第21話 能あるバカは何とやら



 ──思えば遠くに来たものだ、とマダナイ=ナナシは思った。

さりとて、彼女自身にはさして語ろうと思う過去も少ない。

薄っぺらいからこそこんな場所まで辿り着いたのかもしれない。


 その記憶の始まりは傾いたあばら屋だ。とんと場所も思い出せぬ。

僅かに覚えている事と言えば、両親らしき存在が常に言い争っていた事。

何人もの兄弟たちが居たこと。誰も彼も肌の色が違ったのだし、

両親と称する連中は人間だったから実の親ではないのかもしれない。


 それも今となっては何も解らない。

殴られるだの仕事を押し付けられる記憶ばかりで思い出したくも無いのもある。

結局、疑似家族のママゴトは大方の予想通り破綻する事と相成った。

ゴブリンの目から見ても当然だと思える程度であったのだから、

破局して当然という程度の連中であったのだろう。


 幸いにしてナナシは自分は迫害されて当然だ、と思うような事は無かった。

何しろゴブリンである。世界の全てが自分の為にあるのだと思うのは当然だ。

だが、小鬼はそう思っても世界はそうは思わなかったらしい。

で、あるから生きる為にはそれこそ何でもやらなければならなかった。

金も要れば道具も居る。世間の連中は冷たくて狡い、己こそが正しいのだ。


 そう思いながら暮らしていると、やはり正しかったのだろう。

沢山の苦労はあったし、碌でもない連中をどうにか出し抜いて──

時には体を売る事だってあったし盗まなければ生きてはいけなかった。

そう、だが、そう言った暮らしはもう過去のモノになったのだ!

