第28話 彼と彼女のロンディーノ



 前触れなく照明に包まれた広大な空間に耳障りな声が反響していた。

薄灰色の継ぎ目の無い石造りの大部屋は矢張り、と言うべきか

倒れ伏している巨人が優に動き回れる程に天井が高く、

所々に高熱で抉られたような跡や、破壊的な力の名残が点在している。

それら纏めて何の前触れもなく灯った明かりが照らし出していた。


 「何だ、何が起こりやがった!?」


 思わず悲鳴じみた叫びを上げ、カジャ=デュローは周囲を見回す。

耳を塞ぐような警告は彼が一度も聞いた事が無い言語だ。

が、攻撃的で心を掻きむしるような音色に加えて、

時折混じる赤色の照明は否が応でもその意図する所は理解できる。


「ね、ねぇ。これ絶対ヤバいってツクヤさん。戻──」

「ごめん、アンリちゃん。もう手遅れ」

「えっ」


 振り向きもせず言うツクヤ=ピットベッカーの視線の先、

巨人の亡骸が腕を伸ばしていた先の巨大な引き戸が開く。

冒険者たちはその向こうに何十もの数の赤錆た巨人の姿を見た。

頭部らしき場所にはひび割れたガラスが嵌っており、

ぱちぱちと火花を散らしながら行進してくる姿はまるで死体の軍勢だ。


 扉の更に奥には、何やら巨大な神像らしきものが並んでいるのが見えるが、

そこからも多数の怪物が現れ、全貌を伺うどころの話ではない。


「確認するまでも無く未確認種……恐らくは機械人形の類。

生きて帰れたら辞典のページがまた一つ増えちゃう」


 引き攣ったような声でツクヤが言う。戦闘態勢とばかりに構えを取る。

背丈だけなら巨人と言ってもその姿は錆びた鉄くずの山と言った方がよほど近い。

先だっての札が今の今まで全く無反応だったのは生物でないからに違いあるまい。

悪い予感程よく当たるとは正にその通りであった。


「冗談言ってる場合かよ!とっとと──げぇっ!?」


 警告音の鳴り響く中、耳障りな金属の擦れる音がそこら中から聞こえた。

暗闇で気づかなかった金属製の鎧戸が次々持ちあがり、

そこから次々と同じような赤錆た巨人が吐き出され、逃げ道が塞がれる。

四方八方を取り囲まれる中、真っ先に動いたのはツクヤであった。


「押し通る!二人とも、続きなさい!」


 たすきに掛けた鞄に手を突っ込み、一掴み程もある札の塊を学徒は取り出した。

二本の指先をなぞるように走らせると、果たして音もなく札の束が

張り付き合い、真っ直ぐに伸びて紙製の片手剣のような姿を取った。

応ずるようにのっぽの冒険者も久方ぶりにホイールロック・ピストルに手を伸ばす。


「畜生!計画から何から全部ワヤじゃねぇか!」

「最低限の事はやったし、この場を何とかしたら帰れるから!」

「この状況でンな事を!本当に良い性格してやがらぁ!」

「カジャ、そっちに一匹!」

「ええい、ままよ。これでも食ら……え?」


 轟音。狙わずとも当たる数だが、大して効くまいと思いつつ発砲する。

が、飛び出した鉛玉は予想に反して何ともあっさり赤く錆びた巨人の体を貫いた。

よろよろとバランスを失ったかのようにそいつはふらつき、

衝撃に耐えきれなかったのか大きな音を立てて分解、そのまま崩れ落ちる。


「ウソだろ、巨人ってこんなに脆いのか?」

「……経年劣化だ。大昔のだから、すっかり錆びちゃってるんだ。

