第36話 パラダイス・ロスト



「何で、どうして負けちゃったの!?アンタ勝てるって言ったじゃない!!」

「申し訳ございません。現時点におきましては、機能が停止しつつあります。

有効な反撃に関しましては、指揮所、僚機の支持を」

「何処、誰なのそれ!?」


 ナナシ=マダナイが半狂乱で叫び、カレルレンは答える。


「当施設が本機の所属です。現在、通信を試みております。

……反応ありません。通信が途絶しております」

「勝ってよ!?どうして、貴女も私を助けてくれないの!?」

「否定(ネガティブ)。機体の脚部損壊。ブースター損壊。

速やかな脱出と友軍との合流を、マスター」

「役立たず!私の為ってあんなに偉そうに言ったのに!」

「我々はマスターの道具であり、友ですが主人となる機能はありません。

短い間でしたが、お役に立てず申し訳あり──」


 言葉が途切れ、画像が乱れる。一瞬途切れるや再び自らを構築すると、

謝罪を打ち切ってカレルレンは警告を発し始めた。


「警告。コクピット前面が急速に破壊されています。

繰り返します。急速に破壊されています。即時、本機からの脱出を──」


 そこで小さな姿が途切れ、全周の光景も消失し、

ナナシの視界が完全な闇に閉ざされる。破砕音が一度、間をおいてもう一度。

衝撃に揺さぶられながら、ナナシは駄々を捏ねるように棹を繰り返し引いた。


「な、何。何なの!?教えてよ、誰か!?答えてよ!!

