第25話 思いがけない冒険
宿の部屋で、女が猛然と荷物を鞄に詰め込んでいる。
それは勿論、ツクヤ=ピットベッカーであった。
一言も発しない横顔は打撲痕も痛々しく、周囲を拒んでいるようでさえある。
実に良くない傾向であった。一目見れば解る。
──参った、一体全体どうしたもんか。
尋常でない女学徒の様子に眉を顰めつつカジャ=デュローは考える。
勿論、突如として起死回生のアイディアなど閃かない。
が、前のめりで周囲が目に入っていない雇用主をこのまま捨て置いては、
自分達も巻き添えで死地に送られかねない。
つらつらと考えていると、ノック音。
遠慮がちに部屋のドアが開かれ、ひょっこりと配達夫が顔を出す。
「こんにちわー、郵便でーす。ツクヤ=ピットベッカーさんのお部屋ですか?」
応ずる声を聞くや、封書を押し付け風のように配達人は去っていった。
差出人を見るや、即座に開封して視線を落とし、ぴしりとツクヤが固まった。
よく見れば震えている手でゆっくりゆっくり眼鏡を直す。
「……畜生め」
それから、仮にも淑女が口に出来ない悪態をついて肩を落とした。
つくろった半笑いでアンリが肩越しに文面を覗こうとする。
「……おーい、ツクヤさんや。顔が面白い事になってるよ。
どれどれ、ボクにも聞かせてよ。一体全体何事なの?」
「大師匠と所長からのお手紙」
「うん」
「調査は続行。あいつらの目的も把握したって。
黒服共に遺跡を破壊されない内に内部も調査しろと」
「……うん?ボク達だけで?未探査のダンジョンを?」
「うん……」
唐突に雲行きが怪しくなった。アンリが浮かべていた笑顔が引きつる。
向き直るツクヤの表情も大体同じようなものであった。
結論から言うと、黒服共の目的は遺跡の破壊と古巨人の無力化で、
調査研究に支障が出るだろうから、その前にという事であった。
その辺りの椅子に座ると、手紙をテーブルの上に投げ出した。
「そ、そうみたい。いやー、流石の私もこれはちょっと、その」
「ねぇ、遠回しに死ねって言われてない?」
「だだだ、大丈夫大丈夫。冷静、冷静だよ絶対なんとかなるよ。うん、きっと。
多分。そうだといいな。……いや、やっぱアンリちゃんが正解かも」
「酷い上司だ。何て奴らだ。どういう性格してたらこんな真似を」
遥か遠くの邪知暴虐の化身の如き両名を非難するも、
今から彼の地に向かって走り、奇麗な顔面を殴りに行く訳にも行くまい。
実に厄介である。現状は独房に投げ込まれかけているも同然だ。
青い顔で読み進めると、最後に一言申し訳ばかりに付け加えがあった。
「……応援も要請して確実に現地で合流できるから安心しろって。
あ、でも例によって詳細書かれてないや。信用してね、って事なのかな」
「ボクだったら詐欺話って判断する。考えもしないよ。
何も書かずに信じろって。今日日そこらの子供も誤魔化せない」
「やっぱり?うん。今、お姉さん少しだけ後悔してる。どうしよう」
二人して悩み始める。カジャは髪をひとしきり掻くと、
一足でその輪に踏み込んだ。三人寄れば何とやらだ。
「状況判断だろ、まずは。整理してみようぜ。
ビビり上がったままじゃ何するにしても不味かろうよ」
明らかに動揺する両名を前にして、却って落ち着いたらしい。
ひょっとすると鈍感なだけかもしれないが、この際どうでも良かろう。
ツクヤは軽く目元を押さえ、観念したように大きくため息をついた。
「それしかない、よね。でも覚悟は良いの?」
「俺は出来てる。アンタはどうだ?アンリは?」
「全く、思い切りが良い。覚悟完了、胸を据えないとしょうがない、か」
「ねぇ、ボクまだ死にたくないよ!?頭数に入ってるみたいだけどさぁ!
