第17話

 私が取った最速の行動。それは逃走だ。

 焼ける獣ダガーが迫って来るのを避けながら、エマを抱えて走り、ビルの中まで逃げる。

 道の真ん中で戦ってはエマを守ることが出来ない。焼ける獣ダガーだけならば建築物を破壊出来るだけの力がないのは分かっている。ならば建物の中が現状最も安全な場所だ。


「どうした! また逃げるか!」


 ミラーはなぜか最初から焔と岩の竜王ドランを使う気はないようだ。

 消耗が大きいからなのか、それともエマを傷つけないためなのか、何にせよ私にとっては好都合だ。

 あの圧倒的な熱とパワーとスピードを持つ怪物が相手でないのならば、私を捉えられることは出来ないのは、倉庫での戦闘で分かっている

 デパートを選んでビルに入った。中心が吹き抜けになっていて、それが7階まで続いている構造だ。

 ここならば私の機動力を最大限生かせるだろうし、何より武器となるものが得やすい。

 エマを抱えて一気に5階まで飛び上がり、そのまま人のいないブースに入りエマを隠す。


「エマ、ここで隠れていてください。もしもの時は精霊を使って逃げてください」

「おねえちゃん…は?」

「私はミラーと決着をつけてきます」

「かてる…の?」

「必ず勝ちます。それまでここで待っていてくれますか?」

「……わかった」

「では、行ってきます」


 エマの頭をひと撫でしてから立ち上がる。

 さて、私の役目は定まった。何があろうとミラーを打ち倒すこと。それが私のやるべきことだ。


「おねえちゃん……!」


 ブースを出ようとした所で、エマの声が背にかかる。

 振り返ると、エマは不安そうな顔をして私を見つめていた。


「かならず…かえって…きて……!」

「……ええ、約束です」


 そう言って手を振ると、僅かだがエマの表情が緩む。

 それを見てから吹き抜けになっている1階まで飛び降りる。

 風が耳元で唸りを上げる。浮遊感が心地いい。

 普通の人間ではこの高さから落下すると、落ち方が悪ければ死は避けられないだろう。

 だがあいにく、私は普通の人間ではない。

 常識の通用しない怪物なのだから、この程度の高度では私に傷ひとつ付けることは出来ない。

 ダアァン! という音を響かせて降り立つと、丁度獲物を追う獣ダガーが警戒しながら入ってきた所だった。

 獣たちはいきなり現れた私に一瞬足を止めると、次は円を描くように私を囲み始めた。

 いきなり襲ってこないのはミラーが私を危険視している表れだろうか。


「意味のないことです」


 隣にあった階段の支柱を1メートルほどでへし折る。

 握ってみると、こんな太さでどうやって階段を支えていたのかと思うほどの太さだが、振るうぶんには丁度良い。

 獣はその間にも私を中心にして回っていた。

 愚策だ。

 私に武器を調達する時間を与えてしまっては、何のため獣が強化されているのか分からなくなってしまう。

 それで私を圧倒できるのならば話は別だが、獣たちが私よりも確実に弱いのは、既に分かっていることだ。

 では数で補うつもりなのかといえば、そういう訳でもないようである。

 その証拠にここにいる獣は4匹しかいない。

 

「まさかその数で私を倒せるとは思っていませんよね」


 獣たちは答えることなく、私の周りをぐるぐると回っている。まるで私が動くのを待っているかのような動きだ。

 

「……良いでしょう。私が先に仕掛けるのを待っているのでしょう? 乗ってあげます」


 何か罠が仕掛けてあるかもしれない。

 あのミラーが相手なのだ。そうやすやすと使い魔をただの捨て駒にするのか疑問だが、そんなことは意識から外す。

 この程度の獣、最速で葬ることさえできなければ、到底ミラーに勝つことなど出来ない。

 私のやるべきことは決まっている。

 だからこそ、こんな所で止まっている暇などない。


「準備運動といきましょうか……」


 メガネは既に外してある。私の眼には獣たちの弱点はおろか、灰一つ一つの動きすら視えている。

 思考を際限なく加速させる。神経伝達は極限を超え、限界を超えたその先に私の意識を連れて行く。

 意識に反映されるのは、灰色に染まった相対的低速の世界。

 獣たちは時間がゆっくりと流れているかのように鈍速になっている。


(この世界は私の領域。神速の怪物ドランでもなければついてはこれない)