ズルイ!どうしてこんな時に助けてくれないの!カレルレン!」


 半狂乱の喚きに反応する者はいない。助けを求めに差し伸べられる手は無い。

現実は悲鳴を上げて暴れるゴブリンの主観など斟酌したりはしない。

金属が砕ける耳障りな音に逃げ出そうにも、逃げ場など既にありはしない。

ひょっとすると、僅かにでも自分の責任もあった、のかもしれないと

小鬼は考え、即座にその考えを否定した。


 それを認めてしまえば。認めてしまったが最後、

全てが脆くも崩れ去ってしまう。ナナシは否認すべく記憶の糸を探る。

思い浮かべるのは幾つもの光景。被害者としての己の姿。

肩を掻きむしりながら事態を合理化すべく必死で理屈を捻る。


「ひぃっ!?」

「……ナナシ」


 小鬼を包囲する現実の姿は否認によっては歪まない。

歪んでいたのはゴブリン自身であり、故に真実が首筋に追いついた。

しかし、ナナシはそれを認めない。認めてしまえば全てが終わりだ。

妄想を守る為ならば、現実などに構わない。


「来るな、こっち来るなぁッ!!助けて、カレルレン、助けて!殺される!」

「そう、そっちに助けを求めるのね。解ったわ」

「ひぃ、ゴメンナサイ!ごめんなさいもうしません!!どこか遠くに……」

「そこから出て来なさい。早く」

「えっ」

「早く!何度も言わせないで頂戴」

「足が、足が立たないよ。体がもう動かない」

「そう」


 軽い調子でデヴィアは答え、ひょいとゴブリンを捕まえて抱える。

巨人から取り上げられ、外気に晒され、そして衆人環視が出迎えた。

黒服たちの顔。武装した人間たちの群れに小鬼の顔が引きつり、思考が崩れる。

怯えたまま見上げるも、ナナシにはデヴィアの顔が良く見えなかった。


「まず周りを見なさい、ナナシ。貴方がしたことを良く見てみなさい」


 俯く小鬼。尚も促され、渋々ながら顔を上げる。

抉れた壁。もうもうと黒煙を噴き上げながら腕だけを残すメカ。

戦友に肩を貸りつつも何とか立っている兵が居る。

と、思えば、腰を下ろして包帯を巻かれている黒服が見上げてくる。


 広がる光景は破壊の痕跡と、怪我人と、打ち砕かれた兵器の数々。

後方に控えていた救護だの、連絡要員が忙しく走り回っていた。

大被害であった。ナナシの顔はまだ引き攣っていた。

もう一度、デヴィアが向き合うよう促し、小鬼に命じる。


「謝りなさい。自分がしでかした事のツケは支払うのよ」

「……」

「黙ってちゃ解らないでしょ!謝りなさい、まず!」


 遂に痺れを切らしたデヴィアが声を荒げた。

必死でナナシは言い逃れの台詞を繕う。ここを逃れ、別の場所に逃れる。

何とかこの場を誤魔化し切り抜ければ、きっとまだ何とかなるはずだ。

何度か積み重ねた数少ない成功体験だ。しかし、それは歪で邪であった。


「ごめんなさい……もうしません。仕事だって辞めて二度と……」


 どこか早口のナナシの物言いに、デヴィアが顔を覗き込む。


「んー、駄目よん。逃げれば解決すると思ってるでしょう。

どれだけ迷惑をかけたのか、自分がしでかした事の重大さを理解してない。

責任?雑用から逃げた位で取れる訳ないでしょ、そんなの。

自分がただのゴブリンに過ぎない事を忘れてるでしょ。

周りを見なさい。目と心を開いて。顔を逸らさず真っ直ぐに」


 片腕で顔を捕まえ、周囲に無理矢理に向けさせる。

誰も彼も一言も無い。悪罵すらない。ただ汚れた衣装と怪我を抱えたまま見ている。

彼女を罵倒した者が居る。文句をつけた者が居る。馬鹿にしていた者も居る。

その誰もが何も言わない。ただ衆人環視が続き、じっと待っている。


 はかない抵抗を沈黙で挫かれ、周囲の視線がナナシの内心を砕く。

絶対に在り得ない。そう否認を続けていた小鬼の最後の拠り所を

周囲の現実がぱりぱりと音を立てて噛み砕いていく。


「いい加減認めなさい。人のせいばかりじゃなく、自分自身の責任も。

こうなったのは貴女のせいでもあるのよ。逃げてるだけじゃ解決しないわ」

「う……」


 ぱりん、と小さな音をナナシは脳裏で聞いた気がした。

悪魔の群れのように見えていた黒服の一人が、不意にマスクを取る。

その下にあったのは変哲もない人間の顔だ。悪魔でも無ければ敵でも無い。

互いに顔を見合わせていた黒服たちが、俺も俺もと続々覆面を取る。

それらは全て、一仕事を終えただけの人間の群れに過ぎなかった。


ぐるん、と世界が回るような感覚をナナシは覚えた。

地面に下ろされるとへたり込み、後ずさろうとするも事実から眼を離せない。

必死の否定は妄想への後退を懇願する。しかし、事実は土壇場を突破していた。

周囲を彩っていた喜劇の書割が、耐え切れずに次々に崩れ去るかのようだ。


「諸君、それでこの小鬼をどうするのがいいかしら?」

「や、やだ。嫌だ。死にたくない!叩かれたくない!こんなに頑張ったのに!

今まで生きて来たのに!変えたくない!嫌だ!見たくないし聞きたくも無い!」

「さよん。では、特務諸君の意見を聞こう。諸君はどうしたい?」


 泣き叫び、小鬼は遂に積年の恨みつらみを吐き出し始めた。

聞いてみれば実に些細な、黒服共にとってみれば良くある類の話であった。

しかし、それがナナシにとっては十二分に重大事だ。

小鬼の世界にはそんな価値観しか無かったのであるから、当然だ。


「質問。つまり、今回の一件は単なる八つ当たりという話でありますか」

「そうね。死人が出なかったのは不幸中の幸いだけど、この有様。それで?」

「はい。危険手当、超過勤務手当、その他諸々弾むでありますか」

「全て規定通りよん。ご承知のように。後始末の為にもキリキリ働きなさいな」

「了解。では、一先ず戦闘の終了を報告いたします」

「宜しい。よく頑張ってくれました。怪我人への対応を優先するように」


 恨みつらみを吐き出し続けていたナナシが遂にわんわんと泣き出す。

ようやく事実を理解したのか否か。それ自体は小鬼自身にしか解るまい。

諸行無常、全ては時々刻々変化するものである。

何はともあれ、古巨人の鎮圧がやっとの事で終わりを告げていた。


「……あー、もう。本当に手のかかる。心を助けるのって楽じゃないわ」


 大きくため息をつき、デヴィアが一言ぼやく。

動きまわる部下達から視線を逸らすと、彼方に冒険者たちの姿。

彼らはゆっくりとした足取りで真っ直ぐこちらに向かってきていた。



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