第5話 窮地



『ミスティア』


 誘拐犯たちから逃げたミスティアは、すぐに兄と合流する事ができた。

 勤め先に顔を出さなかったことで、兄に連絡がいったらしい。


 兄はほっとしたような顔で、こちらの頭をなでてくれた。


 縄をほどいてくれる兄の姿に、私は泣きそうになるが、気にしなければならない事がまだあった。


「お兄様、私の代わりに捕まってしまった人がいるんです、助けてあげてください」


 すると兄は、「ひょっとして、最近お前の店によく来る女か」と尋ねてきた。


「はい」

「放っておけ。何を考えているのか分からん。罠かもしれない」

「そんなはずないです。あの方は、兄が考えているような人ではありません」

「何を根拠に……」


 私は、あの人と触れ合った時間の出来事を思い出す。

 怪訝な顔をする兄に伝わってほしいと思い、まっすぐ顔を見つめながら口を開いた。


「まずあの人は、嘘をつく事ができません。そして、お兄様の事が大好きみたいです。あの人はいつでもお兄様の事を考えてくれています。だから信じられるんです。私のお花屋さんで、学園にいるノワール・ディスタという人物の話を何度していたか」


 私は、「ですから」と口を開く。


 幼いころから兄弟二人で支えあって生きてきた。

 けれどそれゆえ、兄の世界は狭すぎる。


 長男故の責任感で、ミスティアを守ってくれるのは嬉しい。

 困った時はいつでもかけつけて、涙をぬぐってくれた。

 ミスティアは、そんな兄が大好きだ。


 だからこそ、このままではいけないと思ったのだ。


「私に向ける愛情の十分の一、百分の一でもいいので、その気持ちを他の方に向けてあげてください」







『ノワール』


 ミスティアに近づいてきたあの女。


 何か思惑があるに違いない。


 だから。


 ミスティアの言葉でも、簡単には信じられなかった。


 誰かを、信じる?

 そんな事、そう簡単にできるわけがない


 今ここで誰かを信じてしまったら、取り返しがつかない。

 きっともう見知らぬ誰かすら、疑う事ができなくなる。


 そうなってしまうと、妹を、大切な人間を守れなくなるかもしれない。


 母も父も、亡くなってしまった。


 だから、

 妹だけは守ると決きめたのだ。


 俺は、ミスティアの兄だから。


 いつでも非情に、いらない物を切り捨てなければならない。


 なのに……。


「お兄ちゃん。あの人も助けてあげて。お願い」

「……」


 仲が良かったから、心配なのだろう。

 あのあやしげな女を。


 それが妹の望みなのだ……。


「ノワール、どうした。何があった」


 そこに聞きなれた男性の声がした。

 自分が通っている学園の生徒会長、ウルドのものだ。


 ウルドは、生真面目で、学園で一番優秀な人間だ。しかしだからといって己の力に過信していない。


 疑り深いノワールですら悪人ではないと思わせるような、そんな人間だった。

 状況次第では、この男すら敵になると思っているが。


「ミスティアを頼む。……ミスティア、事情の説明をしておいてくれ、いいな」


 だから前半の言葉はウルドに、後半の言葉はミスティアに向けて言った。


「ノワール!? どこへ行く!」


 そして、ミスティアが逃げてきた方角へ走り出した。



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