確かに、古巨人は人類有史以前の存在だけど、ここまでなんて」


 巻き起こる錆の粉塵に口元を押さえつつ、ツクヤが呟く。

裏付けるように怪物達の動きは鈍く、学徒は試し斬りと紙剣を薙ぐ。

するとまるで砂の塊を砕くように赤錆た体が断ち切られた。

恐らくは動いているのが奇跡のような状態なのだろう。


 傍らで、調子を取り戻したアンリが鉛の玉と投石紐を取り出した。

びゅんびゅん頭上で振り回しながら、投げ物のつるべ打ちを開始する。

たかが投石と侮るなかれ。投げ紐を用いた印字打ちは人体すらも貫通しうる。

錆の塊が鉛で砕かれ、得意になってアンリは笑みを浮かべた。


「成程!これならボクだってやれそうだ」

「数が多いんだぞ!気をつけやがれ!」


 有利と見るや次々と鉛のつぶてを投げるアンリにカジャが叫ぶ。

彼は鉈のように分厚く短い片手剣を巨人の足に叩き込みながら、

先の指摘を思い出して油断なく周囲を眺めまわす。状況判断である。

戦局が自分達の優勢に傾き始めたと錯覚を覚えるが、果たしてどうか。


 警報と共に吐き出された怪物どもは、一体一体は左程の脅威ではない。

鉈剣を叩き込む。崩れかけた金属にあっさり刃が埋まり、巨体が崩れる。

問題はその圧倒的な数だ。残骸を踏み越え、次々新手が現れて来る。

倒した数だけでも既に二十は優に超えるが後続はまだまだ尽きない。

冒険者らは知らず、互いに背を守りながら応戦する態勢となっていた。


 ──これは不味い、と直観がカジャにささやいた。

逃げ道を確保するのがそもそもの目的ではなかったのか。

手段が目的にすり替わっている。このままでは包囲されてしまう──

そう思い至るや、アンリの首根っこを掴む。


「ぐぇっ!?何すんだよ馬鹿!!」

「おい、ツクヤさん!このままじゃ不味いだろ!!」


 抗議するアンリを半ば無理矢理引き寄せつつカジャが叫ぶ。

既に周囲は残骸が折り重なり、新手がそれを乗り越えてくるような有様だ。

視界を塞がれ、足場も悪く、足を止めているのは如何にも悪手。


「何が!?戦えてるのに!」

「だからだ!このままじゃ数で押し切られンぞ!」

「でも、手が離せな──」


 声にツクヤが振り返りかけた所で、残骸が崩れる。

現れたのは、一体の鉄巨人だ。目玉のガラスが赤く光っている。

死角を突いて現れたその姿は、比較的錆が少ないようにも見える。

他の個体とは段違いの俊敏さで這いあがるや、鋼色の腕を振り上げた。


「しまッ──」

「ツクヤさん!!カジャ、離せ!!助けに行かないと──」

「周り見ろ馬鹿野郎!」


 駆けだそうとしたアンリの襟をカジャが掴む。

今や周囲はうず高く積みあがった錆と金属の残骸に埋もれていた。

ツクヤが振り下ろされた巨腕を避け、踏み込み、襲撃者の片足を刎ねる。

鋭く呼気を発するや、続いての力任せの横殴りが体を崩した巨人の脇腹を貫いた。


 吹き飛ぶでもなくその場に崩れる巨人。羆を思い起こさせる怪力であった。

腕力でもって無事を証明し、振り向きもせず女学徒が叫ぶ。


「私は大丈夫!カジャ君、アンリちゃんをお願い!」

「嘘こきやがれ!来い!!何してやがる!」

「うっさいとっとと先に行け!このままじゃ全滅する!」

「俺達だけ逃げ帰ってどうしろってんだ!」

「誰かが戻らないと助けだって呼べないでしょ!

