第20話 森の主と侵入者



 突如轟音が響く。メキメキと音を立てて森の木立が一本倒れた。

見れば何人かのエルフが走っている。まるで何かから逃げているような──


「!?」


 続いて木々をなぎ倒して現れたのは巨大な怪物だった。

二階建て程もあろうか。虫嫌いが見れば思わず卒倒しそうなサイズの蜘蛛である。

危難を察知し、一同の前にカジャが飛び出る。

しかし、それを押しのけてツクヤが前のめりに喋り始めた。


「す、凄い!!あんな大きなの実物だと初めて見た!

ガルガンチュア・ワケツカミだ!!辞典、辞典……」

「何だよその名前!?やべー奴なんか」

「地域によっては土蜘蛛とか呼ばれたりもして、神様扱いもされるんだって。

大抵は温厚なんだけど、エルフが大嫌いな種族で……」

「トリビアはいい!強いんか弱いんか!?」

「怒り狂ってるあのサイズだと、完全武装の冒険者一個分隊でも厳しいかも」

「ダメじゃねぇか!!……いやまて、追いかけてるのはエルフ、エルフだろ」

「あ、こっち来るね。エルフも私達に気づいて巻き込む気満々だ。

所でアンリちゃん、投げものある?」


 カジャの望みもあっさり断たれた。

一方、水を向けられたアンリがしょうがなしに下げ袋をツクヤに手渡す。

エルフが何やら居丈高に喚きながら走り寄って来るのもはっきり見える。


「ボク、あんな化け蜘蛛の晩飯になんてなりたく無いからね。

大方対処法思いついてるんでしょ?」

「勿論!蜘蛛って面白い生き物でね。コーヒーで酔っぱらっちゃうんだ」

「……後で弁償してよ?まともなの高いんだから」

「経費でね。さぁて、近づいて来て頂戴ねー」


 言って、ツクヤはコーヒー豆を詰めた袋をぐるぐる頭上で回し始める。

エルフは何をやっている助けろと常の調子だ。

大口を開け、今しもエルフを飲み込もうとした瞬間。


「そぉい!!」


 元気の良い掛け声と共に冗談ではない速度でコーヒー袋が射出された。

狙い違わず蜘蛛の口へ着弾。尚も突撃する蜘蛛。逃げるエルフ。

追いかける八本脚が激しい動き、結果的に効能がその体内を駆け巡る。

目に見えて動きがおかしくなり、すぐにその場に伏して動かなくなった。


「エルフの皆様、ご機嫌よう。何仕出かしたの?」

「新しい森を求めて旅をしていてな。最近は人間どものお陰で面倒が多い。

丁度良い土地があったから新しく村を作ろうと思ったが、先住者がいてコレだ」

「成程。おーい、蜘蛛さん蜘蛛さんお名前なんて言うの?」


 さてはこの女、気でも狂ったかとアンリが思ったその瞬間だ。

その頭の中に何とも苦し気な思念が紛れ込んで来る。

慌てて周囲を見渡すと、同じく怪訝な顔をしているカジャが見えた。


「巣に無断で上がり込むから泥棒だと思った?

脅かして追い払おうと思ったら口に酒を突っ込まれて大変遺憾である?

御免なさいね、でも立て札ぐらいしないと……え、普通は糸を見れば気づく?

