第23話 小鬼は急には止まれない
──準備は完了した。現地到着次第、遺跡への探査を開始する。
これまでの大騒ぎの割には実にあっさりとした決定をマダナイ=ナナシは
解ったような解らぬような、ぼんやり顔で聞いてた。それが少し前の話だ。
立ち並ぶ黒服共は常と違い静かなもので、ただ命令を拝するばかり。
一種異様な雰囲気である事ぐらいは小鬼にも何とはなしに察せられた──
のであるが。とぼとぼと小鬼は川港の街をぶらついている。
こうするより今はしょうがないのであった。暇を言い渡された訳でもない。
嘘をついたろうと糾弾されたからだ。無論、些細な問題ではあった。
下手に言い繕ったのが非常にまずかったらしい。
「でも、何がいけなかったんだろう?解んないや」
そうしなければもっと責められてしまうのだから仕方がないではないか。
ナナシはそう思うのであるが、デヴィアは頑として折れそうもない様子であった。
頭を冷やせと言いつけられても、足取りは重く空ばかりが青い。
何が悪かったのかとんと解らぬ。恨み事を述べ立てようとも、
力でも知恵でもとても敵いそうにない相手である。
それでは黙って言う事を聞いていればそれでいいのだろうか。
我慢していては損じゃないか。思考はぐるぐる堂々巡りだ。
良い事を見つけては舞い上がり、悪い事があれば非常に落ち込む。
その繰り返しだ。
小鬼の自己認識によれば、何事も上手く行く筈であった。
しかし、目の前の現実はその都合の良い考えと明らかに食い違っている。
辻褄合わせに四苦八苦していたのも過去の話。要は考えなければ良いと開き直る。
何とも小鬼らしい自己中心性であったが、この場にそれを指摘する者はいない。
どうして上手くいかないのか。ひょっとして運が悪いのだろうか。
誰かすぐにでも色々解決してくれないものだろうか、等と支離滅裂な妄想。
欄干にもたれながら蹴った石が宙を舞って川面に模様を作る。
周囲ではその不機嫌など知らぬげに人々が行きかっている。
群衆の中で独りぼっちのナナシに気づくものなど一人もいない──。
「ん、あ。お前!ひょっとして!」
否。何処かで聞いた声が耳に届いた。
驚いて振り向くと見覚えのあるのっぽが居る。
そいつは遠慮ない足取りで近づき、大袈裟な身振りで自分を指さした。
「おい、無視すんなよ。忘れちまったのか?」
「カジャ、カジャ=デュロー!」
「やっぱりな。炭鉱に居たろ。やー、数週間ぶりか。
マダナイ=ナナシでよかったよな。奇遇奇遇。きちんと飯食ってるか」
「あ、うん」
忘れる筈も無い名前であった。
立ちどころに疎外感が薄れていく。のっぽの姿は相変わらずだ。
確かに食糧事情は炭鉱時代に比しても改善している。
余裕そのものは増えているのだ。ナナシは頷いて答えた。
「毎日ちゃんと食べてます」
「そうかぁ。体が資本の商売だからよ、結構結構。ん……待てよ?」
不意にカジャは首を傾げた。炭鉱の街から離れて随分になる。
従業員の余暇の小旅行、と呼ぶにしても少々無理があった。
押し黙ったカジャの沈黙を破ろうと、ナナシが自分から口を開く。
「え、とそれはその。実は……」
「いや、事情もあらぁな。言いたくないなら別に良い」
「そんな事ないもん。頑張ってるもん」
「はぁ、無理すんな……ああ、話聞けって?まぁ、暇あるしいいぜ」
「うん、ありがと!ええとね、あれからね」
屈託のない笑顔で喋り出した事には、
自分も冒険者になって街を飛び出したと言う。
積み上げる冒険譚は何処かで聞き覚えがあるもので、所々矛盾している。
一生懸命に話しているのだけは解るが、明らかに出鱈目であった。
暫く黙って聞いていたカジャがぽりぽりと顎を掻き、
明後日の方向を見上げながら据わりの悪い表情を浮かべる。
「俺ゃ馬鹿だが、今のは流石にホラ吹かれてるって解るぞ。
頼むよ、本当の事言えよ、なぁ。これじゃいい気分しねぇし、な?」
「う……」
「だんまりかよ。困ったな……心配になってきた」
大方、きつい仕事に耐え切れずに逃げ出しでもしたのだろうか。
炭鉱では坑夫や作業員が不意に姿を消すなど良くある話だ。
ならば考えなしに詰問のようになってしまったのは迂闊であったか。
話題として触れない方が良かったかもしれない、となどと思いつつ
カジャはナナシの様子を気取られぬように検めようとする。
「う、う」
「む?」
「うわー!!」
「あ、ちょ、待て。待ちやがれ!!何で逃げんだ!おい!おーい!!」
突然、悲鳴を上げてゴブリンは逃げ出した。
呼びかけるも返事は無い。遠ざかる背中が見えるばかりだ。
危なっかしい娘である。このまま放っておいたら何をしでかすか。
そこまで考えカジャはぐっ、と身を沈めて両手を地面につけた。
そして走り出す。腕を振り、地を蹴り、腹一杯空気を吸い込んだ。
「まぁぁぁてぇぇぇえええ、理由を話せぇぇぇええ!!
