第31話 事実は無慈悲なこの場の大王



 巨人の小空間は長年積もりに積もった瓦礫と埃に塗れ、

見捨てられた墓石のように半ば風化しているように見えた。

しかし、構う事なくムッターは忙し気にその空間の彼方此方を調べ回る。

壁面を拭うや、汚れの下に浮かぶ文字の流れを見、鉤鼻は歓呼を挙げた。


「読める……読めるぞ!ボクチンにも巨人語が読める!

でかした古代人!後で花の一つも供えてやろうじゃない」


 一方のツクヤはただならぬ状況だという事しか理解できずにいた。

何しろ、周囲全てが彼女の把握している常識からは余りに逸脱している。

魔法でなく、現代の機械類でもない。その理念、概念すら想像もつかない。

全くの理解不能のまま置いてけぼりだ。女学徒にとっては面白い状況ではない。


「ねぇ、ムッターさん。私、さっぱり訳が解からないんだけど」

「そりゃあ全く専門外だからしょうがないよネ。文字通り住む世界が違う。

だってコレ、恐らくは科学技術の産物だもの。オカルト連中にとっちゃねー」

「カガク?あのマイナーな。新しく学校を設立するしないで揉めてる、あの?」

「そ。これまでは魔法学のはした女か、影の薄い弟扱いだったからねぇ。

ま、オカルト界隈の認識じゃその程度その程度。仕方ないね。オカルトだからね」


 何となくお互いに小馬鹿にしあっているような風情であった。

既知世界において、学問の概念体系の凡そは魔法と神学を巡って成立した。

人間の扱う力を制御し統御し、再現可能とし、一繋ぎの汎用的技術として編纂し、

その結果として生まれた魔法の一派が今日では現代魔法として一般に知られている。

既知世界では、魔法は才能さえあれば教育で得られる技術として定着して久しい。


 が、その思考枠組みそのものは職人や技術者にとっても有用であったらしい。

元来、一子相伝なり秘術扱いとして自らの業を秘匿して来た連中とて、

現代において花開き始めた思想体系から自由では居られなかったという訳だ。

才能を要しない魔法の業だと称して得体の知れない連中が都の一角に集積、

カガクと技術を扱う学府を作ろうと怪気炎をブチ上げた事件は現在も炎上中である。


「大体、カガクカガクって、何がそんなにいいの、教えてよ。

魔法とか、魔法の道具で十分なような……良く解んないや」


 もっとも、科学に対する一般的な認識は女学徒が述べた通りである。

既に魔法と言う有用な手段があるのに、何故科学など敢えて用いるのか。

身も蓋も無く言えば、物好き、暇人、変わり者の玩具扱いであった。

心無い物言いに憮然とした表情をムッターは浮かべるが、作業の手は止めない。


「それじゃ片手間に授業と行こう。いいかね、力ある凡才の後輩。

先達として教えておきますが学校に居た頃、単純に個体としての能力なら、

君同様ボクチンより遥かに上の連中はナンボでも見てきました

……おーい、ポリーちゃーん!!起きなさい!ねんねの時間終わりですよー!!

ポォォォーーーリィイイーーーちゃーーーん!!!ちっ、相変わらず死んでやがる」


 得体の知れない部品を検め、ガチャガチャとレバーを引くだの、

死んだ巨人の蘇生を試みるような真似をしながらムッターは奇声を上げた。

魔法の業には見えないが、ひょっとすると必要な儀式なのかもしれない。


 さておき。学術都市とは、皇国における国家内国家の一つであり、

首魁たるエル=エデンスを筆頭に、現代に残る神秘、魔法の博物館めいた学都だ。

ムッターの言葉通り、他の地域ではまずお目に掛かれない希少種の学生も多い。

最も、それは皇国が抱える諸問題の一つを端的に示してもいる。

能力差が大き過ぎる故に、必然的に種族ごとの社会的地位が偏るのである。


「魔族、人化した貴龍、旧き悪魔達、ハイエルフその他諸々。

奴ら判で押したように揃って善人面してボクチンのようなただの人間に接してくる。

が、何の事は無い。そも能力の差があり過ぎて真面目に相手してないだけよね。

その誰もが内定してた卒業席次でボクチンに勝てなかった訳だが」


 鬱屈した内心を絞り出するようにムッターはぼやく。

勝ったと言っても、あくまで公正さを加味して定められたルールの中だけの話だ。

怒り、熱意、希望、その他諸々。もしも現実が心の力だけで何とかなるならば、

人類はとうに彼ら上位種族に対して決定的な勝利を収めていよう。


「チミみたいに最初から力を持ってる奴はあいつらの眼差しを知らんだろう。

あの、哀れみと生暖かい優しさが混じった目で見下ろされた事があるかね?