自分は世界の中心であるから、これからはもっともっと相応しくなる。


 その思いはマダナイ=ナナシにとって半ば以上天啓に近かった。

あの冒険者達だって自分を励ましてくれた、きらきらした奇麗な人も助けてくれた。

だからこれからも、きっと万事が上手く行く。そう、小鬼はラッキーガール。

ひょっとするとあの元気のいい男の子とだってもっと仲良くなれるかもしれない。

ゴブリンが人並みに恋をしても誰にも文句は言わせない。


 小鬼の妄想は止まらない。止まれない。

苦しく、押さえつけられていた気持ちは蓋を失えばあふれ出すものだった。

どれもがとてもとても都合が良いから素晴らしく煌めいている。

気分は爽快、意気軒高。夢を信じて努力すれば何時かきっと実を結ぶ。

皆こちらに歩み寄って来てくれるに違いない──


 そんな思考は足がもつれて途切れた。

続いて衝撃。抱えていた荷物が盛大にぶちまけられてそこいらに転がる。

夢から覚めるとそこは現実であった。


「おい、何やってんだよ……ったく」

「す、すみま、せん」

「立て立て。俺も拾う、あーもう。仕方ねぇな」


考えながら動いているものだから転ぶのだ。

辺りを歩いていた黒服が仕方ないとばかりに荷物を拾い始める。

自らもそれに続きながらナナシは肩を落としていた。


再び顔を上げると、そこは彼女の新しい仕事場であった。

テントが立ち並ぶ中、ナナシ同様の人足が忙し気に動き回っている。

特に異種の小娘に興味関心も無いらしく、振り向く者もない。

助けていた黒服が小鬼に荷物一式を押し付けて息をついた。


「全く。上司命令とは言え、すまじきものは宮仕えだよな」

「すみません……」

「いいから持ってけ。これ以上待たせてやるな。ナナシ、だったよな」

「うん、あ、いいえ。はい!」


 駆けていく小鬼の背中をその黒服は見送る。

心中に去来しているのはこれまで小鬼がしでかした失敗の数々だ。

物を預ければ無くす。掃除をさせれば見落としがある。

文字を書かせようにも無知文盲。結局単純作業以外に使い道が無い。


「返事だけは良いんだけどなぁ。あれじゃ困るよ、ホント」

「どーした?また例のがやったのか?」

「ああ、そうだよ。やんなっちゃうよな、まさか子守りまでさせられるとは」

「給料日前だ。愚痴だと思っておく」

「そうしてくれ。却って仕事が増えてんだからもう」


 言いつつ、黒服は肩を落とす。

一度や二度ならば良い。しかしながら、やる事なす事全てこの有様だ。

ただでさえ面倒臭い上司共の相手に、良く解らない現場への投入。

そして魔物生態研究所とかいう反常識組織と、例によってちらつく超越者共の陰。


これら山積みのトラブルにゴブリンのお守が追加であった。

幾ら諸国から選抜された精鋭集団と言ってもかような雑務となれば辟易する。

色々足りない娘が可愛いのは遠くから見ている場合だけであり、

実際巻き込まれるとなれば話が別なのだ。


「何であんなガキ拾ったんだか。魔族ってな異種趣味でもあんのかね?」

「よせよ、聞かれたら面倒だぞ」

「聞こえるように言ってんだよ。文句垂れんと腹が立ってしょうがない」

「大人げない……」

「拳で躾けてもいいんだぜ。棒で殴った方が何事も早──」


 腹立ちまぎれの暴言を遮ったのは盛大な爆発音であった。

その方向を見ればもくもくと煙が上がっていた。


「ええぃ、今度は何事だ!!魔物の群れでもまた来やがったか!」

「いや、見ろ!またムッターが爆発してるぞ!!」


 両名は走る。事件発生である。

現場は煙に包まれており、火元と見られる作業場には奇人が居る筈だ。

安否を確認すべく声を張り上げようとした所で、ぬっと鉤鼻が煙を破る。

ムッターは煤塗れで真っ黒であった。ゴーグルをずらすなり、言う。


「いやー、ビックリしたビックリした。天才とは言えコレには驚愕」

「何時も何時も……何度も爆発して恥ずかしくないんですかッ!」

「天才だから恥ずかしくありませぇん!!解らんのか!説明しよう!

技術的挑戦と実験に失敗はつきもの!引かぬ、媚びぬッ、諦めぬッ!!

なぁにボクちんの後ろには潤沢な予算と納税者の皆さんが付いている!

