第16話 命の洗濯を



 ドワーフが去って行った後だ。

へなへなと緊張の糸が切れたようにツクヤ=ピットベッカーは座り込んだ。


「つ、疲れた。凄く疲れる……山主さんといい、どうしてこう豪快なんだろう」

「さよか?俺は普通だと思うが」

「……文化が違ーう。ああ、本当に疲れた。もーだめ、もう限界」


 精神的な疲弊を来したらしく、ぼやきともつかぬ言葉を吐き出す。

その前後に並ぶのは件のゴブリンをおぶったカジャ=デュローと、

一件落着とばかり頭の後ろで手を組んで歩くアンリ=カトルであった。

ニヤニヤしながら疲れ果てた学士を観察しているらしい。


「いやいや、お相手本当ご苦労さん。ボクは楽させて貰ったよ」

「君ねぇ……自分が関係ないって思わないで欲しいんだけど」

「分業分業。ドワーフなんて詳しくないし、やわっこく丸める話は苦手で。

ホラ、ヤマはトテカン煩いでしょ?加えてマスクだ。自然に大声になるんだよ」

「ああ、成程……声が通らないか」

「そうそう。だからついつい喧嘩腰になっちゃってねぇ。あ、カジャ」

「あんだ、どうしたよ。全く、サボリめ」


 最後尾のカジャが声に反応する。


「小鬼の子の調子は?大した怪我は無いみたいだけど」

「さぁな。俺ぁ医者じゃねぇし。ともあれ、生きてるぜ」


 やがて、立坑エレベーター直下の広間に辿り着く。

物々しい三人組に気づいたらしいそこら鉱夫達に事の次第を伝えると、

俄かに周囲が騒がしくなった。


 それを他所に一行は隅に陣取って腰を下ろす。

煤塵まみれの作業箇所と違って、エレベーターホールは比較的空気が良い。

限界だ。我慢が出来ない。蒸し風呂のようになった防護着のマスクを一同脱ぐ。

湯気が上がる。ぼんやりと虚脱した状態でツクヤが水を口に含んだ。

それを目の端に映しながら、アンリは改めて件のゴブリンに向き直る。


「……」


 そいつは黙ったままだ。びくびくと警戒しているようにも見える。

観察するに、肌の色こそ灰色がかった緑ではあるが、髪はある、

手足もある、生意気にも胸まである。体格はアンリより若干小柄といった所。

顔立ちは、ゴブリンと人間が混じったような塩梅だ。

まぁ、深い事情があるのだろうとちびの冒険者は自分を納得させる。

と、ごほごほ小鬼が咳き込みだす。カジャが水筒を差し出した。


「ほれ、うがいしろ、うがい」


 言うと、自らは半分になった鉱山パイを口に放り込む。

しばしの無言。てんやわんやの鉱員達を眺めつつ体を休めていると、

意外な事に黙っていた小鬼が口を開いた。ぼそぼそと小声で礼を述べる。

何とも卑屈である事だなぁ、とアンリは思うが仕方がない事なのかもしれない。


 炭鉱は一山一家。誰でもウェルカム、言い換えれば表社会の爪弾き、

鼻つまみ者、往く当てのない孤児だの、私生児だの、アイノコだのが流れ着く。

いわばこの世の吹き溜まり。碌すっぽ口がきけなくとも別に不思議もあるまい。


「……んでだ。名前、なんてぇんだ?」

「まだない。ななし。マダナイ=ナナシ。皆そう呼ぶ」

「そりゃあ……また。えーい、止め止め。俺らは──」


 カジャが小鬼に名前を伝える。退屈しのぎとアンリがその来歴を尋ねた。

名無しなどとあだ名で呼ばれる異種との混血児である。

二、三搔い摘んで答えるだけでもツクヤなどは眉を顰め始めるが、

喋る当人はと言えばさも何でもないように話を続けていく。


「あ、ああ。良く解ったよ、うん。ほら、ボクの分のパイもどう?」


 若干引き攣った笑いで言うと、千切った小さい方のパイをアンリが差し出す。

カジャが何やら余計な事思いついたとばかりに口笛を吹いた。


「聞いてばっかじゃ面白くねぇ。俺らの自慢もさせてくれよ。