一度の勝利の為に何もかも投げ出したのに、それを片手間に祝われた事があるかね?

人類ってそんなものよね、そう気軽に言われた時の気分なんて知らんだろう」


要は、連中にとってのお遊びに何とか勝利したに過ぎぬ、と鉤鼻は言う。

全てを賭した挑戦が、連中にとっては単なる暇潰しの類なのだと。

ムッターの本心なのか、その口調は何処までも苦渋に満ちている。


「そう、この世界はただの人間にとって余りにも理不尽に出来ている。

種族、時代や場所、持って生まれた才覚に加護。全ては天運の結果に過ぎず。

生まれ死ぬ命は泡沫の火花に過ぎず。どれ程叫ぼうと天が応えるとも限らない。

世界が残酷なのは当たり前で、人はただ黙してそれに耐えねばならない。

っていうか、あいつら美男美女ばっかりじゃねぇか!不公平だ!!」


 長広舌を開陳し、わざとらしく憤ってみせると、鉤鼻は口を吊り上げた。

不敵な笑みであった。それがどうした、そんな事など知らぬと言う笑みであった。


「──そう思っていた頃がボクチンにもありました。

だからこそ、わたくしは科学を志した。何故ならば、これこそ人類の希望。

誰にでも扱える科学と技術こそはッ!!超越者共の能力の専制を覆すからだッ!!

科学は人類を救える。人の心と機械の業で魔王の庭を越えてみせる!

人類は、知恵と技術で自身を贖(あがな)う事が出来ると確信しているッ!!」


 熱量に圧倒されるツクヤを他所に、当代の天才は力強く宣言する。

誰が何と言おうが、人は人を救う事が出来る。魔王も要らぬ、魔法も要らぬ。

自分自身でヒトは立つことが出来ると断言さえしてみせた。

が、次の瞬間、何か嫌な事を思い出したらしく、両手を握り込む。


「翻(ひるがえ)って。あの糞婆共の考え方にボクチン怒髪天。

最初ッから出来合いの答えを投げ渡されたら誰も考えなくなるでしょうがッ。

テメェを出し抜いたチョー天才がその点気づかぬとでも思ったか!

バーヤ!!とっととくたばれ時代遅れのしわくちゃ共!人間そこまで弱くないわッ。

てめぇら人間じゃねぇ!糞婆だ!バーヤ!」


 そう、天才とは凡人が見えない視点を有するのであった。

よって、往々にして見えてはいけない物まで見てしまうのである。

突如まくし立てた鉤鼻にぎょっとした顔のツクヤ。ばちりと何かが弾ける音。

砂嵐のように乱れた幻影が姿を現し、何事かムッターに語りかける。


「そうかそうか。そういう事か。良く解った。

おい、妖精もどき。ボクチンに詳しく説明してみせろ」


 座席に尻を据えて腕を組むと、実に偉そうに鉤鼻が言う。

それから手帳に目を落とし落とし、あれこれと巨人語で幻影に尋ねかける。

当初は巨人についての聞き取りであったのだろうが、

途中から明らかに話が脱線している事を鉤鼻の覚書からツクヤは見て取った。


「何という……やはり、科学の道は遥かソラまで続いていたんだ!!」

「ムッター、さんでいいのかな。まさかとは思うけど──」


 意味不明な絶叫と共にムッター=クッターは両手を握って空を仰ぐ。

その様子に不安を覚え、ツクヤが鉤鼻の正気を確かめようと尋ねかけた。

彼女の懸念を裏付けるように鉤鼻は勢いよく立ち上がる。

そして幻像諸共、座席正面を思い切り踏みつけ、大きく息を吸い込んだ。


「だが!!ちぇぇぇぇい!カビの生えたガラクタ風情が人間様を舐めるな!

ボクチンは天才であり、大科学者であって物乞いなどではない!!」


 懐から取り出したのは整形した爆薬であった。魔法の火種で着火する。

続いて、目を剥いたツクヤの首根っこを引っ掴むや、外界に飛び出す。

直後、彼らの頭上で景気よく爆音が響き、横向きに火柱が噴き出した。

地面で尻餅をついた学徒が見上げた先では、もうもうと黒煙が立ち上っていた。


 一瞬の呆然自失から復帰するや、ツクヤは現状を把握する。

この鉤鼻、何を思ったか突如、古巨人の動く遺骸を爆破しやがったのである。

言い換えると、女学徒の調査対象が爆音と共に一体お亡くなりになったのだ。


「課題、私の課題が爆発四散!?なんで、どうして!?いきなり何するの!!」

「煩い凡人眼鏡。確かにこれらも科学の延長線上にある!!

だが、未来は唸って轟くこの手を伸ばし、人類が何時か必ず掴み取る物だもんね!

超越者気取りに毅然とノーを突きつける!!ンンー、ボクチンこれ大好きッ」

「お気持ちで遺跡を破壊しないでよ!!せめて私の見てない所でやって!

貴方、貴重な文化財を一体何だと思って──ん、あれ。今、何か大きな音が」


 思わずムッターに食って掛かりかけたツクヤが墓所の奥を見た

巨大な何かが足踏みをしているような、金属の塊が地面を踏むような音がする。

リズム良くステップを刻む轟音であった。巨大な何かがダンスでもするような。

嫌な直観に思わず唾を飲み込みつつ、両名は顔を見合わせる。


「ゑっ。いや、待って。ちょっと待って。この調子だと本来の操者達は

とっくの昔にヒナゲシ咲く墓の下でぐっすりゆっくりオネンネしてる筈だ」

「……ねぇ、あんまり聞きたくないけど。予想は?」

「誰か動かした奴が居る。それとも勝手に動いたのかしらん。いや、まさか」


 瞬間、彼らの頭上に一条の怪光線が走った。

破壊をまき散らしつつ、余波で飛び散る光の粒子がガラクタに引火し火災が発生。

地獄のような業火が周囲全てを照らし出し、背後からは黒服共の叫びが聞こえる。

真っ赤に溶解した扉が溶け落ち、その向こうから歩み寄ってくる巨大な影が見えた。


 それは一見すれば名高い名工の手による全身甲冑に似ていなくもない。

異教の神を奉ずる教団が採算度外視で作り上げた生ける神像のようでさえあった。

長年のチリ、ホコリが焼け落ちたその巨体は白銀に輝き、炎を掻き分け進んで来る。

見まごう筈も無い。蘇り、再び立ち上がった伝説の巨人の姿がそこにあった。

そして、巨人は先程の光線を放ったらしい古びた砲を抱えている。


「あれが本当の古巨人!!なんて奇麗──あ、そうだ。メモしなきゃ……」

「圧倒されて錯乱してんなよォ!ボクチン達だけで対処出来る相手とでも!