今回のデータは活かす事が出来ますよォー、このボクチンに不可能は無い!!」


 全く反省の色が見られない。実に凄い漢であった。

放言するやムッターが両手を振り上げ納税者へ感謝の意を示した。

それを見てげんなりしているのは騒ぎを聞きつけたデヴィアだ。


「いや、あのね。仕事の備品に実験性を求めないでほしいわぁ」

「おやこれはご機嫌ようお嬢様。今週もムッターちゃん出番です」

「はぁ、まぁ良いけど。今度は何やらかしたのかしら?」

「ボクちん、巨人という存在にインスピレーションを受けてだね。

完全機械で二足歩行させようとしたのよ。そしたら爆発した」

「……色々言いたい事はあるけど。まず何で人型?」


 地を駆け、空を飛ばそうとするのはまだ理解の範疇ではあった。

しかし、ゴーレム宜しく人間の真似事をさせるなど青肌の女からすれば、

仕事で使おうとする点も含め、発想そのものがまるで理解できない。

一方、常識の埒外にある目の前の存在は実に自信満々な様子である。


「そこにロマンがあるからさッ!!魔法を使えば何とかなりそうな気もするが、

それはこの超天才たるムッターちゃんのプライドが許さん!滅びよオカルト!」

「狂人の戯言ね」

「果たしてそうかな。試してガッテン」

「きちんと仕事はするのよ?一応、幹部なんだから。……あら?ナナシちゃん」


 デヴィアは視界に尻もちをついて驚いていたナナシを捉え、言う。


「あ、はい。こんにちは」

「はい、こんにちわ。調子はどうかしらん?」

「大丈夫です!!一生懸命です!!」

「本当にー?ま、困った事があったら何でも言って頂戴な。

出来る事はしてあげるわよん。何でもとはいかないけどね」

「本当に……?」

「本当の本当よん。これでもそれなりにエライから。でしょ?」


 その言葉に応じるようにまばらな拍手が響く。

賛意を得たりと胸を張る青肌に歩み寄り、ムッターが咳払いする。


「あー、ウン。ボクチンとしては決まった事に言上げはしないけれども」

「職権乱用のプロが何かしらん?」

「言ったな、超傷ついちゃったもんね」


 両手を握りしめて地団駄し、わざとらしい程に悔しがる鉤鼻。

あきれ果てた面々が三々五々散っていくのを確認しつつ、ムッターは耳打ちする。


「解ってると思うけれども」

「ええ。案外お節介ね?ああいう子は安心させた方がいいでしょ」

「ボクチン大人ですので──さて、おふざけはここまでとして」

「あら、何かしら?」

「すぐに解りますとも。それ来た!!」


 魔法使の動きは迅速であった。体の方向を変えるや杖で地面を叩く。

そり上がる土の壁。続いて破砕音。中ほどから真っ二つに折れた守りが崩れ落ちる。

紋章を黒塗で消された外套と盾を携えた全身甲冑が文字通り飛んで来たのだ。

衣の土埃を籠手で払いつつ、片足ついて着地した騎士は立ち上がる。


 デヴィアは顔をしかめる。新たなトラブルのご登場らしい。

唸り声を上げる騎士の異様な鉄靴が、猛獣のように盛大な蒸気を噴き出した。

西国騎士団肝煎りの強化全身鎧の特徴であり、完全武装の証であった。

つまりは、それが必要な手合いという事だ。


「──ベルトラン、ご苦労。で、何かしら?」


 盾を構え、油断なく立ちふさがるベルトランの前方に在るのは巨大な顎。

赤く、翼を持ち、四つの足で地を踏みしめ硫黄臭い息を吐き出している。

正しく鱗を持つ巨竜だ。人間など一飲みであろう。

剣と無法の土地とはよく言った物。通り雨のように怪物が出現する。


「急な来客だ、招いた覚えは無いが。魔物の知り合いにこういうのは?」

「残念、喋れもしない野良は魔国の臣民じゃ無くってよ。ムッター?」

「ボクチン魔物学は専門じゃなくってねぇ……どれ、魔生辞典魔生辞典。

あ、それまではお二人で食い止めちゃってて」

「気楽な事!!」

「知的労働者は考えるのも仕事。後、お前らはとっとと逃げろ。

武装も無しじゃ足手纏いヨ。その子もきちんと世話しろよ、聞いてたかんな」


 慌てて避難する黒服らを横目に、騎士とデヴィアが歩み出る。

威嚇のように巨竜が唸るや、四肢を撓(たわ)ませ咆哮を上げた。

分厚く鋭利な爪の生えた前肢が暴風の如く唸り、振り回される。

最初に反応したのはベルトラン。身を屈め、盾を頭上に掲げた。


 すぐ頭上を掠める一撃を、驚くべき事に彼は盾で跳ね上げて逸らしたのだ。

受け流された暴力が地面と激突し、跳ね上げられた土砂が宙を舞う。

体を崩さず勢いそのまま、騎士は担いでいた幅広のだんびらを叩き込む。


「むっ!?」


 鋭い金属音と共に分厚い筋肉、脂肪、そして赤い鱗が小さき一撃を弾き返した。

効かぬ。後方に片手剣を投げ捨て腰に差していたメイスに切り替える。

刃が効かないならば重さと鈍さで殴れば良い。

勿論、ただの人間の振るうただの棍棒ならば話にもならぬ。


「そこッ!冷や水浴びなさいな!」


 しかし、彼は一人ではない。何処からか火薬樽を持ち出したデヴィアが叫ぶ。

幾ら青肌と言えども無から有を作り出せる訳ではない。

かの魔王だのにしても実質的には力の変化と流転がその正体だ。

誤解も多いが、第一魔族という言葉自体が人間の使う俗称であり──閑話休題。


「ここを、こうして、こう!こんな所で手間かけてられないわよん」


 そこらに転がっていた鉄クズの塊を押し込んで、火薬樽を担ぐ。

続いて魔法を用いた薄い壁で樽を包み、筒のように先を伸ばし、狙いを定める。

握り拳を作り、底を拳で叩くや稲妻のような即席大砲の破裂音が轟いた。

