第20話

 描かれていた絵を塗りつぶすように、黒い光は全てを飲み込み闇へと染め上げていく。

 街灯も灰色のビルもアスファルトも、何もかもがその姿を消して、闇の中に消えていく。

 否、それは闇ではない。

 闇とは光の当たらない状態を指すものだ。だがこれは違う。

 黒い光という光学的に矛盾した存在。

 いかなる科学を用いても決して実現することのできない神秘の領域。

 人間が一生を費やそうとも目にすることが出来ないであろう現象……魔術師であっても作り出せないであろう現実を、私は確かに目にしているのだ。

 世界が黒に侵食されていく。

 容赦などなく。予兆もなく。躊躇いもなく。

 空間、時間、光、現実の全てをねじ伏せて、それは顕現しようとしていた。


 (まるで出来の気に入らないキャンパスを塗りつぶすかのよう)


 ふとそんな感想が出てくる。

 その表現は的を得ていると言えるだろう。

 そこには新しい世り、現実を塗り替え、先ほどまで確固として存在していた存在全てが、新たなる法則の前に滅ぼされていく。

 そこには新しい世界が生まれようとしていた。


「ありえん…!? これは……!?」


 黒い光が1分の隙間もなく、世界を照らし終える。

 照らされているのに全てが黒いという矛盾の中。しかしその中でも私とミラーとミラーの使い魔であるドラゴンだけは、まともな色を纏ったままだった。

 均一に同じ明るさで全方向から照らされているのか、影はどこにもない。まるで影の描かれていない絵画を見ているように、のっぺりとした印象を受けた。その違和感だけが先ほどまであった物理現象世界法則の名残を感じさせる。

 3つの物体以外は黒一色に照らされた世界のキャンパス。そこに次の瞬間が塗りたくられれていく。

 赤が弾ける。

 青が跳ねる。

 緑が飛び出し。

 黄色が迸り。

 白が浮かぶ。

 塗りつぶす側だった黒が、次は逆に塗りつぶされていく。

 反発し、混ざり合い、新たなる世界が積み上げられていく。

 それは天地創造そのものだ。

 それから数瞬が経ち、1つの世界が完成した時、その場には2人と使い魔のドラゴンだけが立っていた。


「《レルム》だと!? お前はまさか!?」

「私が何者か気になりますか?」


 一歩踏み出すと、足元からカシャンッと金属が擦れる音がした。

 大地に視線を向ける。そこには黄金の輝きが散らばっていた。

 いや、黄金だけではない。

 信じられないほどの反射率を誇る銀皿。青い宝石の埋め込まれた杯。豪華な装飾を施され、中からエメラルドの覗く宝石箱。赤い珊瑚の指輪。

 その他金銀財宝で大地が地平線まで埋まっているのが、淡い光に照らされて姿を晒していた。

 空に視線を向ける。そこには地上に負けず劣らず輝いている天球が世界を覆っていた。

 ありえないほど大きな満月。現実では見れないほどにはっきりと力強く輝く無数の星たち。

 それは人が夢見る幻想をカタチにしたかのような世界だった。

 あまりにも美しく。全てを魅了するほど綺麗で。目も眩むほど輝かしい。

 当然だろう。これは欲しがる者に望むもの全てを与え、虚栄心を増長させる。そのためだけに作られた世界だ。

 

「お前は……!? お前は本物の神なのか!? そんなはずはない! だがこれは天地創造の奇跡だ!」

「ええその通り、これは本物の《レルム》です。ですが私は神様ではありませんよ」

「ならば! ならばお前は何だ!? 《レルム》を扱えるのは全能者だけのはずだ! 神でないのならば上位精霊か!? それとも妖精女王フェアリークイーンか!?」

「そのどれでもありません。見た方が早いでしょう。竜王の吐息ドラゴンズレスをこちらに放ってくれればわかるかもしれなせんよ?」

「……っ!」


 ミラーは下を向いて自らを落ち着けるように息を吐く。

 ドラゴンは相変わらずミラーを腹に抱きながら、火の粉を吐いて陽炎の翼を広げていた。

 術者であるミラーが精神的に揺さぶられながらも、ドラゴンが形を崩さなかったということは、焔と岩の竜王ドランの魔術は術者から半ば独立しているのだろうか。それとも単純にミラーの魔術師としての腕が高いだけなのだろうか。