そりゃ知ってる人はそうかもしれないけど」


 傍から見れば巨大蜘蛛を相手に独り言を繰り返す狂人であった。

驚くべき事にこの大蜘蛛、知的種族であるらしい。

それ故の神様扱いという事か。魔物は千差万別というのは事実であった。

揺らぐ常識にアンリは思わず眩暈を覚えるが、遺憾ながら現実である。


「事情は分かったから今回は許してくれるし、看板も出すってさ。

いい人?で良かったね、エルフさん達。後、一応国民なんだから法律は守ろうね」


 振り返りつつツクヤはそう言った。



/



 戦い終わって日が暮れて。

謝礼にエルフ達が置いていった保存食と飲み物を傍らに一同は焚火を囲んでいた。

森に帰した蜘蛛が手土産にと渡した食物は種族の違いと丁重にお断りし、

ならばと押し付けられた蜘蛛の糸の手提げ網が鞄に突っ込まれている。


「って言うか、蜘蛛が喋るとは思わないじゃん。知ってるってズルイ!」


 既に一杯気分のアンリが開口一番喚き立てた。

巻き込まれないよう身を引いているカジャを半眼で眺めつつ、

ツクヤがその言葉に応じながらワインを舐める。

あの蜘蛛が陣取ってる以上、大方の魔物や賊は避けて通るだろう。


「あ、これ上等。流石エルフの。まぁ、学者は知識が資本だし多少はね」

「ズルイズルイ!もー、何だよそれ。冒険者やればいいじゃん冒険者」

「それには深淵な理由があるのであつた。私だって色々あって学生さんなの」

「色々って何さ。説明してよ説明。いいじゃんいいじゃん、折角いい酒なのに」

「……一応言っておくけど、番はあるから飲み過ぎないでよ?」

「解ってるって。あの蜘蛛の近くで騒ぎ起こす奴はそんなにいないだろうけどさー」


 口の中に干したイチジクを放り込む。咀嚼して飲み下す。


「そうだなぁ、何処から話したものか……ピットベッカーって名前に覚えは?」

「人魔大戦の英雄だろ。すげー有名人だ。最後は行方知れずってのがまた渋い」

「そ。実はその係累の出身で。でも田舎に嫌気が指して飛び出しちゃったのだ」

「へ、は、うん。そりゃあ、また。道理でねぇ」


 美人で、英雄の親戚で、しかも腕に覚えがあって頭も良い。

こうも要素を列挙されれば最早、そんな奴もいるんだなぁという気持ちばかりだ。

我が身と引き比べてみた所で理解すら及ばない。つまりはこれまで通りである。

不意にカジャが首を傾げつつ尋ねかける。


「でもよ、おかしいじゃねぇか。クニでチヤホヤされてた方が楽じゃねぇの?

俺は馬鹿だから、金持ちの詳しい事情なんぞ知らんけどさ」

「楽、楽と言えばそうだけど、お父さんがね。

身内の恥を晒すけども、英雄の親戚だって吹聴するのが大好きで。

大した財産だってある訳じゃないのに物凄くマナーだのなんだのって煩くてもう」

「何とも贅沢な悩みだね。ボク、羨ましくてならないよ」


 ここぞと突っかかるアンリに学士は遠い目をして過日を眺める。


「どんな立場でも合う合わないってあるから。

少なくとも私は社交、礼儀作法、全く合わなかったもの。

オマケに話した事も無い結婚相手連れてくるわで……悪い人じゃなかったけど」

「そのまま落ち着けばよかったのに」

「辛子を味わわずに済んだんだからそこは感謝してもいいよね。

まぁ、確かに一時はそれでもいいかも、って思いはしたけど……夢にね、出たの」

「何が?お化けか何か?」

「うーん、妖精さん?月みたいにキラキラして白い狐みたいなちっこいの。

それが断固拒否の構えで何か熱弁してて、それから少し積極的になったのよ。

今にして思うとどこかで見たことがあるような姿だったんだけど、思い出せないや」

「……少し?」

「まだ十二、三歳位の頃だよ?今の君達より小さかったんだから」


 身振り手振りで示して見せる当時の背丈は確かにアンリよりも尚小さい。

余程印象深い夢だったのか、まるで現実に見たような口ぶりであった。


「で、ある日。今の所長さんがやって来て、家を飛び出し今に至ると」

「……何それ超ズルイ!普通、そこは身一つで飛び出したとか、

素敵な殿方が手を引いてくれたとかさー……あ、その人ひょっとして男?」

「女の人だよ。噂で聞いてない?魔生研の所長は女悪魔だって。

あれ、言葉通りの意味だからね。色々な意味で」

「うわー……どの位悪魔なの?」

「魔王陛下にあらせられましては同胞をもう少し御して頂きたく存じます、まる」

「つまり、クレイジー……やっぱりな、魔物なんて研究してるからだ!」


 酔っ払い特有の牽強付会を発揮するアンリの脇をカジャがつつく。

彼はまだ薄めたワインを半分もコップに残していた。


「飲み過ぎんなって言ってるだろ」

「でも、これだけ何でも揃ってるなーんて言われちゃうとねー」

「そうだよ。これでも友達や話し相手が居なくて困ってたんだから」

「うわ、それじゃあ目下や年下相手に自慢してる寂しい人じゃん。カッコ悪」

「あはは、確かにそうかもね。そうかも、はぁ」


 憂い顔で溜息一つ。その様子にきょとんとした顔をカジャが浮かべていた。


「何言ってんだ、お前。もうダチだろ俺ら」

「……は?」

「うわ、何だその反応。幾ら馬鹿でも傷つくじゃねぇか。

良く言うだろお友達から始めましょうってヨォ。嫌って程言われたぜ」

「体のいい断りだね、それ。全く、これだからカジャは」


 何時ものように騒ぎ出す冒険者。

横目にくつくつとツクヤは面白げに笑っていた。

どれほど物を持とうとも、別に孤独から逃れられる訳でもないらしい。

しかし、少なくとも今、彼女は何者であろうと孤立してはいなかった。


「もう、本当におバカさんねお二人さん?」


 そう言うと、揃って否定する冒険者の言葉が夜の闇に大きく響く。

折しも雲間からは夜空の白い月が優しげに覗いていた。



Next.



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