所謂、葡萄弾だ。鉄片の土砂降りが吹き上がる。視界を塞ぐほどの煙。

続いてばらばらと怪物の肉片と血飛沫が降る。


 ベルトランの輝く兜にどす黒い返り血が注いで流れていた。

手傷に狂える巨竜の咆哮に黒色火薬の白煙がかき散らされる。

ウムッ、と叫びを残し、ベルトランの鉄靴(サバトン)が再び蒸気を吹く。

同時に地を蹴り、一息に手負いの獣の懐から逃れ出た。


「ふむふむ、解った。と言うか有名なのだわ。ラーヴァクリムゾン。

俗に赤いドラゴンと混同されてる卑龍──実地での体験って面白!」

「解説はいい!!弱点は無いのか!!」

「ここらに生息地の火山は無いし、何かの理由で群れから逸れた個体だろうねぇ。

後、記述を信じるなら一般的なのよりも一回りは大きいんじゃないの。

因みに弱点など無い。単純至極、デカくて強くて厄介な敵だわね」


 見れば解る話だ。最も、イカレた貴龍の類で無かった事だけは僥倖だ。

皇国の民に被害を出さぬという名目で存分に打ち滅ぼすが出来る。


「お前の魔法で何とかならんか、ムッター!」

「残念だけども。ボクチン人間だし、あんまり強い術は疲れちゃうのよコレが。

この天才は戦前派や魔族連中とは違うのだよ。そう、何せただの人間だもの」

「そうか!ともあれ殺せば死ぬ手合いだな!ならば良し!」


 鉤鼻が辞典を閉じて、放り出していた杖を握る。

髭をよじり、卑龍を睨み、大きく深呼吸すると自らも参陣する。

それを傍らにベルトランが指示を仰ぐべく問う。


「手負いだ。トドメを刺すより他無し──お嬢。協定的には大丈夫なのか?」

「正当防衛って知ってるかしら。大丈夫に決まってるわ」

「成程。最後まで手加減せずに済みそうだ。腕が鳴る」


 にかりと魁夷な相貌を笑みに歪めると、ベルトランは面頬を下ろす。

紋章を潰され尚銀色に輝く全身甲冑が至る所から蒸気を吹き、頼もしく唸る。

そして大きく息を吸い込み、ブ男は盾を構えて雄叫びを上げた。


「西国騎士団はぁぁぁッ、世界ィ最強ォォォォォッ!

トカゲの化け物ッ!!正義の棒をくれてやる!!往くぞッ!」


 ここで説明せねばなるまい。

西国とは先の通り、大陸西部に座する一大宗教国家である。

彼らの擁する暴力装置たる宗教騎士団は今や新式の技術を積極的に取り入れ、

魔法と人の技術の力により異常な属人性への依存を脱しつつあるのだ。

元より人類第一主義。また皇国に対抗する切実な必要性と合いまった結果である。

護教の聖戦士達は今や蒸気と技術、信仰と鈍器で戦う──それはともかく。


「あら元気。それじゃあ、壁役は任せるとして。

ムッター、合わせなさいな。魔法を組むのは私よりずっと上手でしょ」

「アイアイ、マム。ちょっとチクっとするけど大丈夫大丈夫。

そうよね、一人で無理なら力を借りる、コレよね。じゃ早速、ぱちっとなー」


 相も変わらずふざけた調子でムッターは青肌の背中に掌を乗せる。

魔力を間借りする為だ。個人の限界は仲間の力で越えればそれで良い。

一方、前方には白い蒸気を棚引かせ、巨大な蜥蜴を翻弄している騎士が居る。

巨体、怪力、その上極めてしぶとい。なれど所詮は卑龍。ただの獣の類だ。

雀蜂の針の如き騎士の打撃は、怪物の憤怒を自らに引きつけて離さない。


 かくて確保された暇は、天才を称する魔法使にとり十分に過ぎた。

脳裏より選択。杖で簡易の模式図を地に描きイメージを固定。

心中に転写し、術式を即興で敷衍する。その間、僅かに数十秒。

当代の生まれにおいて彼よりも巧みなる式編みの司は存在すまい。

デヴィアより汲み上げた魔力をその砲身に乗せる。淡い光が頭上を奔(はし)る。

地上に描かれた陣を、更に補足し埋めるように力が走り煌めいた。


 一般的に流通し、かの学術都市で教育されている現代魔術は

稀代の大魔法使いが考案し完成した体系化されたモデルの集まりだ。

薬を処方するように特定の目的の為に使うならばそれでも足りよう。

ただの道具として魔法を用いるのならば他人の技を借りるに越したことは無かろう。

しかし、それでは構築された枠組みを逃れ出る事は出来ないのだ。

鉤鼻は細い髭をこねくり回しながら不敵な笑みを浮かべていた。


「いやぁ、ボクチン天才ですから。仕組みで動くなら解析、再構築できる。

メチャ許せんよなぁーッ、あの糞婆、人の限界を勝手に決め腐ってよぉーッ!

凡夫とは違うのだよ、凡夫とは!この天才は何をやっても許されるッ!!」


 突然激怒しながらムッターが叫ぶ。唐突に嫌な記憶が蘇ったらしい。

最も、爆発する天才など青肌らにとって何時もの事だ。

涼しい顔のまま受け流し、腕を上げて号令を下す。


「その意気や実によし。目標、定め。テーッ!!」

「ボクチンの腹いせに死んで頂戴ね。

之なるは道を破る砲門なり。オヤスミ、ケダモノ」


 杖を短槍のように突き出す。木質の棒が中空に固定され、燃え上がり、

遂には奇妙な輝きを発したかと思うと耳障りな轟音を残し、消えた。

直後、爆発音とも破裂音ともつかぬ音が響き、血と肉が雨のように降り注ぐ。

怪物の下顎がごっそりと消滅し、衝撃で逆流した体液が傷口から噴き出す。

ぐらりと傾いだ巨体が崩れ、自らの血だまりに半壊した頭部が転げ落ちる。


 超々高速で打ち出された質量はたったそれだけで十分な暴力であった。

半ば粉砕された亡骸が残る。紛れも無く、それで決着であった。



Next.


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