……解ったよ。そんな顔で睨まないでよ。そこまで腰抜けじゃないよ。
舐めないでよ。何てったって君の相棒、アンリ=カトルなんだから、ボクは」
「良し、それじゃあ整理しようか」
根拠も何もない自信ではあったが、それでも無いよりはマシである。
紙と手帳、それから鉛筆の出番であった。
「うん、解ってたけど酷い状況」
紙片に子細をまとめ上げ、開口一番ツクヤはそう言った。
無理に持ち上げた口角も痛々しい。内容を要約すると以下のようになる。
ダンジョンの危険度、構造共に不明。予想される怪物の脅威度不明。
探索は持ち運べるだけの物資で可能である時間に限られる。
その上で可能な限りの調査を行い、無事帰還して報告せよ。
正気であればここまで列挙された時点で回れ右であろう。
「わぁ、大冒険だぁ……」
「アンリ、落ち付けよ。水でも飲むか?後、弱音は禁止な。
どうにかして打開しないと未来がねーんだ」
「また無茶を言う。どう考えても無理難題だよこんなの。
何考えてんだよ偉い人。ツクヤさんが可哀想だよ」
「わーってる。解ってるってんな事は。諦めんなよ。金がねぇだろ?」
圧倒的にして残酷なる現実であった。
このまま引き下がった所で冒険者たちに明日は無いのである。
「そうだったよね。すっかり忘れかけてたけど」
「うん、解ったようで私も嬉しい。
それに今回ばかりは大盤振る舞いだからね。何でも言って大丈夫」
「ホント!?いや、でも本当にいいの?」
「大丈夫大丈夫。こんなの押し付けて来るんだから、
経費削減とか無視しても大丈夫なのです。うん、きっとそう」
ツクヤ=ピットベッカーは今度もやはり笑顔であった。
腹を立てても状況が解決する訳ではないが、
大胆な決断を実施するには有効に働く事だってある。
経費と言う制限を解かれ、自由に羽ばたく想像力を逞しくしつつ、
アンリは腕組みをして言う。
「要は迷宮探索だよね。単純に言えば」
強大な怪物を打倒する訳でもなければ、
財宝を上手く盗み取って来る忍びの技を見せる必要もない。
破壊前の様子を調査し、素描し、記録するだけで良い筈だ。
言葉にすれば実に簡単に思える。
「そうは言うけど、まずどうやって入り込むのさ。
黒服共と鉢合わせするよ?間違いなく」
「そこは逆に考えよう。鉢合わせちゃえばいいと思うの」
「へ?何でさ。また捕まっちゃ元も子もないよ」
「ほら、あいつ等がキャンプ張ってるって事はその近くが遺跡。
周りで張り込んで、入口が開いたら忍び込んじゃえばいいと思うのです。
バレたとしても探査の進んでない遺跡に殴り込みはかけない、と思う。多分」
「また無茶苦茶な……いや、うん。そうだよね、本当に手段選べないもんね」
仮定の上に仮定を重ね、その過程で空中楼閣を構築するような話だ。
常識的に考えたならば途中で破綻し、そのまま瓦解するのが目に見えている。
だが、崩壊するのが解っていてもやらねばならない時が今であった。
勿論、来ると言われた援軍なぞ誰もこれっぽっちもあてにしていない。
何より、指示を仰ごうにも返答が帰って来るのが何時になるかも解らない。
で、あれば現場の判断でこの問題を何とかするしかないのであった。
後始末はすると言う言葉を半信半疑に、危ない橋を駆け抜ける他ない。
「でもよ、それじゃ脱出に困るんじゃねぇの?何か出たらどうすんだよ」
「あの黒い人たちに全てを押し付けてスタコラサッサします。
仮に巨人の類と遭遇しちゃっても絶対に戦闘なんてしません」
「うわ……卑怯な」
「言わないで。情けないのは私も解ってるから。
仕方がない、仕方がないの。事前情報無しの出たとこ勝負だから」
勇敢と無謀は全くの別物である。無理と努力もまた然り。
しない方が良い苦労には手を染めないに越したことは無い。
そして未知の遺跡とは当然に危険であり、加えて仕事だ。
絶対に不用意な交戦は行わない。調査、記録のみを目的として、
可能な限り安全かつ確実に引き上げる。概ねそんな方針であった。
「中の地図も何もない訳だから、警戒、哨戒は二人に任せる。いい?」
「マジでか」
無茶な提案にカジャが渋り切った表情を浮かべた。
「俺たちゃ迷宮探査はド素人だぜ?大丈夫なんか」
「残念だけど、やって貰うしかないのよ。私一人じゃ手に余る」
「一端逃げ帰って仕切り直しとかはダメなのか?」
「出来たらそうしたい、けどそれなら態々調査しろとは言わないと思う。
もし何もしないで逃げ帰ったら君らの報酬は勿論、私も立場が色々不味いの。
大変申し訳ないけど、やる方向で考えて。皆無事に帰る為にも、責任は重大だよ」
冒険者二人の双肩に事の正否は掛かっているも同然である。
僅かな経験と足りない知恵を必死で回し、細い好機を掴み取らねばならない。
「じゃあ、必要だろうモンは全部揃えさせて貰うぞ。いいか?」
「お金の手配はします。人員の方は気づかれないようにこのままですが」
「やっぱり、俺達だけでか」
「残念だけど、そうね。正直私としてはもう課題がどうとかより、
自分と二人が無事に生きて帰る事を最優先しようと思ってます。
達成は必要最小限度でも良い。学者は潜入工作員じゃありませんから」
「賢明だ。まだ試験がどうのと拘ってたらどうしようかと思ったぜ。
まぁ、やれるだけはやるさ。結果の保証は出来かねるが」
命あっての物種である。危険の中に飛び込まざるを得ない以上、
常以上に警戒し安全第一の行動は前提である。
叱責、赤点、だから何。生存と帰還こそが最優先目標であった。
「思いがけない冒険。これもまた人生かね」
自らを鼓舞するように格好つけて、カジャはそう呟いたのだった。
Next.
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