 今私の意識が認識している世界は、以前倉庫で焔と岩の竜王ドランと戦った際に使用した超音速の世界だ。

 衝撃波を起こさないように音速ギリギリのスピードで獣たちに近づく。

 認識している世界と体の動く速さが合わずにじれったい。まるで粘性の高い液体の中で動いているかのようだ。

 だがその甲斐はあった。

 亜音速の高高速のスピードに反応出来る獣たちもこのスピードにはついてこられないようだ。近づき心臓部の核に合金でできた金属棒を突き立てるが、何の反応もなく4匹全てを葬ることが出来た。

 呆気ないものだが、この相対的極低速の世界は私の認識できるギリギリの世界だ。

 たかだか量産される獣の使い魔如きについてこられては、私の立つ瀬がない。


「さて、本番はここからです」


 今日は大盤振る舞いだ。

 眼に力を込る。

 直後、膨大な視覚情報が光の洪水となって脳に叩き込まれる。同時に、それらを受け止めるために、私の知覚が限界を超えて広がっていく。


(……っ、今は無視だ)


 際限のない不快感が私を苛むが、そんなものは全て認識から外す。

 《透視》を使いミラーとその使い魔たちの行動の全てを知覚するためには、この程度の代償安いものだ。


(ミラーは……外で待ち構えているか)


 私たちを追わないということは、それだけ私の有利な場所で戦うのを避けたいからだろうか。それとも、その場所で戦うための準備がしてあるのか。

 何にせよ、私が出て来るまで行動する気はないようだ。

 

(分かった。そこまでするならこちらから出ていこう)


 あちらから仕掛ける気がないのならば、私から相手の前に出て行くしかない。

 足場が多く機動力を生かせるというアドバンテージを失うことになるが、いつまでもここに閉じこもっていては、建物ごと吹き飛ばされる可能性もある。ミラーほどの魔術師ならば可能だろう。

 外に出ると、ミラーは一歩も動くことなく私を待っていた。


「……ようやく出てきたか」

「ええ、お待たせしました。待ちくたびれましたか?」

「くはっ……いやいや、老骨には丁度良い休みだったとも」

「そうですか。出来ればもう少し休んでいただければ私たちが逃げることも出来たのですがね」

「残念ながら、お前たちを逃がすつもりはない」

「それは本当に残念なことです」


 中身のない会話だ。無駄な言葉が出ては消えていく。

 最初の焼き直しのような光景だが、私もミラーも油断は一切ない。

 私は最速で体を打ち出せるように体勢を整え、ミラーも使い魔の獣たちを自分の近くと私の周りに集めている。

 両者相手がどのような行動に出ようとも、瞬時に反応出来るように気を張っている。

 会話は言わばただの飾りだ。あるいは、いつ戦闘が始まるかを測るための道具だろうか。

 まあ何にせよ、戦闘まで秒読みなのはどちらも感じていることだ。


「大人しく金の種を渡すがいい。そうすれば私たちもお前を追うことはないぞ?」

「随分と口が回るのですね。エマはそれを望んでいません。ですからそれを認めることは出来ません」

「あれが何を望んでいるかなどお前に分かるのか? たかだか人形でしかないあれの心がお前に分かるのか?」

「……分かりますよ。他ならぬ私がエマと似ていますからね」

「ほう? ……何が似ている?」


 ミラーの声音が変わる。

 この声音は何度も聞いたことがある。本気で気を引かれた時のものだ。

 ミラーの中でエマは、自分の意志を持たない人形なのだろう。そのエマと私になんの繋がりがあるのか、それに興味を抱いたようだ。


「お前には何に変えても譲れないものがあるのだろう? だが金の種にはそれがない。いかにお前が人ならざる化け物であっても、自我のない人形と一緒にはされたくないであろうが」

