第19話 拳闘・コミュニケィション



 強行軍を強いられる最中とは言え、腹も空けば疲れもする。

ごっちゃりと荷物を乗せたロバが気だるげにいななくに至り、

学士と冒険者二人の一行は今日の歩みを終える事とした。

次の目的地は川港。その間を縫っての悪路行く旅の途中だ。


 慌ただしく野営の支度を始める冒険者を尻目に、

ツクヤ=ピットベッカーは手帳片手に周囲を眺めまわしていた。

百年来変わらぬとも見える砂利道。その傍らには鬱蒼たる森である。

黄昏も近くのどかさすら感じる風情であったが、丸眼鏡越しの表情は渋い。


 そも、復興に伴っての伐採が進みかつての森林が大幅に減っている昨今、

まるで手つかずと見える森は理由あっての存在である。

エルフの住処であるとか、危険な魔物の住処、御料地であったり、その他諸々。

魔生研とて国内全ての事情を網羅している訳では無い以上、気は抜けない。


 複層かつ込み入った権利の網は未だ全て整理されていないのである。

多種族が混交し、長命種すら少なからぬ皇国独自の大問題であった。

隔絶した武力の独占による統一を事実上失った以上、国体の再建が急務である。

が、人間主軸の西国とは違い、古来の権利を主張する連中は未だに数多い。

であるからこその鉄道整備であり石炭産業の重視であって──閑話休題。


「んー……申し訳無いけど、もう少し先にしようかなぁ」


 辺りを見回しつつ、ツクヤ=ピットベッカーが言った。

強行軍で次の街に辿り着けない事も無い。思案していると、アンリが顔を上げた。


「ちょっとぉ、そりゃ無いよ。もう準備終わったのに」

「交代で夜中に見張りする事になるけど?」

「大丈夫大丈夫、任せといてよそれぐらい」

「うーん、信頼して大丈夫?結構危険そうだけど……」

「まぁ、大丈夫でしょ。地図上は治める人も居るんでしょ?」

「僻地だしなぁ……」


 言い淀む。中央から離れた文化果てる土地などいい加減なものだ。

第一、これまでも魔物──特に言葉を持たぬ諸々によるトラブル続きの旅路。

泥濘に足を突っ込めば粘液状の生物に足を取られる。

木にもたれ掛かれば上から巨大な芋虫が降って来る。

これでも皇国かと文句の一つも垂れたくなるが、現実だ。対応せねばなるまい。


「心配なら後で斥候してくるけど。ボクらも詳しい訳じゃないし」

「じゃ、お願いね。……所で」


 ツクヤは棒切れ片手に片足立ちで珍妙なポーズを取るカジャを半眼で睨む。


「何しようとしてるのかな?」

「撃剣。知らねぇのか」


 所謂チャンバラ遊びである。冒険者である事を主張したいのかもしれない。

目元を押さえつつ判断を保留し、ツクヤは問いかけた。


「……色々言いたい事はあるけど、一つだけ。何で今なの?」

「そりゃこの所、働き詰めで稽古できなかったからな。

いい加減やらんとカンが鈍って困る。これでも冒険者だぜ?」


 思いの外真面目な回答であった。

ツクヤが内心での評価を一つ上げていると、見回りを終えたアンリが戻る。

片手で素振りし、棒切れの具合を確かめるカジャは、

アンリを見るやその片割れを投げ渡した。ちびは受け取るなり吶喊。

暴走機関車めいた無停止進撃であった。


「いい加減うっぷんが溜まってた所!今日は勝たせて貰うからね!!」

「もしもしアンリちゃん?報告が欲しいんだけど……雇い主を尊重してほしいナァ」


 勢いよく棒切れを振り被りながら、アンリは抜かり無しと主張する。


「森外縁部までは異常無し!木立は割と低いけど、奥が見通せない程だった!」

「下草や落ちた枝とか、奇麗に整備されてる形跡は?」

「あー、あったかも。ちらっと見る限り少なくとも荒れ放題じゃなかったよ」

「するとエルフか、それに類する魔物か別口か……うーん、どうしようかなぁ」


 近くに人里があるで無し。にも関わらず深い森なのに整備された形跡。

ひょっとすればどこぞの森番の類が居るのかもしれないが、

