第24話 飛べ、小鬼!



 拡大する騒動を背後に残し、

マダナイ=ナナシは騒ぎの現場から未だ逃走していた。

行き違いになった黒服共を振り返りもしない。

やがて走り疲れ、これ以上動けなくなって膝をつく。


 荒い呼吸と朦朧とする思考。

自分は悪くない、自分は悪くないと言い聞かせながら肩で息をする。

もう大丈夫だろうか。大丈夫に違いない。明滅する視界。

考えていると思わず胃がひっくり返りそうだ。


 やっとの思いで落ち着いて。顔を上げると前方に新たにビシクレットだ。

勢いよく横滑りしたかと思うと、土煙も濛々にナナシの目前で停止する。

逆光を背負うその影はなんとも言えずデコボコで、滑稽ですらある。

現れた二つの姿は常の通りに青く、そしてブ男だった。


「はぁい、元気かしら。状況は?」

「鉤鼻の人が、皆を連れて」

「……まぁた、アイツか」

「その、私は大丈夫です!元気になりました!」

「そ。まぁ、そういう時に限ってダメなってるもの。

さ、後ろに乗って案内して頂戴。飛ばすわよん!」


 まごつく小鬼を荷台に乗せ、申し訳ばかりに青肌が一言添える。

疑問を発する暇もない。振り落とされかけて慌てて腹に両腕を回す。

委細構わず暴走した機関車の様にビシクレットが走り出した。


「怖い!早い!落ちる!落ちる!」

「しっかり抱き着いてれば大丈夫!!

ベルトラン、思い切って近道するわよ、付いてきなさい」

「騒ぎの方向ですな。失礼ながら曲乗りのご経験は?」

「勿論初めて!女も度胸、何でもやってみるものよん!」

「はっはっは、何とも剛毅。委細承知、行きますぞ!」


 不穏なやり取りに必死で掴まっていたナナシが顔を脇に寄せて前方を見る。

見れば半ばまで持ちあがった跳ね橋が見えた。まさかと思う暇も無い。

制動する意志などまるで無く、勢いそのままに二人組の車輪が突っ込んだ。


「ん゛ぐっ!?」


 真下から突き上げるような衝撃。続いて斜め上にねじ曲がる方向性。

直後の浮遊感。そしてナナシは眼下に広がる街並みや群衆の姿を認めた。

見よ、その瞬間彼らは確かに空を飛んでいた。無論、翼など無い。

言葉にならない小鬼の悲鳴を残しながら、ビシクレットが宙(ソラ)を行く。


「イヤッホーーーーーゥ!!魔王様最高ーーーーゥ!!」

「うわぁぁぁぁぁぁーー!!助けて、助けてー!!」

「心配ご無用!このデヴィアさんを信じなさいっ!」


 信じるも何も、信じなければ真っ逆さまに墜落するだけだ。

有無を言わさぬ強引さ。突っ走るデヴィアが顔を上げる。

すると、彼方に部下達が何やら騒ぎを起こしているのが見えた。


「ビンゴ!着地と同時に乗り付けるわよん!」

「ガッテン承知!!」


 それはさておき、時間は少々巻き戻しての着地予定地では。

何時かの様に黒服共が飛び散り、或いは肩を貸しながら起き上がる物を眺めつつ、

ビシクレットに跨ってムッター=クッターはヒゲを優雅に弄っていた。

対峙するは打撲や擦過傷を負いながらも未だ健在の冒険者たちだ。


「また貴方……しつこい人って嫌いだな」

「いえいえ、ストレス解消って大事ヨ。こんな風に。

さて、申し開きの準備は出来てる?捕縛される用意は?辛子の準備も万端さぁ。

そしてお久しぶりよねお嬢さん方。再開なんてしたくなかったけれど」

「ええ、お久しぶり。慰謝料の請求先はそちらで宜しいかしら」

「やだもう、頭から喧嘩腰だもの。ボクチン困っちゃーう」

「貴方がそれを言うかなぁ……部下の暴走って言い訳は聞かないよ。

それにどうしてここにナナシちゃんが居たの、ムッターさん?」

「あらやだ、回りくどい詰問。天才と付けて無いのも減点対象。

ねぇ、そこののっぽ君。チミもそう思うでしょ?」


 呼びかけに答えるように、のっぽの冒険者が飛び出した。

顔を怒りに大きく歪ませながら、ムッターを指して叫ぶ。


「さてはテメェら……あの子を攫ったのか!そうだろ、攫ったんだろう!!なぁ!!」

「……は?いや、何の事やら。質問を質問で返さないでよね」

「そのツラで怪しくない訳があるか!やましさが顔に出てんだよ、顔に!」

「あらやだ。話通じない上、超無礼。流石に腹が立ってきたわぁ……むっ」


 ムッターが振り向いた先には、高く宙を舞う二台のビシクレットがあった。

背中にへばりついた小鬼が盛大に悲鳴を上げているがささいな事だろう。

鉤鼻はビシクレットから降り、その場に横倒しにして停め、ゆっくり向き直る。


「かくて役者は揃う──ってあらぁ、遁走とかしちゃう?

