を聞かされたらさ! 普通は心臓バックバクして死ぬんだよ!」

「それ普通の人じゃないですね。控えめに言って、もともと死にかけている人です」


 俺の例え話は上手くなかったらしく、宇田川さんは引き気味で俺のことを見ている。さっきまでの照れた様子はどこへやら、と思わずにはいられない。


「宇田川さん、改めて頼む。俺の歌、歌ってくれないかな?」

「あの、歌を褒めてくれたことは嬉しかったんですけど、それはまた別の話で――」

「待って! 断る前にこれを聴いて!」


 彼女の断り文句を遮り、俺はイヤホン装着済みのスマホを取り出した。


「えっと……?」

「これ、俺が作った曲、いくつか入ってるんだ! それで気に入った曲があれば、それだけでいい。歌ってみてくれないかな?」

「……聴いてみていいんですか?」


 宇田川さんは以外にも俺の手を跳ねのけなかった。差し伸べられた俺のスマホとイヤホンを受け取り、そのまま耳に装着する。それを確認して、俺は画面に触れ、曲を再生させた。


 数十分間、カラオケ機器から流れる宣伝に包まれながら、俺は彼女の感想を待った。スマホに入れた俺の曲は十曲。終わるまで一時間近く待つこと必至。なんとなく気恥ずかしくて、俺は先程の彼女のように、両手で顔を覆い、指と指の間から彼女の様子を伺った。


 そして、思ったこと。彼女は表情をほとんど動かない。その代わり彼女は身体に感情が乗る人だ。

俺の作った曲がいまいちだと思えば眉をひそめ、身体を固くする。それと反対にお気に入りを見つければ、リズムに乗って、小さく身体を左右に揺らした。


 曲をすべて聞き終わった彼女は、イヤホンを外し、すぐに口を開いた。


「三番と、四番と、五番目と、七番目と、八番目と、あと、九番目と、十番目が好きです」

「そ、そっか」


 正直、俺は一曲でも彼女のお気に入りを作ることができればと、そう思っていた。動画投稿サイトで自身の実力がたいしてないと思っていたから、それだけで十分だと。

 しかし予想に反し、半分以上の曲を彼女は好きだと言った。


「あの、もう一回聴いていいですか?」

「え?」


 なんのために尋ねたのか。彼女は俺の返事を待たずに、再び曲を聴き始めた。


 そんな彼女の姿を見て、俺は泣きそうになった。


 自分はこれまでろくに自身の曲を評価されたことがない。部活動では知り合いに直接否定されることが怖くて、自作の曲を披露することができず、既存の曲を歌うばかり。ならば匿名で感想をもらえる動画投稿サイトならと曲をあげたが、それらはすぐに埋もれ、肝心の感想をもらえたことはない。


 勢いで夢中になって、羞恥も忘れて。彼女に自身の曲を差し出した。その結果、返ってきたのはおそらく本音。


 本気の「好き」だ。


 たった一人の少女が、自分の曲を好きだと言ってくれた。それだけのことなのに、顔が緩んで仕方がない。


 ふと、目を瞑って俺の曲を楽しんでいた宇田川さんが目を開けた。そして締まらない俺の顔を見て、ちょっと驚いた様子でイヤホンを外した。


「……どうしました? その顔」

「どうもこうも、俺の顔だよ! ありがとう!」

「え、なにがですか」

「好きって言ってくれてありがとう!」

「告白はしてませんが……?」

「そういう意味じゃないよ!」


 不自然にテンションが高い俺になにを思ったのか、宇田川さんはわずかに身を引いた。


「宇田川さん! 改めてお願い! 俺の曲、歌ってみてくれないかな?」

「……でも、私の声、変ですし。昔クラスメイトとかからも変だって言われたことあって」

「それは個性っていうんだよ! そのクラスメイトが語彙力なかっただけだって!」

「いやでも、歌とかも、小さい頃に両親からとかしか、褒めてもらったことがなくて。そういう、親の贔屓目でしか褒められたことないし、自信が――」

「でも俺は好きだよ!」


 俺の言葉に、宇田川さんが押し黙った。


「誰がなんと言おうと、俺は宇田川さんファン第一号! ずっと、好き! 永遠に好き! 超フォーエバー!」

「ちょ、超フォーエバー……?」

「絶対に嫌いにならないってこと」


 俺の熱烈な褒め言葉に照れたようで、宇田川さんはまた顔を両手で覆う。そして指と指の間から俺を見ていたので、その目を俺はぐっと見つめ返した。


 これが俺の本心だと、伝わればいいと思った。


「…………足手纏いになると思うけど」

「ならない!」

「……じゃあ、ちょっとだけ。お試しで歌ってみるだけ、とかなら」

「ありがとう!」



 それから、俺と宇田川さんは放課後に集まり、一緒に歌を作った。

 俺が改めて歌を作り、それに宇田川さんが感想を言い、歌う。そして修正を重ね、歌ってもらい、また修正。

 放課後、俺の部屋でそれを繰り返して、全力を尽くした曲を作り上げる。


そして緊張しながら俺たちが投稿ボタンを押したのが夏休みに入ったと同時。

 再生数がうなぎ上りとなり、肯定的なコメントをたくさんもらった、暑い夜の日のことである。


 今まで評価されなかった自身の曲にコメントがつく。これだけで俺には奇跡とも言えたのだが。


 この一月半後。もうひとつ、奇跡が起こった。

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