森林管理そのものがエルフの家業だ。兼任する事など珍しくも無い。

まぁ、立ち入る意志が無いと明示し続けていれば大丈夫か、と判断する。


 懐に手帳を治め、野営を検めて、それからツクヤはよし、と小さく呟いた。

詳しくは後で調べ直してもらう事にしよう。急ぐ必要は無さそうだ。

学士が向き直れば、アンリが地を跳ね飛び蹴りせんとする瞬間であった。

縺れ合って転がり回る両者。馬乗りになったのは宣言の通りだ。


「よっしゃあ!!ボクの勝ちだッ!!」

「勝負あり、でいいのかな?所で、私も参加していい?」

「えっ」

「えっ」

「いや、アンリ。重ぇからとっととどいてくれよ」

「あ、うん。……まぁ、いいけど。それで、参加って具体的には何を──」


 アンリが知らぬげに混ぜっ返しかけた所でカジャが跳ね起きた。

何か目の色が怪しい。鼻の下が伸びている。視線はツクヤに釘付けであった。


「勿論です!!是非稽古つけて下さい!!いやー、楽しみだ!!」

「残念だけど剣術棒術の心得はあんまりなくって……」


 つまりは徒手格闘。益々喜色満面になるカジャ=デュロー。

あらぬ妄想に表情が緩んでいる。相手の実力など思慮の外らしい。

にっこり笑顔のままツクヤが神速の踏み込み、そして喉元を指先が撫でる。


「本気でやらないと怒っちゃうからね?バリツの手解きをして進ぜよう」


 学徒はやはり笑顔のままであった。有無を言わせる素振りも無い。

一方で不躾な視線を正すフリをして、幸せな空想をカジャは続けていた。

さておき、仕切り直しである。向かい合う両者。

座り込んで退屈そうに眺めるアンリの片腕が上がる。


「それじゃ頑張れ二人とも。始めー」


 そして合図の腕は振り下ろされる。

元気良く、そして顔を緩ませて飛び掛かるのはカジャ=デュローである。

両腕を大きく開き、顔を緩ませて走り寄る姿は実に見るに堪えない。

大地を蹴って一際高く、胸を張って宙へと舞い上がり、鷹の如く上体から降下する。


「そぉい!──ぐぇっ!?」


 しかし避けられてしまった。地面と熱い抱擁を交わすカジャの横には、

バリツの構えを取って闘志に満ちたツクヤが居る。

何となく得物を狙う狐のような印象であった。


「判断が遅い!ダンスはリズム!独り善がりは嫌われるよー」

「ダンスじゃねぇよケンカだよ」

「似たようなモノ!さぁ、立ちなさいな。一曲だけじゃ終わらないからね」

「……アレ、実は割と腕力家?」


 よく考えなくても実際その通りであった。

張り切っているツクヤを改めて確かめるに、その構えに隙は無い。

嬉しい事故以前にパン生地の如く叩きのめされてしまうのではないか。

色気に押されて早まった選択。しかし今更引っ込みはつかない。


「これでも地元じゃスデゴロ百戦無敗で通っててな」


 気を取り直してカジャも両の拳を持ち上げた。

典型的なベアナックルの型だ。軽く体をゆすりながらも油断なく睨む。

拳で戦い、組み付きを試み、しかし足は地を蹴るのみ。

現在進行形で喧嘩上等で鳴らした腕前が、さてどこまで通用する相手か。

下半身とは異なった興奮が世界の動きを遅らせていく。


「言っとくけど手加減とか小器用できんぞ。眼鏡は外せ」

「宜しい。それじゃ、眼鏡にタッチ出来たら負けを認めるから。

ボーイ、女の子からのお誘いがまさか怖い?」

「……絶対ぇ後悔させちゃるぞこんにゃろ」


 おふざけのように軽口を飛ばすツクヤ。

乗せられているとは理解しながらも、馬鹿の血液は更に頭に上る。

両腕を構えたまま、大柄なカジャの体躯が機関車のように前へ跳ねた。

対するツクヤはやや半身の体勢でべた足だ。


「シィッ!」


 ならばやれると気合一閃。初手から顔面目掛けて拳が走る。

が、駄目ッ。驚くべき事に上体を逸らすだけで鋭い一撃が避けられる。

右、左、右。避け、掌で受け、或いは流して逸らす。

渾身の力を籠めるでもない浅い打撃でこの始末。

大振りなど論外。刻み尽して消耗を待つべきか──