まだエレベーターが空くまで時間かかりそうだしよ」


 報告だの何だので忙しいらしく、俄かに人の流れが増えた様子が見て取れる。

へらへらと笑いながら、如何にも馴れ馴れし気に言うカジャは、

では早速とホラと与太を混ぜ込んだ経緯の話をぶち始める。


「──それでよ、俺と来たら並み居る黒服共と切った張った切った張った。

我ながら凄ぇ腕前さ。流石は未来の冒険王様の面目躍如よ」

「そのホラ話まだ生きてたんだ」

「んだとォ?俺は至って真面目かつ本気だぞ。

だが、こんな俺ちゃんにも深刻な悩みがあってだな」

「あら意外。毎日とっても楽しそうだなって」

「ツクヤさんまでそりゃねぇよ……青少年の健全な悩みって奴でな」


 身振り手振りも大げさなカジャにナナシも釣り込またように一座に加わる。


「お子様に説教されちまってなぁ。面目丸つぶれなのよ、これが」

「昨日のアレ、気にしてたんだ。まぁ、図星だもんねぇ」

「ぐっと堪えた自分を褒めてやりたい。時には我慢も重要だった。

共々無役の半端モン扱いだぜ?前途洋々、希望の新星と呼んで欲しい所と言うに」

「一戸建てとは言わないにしても、安宿暮らしは卒業したいよねぇ……

それを言うならボクだって太いお客さんが欲しいよ。ぐっと夢が近づくのに」


 随分現実的、とツクヤが物言いに思わず唸った。

愚痴かぼやきかはたまた反省会の類か。突如として始まった一席に、

女学士もまた参加する。曰く、経験の不足が恨めしいらしい。


「正直ちょっと自信喪失気味かも。まぁ、でも何とかなるよね。うん。

何と言っても一番のお姉さんだし、気を取り直して頑張るつもりなのです」


 元気も取り戻したらしく、相変わらず黒いままの顔で胸を張って見せる。

一仕事終えての談笑か、はたまた単なるなれ合いか。

ともあれ、遠巻きに羨んでいた小鬼も自分を励まそうとしているらしいと気づく。

気づいたのは良いが、何を話せば良いものか。

冒険者のように無謀めいた勇気があるでなし、学士は言うも更なり。


「ここに来てよかったと思う。こんなに良くしてくれた場所はなかったから」


 縺れ縺れ、ナナシはやっとそれだけ発言が出来た。

やれ冒険者の苦労だの、工夫だのを面白おかしく語ってみせる二人組が

喋り慣れた風も無い小鬼にとって呼び水になったのかもしれない。

他には無いか、他には無いかと指折り良かった事を探してぽつりぽつり。

三食きちんと食べられる、寝床もある、無意味に殴られない等々。


「気休めでもないよりはマシだもんねぇ。

うんうん、実際あるのと無いのとじゃ大違い。ボクら嫌になって逃げたんだけども」

「逃げてもいいの?自由でいいの?強くも偉くもないのに?」

「そりゃあ勿論さ。何でもかんでもまともに相手すりゃいいてもんじゃなし。

あ、今笑った?まぁ、どうにかなるって。問題は解決出来る、と思うよ」


 フォローするようにアンリが言った。

すると、小鬼は夜空のように真っ黒な炭鉱の天井を見上げる

ちっぽけな頭で何を思っているのかは知れない事であった。


「そうか。そうなんだ。そうなるといいなぁ、何時か私も」

「でぇじょうぶだ。生きてりゃ何とかなる。

自慢じゃねぇが死に掛ける経験には事欠かないのが冒険者サンよ」


 命冥加に尽きるとカジャは言う。

それから忍耐が尽きたようにその場にずり落ちて、昇降機を見上げだす。

よく見れば何となくぶるぶる震えているようにも見えた。

恐怖か、はたまた禁断症状か何かか。ナナシが不安げにそれを見る。


「冒険者さんひょっとして……」

「ナナシ君。このバカに関しては違うから。見てなよ」

「──っだぁぁぁっ!!本日真面目成分は只今現在持ちまして限度に達して枯渇した!!

熱心勤勉な冒険者を演じるのも限界だッ!!即店仕舞い、店仕舞い!!

