第34話 何処まで行っても小鬼は小鬼
衝突に引き続き、激しい衝撃は一瞬。
そこら中から金属がひしゃげる耳障りな音。それから僅かな浮遊感。
目の前を塞いでいる鉄板すらミシミシと音を立てて振動している。
ああ、これは死んだなとカジャ=デュローが思うのも束の間、
ぶちかましの勢いが止まり、のっぽは吹き飛びかけた意識を引っ掴む。
一撃貰い、もうもうと黒煙が立ち込める車内の視界は既に最悪だ。
仲間は無事か。こみ上げる焦りを噛み殺してカジャが誰何すると、
三々五々、めいめい疲れ果てたような返事が返って来る。
奇跡的にも全員無事と判断──待てよ、と冒険者は思いとどまる。
あの銀の巨人は何処に行った?
「何も見えやしねぇ……ムッター!!ツクヤの姉ちゃん無事か!?」
「げほっ、ごほっ。ごめん、カジャ。お陰で助かっ──」
抱き留めた子猫のような風情でアンが返した時だった。
彼らの目の前、丁度メカの胴体辺りを塞いでいた装甲をへし割って、
銀色に磨き上げられた鋼の掌が押し入り、更にぐいと左右に広げる。
そうして巨人はムッターメカの貧弱な装甲を羊の腹のように引き裂いた。
冒険者たちの前から鉄板が弾け飛び、大きく外部の光景が解放される。
「──ひっ」
アンがしゃっくりめいた悲鳴を漏らした。顔は引き攣った半笑いだ。
すぐ目の前には仮面のように美しく、無感情な巨人の貌があった。
その大きさたるや、高さにしてアン=リカトル二人分ほどもある。
泣きも笑いもしない。磨き硝子の目玉は分厚く、何処までも透明な赤であった。
「……あ゛?」
しかし、それを睨み返す馬鹿が居た。カジャ=デュローであった。
外気に黒煙が払われ、露わになった彼の衣服は概ね煤染めで真っ黒だ。
立ち上がるや機材を踏みつけ、額を擦り付けんばかりに巨人を睨み返す。
カジャを除いた一同は奇妙に静まり返っていた。
勿論、その意味は『何やってんだこいつ!?』という困惑だ。
尊敬を覚えた訳でも、彼の様子に何かしらの男気を感じている訳でも無い。
ただただ、のっぽの頭の出来は残念かつ単純なのであった。
「アレ……巨人が、動かない?」
睨み付けて来る奇妙な小動物を不思議がっているようにも見える。
小首を傾げるように動き──横合いから飛んで来た騎士が顎を杭打ちした。
勢いそのままにベルトランは地を滑り、床に槍の石突を突き刺し方向転換。
バッタ飛びに後退しつつ、擱座したままのムッターメカに向けて叫ぶ。
「足止め感謝する!砲が追い付いた。ムッター、貴様も退避しろ!」
「あらやだ。早くしないと破片で死ぬかも──」
返事を聞かず、カジャが足元のレバーを蹴るや猛然と車輪が回り出す。
直後、予告通りに横合いから砲撃音がつるべ打ちに飛び込んで来た。
砲弾が巨人の装甲で弾け、砕けた破片が飛び散る地獄絵図の中をメカは走る。
しかし、どうにも弾が軽すぎるらしい。未だ銀色を保った装甲表面は
砲弾を弾き、逸らし、滑らせ、有効打に至った様子もない。
もっとも、それでも注意をメカから逸らす事には成功したらしい。
古巨人は幽鬼のように体を起こすや、意にも介さず砲撃へと向き直る。
その両腕を徐に振り被るように交差させると、前腕の装甲が口を開けた。
次弾装填を急ぐ砲手達はその時、巨人から発生する光刃を確かに見た。
そして、古の伝説は銀の巨腕を力の限り降り抜く。
青白く輝く光の刃は弧を描き、その斬撃が文字通り『飛んだ』。
三日月のような形を取った刃は空気を焦がしながら真っ直ぐに突き進む。
退避を叫び、慌てふためいて黒服共は砲を捨て置き一目散に逃げ散る。
青白い三日月が着弾。破壊と爆炎を撒き散らし──壁面を盛大に抉り取った。
名残り雪のように舞い散る青白い粒子が再び周囲を火の海に変えていく。
いっそ非現実的でさえある光景にカジャが思わず息を飲んだ時だ。