今すぐ話せぇぇぇ!捕まえちまうぞぉおおお!」
尾を引く叫びに何事かと驚いた群衆の視線が集まる。
その日は空気が乾燥していた為か、立ち上る砂ぼこりは狼煙のようだ。
カジャ=デュローは必死であった。
今は離れたとは言え、炭鉱仲間を見捨てる程情のない事は出来ないのである。
が、追われるナナシとて勿論必死だ。
何故逃げているのかも思わず忘れて助けを求めて逃げ回る程に必死だ。
逃げた奴隷を追いかけるゴロツキの如き絵図であった。
カジャは行き交う人々を器用に避けながら走る。
揺れるその視界に見覚えのある二人連れが映った。
「あ、カジャ!?何してんのさ!?」
「アンリか!!って、テメェこそ何してやがるッ!」
指を指して叫ぶ。見れば、アンリはツクヤと連れ立っていたらしい。
カジャにとって思わず足を止めてしまうに十分すぎる光景であった。
きょとんとした顔でちびの冒険者が答える。
「何ってそりゃ、お買い物だけど……」
「そこじゃねぇ!なんでツクヤさんと一緒なんだよ!」
「えっ」
「えっ、じゃねぇよ! 裏切りおったな!俺の、この純情を裏切りおった!!」
「違う、誤解、誤解だよ!思ってるようなのとは多分違うよ!ツクヤも説明してよ!」
「呼び捨てとか親し気に!あんなに熱かった俺の思いを何処にやればいいんだ!!
あれだけ誘っても袖にしやがった癖、どうしてアンリと!酷ェ!」
「だから、それはッ、誤解―ッ!っていうか、カジャ、もしかしてボクの事……」
「いや、それどころじゃねぇ!俺はナナシを追いかける!
この話は後でとっぷり詰めてやるから覚えてろ畜生め!!」
「あっ、ちょ、待ってよ!ナナシ!?あの子がどうしたっての!?」
問いに答えないまま再度爆走する背中をアンリは見送る。
伸ばした手がぐっ、と握り拳に変わりプルプルと震えていた。
それを見ていたツクヤが呆れ切った顔を浮かべる。
「……あんにゃろう」
「ねぇ、私思うの。もう一思いにやっちゃった方が」
「何て事言うんだよ!さっきまで相談してたのに!ボクの気持ちも考えてよ!」
「私だってこういうの疎いもん。あんまり力にはなれないよ」
「あー、もう肝心な時にこれだよ。折角楽しかったのに台無しだ!」
思わず地団駄してから顔を上げて前を見る。
すると血相を変えたのっぽがこちらに向かって走って来ていた。
その後ろには見覚えのある連中。具体的には大量の黒服共。
新たなトラブルのエントリーだ。
「うわぁぁぁぁ!!?何で!?黒服なんで!?」
「何でも糞もあるかッ!!何か知らんが現れた!ずらかるぞ!」
「また何かろくでもない事を!あんな大声出して走るから!」
「今回マジで何もしてないからな!?勝手に悪者にするなっ」
「確かに行先は一緒だけど流石に想定外だよ。うん?」
器用に怒鳴り合いながら走る冒険者たち。
両腕を組んだまま脚力だけで驀進しているツクヤが困惑しつつ呟く。
走る一同。黒服の波の向こうから奇妙なビシクレットが駆けてくる。
見覚えは無いが妙に機能的だ。チリンとベルが鳴った。
「渾身の改良型ビシクレットさっ。この天才の副産物、驚いて拝め!」
立つように跨る姿は果たして、鉤鼻の奇人、ムッター=クッターである。
猛然とペダルを踏みながら追走する姿は小機関車のようだ。
黒い皮めいたものが車輪に張り付けてあり、見た目からして実用的であった。
何を言っているかは解らないが、連中がやろうとしている事は予想できる。
「チキショー!まだ根に持ちやがって!!しつけぇぞ!」
「ホラ、物取り相手ならストレス解消も大義名分が立つじゃない。
追いかけ、捕まえ、それから尋問、尋問にかけちゃうんだな、これが」
「藪蛇かよっ!」
「それを言うなら自業自得。まぁ、皆ほどほどにしといてチョーダイ」
酷い言い草であるが、放たれた猟犬の如き男共は現実的脅威だ。
