第65話

 今出せる限界の速度で肉薄し、首へと槍を振り下ろす。

 少し前ならば簡単に当たった攻撃は、だが物理法則を無視した軌道を描いた回避によって、眷属精霊の体表を僅かに切り裂くにとどまる。

 腕の一本を軸に体をスライドさせるその現象は、眷属精霊が重力と摩擦に縛られていないかのようだ。

 速度も異常。

 一体目を始末した時には遅すぎると感じた動きも、今は私の出せる限界値に匹敵している。常人ならば残像が見えるほどの高速移動だと言えば、この異常性を理解してもらえるだろうか。

 

(でもまだ追いつける。なら……殺せる)


 振り下ろした槍を地面に突き立て、腕力で体を持ち上げる。そのまま遠心力で槍を引き抜き、再び振り下ろす。

 流石に2撃目は想定してしなかったのか今度は腕の一本を切断したが、この程度では眷属精霊は怯まない。

 いや、怯まなくなったと言うのが正しいか。

 眷属精霊はまたしても不可解な軌道を描き私の側面へと移動をすると、細長い腕をしならせて横薙ぎの攻撃を放ってくる。

 槍ごと飛び上がり体を横にして避ける。

 腕が体の下を通ると同時に、私は槍を突き出し顔の一部を削った。

 だが、それが致命傷とならないことは学習されている。仲間の死を糧にさらなる強者へと至った眷属精霊は、痛みと結果の差し引きがプラスになるならば、多少の傷を無視する思考を覚えた。

 上体を大きく上げた眷属精霊が私を押し潰さんと迫るが、私はそれに対して槍を大きく振り上げ真っ向勝負を挑む。

 大きくる体。

 弾ける肉片と体液。

 溢れる内臓と晒される骨。

 踏ん張れずに宙に浮く私。

 そして眷属精霊の爪によって切り傷のできた左腕。

 体を使った文字通りの捨て身攻撃。だが、それと同時に眷属精霊は長い腕を使い、私の頭を狙ったのだ。

 もし私が踏ん張れていたら、もし私が空気の切り裂かれる音を聞いていなければ、私は死んでいたかもしれない。


(だけど、これで詰み)


 3メートル程飛ばされながらも体制を立て直した私へ、他の個体が接近しようとする音が聞こえたが、今はトドメを刺すのが先決せんけつ。胴体に破壊痕の残る眷属精霊へ、全力で駆け寄る。

 胴体を弾けさせた眷属精霊はそれでももがいていたが、首へ槍を叩きつけ胴体から切り離すと、そのまま光の粒子となって消えていった。


「これで、21体目。残り3体、そろそろきついですね」


 次の能力向上の上昇率は、一体どれ程のものであるのだろうか。少なければ嬉しいのだが。

 と、そんなことを考えていた私の心情を読んだのか、目の前の眷属精霊が地面を握り潰す。

 平面を握り潰すのに一体どれ程の握力が必要なのか、眷属精霊は知っているのだろうか。それも、私も見たことのない魔術都市特製の謎物質で作られた、ほとんどの衝撃を軽減する装甲板並みの地面をだ。