「アタシの邪魔を……するなぁーーーーッ!」
古の巨人が咆哮する。その声音はナナシ=マダナイのものであった。
未だ雨あられと飛んで来る砲火だの魔法だのに完全に逆上している。
敵対者を排除すべく歩き出す巨人に、思わず冒険者は立ち上がって叫ぶ。
「は!?ハァァァァッ!?おま、お前ッ、何やってんだお前―――ッ!?」
カジャの絶叫はその場全員の代弁であった。
腕を組み、神妙な顔をしていたムッターが口を開く。
「どうやら小鬼の子が忍び込んであの巨人を動かしたみたいだわね。
困ったちゃんとは思ってたけど……一周回って感心だわさ」
「……物凄く凄く怒ってるよね。天才なのに予想しなかったのかな?」
「どうもねぇ、ゴブリンだと侮ってたのかもねぇ。ゴメンチャイ」
「ゴメンで済んだら特務は要らないよね。本当にどうしてくれやがるのかな?」
「ハハハ、このボクチンは天才だ。だから寛大な心で許してクレメンス!」
「うん。前のお誘いお受けします。後でちょっと面を貸してね天才さん」
「ちょっと!ジャリボーイ!この女の人怖いよォ!!」
「助けねぇ!俺は天才は助けねぇ!そんな事よりどうすんだよこの状況ッ!?」
巨人が黒服達に今にも襲い掛かろうとした時だ。
彼方から黒い皮鎧めいた衣装を着こんだ青肌が飛来し、その横面に着弾した。
武器を用いるでもなく、火器を用いるでも無い。稲妻のような蹴りであった。
意志以て叩きこまれた一撃は驚くべき事に巨人の装甲を穿ってさえいる。
余りに常識とかけ離れた光景にカジャはあんぐりと口を開ける。
彼の愛読していた三文小説辺りに言わせれば、強大な力を持つ存在は
仮に素手であっても紙切れのように鋼の甲冑を引き裂くらしい。
或いは、アンや陰謀論者に言わせれば大戦中の英雄の類か。
正しく与太話の中の存在が、彼の目の前に現れていた。
今更ながらこの現状は一介の冒険者の理解を絶している。
が、思い直す。考えるな、感じろとカジャは自らに言い聞かせた。
一方で、インテリ二名が戦闘そっちのけでまたぞろ議論を始めている。
理屈を考えるのは彼らに丸投げしておけばよかろう。
のっぽが思考の方向性を整理、単純化し、目の前に意識を絞り始めた頃、
現れるや周囲一切を一蹴にして浮かぶ超常存在(オカルト)は笑顔を浮かべた。
猛る夜叉の笑みであった。ムッターなど思い切り上司から目を逸らしている。
直接確認せずとも解る。青肌は余程恐ろしい顔をしているに違いあるまい。
「──指導のね。指導の方針を少しだけ間違えちゃったわねん。
話せば解かる。理解してくれれば改める。その思考が惰弱だった」
小鬼というのは貧弱愚昧な魔物であると古来相場が決まっている。
現代において教育と産業の発達が進み処遇改善が図られていると言っても、
生来備わった種としての性質自体は矯正しようが無いとも見られている。
さりとて、無知と貧困のドブに分け入り善意を施す者だっていないではない。
しかし、ゴブリンが持つ歪んだ心の鏡は今も昔も物事を正しく写さない。
助けようとした相手が好ましい弱者だなどと考えるべきではないのだ。
ゴブリン相手の慈善など、愚かな冒険者の故事や逸話を示すまでも無く、
乾ききった砂漠に水を撒くが如き徒労に終わる、と長命種は揃って語る。
それ故に大抵の場合、最後の最後に破綻し、このような事態に陥る。
言い換えるならば全き善良なるゴブリンは地上に存在しない。
炭鉱の地下、矮人(ドワーフ)が語った予言は正しかったのである。
「この子に必要だったのは教え諭す事ではなくて──野生、暴力。教育的指導。
思い切りケンカ出来る力とその相手だったのでしょう。過ちは正すべきよね」
「何が正すよ!正しいのはアタシ!だって、今こんなにも強くなったもん!!