眼が血走っている。捕まればそのまま内臓など抜かれかねない勢いだ。
何が悪いかと言えばこれまでの行いと運が悪い。
だが、またも黙って捕まってやる言われなどない。
反省を棚上げし、何とかして状況を打開しなければならない。
「クソッ、何て日だ。ツクヤさん、どうすんだよ」
「そうだね、うん。そっかぁ……絶対何とかしないといけないよね」
どうしたものかとカジャは真横に顔を向けて問う。
が、何やら走るツクヤ=ピットベッカーに若干の違和感を覚えた。
明確に言葉にはならないが、普段の彼女とは何かが決定的に異なるような──
ぽん、とツクヤが唐突に手を叩く。
「逃げるばっかじゃしょうがない。ここらで一つ立ち向かおうよ」
「えっ」
「現行犯じゃないし、裁判も経てないし、令状だって見せてない。
つまり、人身保護法の範囲内!それなりに常識が通じて公務員ならやれる筈……」
「えっ、ちょ、何を」
理由が解った。この女、降って沸いた想定外の事態に錯乱している。
よく見れば眼鏡の向こうの瞳も動揺しているように見える。
勿論、カジャとて冷静ではない。アンリなど言うに更なり。
当然ながら獲物を追いかけるブラックドック共も興奮しっぱなしだ。
「ふんっ!!」
唐突に振り返り、先頭を走っていた黒服を投げ飛ばす。
奇麗な弧を描いて宙を舞う黒服を背に、ツクヤは後続と向き合った。
「君らの公務は侵略行為!!」
「いや、いきなり何言ってんだアンタ!?」
カジャの疑問を置き去りにツクヤは続ける。
どしゃっという重たいものが地面に墜落する音が響いた。
黒服共がつんのめりながら足を止める。案外付き合いが良いのかもしれない。
「仮に泥棒と言えども、法の主体な皇国国民である事には変わりない!!
貴官らは警邏でない!その捕り物は越権行為ッ、私には迎撃の用意がある!」
「敵に回して覚悟は良いのか!?」
「違う、これは正当防衛!正当防衛なの!だから覚悟も完了してるの!」
「子供のような言い訳を!!公務執行妨害だぞ!」
「公務と言うなら所属、官姓名と目的を堂々と言ってみなさい!
黙って殴られたら大人なら、私はまだ子供で十分。
さぁ、かかって来なさい!相手になってあげる!」
「……なぁ、ツクヤさんや」
「何。折角盛り上がって来たのに」
一瞬の躊躇い。眼鏡の向こうの碧眼は興奮にぎらぎら輝いている。
追い詰められて狂暴化したのであろう。数瞬後起こるであろう事を諦念する。
向き直り、学徒の頬を鷲掴む。一秒もしない間に全身に衝撃が走った。
次の瞬間見えたのは極度に横回転する世界と地面であった。直後に衝撃。
ああ、興奮した猛獣に手を出せばこうなるんだなと場違いな感想が浮かぶ。
何とか気絶せずに済んだ己の頑丈さに感謝しながら、
呆然とする一同の前でカジャが身を起こす。ショック療法であった。
「顎の骨が砕ける所だった。……目ぇ覚めたか」
「判断が速い!デリカシーが無い!後で謝ってよね」
「ああ、うん。解った。悪かった悪かった」
「それから、私にもビンタ」
「えっ」
「ビンタ!更に落ち着く為に!」
今更の話だが、目の前に居るのも矢張り変人なのであった。
一瞬躊躇する。が、放っておけば何をしでかすか解ったものではない。
乾いた音が響く。直後、呆然とする一同を置き去りに
ツクヤ=ピットベッカーは手近な壁を背負って叫ぶ。
「右と左を固めて!訓練の成果の見せ所!」
「おうよ。こうなりゃヤケだ。何とかなるだろ」
「あー、もう無茶苦茶だ!カジャのアホー!ツクヤの考えなし!!」
至極真っ当なアンリの悲鳴は空しく響く。
このように共闘とは同レベルの間でしか成立しないのであった。
Next.
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