「いいえ、私とエマは似ていますよ。ただ貴方には分からないだけです」

「くくっ……異な事を言うものだ。私がどれほど金の種を見てきたと思っている? あれのことなど知り尽くしておるわ」

「……本気で言っているのならば貴方はよほど見る目のない方なのですね」

「物を見る目には自信があるのだがな。お前こそ、あれの何にそこまで入れ込む? 愛玩するにしてももっと別のものがあるだろう」

「私はエマを愛玩するためにそばに置いているわけではありません。エマのため、何より私自身のため、守っているのです」

「くだらん妄言だな」


 会話が噛み合わない。

 同じ言葉を話しているはずなのに、別の言語で会話をしているように、意思のやり取りがうまくいかない。

 当たり前だ。

 ミラーはエマ個人をただの『道具』としか見ていない。そんな人間と、エマをあくまで『人』として扱う私がいくら言葉を交わそうとも、お互いの認識が相手に伝わるわけがない。


(……いや、そんなこともないか)


 先ほどまでの思考に頭を振る。

 互いの認識が伝わらない? それは正しくない。

 私はミラーの言い分も理解できている。

 エマを徹底的に道具として使い潰す。それは私もしていることではないか。

 『楽しい』と『幸せ』が知りたい。ただそれだけのことのためにエマの純粋な精神を利用しているのは私だろう。

 自分たちの欲望のためにエマを使っているのは、私もミラーの組織も同じことだ。

 だがこの思考はここまでにする。今ミラーが欲しているのはそんなことではない。

 