強いから正しい!正しいから強くなれた!間違ってない、絶対に間違いじゃない!」
「──そう。元気があって大変よろしい。かかって来なさい。相手になってあげる。
逆徒は征伐。悪鬼鞭でしばくべし。一つ、思い切り懲らしめてあげましょう」
悪鬼は踏んで拉(ひし)ぐべし。ゴブリンは所詮ゴブリンである。
小鬼の中では小鬼だけが何時だって正しく、それ以外の者は常に敵だ。
仲間など居ない。友など居ない。あるのは敵と味方と所有物。
そして、持つ者を羨み妬み、弱い者を蔑み嘲笑する歪み切った性根だけである。
まるで後光のように炎を背負い、青肌の怒りは心頭に達していた。
デヴィア=ジャックポットは頑迷な子供に対して、白く燃え盛る鞭を構える。
後ろに控え、指導していた将官までもが前線に引っ張り出された格好であった。
──それは兎も角。一方その頃。
「あの青い人、本来の目的を見失ってるよーな……」
「完全に頭に血が上ってんな……巻き込まれちゃ敵わんぞ」
「ねぇ、どうするのカジャ。放っておくの?」
「うーむ。ナナシの奴なぁ。思えばしょーもない話だしなぁ」
「何言ってるの!?ボクたちだって、ひょっとしたら……」
「おーっと、出しゃばっちゃダメだよボーイズ。幾ら何でも分が悪──」
その問答にツクヤとの議論を中断し、ムッターが割って入る。
確かに分は悪い。判断としては正当であった。足りない頭をカジャは捻る。
ゴブリンとは邪悪な種族である。しかし、人間とてその悪辣さは大概だ。
小鬼が人間の戯画であるならば、同じような解決法だってあるに違いない。
煮詰まった頭のままのっぽは鉤鼻の方を向いた。
「──おい天才、天才ってな名前だけか?なぁ天才。このメカって奴があんだろ。
まさか今さっきので出涸らしか?もう一寸よぉ、工夫って奴が欲しいんだよ。
こう、脳天までビビっと来るような奴がヨォ。な?」
「気軽に言ってくれるナァ……天才は万能の聖杯じゃないんだゾ?」
一人で無理なら人に頼る。カジャの出す結論は何時だってシンプルだ。
突拍子もない無茶な頼み事にムッターは苛立ち混じりに返答、黙考する。
その間にも巨人との戦線は拡大の一途だ。そして天才は髭をいじる。
「……本当はやりたくは無かったが仕方ない。だが、こんな事もあろうかと。
凡人眼鏡に更なる負担をかけて、魔法(マジカル)科学を起動しちゃうもんね!」
「マジカルカガク?なんだよそりゃ……」
聞いた事もない未知なる言語であった。何となく語義矛盾にも思える。
鉤鼻の思いつきらしいが、自信満々に彼はアイディアを語り出した。
「メカに搭載した魔法と科学を組み合わせた全く新しい技術の発想ヨ!
従来の機械頼りよりも出力、柔軟性が飛躍するようゴーレム術を加える。
変形した時に使ったアレをもっと強化して疑似的な筋肉みたいに使うのさ」
ゴーレムを操る魔法、という物は現代にも存在する。
しかしながら、ゴーレム力車などという発明が無い事からも示唆されるように、
魔力仕掛けの人形はサイズと稼働時間に従って加速度的に魔力消費が増大する。
ムッターメカがほぼ機械動力によって動いているのもこの問題点の為だ。
大量の魔力の事前準備が困難となった既知世界においては空想的な発想と言えた。
ツクヤ=ピットベッカーにそう批判されるやムッターはゆっくり頷く。
彼はその後で、不自然かつ鳥肌が立つほど優しげな眼差しで女学徒を見た。
まさかとは思うけど、と彼女が問いかけるより早く鉤鼻は続ける。
「欠点はご指摘の通り。莫大な魔力が要る上に機体がヤバいって所かな。
やー、仕方ない。仕方ないなぁ。怖いから今やっちゃおう。凡人眼鏡、君に決めた!
必要なだけリソースが存在するならば、非現実的な発想だって実行出来るゥ!!」
「ちょっと!天才さん!後で覚えてなさいよ!?」
「間違いなく出来るよ。ボクチンもお墨付きしちゃう。じゃ、体に気を付けてね。
ハハハ、蘇ったオカルトめ。貴様の立ち位置なぞ、動力源で十分なのだーーー!
科学の発展とボクチンの身の安全の為に犠牲になーーーれ!それ、犠牲になれーー!」
「他人事だと思って簡単に!!──うわっ、何かいきなり力が抜けて」
「凄いよこの眼鏡っ子!!流石冒険者たちのお姉さん!!」
「眼鏡は関係ないでしょうが!!眼鏡は!!」
ツクヤをからかうのを止め、ムッターはカジャに顔を向ける。
相変わらず醜いその顔は必死さの余り真っ赤になっていた。
天才も、その言動ほどには余裕がある状況ではないのだろう。
「四つの心は一つにゃならぬ。無理矢理まとめるから長持ちしないんだもんね!
そういう訳で限界過ぎてちょっとで機体が分解するだろうから注意してねー」
「待てぇぃ!?何をどう注意しろって──」
「つまりチャンスは一回こっきり。故に出し惜しみも一切無し。
無茶をさせる以上はこの命預ける。戦力を全集中だ。しっかり頼むぞ、小僧共」
「──ッ!!いきなり恰好付けやがって、この鉤鼻!!」
「鼻じゃなくて天才とお言い!そこのレバーが特務連中への合図!
連中とタイミングを合わせてメカの全力を注ぎ込んでチョーダイ!」
「……俺が、か。解った。しくじっても恨むなよ?」
「そんな事より決め台詞はどうしたジャリ坊!!チェンジメカって言えぇぇい!!」
「ざけんなよ、そんな台詞なんて無くってもな……一発やれんだよ!
なぁ……そうだろ、天才ムッター=クッターッ!!」
かくてムッターメカは鉄に息吹を吹き込まれ、再び立ち上がる。
剥げ落ちた装甲板の向こう、暴れ来る巨人の猛威を前に、
カジャ=デュローは合図を上げる機会をじっと睨んで探り出そうとしていた。
Next.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます