第22話 ワクチン接種

「ひーちゃん、大丈夫?」

 玄関を開けたら、いきなりそう言って当然のように入ってきた彼女。

「え、なんで?」

「今日は泊まるから」

 有無を言わさず部屋に荷物を下ろした。

 約束してたっけ?記憶を辿ってみても、してないはず。それに今日は……

「今日はちょっと……困るな」

 語尾は掠れたように小さくなった。

 私が「うち、来る?」と誘って以来、彼女がこの部屋へ来ることを断ったことがあっただろうかーー否ーー

 怒ってないかな?

 そっと表情を伺うと、眉間にシワは寄っていたけど優しい顔だった。

「なんで?」

「たぶん、熱が出るから」

「知ってるよ、だから来たんじゃん」

「え、でも……」

「私がいたら、ゆっくり休めない? だったら私、床で寝るよ?」

「そんな、ダメだよ」

「じゃ、一緒に寝ていいよね?」

 ちーちゃんは、ニッコリと笑った。


 私は今日、職場でワクチンを打った。

 個人差はあるが、副反応が出るワクチンなので、明日と明後日は休みとなっている。前回は夜中から熱が出て、二日間寝込んだ。今回も覚悟をしていたのだ。

 一人で熱や体のだるさと戦う覚悟を。




「うわ、準備万端だね」

 枕元には、ペットボトルの飲み物や、みかんなど簡単に食べられるもの、体温計と解熱剤も置いた。


「今はまだ何ともないの?」

「腕が痛いよ」

 注射した場所は、数時間で腫れ上がっていた。

「早めに寝ようか」

 やさしく撫でながら言う。


「どうした?」

 一眠りした後、悪寒で目が覚めた。

 体を少し動かしただけで、ちーちゃんから声がかかった。

 もしかして、ずっと起きてた?

「寒い」

 そう言うと、ちーちゃんはギュッと強く抱きしめてくれた。

「これから熱が上がってくるね、辛かったら言ってね」

「うん」

 震えながらも、ちーちゃんの匂いとか柔らかさを感じて、心は温かくなった。

 ずっとこうしていたいけど、そうもいかなくなっている。

「うぅ、ちーちゃん」

「なに?」

「トイレ行きたい」

 さっきから我慢していた尿意が、そろそろ限界だった。

「大丈夫? 動ける?」

 正直、だるくて動きたくない。でもこればっかりは、代わりに行ってもらうわけにもいかず。

「施設からオムツ貰ってこれば良かったね」

 そんな冗談で気を紛らわせてくれる、ちーちゃんの顔を見れば。

 え、真面目に言ってる?


「トイレ行ってくる」

 ふらつく私を見かねて、一緒に付いてきてくれた。

「中まで入って来なくていいから!」

 介護されてる感がハンパないのは気のせいだろうか。


 トイレに行ったついでに、水分補給をする。ペットボトルの蓋を開けようとして悪戦苦闘。なんでこんなに固いの?

 ちーちゃんが、ペットボトルをサッと取って一瞬で開けた。固いんじゃなくて、私の力がなかったのか。

「はい」

「ありがと」


 飲んだ後は、ベッドに潜り込みながら体温を測る。ピピッと鳴った途端に、ちーちゃんに奪われた。

「37.9℃かぁ、まだ寒気する?」

「うん」

「わかった」

 再び抱きしめられながら眠りに落ちた。


「うぅ」

 しばらくウトウトして熱さで意識が浮上した。

「ひーちゃん、熱いね。苦しい?」

「だいじょうぶ」

 寒気は治まって、熱くなってきたけど苦しくはない。

「氷枕、取ってくる」

「やだ、行かないで」

 このまま、くっついていたい。

「薬、飲む?」

「いい!」

「水分は取らないと」

「めんどう」

「……わかった」

 熱でボーっとして、体もだるくて何もしたくない。

 微睡みの中で、唇に触れたもの。

 お馴染みの感触だ。

 なに、ちーちゃん。キスしたいなら言ってくれればいつでもーーん?

 ゴクっ、あれ、スポーツドリンクの味だ。

 なんだ、ちーちゃん。口移しなんて、幸せ過ぎるじゃん。

「どう?」

「ん、美味しい」

「まだ飲む?」

「ん、もっと欲しい」

 熱が出るのも、たまにはいいな。




「ひーちゃん、じゃ行ってくるから大人しくしててね」

「うん」

「終わったら来るから、鍵、預かっててもいい?」

「いいよ」

「あっ、可愛いキーホルダー」


 チャリンと音がして扉が閉まった。


 熱は微熱まで下がり、ずいぶん楽になった。

 テレビを付けてみたけれど、特に面白いものもなく、スマホをいじってみる。

 最近は滞りがちな小説を書かなきゃいけないなぁと思いつつ。

「えっ、期間限定で無料?」

 コミック雑誌を読み漁ってしまった。

 やっぱりいいなぁ、女の子同士の恋。キュンキュンするねぇ。

 いやこれも情報収集のうちだからね。


 お休みなんて、あっという間に時間は過ぎていく。

「そろそろ帰ってくるかな」

 熱もすっかり下がったので、ご飯を作って待っていると。

「ただいま〜あれ、寝てなくていいの?」

「うん、大丈夫! お腹空いたでしょ、食べよ」

「うわっ、ご馳走じゃん」

「うん、お礼の気持ちも入ってるから」

「お礼? 私、何にもしてないよ?」

「そばにいてくてたでしょ? 心強かったよ」

「そぉ? なら良かった」

 照れながらも喜んでくれる。

「ちーちゃんの時は、看病するね!」

「あぁ、私、ワクチン打っても熱出ない人だから大丈夫だよ」

「えぇ〜なんかズルい」

「そう言われても」

「じゃあさぁ、熱出なくてもしていい?」

「何を?」

「口移し」

 ブホッ…ちょうど口に入っていたご飯が飛んだ。

「いいよね?」

「う……うん……まぁ」

 ふふ、楽しみだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る