第6話 全ての始まり
その日の夜、俺は美優の部屋へと訪れた。浩志の部屋にあったノートと手帳を持ちながら。部屋の椅子に座っていた美優は、俺が手にもっているものが何か分かったのか、顔を青ざめている。
「境界線の小説は、浩志が書いたんだな」
部屋の床に座りながらそう声をかけると、美優はただ黙って俺を見つめている。
「まず聞かせてくれ。……お前は浩志を殺してないよな?」
「私が彼を殺すわけないじゃん!」
そう言い、怒りに満ちた瞳をした妹の顔を見て嘘をついていない事を確信する。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「この小説と似通った部分があったから。浩志が死んでからお前は変わった……自殺したりもしないよな?」
この小説で主人公は最後自殺をする。罪の意識に苛まれ、車の前に飛び出すのだ。念のため美優にそう聞くが、あきれたように首を振られる。
「だったら何で嘘をついたんだ」
その言葉にしばらく美優は黙った。言葉を探しているようにもためらっているようにも見えたが、やがて口を開く。
「私あの人が好きだった」
美優が小さくこぼす。
「大学生になってから皆がおしゃれしたり変わり始めて、私はそれに取り残されたみたいだったけど。自分自身が変わるタイミングは私が決めたかった。浩志君だけが私の気持ちを分かってくれたの。美優ちゃんは周りに流されなくても大丈夫だよって」
「……浩志が死んだ時が、美優の変わりたいタイミングだったのか?」
美優の小さな肩が揺れる。
「無理してやっているなら、それは美優の変わりたいタイミングじゃない。それははっきりと言える。美優のやっていることは、浩志の模倣だ」
「……模倣でもよかった。私はあの境界線の主人公、浩志君みたいに誰からも好かれる人になりたかった。彼が求めていたように、大勢の人に自分の存在を知ってほしかっただけなの」
美優のやっていることは、好きな人の面影を追っているに過ぎないのだろう。その恋を引きずって、段々と自分を見て欲しいという意識に変わった。
「境界線の小説は、私と浩志君だけの秘密だった。……たまたま小説を見てしまった私が小説の添削を申し出たの。断られると思っていたけど、私はそれでも好きな人と何かを共有したかった。……それが間違いだったとしても。浩志君が秘密を打ち明けていたあの小説、それを誰にも知られるわけにはいかなかったから、私が書いたって言ったの」
「秘密を打ち明けていた……?」
「あれは、浩志君が自分自身に起きた事を書いたものだから」
美優と話した次の日、俺は浩志が死んだ交差点にいた。
死んだ親友が、故意で人を助けず死なせたこと。あいつが自分自身の罪を書いた小説を、妹と共有していたこと。そしてそんな親友がずっと大好きだった妹。
いろいろな事がありすぎて実感が沸かなかった。美優は浩志が起こした事件の事も聞いていたらしい。
俺が丁度いなかった中学時代。この交差点で中学生の男子が一人亡くなった。そしてこの場所で、後に浩志も命を落とす。
偶然だったのか、運命だったのか。
美優がこの件について関係なかった以上、浩志が死んだのはやはり事故だったのだろう。もしかしたらあの小説のように浩志は自殺だったのかもしれない。あいつは苦しんでいた、俺はそう考えたい。
向かい側の花屋で献花を買おうとした時、丁度店内で紫の花が目についた。この前光輝と浩志の両親の元へ行こうとしていた時に、供えられていた花だ。
「その花気になるか?」
若い男性の店員が俺の視線に気づき、軽い口調で尋ねる。
「ええ、まあ。この向かい側の交差点で供えられているんです」
「そりゃああれだよ。この時期になると、よく買いにくるお客さんだよ」
そうして神妙な顔をして言葉を紡ぐ。
「その子さ毎年欠かさずやってきてその紫の花を買うんだ。俺がこの店に、仕事きてからだから覚えているよ。それにすごい美人だったしな、印象に残ってる」