 何にせよ、この世界に引きずりこんだ時点で私の勝利は揺るがない。

 神にも等しい権能を行使できるのだから、私の負ける要素などない

 ここでは私が頂点だ

 何もかもが思うがまま、天地全てが私の手の中だ。ミラーでさえもここにいる限り私から逃れることなど出来ない。

 それを証明するためのは、実際に見せた方が早い。

 普段の私ならばこのように遊ぶようなことはしないだろう。

 だが、この世界に来ると、私に心に普段はない感情が湧き出してくるのだ。

 何もかもが思い通りになるという万能感。

 万象の全てが矮小に見える全能者の視点。

 何もかもが私を中心に回る現実。

 意味もなく昂っている感情。

 そして何より、それらから生まれる『傲慢』。

 自らが驕り高ぶっているのが如実に感じ取れる。

 抑えきれない感情が、遊びという形で外に漏れ出ている。

 愉快な感情が溢れていく。

 祝詞を言祝いでいた、異形の意識に侵食されていた時とはまた違う心の満たされ方だ。

 そうやって自らの感情を吟味していると、ミラーが顔を上げてドラゴンに指示を出した。


「《焔と岩の竜王ドラン》よ……敵を討ち果たせ」

「やっとですか。少々私を待たせ過ぎでは?」


 いつもならば決して口に出さないような挑発が零れる。

 心が感情に引っ張られて、思考が偏っていく。

 ああだめだ。感情がコントロール出来ない。

 本来ならば躊躇ちゅうちょなくさっさとミラーを倒してしまった方がいいというのに、昂った感情がそれを許さない。

 

「お前が何者であろうとも構わん。私はお前を打ち破る……そうしなければならないのだ」

「それは不可能ですよ? この《レルム》にいる限り貴方に勝ち目はありません」

「くはっ……最後の敵が世界そのものとは……言霊とは恐ろしいものだ。だが相手にとって不足なし。やることは変わらん……これは世界への挑戦、私の魂の証明だ!」


 ミラーが杖を構え、ドラゴンに指示を出す。

 ドラゴンは宝物の山を融解させながら熱を高めている。体に浮かんだ熱脈は溶岩の輝きを超え、太陽の輝きに近づいていく。

 

「ガアァァアァア!!」


 ドラゴンが絶叫する。

 倉庫で見た熱量の限界を遥かに超え、ミラーの望む通りに周囲を熱で蹂躙していく。

 数多の宝物を蒸発させながら、天球の輝きを霞ませながら、魔術師となってまでミラーが極めた極大の神秘が、世界に自らの存在を示さんと猛り狂う!


「さあ行くぞ全能者! 我が願いのために消えろ! これが私が示す世界への叛逆だ!」


 ドラゴンが口内をこちらに向ける。その喉の奥には太陽の光輝が煌めいていた。

 万物を焼却する煉獄の業火。

 神がソドムとゴモラを焼き払った罰の炎の一端にも相当するそれは、この世界にいるただ1人の仇敵、すなわち私に向けられていた。


(……その程度ですか)


 だが、私がそれを見て覚えたのは興奮でも感嘆でもなかった。

 落胆だ。

 情緒が不安定気味になっている私は、ドラゴンの放つであろう最高の一撃を思い浮かべ、心の底から落胆した。

 これから放たれるであろう竜王の吐息ドラゴンブレス……なるほど、それは直線上もの一切を滅却する神の怒りにも匹敵するだろう。

 しかしそれがどうしたというのだろうか。

 ? だとしたらとんだお笑い種だ。

 だが、そんな私の思いとは裏腹に、ミラーはドラゴンに最後の命令を下す。

 

「『焼き尽くせコール』!!」


 ドラゴンから迸った光線は、通り過ぎた近くにあったもの全てを蒸発させながら、私に向かってはしってくる。

 それはまさに叛逆の一撃であった。

 

「……認めましょう。貴方は確かに私の前に立つに相応しい叛逆者でした。……


 熱線に手を翳す。ただそれだけの行動で、世界が従う。

 あの光が邪魔だ。私がそう思うだけでいい。

 このレルムにおいては私が全てだ。何もかもが思うがまま、あらゆるものが私を中心に平伏す。

 

「……っ! 何が!?」


 ドラゴンが霧散する。

 私に奔ったはずの熱線は中途半端な破壊痕を残し消失した。

 ドラゴンが消えたことで、周囲を融解させていた膨大な熱も、虚空へと消える。


「ドラゴンもブレスも邪魔でしたからね。少々消えていただきました」

「これはお前の仕業かッ! 何をした!」

「言ったでしょう? のですよ。存在そのものを」


 これが今の私だ。

 森羅万象は私に従い、形と役割を変え、時には生まれ、時には失われる。

 ドラゴンを構成してい灰も、ブレスの形をした神秘の結晶も、私が消えろと望めば、質量保存の法則も神秘の法則すらも無視して文字通り消滅する。

 いかなる攻撃も防御も、ここでは意味をなさない。


「……そうか……そうだったな。ここはお前の世界。全能者であるお前の前では何をしようと無駄か」

「やっと分かりましたか。でも残念でしたね。

「……気づいていたか」

「当然です。この世界にある物の全ては《視え》てしまうのですよ。そうでなくともあなたが無理をしているのは分かりましたがね」


 ミラーが疲れたように息を吐く。それは弱々しく浅いものだった。まるで全ての力を使い果たしてしまったかのようだ。

 いや、『ようだ』ではない。本当に使い果たしているのだ。

 よく見れば足はふらつき、手は震え、体は傾いている。到底まともな状態には見えない。

 