私がどうなろうと記録だけは絶対に回収して貰わないといけないの!」


 焦りの滲むその言葉を額面通りに信ずるべきか、否か。

一瞬の躊躇いの後、尚も救援に固執しかけたアンリの腕を掴み、

半ば引きずるようにカジャは大ホールの入口に向かった。

何やら喚き声を後に残し、小さくなる背中をツクヤは横目に見送った。


 二人組の後ろ姿が寄宿舎へと向かう小さな横穴に滑り込むや否や。

殺到した錆巨人達が次々と突っ込み、そのまま鉄くずの山と化して出口を塞いだ。

これなら冒険者たちに後続が追い付く事だけは回避できようか──さて。


「これでハンディ無し……そう思うしかない、かなぁ」


 ぼやくように呟く。半分は事実で、その残りは強がりであった。



/



「……糞ったれ」


 白っぽい煙を吐き出す銃口を眺め、尻もちをついたままカジャは毒づいた。

顔をしかめ、苛立ちを隠し切れないその顔をアンリが見上げていた。

二人して滑り込んだは良いものの、女学徒とは完全に分断された格好である。


「ね、ねぇ。カジャ、大丈夫なのかな?」


 腕に抱き着いたままのアンリが恐る恐る口を開く。

喉元までせりあがった怒鳴り声をのっぽは無理矢理飲み込んだ。

この状況で恐慌を来たしては生存の可能性は益々減る。

無理矢理に思考を狭めて作り出した冷静さでそう結論付ける。


 見ての通り不安なのは己一人ばかりではない。

食いしばった奥歯がぎりぎりと音を立て、カジャの顔が強張る。

浮かべた表情は何処か笑顔にも似ていた。


「ねぇ!何とか言ってよ!ねぇってば!」

「……大丈夫に決まってらぁ!あのツクヤさんだぞ!

腕っぷしの強さ知ってんだろ?錆人形ぐらい、ちょちょいのぱっぱだ!!」

「う、うん。そうだよ。きっと……」


 無論、大嘘である。目の前には錆の巨人で埋まった通路と、

未だ未練たらしく動いている怪物の掌。寄宿舎にも明かりが灯り、

真っ暗だった内部の輪郭がはっきりと見えていた。

埃だらけでガラクタがそこらに散乱し、まるで玄室の中のようだった。


 同時に、戦闘で高揚していた心が急速に冷め、冷静さを取り戻していく。

一方でアンリの顔がみるみる青ざめていくのが解った。

今から化け物の残骸を撤去し、戦場に戻りうるか──否。

このまま呆然自失で座っていれば自体は好転するか──否。


「れ、冷静に。冷静に考えよ……むぎゅっ!?」

「……スマン、手を握らせてくれ」


 じっとりと嫌な汗の滲んだ掌でアンリの手を祈るように包む。

事実、それは膝をついての祈りだった。何に祈っているかなど彼自信知らない。

しかしながら、祈るだけならば誰の損にもならない。

少なくとも、心にとりつきかけた恐怖を乗り越える役には立つだろう。

ややあって、絞り出すような声をカジャは吐き出した。


「……このまま上に向かうぞ」

「え、それじゃあ黒服と鉢合わせ」

「だからだ。連中が今何をしてるかなんて知らん。

話が通じるかも解らん。だけどな、俺達だけじゃどうにもならんだろ」

「捕まったとして、このまま地下で日干しになるのだけは避けられる、か」


 ひょっとすればその場で殺されてしまうかもしれず、

後で縛り首になるかもしれない。しかし、現状よりはマシだろう。

連中とて遺跡内部についての知識は自分達と大差はあるまい。

ならば、先行者の情報に聞く耳ぐらいはあるかもしれない。


「ツクヤさんの手帳で取引だって出来るかもしれんだろ」


 口から出るのは思いつきも思いつき。完全なる希望的観測だった。

かもしれない、かもしれない。幾つものはかない仮定の積み重ねは、

ほんの一時、仮初の安心感しか与えてくれないのは重々承知だ。

縋り付けるならば敵であっても縋り付く。何と情けない現実だろうか。


「行くぞ」


 だが、屈辱で済むならば安い。靴を舐めろと言われればそうもしよう。

もしも取引が出来たならば、一秒でも早く奴らを大広間に送り込めばよい。

そうならかったとしても最低限、相棒の命だけは持ち帰れ。

二束三文の安いプライドがカジャ=デュローにそう命じていた。


 強張った顔のまま歩いていた横顔を不意にアンリが覗き込む。

何だよと思いつつ顔を見合わせると、からからとした笑い声が帰って来る。


「……ねぇ。そんな怖い顔してるよりさ、将来の夢とか話そうよ。

きっと気も紛れるって。二人して黙ってると息が詰まっちゃいそう」

「何だよ、いきなり。気味悪ぃな」

「ご挨拶だな。全く、カジャは何時もそうだよ。

ボクの事、色気も何もないチビだと思ってさ。ズルイよ、ツクヤばっかり」


 つれない返事にむくれた顔を作ると、努めて冗談っぽくアンリが言う。

化け物がそこらに潜んでいるかも、と咎められても耳も貸さない。

諦めてカジャもまた、小声で話にのりかかる事を決めた。

ともあれ、アンリ=カトルには色気という言葉などまるで不釣り合いである。


「ズルイたぁなんだズルイたぁ。この期に及んで羨ましい事言いやがって」

「何が羨ましいもんか。女同士であーだこーだ言ったって……」

「……おい、今聞き捨てならん台詞言ったな。さては混乱してんのか?