まぁ、ボクチンは一向構わんのである。むしろ賢明よね。さて」


 必死の態で逃げていく冒険者の背中にムッターは拍手を送った。

直後、着地の勢いそのままにデヴィアが大きく横滑りし、強引に停車する。

人外の脚力を用いれば単純なる機構も非常識な力を発揮するのであった。

もうもうと立ち昇る土煙が晴れるのを待ち、青肌は問う。


「到着。状況は?」

「ごらんの有様だよ!やー、逃がしちゃってねぇ」

「弁明は罪悪だと知りなさいな。本当の所は?」


 この天才の取り扱いにも慣れたものだ。

無茶苦茶ではあるが、行動にはそれなりの理由が伴っている。

特に反省の弁を返すでもなくムッターが答えた。


「人員のストレス解消よ。まー、血の気が多い連中ばかりだしねぇ。

捕縛の可否は二の次という所。みんなー、元気かーい?

久しぶりに遠慮なし事情なしの殴り合いで面白かったろう」


 問いかけに黒服の一人が地面に仰向けで倒れたまま親指を立てた。

彼は実に良い笑顔をしていた。男とは単純なものである。

やっと体を起こすと何事かと騒ぎを聞きつけて集まって来た見物人を彼は見回す。

今の所やくざ者同士の抗争か何かと思われているのだろう。

揃いの黒服を着ている彼らは傍目にそう見えない事もない。


「お心遣い感謝。あの娘さん、実に良い……と、騒がしくなってきましたなぁ」

「あらやだ。警邏と地回りには袖の下渡したけど、やっぱりね流石にねぇ」

「あんた達ねぇ……不満があるなら大騒ぎする前に先ずおっしゃいな。

あーもう、怪我人だらけじゃないの。ベルトラン、ムッター、手伝いなさい」

「具申を聞いて頂けると。では当人もいるから物のついでに」

「何かしら?」

「その小鬼の娘、どうにかなりませんか」

「……続けてくれるかしら。ただ、少し場所を移しましょ」

「そいつも同席させて下さいね。これが我々からの条件です。

何が言いたいか、解りますよね。上司としての仕事をやって頂きたい」

「解ったわ。言い出したのは私だもの」

 

 彼の言葉を口切に、黒服たちから次々不満が噴出し始める。

そもそも彼らの仕事は子守ではない。そして、原因は上司の独断だ。

これで出来の良いガキであるならば我慢も効いたのかもしれない。

が、デヴィアとしては眉をしかめながら黒服共の不満に耳を貸す他無い。


 一方、対応に苦慮する青肌を前にマダナイ=ナナシは縮こまっていた。

これまで必死で否定し続けていた現実に追いつかれたような恰好だ。

罵声は無い。怒鳴り声もない。静かで、半ば以上陰口めいている。


 ──いや、これで良かったのかもしれない。この方が良かったのかもしれない。

やり玉に挙げられながら、ナナシは何故かそう安心していた。

むしろ、このような扱いの方が彼女にとって平生のそれであり、

それ故に踏みつけにされた方が心地よいのかもしれなかった。


 思えば、これまでの失敗の数々も心のどこかで望んでいたのかもしれない。

所詮は小鬼風情。解らぬ理屈は数多いが、失敗を自ら望んでいたというのは

いやにしっくりと腑に落ちる。何故か爽快で、気分良くすらある。

それに、そうすれば人に見てもらえる。自分は一人で無い、と思い直すと、

知らず、俯いていたその横顔は奇妙な事に笑みのような形めいていた。


「──ふむ」


 ムッターがヒゲを捻りながら、何言うでもない独語を吐く。

実際の所、小鬼の姿は彼の目からすれば奇妙な笑みを作り、

今にも泣きだしそうな顔で肩を縮めている哀れっぽい姿でしかなかった。

だから忠告申し上げたのにと鉤鼻は思いもするが、後の祭りである。


 科学の徒は思考を紐解こうとし──かけた所で郵便屋に捕まった。

未だ続く小鬼の吊し上げはしばし捨て置くほかなく、

それでは手つかずの業務を進めておこうとムッターは封を開け、検める。


「げぇっ、これは!!」


 そして、差出人を見るなり踏み潰された蛙のような声を上げたのだった。



Next.



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