 私でもできないことはないが、接触面積の違いから考えて、眷属精霊の方が必要な力は大きい。


「上昇率は6.5パーセント……といったところでしょうか。筋力は間違いなく私を超えましたね。必然的に速さも」


 姿勢、仕草、目の動き、挙動、筋肉の躍動。そこから予想される眷属精霊の能力の向上を、私の思考は冷静に推し測った。

 単純な身体性能が今私の出せるスペックを超えたのは間違いない。

 そして、正確な力量差を測れば、私は圧倒的とも言えるほどに不利だろう。

 なんせ眷属精霊は神秘に生きる概念生命体。物理法則から半分、いや、大半が逸脱した正真正銘の化け物。

 基本的に物理法則に縛られた私とは基準が違う。

 先程まではそれでも持てる技術と知恵を以て私が勝つことができていた。

 だが眷属精霊の基本スペックが私を超えた以上、今から有利なのは明らかに眷属精霊だ。


「これが外に解き放たれればミタルエラは滅びますね。この特性がなければ、なんとかなったかもしれませんが……まあ、現実は正しく認識しなければ、後々後悔しますからね」


 殺した眷属精霊が残した光の粒子が星となり、大精霊から広がる夜空をさらに輝かせる。

 同時に、残った眷属精霊が強化されていく。

 それが、私が3体目の眷属精霊を殺した時点で気付いた、眷属精霊達の厄介な特性だ。

 最初はただ再生能力が厄介なだけの猛獣は、同族の死を積み重ねより強い生命体へと昇華した。

 もはや眷属精霊は私が一方的に狩れる獲物ではない。

 持てる全てをぶつけなければならない強者であり、たった今私を超える上位者となった。

 まあ、これは強化というより、という表現が適切かもしれないが。

 事実、眷属精霊達は能力に振り回されることなく、むしろより苛烈な攻撃を加えてくるようになった。

 まるで、それまで振るえなかった実力を示すように。

 

「ギュゥぅぅううううぅ」


 相も変わらず唸るような叫ぶような何とも形容し難い、しかしどこか人間に近い鳴き声を上げ、眷属精霊は姿勢を低くする。

 瞬間————


「っ————くッ!」


 ————目の前に現れた眷属精霊が亜音速にも近しい速度で腕を振るう。

 思考速度を緩めていた私は、ギリギリでそれに反応し、槍で腕を防ぎ、同時に後ろに飛んで衝撃を逃す。

 追撃を警戒しながら思考速度を加速。

 視界は減色し、聴覚は使い物にならなくなり、逆に増加した自らの身体と触覚の情報が脳を駆け巡り、不足分と充実分を極限の速度で演算する。

 音速にさえ認識する私の世界。

 眷属精霊さえ鈍重に過ぎる。

 だがそれは知覚できるだけであって、動きがついてくるわけではない。

 地面を滑るような移動法から行われた追撃を、最小限の動きで受け流す。

 槍の角度と加えた力によって逸れていく腕を確認し、直後に切っ先を眷属精霊の体が通る軌道上に乗せる。

 予想通り刃は眷属精霊の腕に切り傷を付けた。

 さらなる追撃のために槍を振ろうと————したのを強引に止めて背後からの奇襲に対処する。

 上から叩きつける腕の側面に槍を添えて、横にずらす。

 力は然程必要ではない。ただ正確にタイミングを測り半分でも力を加えられれば、それだけで攻撃は私を避けていく。

 本来は剣などで使われる技術だが、これだけ体格差があれば槍でも十分通用するのだ。

 尤も、ある程度の武術の達人になれば、こんな小手先の技術は当然のように通じないのだが。眷属精霊のように純粋な暴力を振るうしか脳のないくせに、中途半端に知恵の付けた半端者には、この手の技術が良く効く。

 腕を避け体勢を僅かに崩した眷属精霊の頭を貫く。

 本当は狙いやすく重要な器官の集まっている首を狙ったが、直前で首を捻られてしまったせいで外れてしまった。

 だが、刺さったのは丁度右目側。これならばやりようはある。

 槍を捻って角度を調整し、一気に刃を走らせる。

 

「ぎゃああぁぁうぅぅぁああ!」


 両目を一度に潰され視界が失われた眷属精霊が暴れる。

 痛みがあるのかは怪しかったが、感覚器を潰されれば流石に動揺するようだ。

 しかし、それはほんの僅かな間だけ。それは先程確認している。

 故に、一撃で殺す。

 全速力で接近し他の眷属精霊に邪魔されないように懐に入る。そのまま腕の一本に掴まり足を首に着け、体を固定。

 そのまま槍を音速を超えた速度で首に突き立てる。

 体を固定さえしてしまえば、音速を叩き出しても摩擦が弱いがために滑ることは無い。

 つまりは、手加減は必要がないというわけだ。

 音速を超えた槍はソニックムーブを発生させながらも、眷属精霊の首に風穴を開けた。

 まあ、固定に使った眷属精霊の体は耐え切れる筈もなく、当然のように腕は千切れ私は放り出されたが。

 だが、一度は殺せた。

 十分過ぎる程の戦果だといえる。

 数が減ったこの時間にもう一体は殺したいのだが、眷属精霊もそれほど馬鹿ではない。速度と力で私を叩きのめせない以上、これまで以上に慎重になる可能性も高いだろう。

 

(そうか、そうくるのか……!)


