第3話 私のモノ

 

 親友が死んだ場所へ行くのは始めてだった。

 まだ現実が受け止めきれなくて、足が遠のいていたことを許してほしい。部員と行った後、また一人で彼を悼むつもりだ。

 どこか見覚えのある交差点の一角で、俺達は浩志を悼んだ。向かいの花屋で、部長と俺が店員に花を見繕ってもらい、それを野田先輩が供える。途中で野田先輩が顔を覆ったが、その手の隙間から涙がこぼれていた。部長が去り際に、花を見て言う。


「ほんとうに良い奴だったよな。いつも笑顔で、気がきいて。いろんな人が頼りにしてた。お前みたいなやつが死ぬなんて、世の中おかしいよ」


 そして部長は俺の方を見て顔を歪める。


「あれだろ、事故を起こした運転手の野郎。浩志がいきなり道路に出てきたとか言ってるんだろう。そんなの罪を軽くするための言い訳に過ぎないのに」

「……そうですよね」


 部長の言う通り事故を起こした若い運転手の男は、浩志がいきなり道路に飛び出してきたので、避けられなかったと警察に言っているのだ。元々荒い運転をしていた男で、いつか事故を起こすと周囲から噂されていたため、警察はあまり信じていないようだったが。


 もしその話が真実だったら?


 その考えが浮かび上がった時、俺は心の底で浩志の死について、自分が納得していないことに気づいた。どうしても俺は気になってしまう。浩志の死が本当に事故なのか。

 あの小説を書いた美優が何も関係ないのか。





 目の前で命を散らした彼の顔が脳裏に焼き付いてる。

 助けを乞う彼の表情は驚きに満ちていて、それでいて絶望がはっきりと瞳に影っていた。

 葬式会場に飾られていた遺影は笑顔の彼なのに、私には最後の彼の表情しか思い出せない。

 泣いて、泣いて、泣き叫んでいる声が会場に広がり、スピーカーのように私の耳にも響く。

 私も呼応するように泣いていた。

 彼を悼んで泣く声に共鳴すれば私も何か得られるような気がしたが、私が考えていたことは死の一瞬さと、これからの忘失についてだった。いつか皆が彼の事を忘れていくだろう。

 親はずっと子のことを思うが、友人はどうだろうか。何かを残してはいくが、環境が変われば心の隅に追いやられてしまうのではないか。私は死んで彼らの心に何を残していけるのか知りたかった。でもまだそれには時間が欲しい。

 今分かったことは、彼の死にこの瞬間大勢の人が涙を流していたことだ。

 それだけ彼は大勢の人と関わっていた。





 浩志が死んだ交差点で解散となった後、俺と美優は久しぶりに二人で一緒に帰路についた。陽がすっかり落ち、暗くなった道にはぽつりぽつりと街灯がつき始める。

 口数の少なかった美優が、最近は友達と買い物に行ったこと、駅近くのカフェがとてもおしゃれだったことなど楽しそうに話しかけてくる。いつもなら、自分が話しかけて美優が話を聞いてくれる立場だったのに、今回は自分が相槌を打っていることに少なからず驚きながらも、妹が楽しそうに話すのは聞いていて嬉しさもあった。


「最近、お前変わったよな」


 丁度美優の話が一区切りついて、人通りの少ない住宅街の小道に入った時だった。言葉と共に吐かれた吐息は白く、自分の声が夜の闇に不思議と響く。隣にいた美優がこちらを見た。昔の妹なら、こんなまっすぐに人の目を見ることはしなかったのに。


「見た目が?」

「それが一番だけど、性格も明るくなった」

「そうかなあ……そうだったら嬉しいけど」

「……好きな人でもできたか?」


 さりげなくそう質問して、美優の反応を見る。前に向き直っていた美優は俺の言葉に苦笑した。兄の戯言だと受け取っているのだろうか。


「平井先輩もそんなこと言ってたけど今は好きな人いないよ。彼氏もいないし」

「本当に?」

「うん、考えすぎだよ。私だって女の子だから。おしゃれに興味持っただけのことだし」

「この一か月で?」

「そう」


 美優の冷たく返された声に一瞬沈黙が広がる。しつこく聞きすぎて不快にさせた気がするが、気のせいではないだろう。苦し紛れに言葉を発そうとして、思い出したのは野田先輩の言葉だった。


「ほら……野田先輩とかも女性がきれいになるのは恋をしたときだって言ってたし。だからそうかなっと」

「野田先輩が?」

「ああ。自分を見てほしいからだって」 


 そうだ。あの時野田先輩はそう言って。


「それが恋だけとは限らないけどって」


 角を曲がると自宅の玄関の明かりがやっと見えてきた。安堵感をもたらすその光彩に自然と足早になる。

 その時、美優との距離が開いた。

振り返って早く帰ろうと呼びかける声が喉の奥に飲み込まれる。暗闇の中でも分かるほど蒼白な顔をした美優は足を止めていた。俺の先程の言葉がその場に美優の足を縫い付けたかのように、彼女は前へと踏み出さない。


「美優、大丈夫か?」


 俺の言葉に小さな頷きが返ってくる。


「お前本当は何かあったんじゃないか?」

「何もないよ」


 妹の強い声は、これ以上話題に踏み入らせたくない拒絶のように感じた。それでも俺は声をかける。ここでやめたら、きっと美優は口を閉ざしてしまう。


「なあ、美優。あの境界線って小説はお前が……」

「裕兄、あれは私の小説だよ」


 遮った美優の声は怒っていた。その瞳には先程までの弱々しい光はない。美優の止まっていた足が動き出し自宅へと向かいだす。


「境界線の小説は私のモノなの」





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