第14話 スペランカーに明日はあるか



 鉱員番号の描かれた即席の鑑札を一瞥すると、カジャ=デュローは

渋い顔を浮かべてエレベーターを睨んだ。身支度一式整えた態だ。

待合室には彼ばかりではなく、アンリ=カトルとツクヤ=ピットベッカーも居た。

防護服に防塵マスク、ゴーグルで全身を固めた姿は揃って同じで区別はつかぬ。

周囲では男共が、汗まみれで出て来た連中と入れ替わりに地下に潜って行く。


「全く、ツイてねぇな」

「そうだよねぇ……まさか、オッチャンが頭を下げて来るとも思って無かったし」


 思い起こすに忌々しい。事は先だっての独演会も終わりの夜明け頃、

邸宅に駆け込んで来た鉱夫の報告に端を発する。曰く、大体の収容は終わったが、

未発見の新入りが居るのだと言う。


 一般に、この手の坑内災害では三日を過ぎると生存の可能性が

急速に失われるのが経験則として認識されている。

時間との勝負であり、経験を乞われ冒険者たちにお鉢が回って来た。

認識不足を悟るや動き始めた山主から半ば強引に説き伏せられて、という訳だ。


「私、炭鉱に入るのは初めてだな」

「悪ぃけどよ。中に居る間は指示には従って貰うかんな。

経験とカンが全てだしよ、何より安全第一で頼むわ」

「うん。お願いするよ、先生方。無理言って付いていく以上、当然」

「はいよ、それじゃあ立って。点検な」


 鉄靴ヨシ、マスクヨシ、防護衣ヨシ、カンテラは絶対に火を露出させないように、

坑内は暑いから水分補給その他に注意する事、等々。

見た目によらず細かい注意と確認が細々続く。立場逆転、とアンリが呟いた。

三人分の鑑札──出入り管理に使う──をそれぞれに渡す。

それから本日の業務説明、とアンリ=カトルが真面目腐った顔で言った。


 仕事は行方不明者捜索。担当場所は未調査の旧坑内。

天板と支柱が頑丈な作りである事からある程度安全とは判断されているが、

現業者の出入りが始まってから測量自体行っておらず、詳細な状態は全くの不明。

ガスの噴出は既に止まり、これ以上の連鎖は起きないと判断されるが、

資材の劣化、危険個所の存在が多数予期される為十分以上に注意する事──


「だってさ。カナリア扱いかな。事故って死んだら化けて出よう」

「まー、二次遭難でも余所者なら面子も立ぁね。危険に立ち向かう、

結果も出す、自分も仲間も生かして返す。全部やらんといかんのが辛いとこだ」


 そんな彼らの腰にはカナリアを収めた小さな籠がぶら下がっている。

一つでも様子がおかしくなれば即座に引き上げる為の警報だと言う。

質問は、とそれまで軽口を叩いていた冒険者が尋ねた。

のっぽが巻き煙草一本灰にする程の時間が過ぎ、学士が手を挙げる。


「危険なのは解ったよ。でも、調べてない場所に入るんじゃ迷わない?」

「迷う。何もしなきゃな。現場までの写しは貰ってある。そこからは」

「地図を描きながら、か。殆ど迷宮探索みたい」


 実際、似たようなもんさ。相手が違うだけだ、とカジャ=デュローは言った。


「ボクらにはこっちの経験しか無いけどね。で、地図書きは──」

「私がやるよ。炭鉱は初めてだけど、探索自体はやった事あるし」

「本当にどんな学者共なんだ、それは……?」


 魔物が居る限り魔物生態学者が出向かない場所は無い、との返事であった。

打ち合わせも終わり、ベンチに腰掛けていると立坑エレベーターへの通路から、

また汗みどろの男共が吐き出されてくる。冒険者たちと学士の番になった。

係員に再度火器の有無の点検を受ける。と、紙束を見咎められた。