クソッ、何であの糞婆の寝言なんてこの天才が信用しなくちゃいけない!」

「どういう意味!?」

「こういう意味!!魔力借りましょ、ぱちっとなー!むぉっ、これは凄い!!一番だ!!」

「ひゃっ!?」


 驚きの声を上げ、びくんと背筋を震わせたツクヤとは対照的に鉤鼻は驚愕。

うなじに触れた掌から流れ込んで来る力の総量を瞬時に把握するや、

手紙で糞婆が述べていたのは真実であったかとボヤいた。

抗議の暇も許さず、ムッターはとっておきの秘術を開陳してくれようと呟く。


 ロッドを前に。ムッターは、前方で此方に砲を構える巨人の姿を認める。

筒先が僅かに輝くより早く、尚早く、脳髄に収めた幾多の書庫を解凍開始。

今は昔の超古代兵器に抗すべく、喪われた筈の魔法を想起し、汲んだ力を走らせた。

解凍された術式目掛け、圧縮した詠唱にて力の発動を命ず、繰り返して二度。

収束した光が敵意を向けるより早く、ムッターは陣をロッドの先から投射する。


「なんとぉーーーッ!!それは光線!!」

「うぎゃーーーっ!?」


 絶叫。女学徒の色気の無い悲鳴が響く。

思わず目を閉じツクヤは頭を抱える。しかし、熱も痛みも一向訪れない。

恐る恐る目を開くと、彼女の目の前にはロッドを握ったムッターの姿。

世の道理ぞ何するものぞ。秩序を騙し、さらりと歪めて無理筋の横車を押し通す。

空間を繋げ、斜め上に怪光線を逸らした魔法使いがそこに在った。


 大河のような光の迸りは見事明後日の方向へと流れ去り、

霊廟の天井を焼いて貫き大穴を空け、岩盤すら溶かし、やっと減衰して消え去る。

それを認め、魔法の過負荷に力尽きたムッターがその場に崩れる。

一方、ツクヤは呆気にとられその光景を眺めていた。


「今さっきの──まさか転移術!?使い手も詳しい内容もとっくの昔に失われたって」

「特務の皆にはナイショだよ!知ってる事自体がヤバイ奴だからお互いの為に内密に。

──それにしても、これは何とも凄まじい。世界が燃えちゃう訳だわね。

あー、ダメ。流石のボクチンも逝きそう。昇天しちゃうそうしちゃう。後お願──」


巨砲は自らの一撃に耐え切れず自壊したようだが、一方の巨人は未だ健在だ。

安らかそうに眼を閉じかける鉤鼻。逃がすかとばかりツクヤがその首根っこを掴む。

ここまで好き勝手放題やらかし、後始末を投げ捨てて失神など許される筈もない。


「この天才!!首根っこ引き摺ってでも収拾つけて貰いますからね!責任問題だ!」

「本日の業務は──」

「黙らっしゃい!!現時点より残業決定です!決断的残業ですッ!!

この鉤鼻!!私の課題を、貴重な遺跡を無茶苦茶にした敵を取ってやる!!」

「畜生、なんて女だ!!破壊、無力化がボクチンのお仕事なのに!!」


 残念ながら、ツクヤ=ピットベッカーにその弁解はもう通用しない。

忍耐の限度はとうに越え、その挙句に課題すら爆破されれば誰でも怒る。

彼女が襟首を引き上げて鉤鼻を無理矢理立たせようとしたその時だ。

内燃機関の騒音に振り向くと、彼方から奇妙な車が走って来る。


「あれはボクチンのメカじゃないか!しかし、動かせる奴なんて他にいない筈」

「ちょ、ちょっと!カガクって誰でも使えるんじゃなかったの!?」

「ありゃ理論実証の為の試験機だからね。多少はね」

「あれだけ大見得切ってこの物言い!!いい加減にしてよ!!」


 爆走するムッターメカは錆巨人の残骸を跳ね飛ばしながら横滑り。

乱暴に急制動をかけ、ゴム車輪の跡を地面に刻み付けて停車する。

装甲にしがみ付いていた黒服共が我先に飛び降り、中からは青肌と騎士。

それから、煤で顔も衣服も真っ黒にした何者かが顔を出した。


「オイ、ボクチンのメカをちょろまかしたのは誰だ!」

「俺だッ!おい、そこの鼻!こいつの操縦を今すぐ教えろ!」


顔を乱暴に拭い、大声で応じたのはカジャ=デュローであった。

一瞬、驚いたように鉤鼻は眉を持ち上げ、轟音に負けじと怒鳴り返す。


「ジャリ坊!煤塗れの口を開く前と後に天才と付けろッ!!」

「天才、とっとと教えろ天才!!──これでいいかバーロー!」

「実に投げやりであるが許してやろうッ!業腹だが、今はパイロットが必要だ!」

「は?いきなりお前何言って……」

「教えてやるからお前が代わりにメカを動かせと言っているんだ!!

緊急事態であるからして特別に許してあげちゃうもん!早よせいジャリ坊!!」


 ムッター=クッターはカジャ=デュローにそう言い放った。

残念ながら、今回ばかりは何時も通りの悪ふざけとはいかないらしい。



Next.



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