 しかし、眷属精霊は慎重になるどころか、残った2体で全速力の突貫をおこなってくる。

 その行動は今までと比べ物にならない程に的確。腕を最大限活用し、私の逃げ道を完全に塞いでいた。

 槍を構え、有効範囲に入ると同時に穂先で1本の腕を払う。

 伸ばしてきた腕を避け別の腕に槍を突き立てる。

 槍を両手で握ったまま回転、腕を切断しつつも牽制。

 私が動いていることで2体との距離は同じではない。故に、私が逃げる道も何とかできた。

 いくら私といえど、数多の化け物の中では純粋な身体強度は高くない。

 私以上の速さと筋力を持った眷属精霊に囲まれていては、いつ致命傷を入れられてもおかしくはないのだ。

 何とかこじ開けた逃げ道に体をねじ込んで————


(——っ! しくじったか!)


 相手にした方とは別の眷属精霊が視界の端から近づいてきていた。

 地面に一切触れないまま空を駆けるその速度は、私が先ほどまで見ていたよりも2割程早い。

 それが表す事実は1つ。眷属精霊たちはこの瞬間を待っていたのだ。

 自らの全力を見せず、私をたばかり、同族の死すらも使ってチャンスを生み出した。

 眷属精霊はただの半端者ではなかった。

 いや正確には、最初はそうだったかもしれないが、凄まじい速度で知恵をつけている。

 

(避け、られない!)


 認識はできる。

 だが、対応ができない!


「ぎゅぁぁぁぁああぁあ!」

「かっ————は!」


 地面を何度も跳ねる。

 筋力ならば合金を捻じ切る私さえ超えた眷属精霊の薙ぎ払いは、私の左腕を破壊し、さらには肋骨をいくつか折っていた。

 

「ぐっ……!」


 痛みの不快感に蝕まれながらも、私は何とか立ち上がり、せり上がってきた血塊を吐き捨てる。

 不味い。最悪の状況だ。

 私は確かに驚異的な復元能力を持っている。

 だが、粉砕された骨を元に戻すにはそれなりの時間がかかる。破片の位置を整えることに手間がかかるからだ。

 罅程度ならば、あるいは完全に欠損すれば、再生は手早く済んだだろうに。

 この状況を少しでも打開するには……これしかない。


「……痛いのは、嫌いなのですがね」


 槍を右手で短く持ち、左肩に当てる。

 そのまま一閃。完全に切断した。


「っ——……」


 これで少しは復元が早くなりはする。

 だが、それまで眷属精霊は待っていない。夜空の中を浮かびながら、音速一歩手前で接近してくる。

 すぐさま痛みを無視して走ろうとするが、いつもの体勢で走ろうとした私は、自らのバランスがかなり崩れていることに気付く。

 当然の事だ。

 いきなり腕を失ったのだ、今まで通りまともに動けるはずがない。

 何度も腕を失い戦闘を繰り返した者ならば、あるいは可能かもしれないが、そんな怪物はそうそう存在しない。少なくとも、私は違う。


「くっ————がは!」


 そして、ただでさえ身体能力で劣り、バランスを崩して足も技量も本量に届かない獲物を、捕食者が見逃す筈がない。

 真正面から来た攻撃をまともに受けた私は、アリーナ端の壁に強く打ちつけられる。

 体の前に槍を置いてはいたが、片腕の不完全な防御など気休め程度。骨を粉砕されることは防いだが、壁とぶつかった衝撃で首の骨が露出し、さらにはにヒビが入っていた。

 全身も衝撃で蹂躙されている。

 一瞬の意識の断絶は、果たして死によるものだったのだろうか。

 この程度ならば数分で復元されるとはいえ、直後に来た痛みは思考を断絶するに足るものだ。

 この状況でも槍を手放さなかったのは、生存本能と戦闘経験の賜物だろう。


「カヒューカヒュー、ぐっ……かは!」


 痛み。

 全身を肉叩きで丁寧に潰された後に感覚を戻されたかのような、苦痛以外のあらゆる感覚を寄せ付けない、圧倒的な苦しみ。

 脳が機能を放棄するほどの、痛み。

 全身の神経が剥き出しにされたかのような、痛み。

 苦痛という毒を打ち込まれたかのような、痛み。

 痛い。

 全て放り出してしまいたい。

 私は痛みが嫌いだ。

 この苦痛が無ければと、何度思っただろうか。

 あらゆる生命が厭うこの感覚を、私は何度も感じてきた。

 

(でも……これがあるから……私は、だ)


 朦朧とする意識の中で、自分でも理解できない考えが浮かんでは消える。

 認識している筈なのに、次の瞬間には弾けた泡のように解らなくなる。


(桜華も……パトリアも……人だった……私も、そうありたい……私は……人間だと……そう思いたい)


 妹の顔が、青年の顔が、脳裏にはっきりとしない像を結ぶ。


(貴方のように、なりたかった……その、輝きが……私に、あったなら……それだけで)


 望みが、願いが、痛みに満たされた体を駆け巡る。

 クリアにはならない半透明の中で、私は揺蕩う。


(でも、私は謳われない……だから、私が全ての痛みを背負う……! せめて、貴方が……幸せで……私が……いつか、笑えるように……!)


 痛みが、和らいだ気がした。

 目に光が入る。

 音が聞こえる。

 暖かさがある。

 私は黒い生地を血で濡らしながら、確かに立っていた。

 袖の無い左腕はまだ生えきっていない。

 肋骨もまだ痛みがある。

 だが、意識は現実を認識している。

 だったら、私は負けていない。


(この程度……!)


 ただの体の痛みごとき、知覚の全てを苦痛に占められる魔眼の暴走に比べれば、どうとでも付き合える。

 何かを求めるように伸ばしていた不完全な左腕。未だ痛むそれを使い、肘で体を浮かべる。

 何を求めていたのかという疑問は浮かばない。今はどうでもいい。

 槍を支えに体を起こす。

 脊椎が損傷した影響か足に痺れが残っていたが、動かないわけではない。ならば形なくなるまで使ってやる。

 前を見据える。

 左目に血が入って鬱陶しいが、潰されたわけではない。見えるならばそれで良い。


「どうしましたか……私は、まだ立っていますよ?」


 一度殺した眷属精霊も復活し、残りは3体。それも、うち2体は2度殺さなければならない。

 青い目と翅を輝かせ宙をも支配する眷属精霊は、間違いなく今の私を超える強者だ。

 だがそんな強者達は、弱った私にトドメを刺せずにいた。

 そんな現状に、どこからか愉快な気持ちが湧く。

 見ろ。

 私は未だ地に伏せず、敵としてここに立っている。

 体は欠け血を流し痛みに蝕まれ、だが精神はまだ戦えと昂っている。

 私はまだ、負けていない!


「私を、殺したければ……今の那由多倍は、死を持って来て、もらわなければ」


 ただ1人、圧倒的強者と向き合うこの状況。

 ただ1人、絶対に勝たなければならない勝負。

 ただ1人、死を突きつけられる極限の戦場。

 私に相応しいではないか。

 神がこの時を作ったというのならば、真性の悪魔への贈り物としてはなかなかの出来だ。


「ふ、ふふふ……」


 口角が自然と上がった。いや、先ほどから上がっていたのだ。

 絶望ではない。

 この絶望的状況の中ではっきりとした、ただ先も見えない霧の中の、絶対の勝利条件へ。

 そして、こんな私を恐れてくれる敵への感謝に。


「眷属精霊さん。私は、貴方達に、勝ちます」


 骨に肉がへばりついた左手を、眷属精霊に向ける。

 本当は指差したかったのだが、そこまでは復元されていなかった。

 だが、これで良い。

 私はただ1人、ここで偉業を成すのだ。

 そうして下ろそうとした左手は————


「ああ、お前は本当に! 馬鹿げてるなっ! だけど……最高にかっこいいじゃないかチクショウ!」


 ————1人の青年に握られていた。








 ただ1人で成そうとした偉業は…………この時2人での偉業へと変わったのだ。

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