美人と聞いて一瞬頭をよぎった人物がいたが、すぐに頭を振る。きっと自分の考えすぎだ。
「この前も来て買っていったんだよ。キキョウの花を」
紫の花を指さして店員はそう言う。花の前に飾られたプレートには、花の名前と値段、そして花言葉が載っていた。
俺はうまく笑えず店員に花を受け取ってから、店を出た。きっとその花は浩志の為の献花なのだろう。だがさっき見た花言葉が頭から離れない。
境界線の小説は終盤になっていく辺りで、主人公がある人物に出会うのだが、それは主人公が殺した人物と最も仲良くしていた人物だ。
主人公が罪を悔やみ死へのトリガーとなる人物。
もしあの小説が、浩志が自分自身の身に起きた事を書いたというなら、浩志はその人物に会っている。そして亡くなった人物について二人で語るのだ。何も知らない人物と死なせた浩志は。
交差点に立ち寄った後、俺は授業にでる気分にもなれず部室に立ち寄る。
俺はもしかしたら大変なことをしてしまったかもしれない。その考えが渦巻き、さっきから落ち着いてられなかった。
あの小説は、浩志の罪の告白だ。被害者は名前を変えているが、似ている部分もあるし、服装やしぐさなどの事も事細かく書かれている。事情を知っている人が小説を見れば分かるだろう。当時被害者と仲良くしていた人物なら、この小説を書いた人物が誰なのか検討がついたはずだ。
小さく息を吐いて部室に飾られた写真を眺める。色とりどりの景色や、笑い合う部員達の集合写真。壁に貼られた交差点の一場面。変わりゆく夕暮れに溶け合う鱗雲。俺はその交差点に先ほどまで居た。
今まで意識していたことがなかったから、気がつかなかった。
壁に貼られたその一枚から、丁寧に画鋲をぬく。少し汚れたその写真の裏には撮影者のサインがあった。
俺の良く知っている野田先輩の。
俺が境界線の小説を見せてしまった彼女の。
野田先輩に会いに行く前、光輝に連絡をした。市の図書館で調べた所、あの交差点で過去に人が死んだのは一件だけ。
「昔、大切な友達を事故で亡くしたって言ってたよな? あの交差点で」
「ああ、言ったけど」
「その人の名前って東山達也って名前じゃないか?」
「……そうだけど、お前何で」
俺は光輝に今までの経緯を話す。東山達也と斉藤浩志という二人の人物の友達だった光輝はこの件を知るべきだ。そして聞きたかった。
「野田先輩とその人は仲が良かったのか?」
「……達也の恋人だった」
静かな声でそう言う光輝に思わず「ごめん」と言う。こんなことになるならお前と浩志を会わせるべきじゃなかった。浩志は何も返さない。電話越しから生徒達の笑い声が聞こえる。
「……ごめんな」
「いや……あいつと友達になったのは俺の判断だ。裕のせいじゃない」
「でも」
「それより、お前は野田に会ってどうしたいんだ? 妹が犯人じゃないと分かったら、それでいいじゃないか。今度は野田が浩志を押して死なせたと思っているのか。恋人の仇だって。小説だと、浩志は何も知らない野田に罪悪感を感じて、自殺を決意するんだろう。だったら」
「……いや、野田先輩はあの小説を見ているんだ。その時に、真実を知っている可能性がある」
何も知らない小説の野田先輩と違って、現実での野田先輩は境界線を見ている。もし、真実に気付いた時、野田先輩は何を思ったのだろう。
「俺は野田先輩に会って、真実を知りたい」
自分が野田先輩にあの小説を見せた事の責任を、知る必要がある。
「……一人で大丈夫か?」
「ああ……ありがとう」
電話が途切れる瞬間、光輝の泣きそうな声が聞こえる。
「達也はいつだって野田の事が……」
途切れた言葉は最後まで聞かなくても分かる。携帯から耳を離しても、しばらくの間光輝の泣き声が頭から離れなかった。
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