「捕まえた!」

「げっ、やべっ」


 驚くべき事に瞬時に腕の戻りを掴まれる。

記憶が確かならば、人一人片手で投げ千切って平然としている相手だ。

何が起こるかなど想像するまでもない──衝撃を予期し身を竦めたカジャに、

しかしツクヤは彼の腕を離した。


「はい、私の勝ち。眼鏡を狙えって誘導されてたのには気づいてたかな?」

「あー、まぁな。気付いては居た。が、我慢できんかった」

「判断力はあるし、体格も良くって喧嘩は強いから、もっと冷静にね。

凄腕の冒険者さんも知ってるけど、大体は観るのが上手いんだ」

「ダンスの続きは、レディ?」


 問うと、ツクヤがカジャの掌を導いて眼鏡の弦に触れさせた。


「さ、次は貴方な訳だけど」


 再度幕開けと振り向いた先では、ふくれっ面で腕まくりするアンリが居る。

聞くまでも無く何故かやる気満々だ。再度説明しようとツクヤが足を止める。

アンリはその瞬間に大きく振りかぶった。


「隙ありッ!」


 言葉と共に投げつけたのは先程まで使用していた棒切れだ。

確かに投げもの禁止とは言っていない。言ってはいないが余りに余り。


「あ、ずっけぇぞ!何て真似しやがんだ!!汚ぇのは喧嘩の最中だけにしやがれ!」

「相手は格上!龍の神がエコひいきしたズル女!使えるものは何だって……」

「うん、考えそのものは悪くないかな。ただ──」


 三者三様の反応を示す。

避けつつ、ツクヤは握り込んでいるアンリのもう片方の手を観ていた。

顔面を張り倒すように開きかけた掌の中には何と砂利。

反則上等、正しく何でもありの喧嘩殺法という訳だ。


「種の割れてる手品って、基本的に格上には通じないからね?

工夫は良いけど奇襲するならバレない相手、場所で。後、話は聞く事」


 振り被った瞬間をガッチリと掴まれた。ツクヤはにっこり笑顔であった。

対するアンリは顔が引きつっており、表情はどことなく青い。


「一つ聞いて良い?」

「うん?何かな」

「ツクヤって怒ってる時は大抵笑ってるよね。目が全く笑って無いから凄く怖い」

「うん、やっと解ってくれてありがとう」

「それじゃあ、ついでに体に回した腕を離して欲しいなー

何だか船用の縄で締め付けられてるみたいで。ボク、そういう趣味ないし」

「ダメ。私だって鬱憤溜まる事もあるんだよ?」

「人で晴らすのは八つ当たりって言うんだーッ!?助けてー!!」


 ツクヤは笑顔であった。胴体に巻き付けた腕に力を更に籠める。

ぐぇぇぇぇ……という内臓から絞り出すような苦悶が響く。

本気であれば臍の辺りから真っ二つであったに違いない。


「く、糞っ。何でボクばっかり酷い目に会うんだ空回りするんだ。

こんな世の中、何時か絶対修正してやる。間違ってる。不平等だ。理不尽だ」


 呪いの言葉を吐き続けるアンリをカジャが仕方がないと助け起こす。

溜飲を下げたらしいツクヤは大変満足気だ。


「に、してもホント強ぇなぁ。クソ、悔しくなって来やがった」

「向上心が強くて大変宜しい。先生二重マル上げちゃうかも」

「そりゃどうも。まぁ、参考にさせて貰うわ。そら」


 言葉を切ると、カジャがツクヤの眼鏡に触れた。

皮肉っぽいのっぽの顔を驚きの表情が迎えていた。


「あら」

「俺の一勝。喧嘩は場所が選べるとは限らねぇぜ」

「むー、一本取られちゃったなぁ」

「人様の真横でいちゃつきやがってこんにゃろう……」


 今にもその場でのたうち回りかねないアンリである。


「ダダ捏ねるよりも思い切って決断した方が早いよ?」

「馬かロバに蹴られちまえ、クソッ」

「ありゃりゃ。とんだ野暮だったか。ま、ペースは人それぞれよね」


 勝利者の余裕を漂わせるツクヤに再度呪いの言葉を吐く。

一方、カジャ=デュローの頭上には複数の疑問符が飛び交っていた。



Next.


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