俺ちゃん今すぐ暖かい飯と酒が欲しい!!それと……ああ、そうだ!!」


 駄々を捏ねる子供のように大地にのたうち回り始めたのっぽが、

周囲の冷たい視線に気づいたか、はたまた別の理由か跳ね起きる。


「ナナシ君。ここで冒険者サンから閉店前の質問だ。

遠くの山に日が沈む。兎に角ここに炭鉱風呂はあるかね?」

「……はぁ?」

「質問を質問で返さない!ハイ、イイエ、どっち!?ねぇ、どっちなのよ」


 ──カジャに困惑するゴブリンに曰く、ある。であった。

さて、ここで唐突であるが炭鉱風呂についての説明を加えねばなるまい。

ある程度以上の炭鉱が密集し、水が手に入るとなれば付き物の入浴施設だ。


 何せ、汗と真っ黒になる程の汚れには事欠かない仕事である。

潤沢な燃料資源があれば、湯で洗い流したくなるのが人情であった。

かように炭鉱においては様々な独自の福利厚生が発達しており──閑話休題。


「風呂は広いなデッカイな。ヒャッホーイ!!」


 愉快な人生を謳歌するカジャの叫び声が壁の向こうから聞こえた。

盛大な水音からすれば粉塵落としの第一槽に飛び込んだらしい。

後に続くのが本番の第二槽である。典型的な炭鉱風呂であった。

これも一連の仕事の功労者の特権だ。故に貸し切り、事実上の一番風呂である。

芯まで熱の通って蒸しあげられた心身にぬるめの湯が実に沁みとおる──さて。


 順番待ちとなった残りの面々はぐったりとした様子で待合に転がっていた。

相変わらずのナナシ、前のめりになって肩を落としているアンリ、後ツクヤ。

殊にツクヤ=ピットベッカーなどは普段の言動が嘘のようである。

衆目も気にせず着替えた薄着のままテーブルに突っ伏している。


 尚、本来は炭鉱据え付けの風呂などというものは混浴が相場だ。

疲れ切って尚、学士が断固拒否を貫いた結果がご覧の有様であった。

一秒でも早く疲れを癒したいが、染み付いた作法とはかくも強固なのだ。

一応は淑女な階級出身であるから致し方無かろう。


「大体、途中から反応が薄いからおかしいと思ってたんだよ」

「ゴメン、無理。もう無理。本当に……」

「まぁ、素人にしては頑張ったんじゃない?

ほらほら、学者なら地の底空の上でしょ?根を上げてていいのん?」


 ケケケと意地悪そうに笑ってアンリが言う。


「本日の学業は終了致しました。ので、明日の始業をお待ちください」

「真似しぃめ。ま、いいけどさ。次はボクね。ゴブちゃんと入るんでしょ?」

「うん。少し聞いてみたい事もあるし。男の子相手じゃ話辛い事もあるかもと。

と言うか、一緒に入ればいいじゃない。カジャ君と。友達なんだし」

「えーと、それはそのね。うーん……友達なのはあんまり関係が無くって」

「何か事情でも?」

「無いよ、無いったら。兎に角嫌なだけ!!訳知り顔しないでよ」

「えー……本日の学業は終了したのに。うん、便利な台詞だねコレ」


 追及を振り切ろうと立ち上がるや、ガラリと戸が開く。

湯気の上がるカジャ=デュローであった。尚、本来は混浴である。

ノックの一つもあろうかと無意識に思い込んでいたが、

それを裏切っての半裸である。慌ててツクヤが顔を手で覆う。


「納涼!いや、出坑の後は一っ風呂浴びるに限らぁ!おビール様はどこじゃいなと」

「……少しは隠しなよ。ねー、ツクヤさんや。それじゃ指の隙間から見えてるよ?」

「冒険者君。セクシャルハラスメントという概念をご存じかしら?」

「知らん。ヤマじゃ半裸はユニホーム。て、訳でお先に上がってるぜ。

そこらでゆっくり呑んでっから、何かあったら教えてな。そんじゃなー」


 タオルと着替えを肩に引っ掛けるや意気揚々とのっぽは引き上げていった。


「元気だよねぇ」

「馬鹿だからなぁ……それじゃ、ボクの番か」

「ね、アンリちゃん」

「……気味悪ッ!ちゃん付けとか!」

「原因はそういう所じゃないの?まぁ、彼とっても鈍そうだしねぇ」

「何を勘違いしてるのか……もう、先に行く!覗かないでよ!!」


 足取りも乱暴に脱衣所に向かうアンリの背をツクヤは見送る。

女学徒が傍らを見ると事態が飲み込めないらしいナナシが見上げてくる。


「ま、秘密が多いって事か」


 誰に聞かせるでもなく、頬杖をつきつつ女学徒はそう呟いた。



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