馬鹿言うなよ。餓鬼の頃からの付き合いだけどよ、お前にゃ胸もへったくれも」

「やっぱ、気付いて無かったんだ。もっとチビで真っ黒だったもんね。

オマケに地面の下で必死こいて汗みどろのスス塗れでボタや石炭運んでさ。

後、名前もずっと間違ってたでしょ。アンリ、アンリって」


 胸に手を当て残念そうに、それから少しばかり悪戯っぽくアンリは言った。

思い返せば男にしてはどこかおかしな行動が多かったようにも思う。

胸に耳を当てても心音以外の何も感じ取る事は出来まい。全くの平坦だ。

しかし、しかしだ。認めがたい現実に、思わずカジャが呻き声を上げる。


「……待て、待て。ちょっと待て。まさか、オイ」

「ずっと気づかなかった?色々避けたり、一緒に居なかったり、はぐらかしたり。

そのね、恥ずかしかったんだ。それからね、ボクの名前はアン。アン=リカトル。

間違えるのはこれっきり止めて欲しい。女の子だもん、それは辛いよ」

「──色々聞きたいことはある。でもよ、何で今?」

「だって、言えなくなっちゃいそうだし。このままだと、何も言えないまま。

そりゃボクはカジャの相棒だよ。でも、それだけじゃないんだからね?

この前からツクヤに色々教えて貰ってたんだ。解んない事だらけだし」


 そう告げる姿はどこからどう見てもただの冒険者だ。

背は低いし、髪は短いし、そばかす顔で、栗鼠か何かめいた雰囲気がある。

逃げれば俊足、泣けばうるさく、はしゃぐ姿は粗野な弟か何かだ。

当然、ひらひらした女物を着ている姿などカジャには想像すらつかない。

炭鉱時代だってシャツ一枚のまま、何時も煤で真っ黒けになっていたものだ。

二の句が継げず口を開閉している横で、アン=リカトルは続ける。


「ホントはね。やってみたかった事ってこれまでだって一杯あったんだ。

女の子の恰好がしてみたい。ねぇ、わがまま聞いてよ」


 スカートをひらひらさせてみたかったと少女は言う。

そんな事ぐらい、これまでだって幾らでも出来たろう。

ならば、これから先も簡単に叶うはずの願い事だ。

少なくとも龍や魔王を倒すよりは何十倍も容易い。


「きっと叶う。叶えてやるとも」

「言ったな?後悔させるよ。こんな筈じゃなかった、お金が無いーってさ」

「俺を誰だと思ってやがる。未来の冒険王様だぜ?絶対に、絶対に、絶対にだ。

嘘になんぞ死んでもしてやらん。化けて出てでも叶えてやるわい」

「はは、凄く楽しみ。あ、ほら。出口が」


 薄暗いトンネルを抜け、明るいホールに出ると赤錆た巨体がひしめいていた。

アンが腕を掴んでいた手に力が入るのをカジャは感じつつ、

再装填を済ませていたピストルを腰から抜いて、彼方の敵へ狙いを定めた。


「──来いよ。かかってこい。相手になってやる」


 覚悟を決め、一歩前に出たその時だ。

火薬の音が彼方から聞こえた。黒服であろうか。あと一歩の所ではあったのか。

しかし、全ては余りに遠く、遅すぎた。諦観めいた冷静さがそう告げる。

そして、遺跡の天井辺りを煌めく何かが飛翔するのをカジャは見──直後。


「ぃーーーー良ぉい子の諸君ッ!!自棄になってはいけないぞ!!」


 全く予期せぬ大音声が、警報に負けじと大きく轟いたのだった。



Next.



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