「ああ、これ?東方式の魔法のお札。火元になるものじゃないけど……」


 一枚抜き取り、軽く握るとお札が明るい光を発する。

恐る恐る係員が手に取り、手品師の術策に首を傾げつつも許可を下した。

鑑札を手渡し、冒険者二名とそれに倣って学士も傍らの祠に一礼。

ブレーキ手に手を振り、篭に入る。黒々とした大穴が眼下に続いていた。



/



 濛々と粉塵の舞う坑道には捜索隊らの傍ら、

つるはしやスコップを手にシャツ一枚の鉱夫達が日常の業務に取り掛かっている。

ごく簡単なマスクか、或いは布を巻いただけという者も多い。

片手で挨拶を交わしながら行き交い、件の旧坑へとたどり着く。


 カンテラを掲げ、覗き込む。

丸太の支えが所々崩れた穴倉は何処までも続いているように見えた。

そこかしこに空いた横穴は過去に鉱石を掘り出した名残だろうか。

ひんやりとした空気の中、カナリアが小さく鳴き声を立てていた。


「こりゃあ難物だぞ……」


 無数にある洞穴一つ一つ虱潰しにしていく必要がある。

事故現場捜索の最前線は文字通りに死の危険と隣り合わせであった。

故に、せめて最新式の防護具を、という事なのだろうが──


「ドワーフ式の模造品とは言え、何処までアテになるのやら」

「何時もそうだけど気休め程度、なんだよねぇ。まぁ、張り切って慎重に行こう」

「あのぉ、本当に大丈夫なのかな?」

「ヤマん中で確実に大丈夫って事ぁねぇよ。冒険だ、冒険」


 若干の不安と身の危険を覚えるツクヤに、アンリが耳打ちする。


「大丈夫だよ。アイツ、アレでリスク管理や逃げ足はボクより上手いし早い。

でも、死ぬ時は死ぬから覚悟だけはしといてね。運が良いんでしょ?」


 言いつつ、アンリは腰のベルトにロープを括りつける。

それから、その端をのっぽと学士に差し出した。


「それじゃ行ってくるよ。って、何さ。こんな紙切れ」

「お札だよ。お守り代わり、って言いたい所だけど、何かあったら握りしめて」


 説明通りに握りしめると、ツクヤが手にしたもう一枚が淡く輝く。

成程、簡単な合図に使えると言いたいらしい。

奥でロープを引っ張るよりは確実だろう。


「へー……やるじゃん。腕力以外は単なるお嬢さんかと思ってた」

「地図だって書けるよ。見くびらないで欲しいかな」

「へっ、まぁいいや。じゃあ、光ったら思い切り引っ張り上げて。

ボクだって狭ぁい場所でぺしゃんこはごめん被るから」


 よっと、と掛け声を残してアンリが横穴に飛び込み、

後に残るカジャがロープを握って待機する傍ら、ツクヤは地図を書き進めていく。

その繰り返しに、時折、力の限り引っ張り上げると共に坑道が崩れる事幾度か。

亀の如く進捗は遅いが、慎重に壁面を確かめながら進まないと生き埋めになると

冒険者二人は口を揃えて断言する。


 闇に閉ざされた地下世界においては時間間隔が胡乱な物になる。

銀メッキの懐中時計を学士が睨めば、入坑から半日近くが経過しようとしていた。


 三人組はと言えば、片隅の岩ころに腰を下ろして小休止。

何やら包み紙を取り出したカジャが覆面に隙間を空けてその中身を放り込む。

むしゃむしゃとやっている所からすれば弁当か何かだ。


「食うならこんな風に。炭のコナが掛かるとカロリー上がる」


 炭塗りになったパンを指して曰く、機関車パンなどと称する鉱夫も多い。

出来るだけ汚れないように大口で早食いするのが作法と見える。

防護を付けたまま器用にも飲み食いする冒険者を羨ましそうに学士は眺めた。

ぐぅ、と腹の虫が抗議する。体裁が悪いと思っても体の方は正直らしい。