「話を戻しましょう。私の何がエマと似ているのか、それを知りたいのでしょう?」

「ああそうだ。是非ともこの老骨に聞かせてくれ」


 エマと私が似ている点。それは一言で言えば——……


「……お互いところですかね」

「幼いだと?」

「ええ、私たちは人間として不完全でありながら、それゆえに完全性を持っています」


 私は生まれながらに心に欠陥を持ちながら、その代わりとして精神的にほぼ独立した活動を可能にした。

 エマはその精神が今なお不完全がために、未だ多くの人間が失っていく純粋な心を維持し続けている。

 どちらも何かを犠牲にする代わりに、何らかの完全性を持っているのだ。

 しかしそれは、結局のところ現代の人間としては私たちが不完全であることを表している。

 現代の人間は成長することで社会に馴染み、大人になる頃にはほぼ完全に先代の人間が作り出した歯車の枠に収まることとなる。

 少なくとも、一部のはみ出し者にんげんを除き、そういう風になっているのは事実だ。

 そうでなくては多くの人間は生きていけない。それが人間の生存戦略であり、より繁栄するための方法なのだ。

 だが——


「——私たちは所詮はみ出し者です。大多数の集団にんげんの作り出す歯車にも順応できず少数派魔術師の世界からも見放される。こんな人間は少なくともではありません」


 とある人間が言った。『他人と共に生きてこそ人間は成長し、本当の意味での大人になれる』と。

 この言葉が事実ならば、私たちは何の成長もしていないことになる。

 他人を必要としない生き方が可能な私とエマは、確かにある意味完成している。しかしそれは、広い世界を知らないがために、狭い世界で自らを完結させる幼児のようなものだ。

 特にエマは幼児そのもののように見える。

 今エマは初めての世界に触れて、そこから成長のための要素を得ようとしているのだ。


「私もエマも今やっと世界から物事を学ぼうとしている。人間になろうとしているのです」


 それは私も同じだ。

 エマは初めて触れた世界から、私はそんなエマから、それぞれ自分に足りないものを探している。これが私たちの現状である。

 だからこそ、私たちは『幼い』のだ。あるいは『未熟』と言い換えてもいいかもしれない。

 そこまで考えてからミラーに注意を向けると、ミラーは俯いて何かに耐えている様子だった。


「……くだらん妄言だったな」


 顔を上げたミラーから出たのは、私の感じたものを完全に切り捨てるものだった。その言葉からは不満と落胆がありありと見て取れる。

 ミラーは何が気に入らなかったのか私には分からない。その様子がさらに気に入らないのか、ミラーは荒々しく言葉を続ける。


のうのうと生きる凡人にんげんからも願いを追いかける愚者魔術師からも排斥されるだと? 挙げ句の果てには自らを幼いときたか。笑えん冗談だ…………それはお前たちが特別な満たされた者イレギュラーだからだろうがッ……!」


 ミラーの言葉が熱を帯びていく。その様子からは怒りさえ見て取れた。

 ミラーは苛立たしげに杖を地に打ち付けると、さらに言葉を吐き出す。


「お前たちは足元の蟻と我々をいかにして分けている? いやわざわざ答える必要はない。答えなど決まっているからな」


 私たちを取り囲む獣たちが唸りをあげる。 体を赤く彩る熱脈も、煮えたぎるマグマのように輝きを増していく。

 ミラーの激情に呼応して昂っていく獣たちは、もはや倉庫で見たものとは別物に変わっていた。


「お前たちにとって足元の蟻も我々も違いなどないのだろうが! 最初から完成された存在であるお前たちに我々の苦悩が理解できるものか!」


 獣たちが吠える。

 巨大だった体躯はさらにひと回り大きくなり、口からは火の粉を吹いている。

 まさに神話の炎獣。

 今人の身では一生をかけてでも見ることは叶わないであろうそれは、だが私の前に確かに存在していた。

 

「満たされた者であるにもかかわらず不完全な者ひとに惹かれるだと? そんなふざけたことがあってたまるものかッ! 古代からどれほどの者がその不完全性を克服しようと手を尽くしてきたと思っている!」


 ミラーが吐き出すそれは憤怒と屈辱に塗れ、仮面から覗く二対の黒い瞳は憎悪に燃えている。

 私に向けた激情は苛烈にして激烈。普通の人間ならば意思に反して足がすくむほどのものだった。

 

「貴方は何がそこまで気に入らないのですか?」

「……っ!」


 私には分からない。

 なぜミラーがこれほどまでに憤怒を見せるのか。

 憎悪を持って私を睨むのか。

 私を拒絶するのか。

 そしてなぜこれほどまでに

 分からない。私には分からないのだ。

 だからこそ問いが口を出た。

 だがそれすらミラーは気に入らないようだ。再び俯くと感情を落ち着けるように肩を震わせる。

 二呼吸を数えミラーが顔を上げた時には、先ほどまでの激情はどこかに置いてきたかのように、体から力が抜けていた。

 だが、仮面から覗くその瞳だけは、ドロリと濁った泥のような憎悪が渦巻いている。


「……満たされた者は不変。言葉を交わそうとしたのが間違いか……」

「いいえ、言葉を交わすことは大切なことです。貴方はなぜ——」


 その一言には全てを拒絶する響きを持って私の言葉を遮った。

 口に出そうとした言葉は喉を震わせることなく消え、ミラーのあまりにも冷たい憎悪の視線が次の言葉を出すことを躊躇ためらわせる。


「言葉など、お前と私の間には必要がないこと。必要なのは闘争だけ……」

「何を言って……っ!」


 後ろから獣が襲ってくるのを左に避ける。

 あまりにも殺意に満ちた、ただ殺すことだけを目的とした攻撃だった。


「……それを今実感したところだ」


 ミラーは何の感情も込めることなく淡々と言葉を紡ぐのに対し、獣たちは殺意だけを込めて私に襲い掛かる。

 私は脳内の伝達速度を限界を超えて上げ、意識を灰色の染まった相対的低速の世界に移行させる。



 あまりにも両者の感情にズレを孕んだ戦闘が、ここに幕を上げた。

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