「祭壇からの補助もなく、地脈からの供給もなく、よくここまで維持しましたね」


 《焔と岩の竜王ドラン》は最高レベルの大魔術なのだろう。それこそ、ジャックの《大夢心象》に比肩するほどの。

 ジャックでさえ万全の状態で発動しても長時間発動すれば酷く疲労していたのだ。それを何の補助もなく発動し続けることの代償は、今のミラーの状態が表している。


「後どれほど立っていられますか?」

「……そう長くは意識が持たん。……だが惜しい、出来るのならば全力で挑戦したかったのだがな」

「ええそうですね。あなたが万全の状態で力を振るえば、だったでしょう。そうなれば世界に綻びを作ることも出来たかもしれません」


 あくまで例えばの話だが、ミラーが万全ならばこの世界でも私に勝つ可能性もないわけではなかった。

 まあ、私が遊んで慢心していることが前提ではあるのだが。

 ミラーを前にしてそんなことをすることはないだろうから、どのみち私に勝ちは揺るがなかっただろう。

 

「くっ……」


 ミラーが膝をつく。

 もう限界も近いのだろう。呼吸は浅く、筋肉からも力が抜けている。


「……もうおしまいですね」

「ああそうだ、私の負けだ。結局、神秘にまみえようとも私では夢に届かなかったか」

「それが魔術師というものです。『願いを追う愚者』という二つ名は的を得ていたわけですね」

「その通りだ……だが、お前は何だ? なぜこれほどの権能を扱える」

「ああそういえば、ブレスをを放てば私の正体が掴めるかもしれないと言いましたね。流石にこれだけでは分かりませんか。最後の手土産です。教えて差し上げましょう」


 ミラーに近づく。

 ドラゴンの発していた熱により宝物を融解させ、ミラーを中心にクレーターが作られていた。

 冷えて固まり黒ずんでいる軽い傾斜を降りると、ミラーは枯れ木のような手で杖をつかみ、辛うじて体を起こしていた。


「私は人が存在ある限り消えることのない原罪を担う者。驕り高ぶった咎人の象徴」


 ミラーの前に立つ。

 苦しそうな呼吸が聞こえてくる。今すぐにでも途切れてしまいそうだ。

 だがそんなことは許さない。

 死んで楽になるなど生ぬるい。この男には自分の罪を償ってもらわなければいけないのだ。


「七つの罪源のうち最も初めに示される者」


 手を星と月が輝く天球に翳す。すると、東の空が俄に明るくなり、天球の輝きが薄れていく。

 金銀財宝で構成されている大地の地平線から、強い煌めきを放つ星と月を霞ませ、強烈な輝きが東から近づいてくる。

 それは姿を見せると同時に、


 ゴアァァアアアア!!!!


 果てのない宝物の大地を駆け巡るそれは、まさに世界を照らす咆哮。

 それは炎を纏った獣の王。

 咆哮こえ1つで百獣はおろか、幻想種すら威服させる太陽の化身。

 それは天頂に上がると。白い光輝で当たりを照らす。


「百獣の王をシンボルの一つとする世界最大の宗教の敵対者」

「……こ、れは……?」


 ミラーの呼吸が調子を戻していき、枯れ木のような体にも力が戻ってきているのが、傍目からも分かる。。

 太陽の獅子の加護はしっかりと効いているようだ。

 ここまで回復すれば命の心配はもう要らないだろうというところまで癒した後、太陽の獅子の光輝を弱めさせる。


「自らを虚栄心で満たし神の声を妨げる者」

「は、はは……お前は……そうか……全能者ではあってもそういうことか」


 ミラーが弱々しく笑う。

 私が何者であるかに気づいたのだろう。

 それもそうか、魔術師であれば知らない方がおかしい。

 驕り高ぶる者。

 七つの罪源。

 最も初めに示される者。

 獅子をシンボルとする。

 世界最大の宗教の敵対者。

 ヒントは既に十分過ぎるほど出ている。


「神の敵対者……我々の求めるものとは真逆な者か……」

「……私が何者か分かりましたか?」

「当然だ、七つの大罪の1人よ。お前は真性の……」

「ええその通りです。私は思い上がった者たちの罪を表す者——」


 それは本来ならば世界にいてはいけないもの。だが同時に世界になくてはならないもの。

 人という霊長がいる限り消えることのない、七つの罪のうちの一つを示すもの。

 それを魔術世界ではこう呼ぶのだ——


「——《傲慢》の真性悪魔です」

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