 ええい、ままよと包み紙をゆっくり解いた時だ。

飛び出た影がそれを捥ぎ取って横穴の一つに転がり込む。

顔を見合わせる冒険者。飲みかけた水筒を投げ捨てて、駆け寄った。

そこだ、居たぞ、とアンリが飛び込み、腰紐を合点とカジャが握りしめ。


「ぎゃあ!!コイツ噛みやがった!観念しろッ!!皮手袋だぞ!!こん畜生!!」


 ツクヤが握りしめていた札が淡く光る。

パイ包みの仇かどうかは知らないが、腰だめに引っ張るカジャの後ろに付く。

気合一発。巻き上げ機の如く一本釣りにアンリと何者かがすっ飛んで来る。

勢いそのままに宙を舞い、真っ逆さまという所で見事にキャッチ。


「危うく腰が二つか三つに折れる所だったじゃないか」


 首を落として抗議するアンリに引っ張っただけだと言うツクヤ。

さておき、のっぽが腰を落として抱えられた姿を確かめる。

不安そうな上目遣いがそれを迎えていた。


「……半分分けてもらうぞ?ふりかけ付きでスマンけど、食えよ」


 伸びていたツクヤの指先が残念そうに下がる。半分に千切る。

何が何だか良く解っていない上目遣いの主が受け取ったまま固まり、しばし。


「食えよ。食わねぇとこっちの食いしん坊おねーさんがとって食っつまうぞ?」

「ちょっと……そんな事しないよ。ほら、どう?美味しそうでしょ」


 同じくしゃがみ込んでいたツクヤが覆面を取って片割れを口に放り込む。

水を口に含むと、手の甲で口元を拭う。まるで髭のように黒い跡が残る。

月に群雲。ランタンの灯も揺れた。見るなりアンリが含み笑いを漏らし始める。


「くくく、いや、いいからマスクをつけなよ。白い顔がもっと面白い顔になるよ」


 気づかぬまま覆面を直すツクヤ。相手も観念したのかもしゃもしゃとやり始める。

照らしてみれば、その肌の色は人の物とは明らかに異なり緑がかった灰色である。

遭難生活の為か元からか、粗末なシャツにボロのズボン。体付きから女性らしい。

身を震わせてすすり泣きしながらも食べる事だけは止めない様子に、

カジャ=デュローは一先ず安堵に肩の力を抜いた。


 パラパラと辞典を捲っていたツクヤが手を止め、あるページを示した。

ゴブリン、と表記があった。描かれた姿とは違い、一回り以上も大きく見える。

が、人間として見たならばいささか小柄に過ぎた。


「大分減った、筈なんだけどなぁ」


 つまり、あいの子という奴である。何十年も昔の話でも無し、

荒野に穴居し旅人を襲う亜人間などという暮らしはほぼ過去のモノでもある。

人間その他の居住地域の拡大は、皇国において必然的に多種族混合を推し進めた。

血も自然と混じって行こうというものだ。


 さりとて彼らが社会ですぐに地歩を得るという訳でもない。

ゴブリンどころか、混血の落とし子となれば猶更の話だ。

目を逸らされて生きて来たのだろうな、とツクヤ=ピットベッカーは察していた。

しかし、馬鹿はそんな事などどうでもいい。どっかと腰を下ろして満足気だ。


「おー、良く食う良く食う。良い事だぜ……ん?」


 顔を上げれば、未だ続く旧坑道の奥から幽かな光が見えた。

それも一つ、二つではない。幾つも人の腰ほどの高さの明かりが近づいてくる。

カジャは黙してシャベルを構える。アンリは逃げ出そうとするゴブリンを抱える。

やって来たのは冒険者たちと似たような恰好をした一団であった。

しかし、その背丈はカジャ=デュローの腰ぐらい。小人たちであった。



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